クラシック音楽の楽しみ方

  第1回 音楽の楽しみのために
  第2回 譜面の話
  第3回 音楽と譜面の話
  第4回 J.S.Bach (その1) Bach作品番号, Kantaten
  第5回 J.S,Bach (その2) Die sechs Brandenburgischen Konzerte, Matthäuspassion
  第6回 J.S,Bach (その3) ロ短調ミサ曲(h-moll Messe), Collegium Musicum
  第7回 Vivaldiの「四季」
  第8回 管楽器の話


「クラシック音楽の楽しみ方」  第8回

会員 高橋 善彦

今回は、管楽器の話です。オーケストラで使われる管楽器には、Flute, Oboe, Clarinetto, Fagottoのような木管楽器と、 Horn, Trumpet, Trombone, Tubaのような金管楽器があります。 元々、木で作られていた楽器を木管楽器(英:Woodwind, 独:Holzblasinstrument)と呼び、 金属で作られていた楽器を金管楽器(英:Brass, 独:Blechinstrumente)と呼んでいます。 とは言っても、現在、Fluteは金属製の楽器が多く、例えば、Alpen Hornの様に木製の金管楽器もあります。 新しい楽器、1840年代に作られたサックス(Saxophone)は木管楽器に分類しますが、木製の楽器は見かけません。

木管楽器と金管楽器の分類は、名前の由来以外、素材で分類するのではなく、 音程の作り方で分類します。 笛を見てみると、楽器に孔が開いていて、孔を指で開閉して管の長さを変えて音の高さを変えて音階を作ります。 この方式を使っている楽器を木管楽器と呼んでいます。

Recorder

Flute

Oboe

Clarinetto

Fagotto

金管楽器も管の長さを変えて音階を作ります。金管の中でTromboneはスライドで管の長さを変えています。 この方式は、古い時代から使われています。Trumpet, Horn, Tuba等の金管はバルブ機構を使って、息の流れる管を切り替えて管の長さを変えています。






Valveには色々な方式があります。代表的なValveは、
  フランスで開発された上下に動くPiston 型と、
  ドイツで開発された90度回転する Rotary 型です。
いずれの方式もValveに付いている短い管(迂回管)を通るか、通らないかを切り替えます。 この仕組みが作られたのは、Beethovenが第九交響曲を初演した1824年より少し前のドイツです。 ドイツのHorn奏者で研究家のHeinrich Stolzelが、金管楽器用のValve機構を考案し、 1818年に最初のvalveを開発し、その後各方式に発展します。

伝統のWiener Philharmonikerが使っているHornには、1830年頃に考案された独特のValve、 Wienerバルブ(Ventil)を使っています。 古い方式で、使い易いとは言えないのですが、音色の理由で今でも使っています。


Wienerバルブ(Ventil)

現在、標準的に使われている 3本Valve機構は、
  第1 Valveが全音、第2 Valveが半音、第3 Valveが全音半
分の管路長を長くし、音の高さを下げています。 この様なValveを組み合わせて使うことで半音階を演奏可能にしています。 音域を拡げるために3本以上のValveを装備している楽器も多くあります。

  
5 valve Tuba                4 valve piccolo trumpet


楽器分類から見ると、木管楽器と金管楽器の分類に使うもう一つの特徴があります。 木管楽器にはリード(英 :Reed, 独 :Zunge, Tonerzeuger)と呼ぶ、楽器の音の元となる仕組みがあります。 金管には有りません。金管では唇がリードの代わりになります。

Oboe, Fagotto, Bag-pipe, 日本の篳篥(ひちりき)などには、2枚の葦などで作るリードを合わせて、間に息を吹き込み振動させます。 このような楽器をダブルリード(Double reed)楽器と呼びます。Clarinetto, Saxphoneでは1枚のリードが振動し、 シングルリード(Single Reed)楽器と呼びます。 Recorder, Flute, 尺八、和笛にはリードは有りませんが、楽器に息を吹き込むと管が鳴るように作られ、エア・リード楽器と呼びます。


金管楽器には、楽器に息を入れ振動する唇を支える、マウスピース(英:Mouthpiece, 独:Mundstuck)を差し込むだけです。

この様に管楽器を分類する方法を2通り用意していると困ることがあります。
長い音楽史の中では、例外的に両方の特性を持った楽器が現れます。 そこで、楽器分類上では、後からご紹介した、発音原理によって木管と金管を区分しています。

この例外的な楽器は、Trumpet系統に出てきます。これには理由があります。 1840年代までValve機構を持たず、半音階を演奏出来なかったTrumpetに、何とか半音階の演奏を出来るようにしようと試行錯誤を繰り返し、 その過程でいろんな方式の楽器が生まれます。

Trumpetを元にしていますので、楽器の吹き口にリードは無くマウスピースだけです。 木管楽器の様に、楽器本体の管に孔を開けて、半音階を演奏出来るようしています。

イタリア・ルネサンス音楽の後期、Venezia派のGiovanni Gabrieli(c.1554 - 1612)やClaudio Monteverdi(1567 - 1643)の時代の教会では、 Cornettoと呼ぶ楽器が使われています。 現代の金管楽器、Trumpetの親戚の楽器と同じ名前で紛らわしいのですが、 下の図のように全く異なる楽器です。 ドイツ語ではZinkと呼びます。 ルネサンス時代の教会で、合唱の後ろに立ち合唱の高声部を演奏することが多かった楽器です。 もちろん、今でも古楽の演奏ではよく使われている楽器です。

楽器の素材は木で、本体に孔が開いています。見た目は木管ですが、吹き口の方式から金管に分類します。専門の奏者以外では、Trumpet奏者が兼任で演奏します。

1796年にJoseph Haydnが作曲した、Trumpet 協奏曲 変ホ長調(Es-Dur)はよく知られている曲ですが、 この曲の独奏には半音階が必要です。この曲は、キー付きTrumpetという、見慣れない楽器の為に作曲されています。 Haydnに続き、J. N. Hummelもこの楽器用に協奏曲を作曲しています。


英:Keyed trumpet, 独:Klappentrompete


 この楽器は上のCornetto (Zink)と同じ原理で本体に孔を開けています。
 こちらは金属製です。後のValve付きtrumpetの登場で使われなくなります。


ご質問、ご希望、ご意見などは、
協会の公式メールアドレス でご連絡ください。

記事の内容に全く関係の無い、音楽についてのご質問でも何でも結構です。ご遠慮なく、ご質問ください。 全てに巧く応えられるかどうかは、定かではありませんが、調べた上でご回答致します。



私の愛器たち
オーケストラのトランペット奏者は平均何本のTrumpetを持っているのでしょう?
統計は無いと思いますが、ごく普通の私の場合で7本くらいです。

「クラシック音楽の楽しみ方」  第7回

会員 高橋 善彦

今回は、おそらく最も有名なバロック音楽、Vivaldiの「四季」についてのお話です。 Vivaldiは、ヴェネチア生まれ(1678年)の作曲家、ヴァイオリンの名手、そして若い頃には赤毛の司祭 (il Prete Rosso) というあだ名を持つカソリック教会の司祭で、ピエタ慈善院付属音楽院 (Ospedale della Pietà)の音楽監督を務めます。

四季は4曲のヴァイオリン協奏曲で、1716年から1717年頃に作曲されています。1725年にアムステルダムで、 他の8曲のヴァイオリン協奏曲と一緒に「和声と創意の試み (Il cimento dell'armonia e dell'invention)」曲集として出版されます。

この四季の発想は、当時、Vivaldiが居たマントバの郊外、田園風景の印象からとされています。 しかし、四季の各曲を書いたと推定できる年と、当時、マントバを統治していた、ヘッセン=ダルムシュタット(Hessen-Darmstadt)の フィリップ 公子からの宮廷楽長の職位への招聘をVivaldiが受けた年に、微妙なずれがあります。 また、Vivaldiがマントバに着任前後、どれくらい居たのか等も明確に出来ていません。
 協奏曲 第1番 ホ長調 RV 269 春 La Primavera
    I. Allegro II. Largo e pianissimo sempre
    III. Allegro pastorale
 協奏曲 第2番 ト短調 RV 315 夏 L'Estate
    I. Allegro non molto−Allegro
    II. Adagio e piano−Presto e forte III. Presto
 協奏曲 第 3番 ヘ長調 RV 293 秋 L'autunno
    I. Allegro II. Adagio molto III. Allegro
 協奏曲 第 4番 ヘ短調 RV 297 冬 L'inverno
    I. Allegro non molto II. Largo III. Allegro

この四季の4曲の協奏曲は、それぞれ、急−緩−急の三楽章の形式になっています。 各楽章にはソネット形式(14行詩 Sonnet) の詩が付き、音楽の情景を説明しています。 ソネットはVivaldi自身 が書いた可能性が高いのですが、これも詳細は不明のままです。

しかし、明らかにソネットに従って、音楽は書かれています。 この四季の4曲の協奏曲は、音楽に物語的な要素を結び付けた「標題音楽」の最も古い秀作の一つです。 この作品では、音楽に物語の要素を「描写する」という、新しい概念を取り入れています。
例えば、「春」の第一楽章には、鳥の声、第二楽章には、山羊飼いの犬の声が聞こえてきます。 このような自然の音を描写するだけでなく、季節の風景から受ける感覚や心象、例えば、 春の訪れの喜び、夏の暑さ、冬の凍えるような寒さ、暖炉の暖かさなども音楽で表現しています。 この他にも、せせらぎの流れ、羊飼いの声、嵐、酔っ払った踊り手、夜の静けさ、氷上の子供達などを描写しています。

春の第一楽章の冒頭には「春が来た」とソネットが書かれ、春らしいのびのびとした音楽になっています。



そして、鳥たちは楽しげに春に挨拶する (e festosetti La Salutan gl‘ Augei con lieto canto, )と続きます。

この様に、ソネットの言葉に従って、音楽が展開して行きます。 ソネットについて全てをここで、ご紹介出来ませんので、以下、ご説明しておきたい箇所だけにします。

   ソネットの対訳と、ソネットが書き込まれている四季の各Scoreは下記からご覧ください。
   Scoreのソネットにも、日本語訳を付けてあります。
     ソネット対訳    春 Score    夏 Score    秋 Score    冬 Score

そして、小川のせせらぎの描写が出て来ます。

    泉の流れ
    泉はそよ風に誘われ、優しい音を立て流れはじめる。


この音形は、後のベートーベンの田園交響曲、第二楽章に出てくる「小川のほとりの情景」と比べると、 複雑になっていますが、発想はよく似ています。
次の譜面は、田園交響曲の第二楽章です。



多くの人が「小川のせせらぎ」を思い浮かべる音形で、言わば定番の音形です。 定番の音形は、古い時代から描写音楽や歌詞を持つ音楽では重要な存在で、定番作りに多くの作曲家が力を注いで来ています。

「春」の第二楽章では、ヴィオラに、遠くで吠える犬の声を聴くことが出来ます。



「夏」の最初には、夏の暑さに皆が疲れている様子を描いています。 Vivaldiは、3拍子の1拍目に休みを入れ、2、3拍子に半音の音程を書き込み、これだけでも「そっと」感が出ますが、 ごく弱く(pianissiomo)として、夏のうだるように暑さを表現しています。



続いて、夏の森に聞こえるカッコウ等の鳥の声、そよ風、急な風、嵐にうろたえる牧童の様子が描かれていきます。

「秋」は「四季」の中で、おそらく、一番、独奏ヴァイオリンの難易度が高い曲です。 第一楽章では、豊作に恵まれた村の祭りと、酔っばらいが出て来ます。第二楽章は、祭りの後、 村人が眠りについた村の静けさが描かれています。弦楽器は弱音器(sordino)を付け、 音色が少し籠もります。これにチェンバロが分散和音(arpeggio)を弾いて、静かな空気を表現しています。

「冬」の第一楽章は、凍えるような寒さにブルブルと震える様子から始まります。 寒い様子は、和音の使い方で表現しています。最初に、チェロがファ(F)の音から始まり、 次にヴィオラがソ(G)の音を弾きます。この2つの音は、隣の音で、不協和音となります。 そのまま、ヴァイオリンが加わり、冬の寒さを描いています。



第二楽章には平和な温かい調性の変ホ長調(Es-dur)を使い、暖炉の周りの暖かさを描いています。 そして、第三楽章の最後には、冬が終わり、春の訪れを暗示するように、短調の和声に、所々に長音階を借用し、 春を匂わせるように使っています。


「四季」を標題音楽と書きましたが、ロマン派以降の標題音楽とは少し質が異なります。 明らかに、ソネットが音楽を説明し、描きたい情景が見えて来る箇所があります。 具体的な鳥の声などではなく、感覚的な、暑さ、寒さのような部分、ソネットが補助的に説明しています。 そして、聴いている側は、この説明に納得できる音楽となっています。

四季が作られて103年後に、ベートーベンの「田園」交響曲が書かれています。 四季は、ソネットを標題として使っていますので、田園よりも積極的で、 具体的に標題が書き込まれています。そして、どちらの作品も描写的ですが、 その時代の音楽様式を守り、純音楽として美しく成立しています。 言葉、標題が無くても、ソネットの内容を知らなくても、楽しめる音楽になっています。 そして、描写は旋律に豊かな色彩を与えることになります。 この点が「四季」にしても「田園」にしても多くの人々に愛される秘密だと思います。

Vivaldiの音楽の魅力は、判りやすさです。多くの作品が、 判りやすい旋律と和声(和音が変化し進行すること)で構成しています。 和声は協和音、不協和音を巧く使いこなし、幅広い表現力を持った音楽を作っています。 協和音と不協和音が連続して、緊張感と解決感が交互に現れ、独特の雰囲気を作り、Vivaldiの音楽らしさとなります。

バロック時代の音楽は、この和声の進行をどの様にすると、どの様な音楽になるのか(機能和声)を課題として、 多くの作曲家が取り組んでいます。その頂点にいる代表的な存在がVivaldiです。和音の展開を巧く使い、 季節の変化、色々な表情を作り上げているのが、この名曲「和声と創意の試み “四季”」です。

そして、ヴァイオリンの名手 Vivaldiは、楽器の魅力を知り尽くしています。 余計な飾りなど不要で、簡単な旋律の形でも、美しいヴァイオリンの音を巧く引き出し、 魅了してくれます。このような音楽作りの才能は、全ての作品で発揮されています。


ご質問、ご希望、ご意見などは、協会の公式メールアドレス でご連絡ください。
記事の内容に全く関係の無い、音楽についてのご質問でも何でも結構です。ご遠慮なく、ご質問ください。 全てに巧く応えられるかどうかは、定かではありませんが、調べた上でご回答致します。



筆者

「クラシック音楽の楽しみ方」  第6回

会員 高橋 善彦

大バッハのお話(その3) 最終回です。
バッハの宗教曲の最高峰、ロ短調ミサ曲(h-moll Messe)から始めます。 ミサ曲とされているのですが、実際に教会でのミサに使われていません。 この曲は、演奏時間が2時間近く、実際の典礼には長すぎます。 全27曲 1部 Kyrie 3曲, 2部 Gloria 9曲, 3部 Symbolum Nicenum ニカイア信条 9曲, 4部 Sanctus, Hosanna, Benedictus, Agnus Dei に6曲と4部構成となっています。

きっかけは、1733年2月1日、バッハをDresdenから支援していたザクセン選帝侯、ポーランド国王のAugust II世の逝去です。 ザクセン選帝侯領内は、2月15日から7月2日まで喪に服し、音楽演奏を禁じます。 この間に、亡き国王を追悼するKyrieと、新国王August III世の即位を祝するGloriaからなる、 Dresden宮廷の為の小ミサ曲を完成させます。

この2曲構成の小ミサ曲を元に、ミサ通常文全文にまで拡張し、27曲の大作「ロ短調ミサ曲」にしています。 しかし、作曲の理由は不明です。バッハは自身の事を書き留める習慣が無く、曲についてのメモ以外、何も書き残していません。

曲の内容は、既に作曲していたカンタータ(12, 29, 46番等)から8曲を転用しています。 逆に、新しいカンタータ(191, 215番)へ5曲を転用している曲もあります。 バッハは敬虔なルター福音派で、ルターがラテン語の典礼文の使用を認めた範囲内で、 カソリック教会とルター派教会の両派の典礼文の差に配慮し、Sanctusの典礼文の一語だけを入れ替えています。
   カソリック派 gloria tua  あなたの栄光
   ルター派版  gloria ejus  彼の栄光
バッハの最後の3年間、既に目が不自由になり譜面を書くのが厳しい時期、 ミサの第3部 Credo (Symbolum Nicenum, ニカイア信条)に手を入れ、 ルターの重要視したCredo(信条)の対称性を明確にしようとした、と推察されています。 そして、最晩年1747年頃に完成し、1748年/49年に全曲を浄書しています。 バッハの生涯に、ロ短調ミサ全曲を演奏した記録はありません。

バッハは、1730年代中期から、Goldberg変奏曲集、クリスマスオラトリオ、フーガの技法など、 特定の目的を持った連作、全集を創作し始めています。 ロ短調ミサを完成させた動機に、自分の解釈する、宗教音楽の様式と全ての技術を集大成し、 後の音楽家のために遺産として残そうとした意図があるように思えます。 バッハは、ロ短調ミサの中で、教会の派を越えた宗教音楽の本質を示し、後進の音楽家たちの研究対象となっています。

Collegium Musicum コレギウム・ムジクム
Leipzigの街を歩いていると、Katharinenstraseという街の中心にある道の14番地、Thomas教会から歩いて 6分程の場所に、次の写真のような石盤が建物の壁に有ります。ZimmermannのCaffee-Haus 跡に残る石碑プレートです。


1729年3月、バッハはTelemannが創設したCollegium Musicum(音楽の集まり)を引き継いでいます。 珈琲が大変好きだったバッハが、活動場所をLeipzig大学から、ZimmermannのCaffee店に移しています。

音楽学生や音楽家達に、新しい音楽を経験し研究する機会を与えています。 バッハは、教会でミサ開催以外の時間に、多くの新作の世俗カンタータや器楽曲を演奏し、 定期的に演奏会と練習風景も公開しています。バッハの珈琲カンタータも、ここで初演しています。 当時のLeipzigの街は交易で栄え、珈琲を普及させる核となった街です。 珈琲がまだKaffeeではなくCaffeeと、 流行の飲み物であった時期です。ここでの演奏会は、Leipzig市民に広く楽しまれていたのですが、 1741年に持ち主のZimmermannが亡くなり演奏会は終わります。 しかし、この活動が、Leipzig市民に音楽への愛好心を醸成し、 1743年の市民によるGewandhaus - orchesterの創設に結び付いたとされています。


Bach自身がデザインした 封印章 Siegel

音楽科学文書交流協会 (Correspondierenden Societät der musikalischen Wissenschaften) は、 作曲家と音楽理論家が参加し、音楽理論的な論文を回覧し議論し、音楽科学を推し進めることを目的とした協会です。 1738年にバッハの生徒であった Lorenz Christoph Mizlerが創設しています。 TelemannやHändelも既に会員で、バッハも1747年6月に14番目の会員となります。

会員になるために、肖像画と理論的で実践的な作品を提出します。この時のバッハの肖像画が、本稿の最初にある、 Elias Gottlob Haußmannによる「有名な」肖像画です。 バッハは、音楽の捧げ物の6声部の謎のカノン等数曲を提出しています。


ここまでのお話の、ロ短調ミサ曲、Collegium Musicum, そして上記の協会、いずれも方法は異なりますが、音楽の発展と後進の育成を目指しています。 これは、バッハに限らず、多くの作曲家、音楽理論家が持っている志です。 しかし、バッハは例外的に多くの後の作曲家によって研究されています。 明らかになっている例を少し挙げてみると、

Haydnは平均律クラヴィア曲集とロ短調の写本を所有、MozartはMotet集の写本から曲(K.404a, 405)を書き、 Beethovenは若い時期に平均律クラヴィア曲集を演奏し「和声の創始者」と呼んでいます。 Mendelssohnはバッハの音楽を復興していますので、多くの譜面を研究しています。 受難曲、カンタータ、ロ短調ミサ曲、オルガン曲などです。 Chopin, Schumann, Liszt, Gounod, Brahms, Bruckner, Wagner, Shostakovich, Villa-Lobos等の作曲家が研究しています。

Das Wohltemperierte Klavier 平均律クラヴィア曲集
直訳は「巧く調律された鍵盤楽器(Klavier)曲集」です。 意味から「平均律」と訳されています。全2巻の曲集で、第1巻は1722年、第2巻は1742年に完成しています。 第1巻の表紙には「指導を求めて止まぬ音楽青年の利用と実用のため、 又同様に既に今迄この研究を行ってきた人々に特別な娯楽として役立つために」と書かれています。 各巻ともに、全て24の調性の長調、短調を用い「前奏曲とフーガ」1組で全24曲となっています。

平均律の鍵盤楽器は、17世紀初頭には実用化されています。 平均律は音程の幅を均一にして、全ての鍵盤を均等な音程幅にしています。 均等な配置ですので、どのような調性でも、即ち、何個♭や♯が付いても、使う白鍵や黒鍵が変わるだけで演奏出来ます。

他の純正律や中全音律などの調律は、各調によって、鍵盤間の音程幅が均等ではなく不均一です。 演奏する曲の調に合わせて調律しなおす必要があります。 このような事情から、♯や♭が多く付く調性が使われることは希でした。 この様な調性の作品を演奏すると、どうなるのか?に応えた作品が、この平均律曲集で、音楽家達には刺激的だった訳です。

解りにくい「音程の幅を調整する」調律の話で恐縮ですが、調律についての議論は、 17世紀初頭、地域を越えて多くの作曲家が論文などで考えを述べ議論されています。 この曲は、平均律の決定版となるような作品です。

Die Kunst der Fuge, BWV 1080 フーガの技法
1748年8月頃、63歳のBach は目に問題が出はじめ、視力が徐々に弱っていますが、バッハ絶筆の作品、 「フーガの技法」に取り組みます。 フーガとは、最初に示された旋律を追いかけるように、次々と異なる音から始まる、最初の旋律を基にした旋律が現れる形式の音楽です。

14のフーガと4つのカノンを含み、未完成の最終19曲目のフーガを除き、 全てが同じ基本となる旋律を使っています。この作品には、考え得る全種類のフーガの技法と、構造の規則が描かれています。 また、絶筆した最後の曲の中音域に、BACHの文字を音名に置き換え、次のように埋め込んでいます。


バッハの音楽は、中世からルネサンス時代に確立されたフーガを代表とする対位法音楽と、 バロック時代のMonteverdi, Corelli, Vivaldiらが確立してきた、 和音を中心にする和声法的音楽を、理論とともに集大成しています。 また、美しい旋律に恵まれ、色彩に富んだ和声の変化とともに、魅力的な音楽を作っています。 このことが、後の作曲家達が研究する第一の対象とした理由ではないかと思います。

バッハは1000曲を越える作品を残しています。是非、自由に聴いて頂いて、ご贔屓の曲を見つけて下さい。

ご質問、ご希望、ご意見などは、協会の公式メールアドレス でご連絡ください。
記事の内容に全く関係の無い、音楽についてのご質問でも何でも結構です。ご遠慮なく、ご質問ください。 全てに巧く応えられるかどうかは、定かではありませんが、調べた上でご回答致します。

筆者

「クラシック音楽の楽しみ方」  第5回

会員 高橋 善彦

前回に続き、大バッハのお話(その2)です。まず、Die sechs Brandenburgischen Konzerte ブランデンブルグ協奏曲集のお話から始めます。

1718年から19年にかけての冬、バッハがKöthen侯国Leopold候に仕えている頃、 Berlinを訪ねた際、Christian Ludwigブランデンブルグ辺境伯の御前で演奏する機会に恵まれます。 詳細は不明ですが、Christian辺境伯は、Leopold候の友人である当時のプロイセン王の息子ですので、 この旅にLeopold候の何らかの差配があったと思われます。 Christian辺境伯は、プロイセンの黒鷲勲章を受け、1721年春の受勲に際し演奏できる曲をバッハに依頼したようです。

曲の献呈句には「2年前に伯の御前演奏に際し賜った下命に従い」とあります。 献呈された曲の題名は、献呈句と共にフランス語で、"Six Concerts avec plusieurs instruments"
  「幾つかの楽器のための6曲の協奏曲集」
となっています。次図は、献呈用の手書きの表紙です。


Berlin州立図書館のAmalia蔵書が所蔵しています。 19世紀のドイツの音楽歴史家 Philipp Spittaが、この曲を作曲の経緯から「ブランデンブルグ協奏曲集」と呼び、 この呼び名が普及します。 この協奏曲集は、6曲の協奏曲を含みます。Köthen時代に書かれている器楽曲には、 フランス組曲や無伴奏など6曲を一組としている例が多く、この時期の特徴です。 6曲の協奏曲には番号が付いていますが、作曲の時期は早い方から、 6番, 3番がWeimarで, 1番, 2番, 4番, 5番がKöthenで作曲されています。 バッハは、特徴のある協奏曲6曲を選んでいます。

Köthen侯国の宮廷に優秀な器楽奏者が揃っていた事で、バッハは各楽器の特性を学び、 各楽器を独奏楽器として巧く使い、奏者に名人芸を発揮させています。 この協奏曲集では、非常に大胆な楽器の組み合わせを採用しています。 特に、協奏曲第2番の独奏楽器は、Trumpet, Recorder, Oboe, Violinです。 勿論、この時代の楽器と現在の楽器の特性は大きく異なりますが、 TrumpetがRecorderと並んで演奏するというのは、とても珍しいことです。 しかし、実際に演奏すると音量のバランスを保てるように巧く書かれています。

そして、それまで伴奏用に使われていたCembaloを独奏楽器として使い、 初のCembalo協奏曲と言える曲が、第5番の協奏曲です。 第5番が、最初にKöthenで書かれた初稿と献呈された譜面を比べると、 第1楽章の最後にあるCembaloの独奏部分の長さが、初稿の19小節から、献呈稿では65小節に拡がっています。

この経緯ですが、1719年、Köthen宮廷がBerlinの工房にCembaloを注文しています。 おそらく、事前にバッハがBerlinに出向き、2回目に楽器を受け取る為に訪れた帰り、 辺境伯の御前で、新調したCembaloをお披露目し、その時に演奏した第5番が献呈稿となり、 Cembaloの独奏部が見事に拡張されたと考えられます。


Cembalo独奏が始まる部分 献呈稿自筆譜面(1721年)

J.S.Bach Brandenburgischen Konzerte Nr.5 の参考音源はこちら(You Tube)から
(Freiburger Barockorchester @ Schloß Köthen)
J.S.Bach Brandenburgischen Konzerte Nr.2 の参考音源はこちら(You Tube)から
(Claudio Abbado @ Teatro Municipale Romolo Valli, Reggio Emilia, 21 4 2007)

Matthäuspassion マタイ受難曲
正式な題名は「福音史家聖マタイによる我らの主イエス・キリストの受難 : Passion unseres Herrn Jesu Christi nach dem Evangelisten Matthäus」です。 新約聖書「マタイによる福音書」のキリストの受難を題材にしています。福音書に書かれている聖句と、 筆名Picander (本名Christian Friedrich Henrici)という同時期に活躍し、 バッハとは親しくカンタータでも一緒に働いている作家が書いた、宗教的な自由詩をテキストとして使っています。

Leipzigに着任後4年、1727年の受難日、聖金曜日4月11日に、カンタータ1年分に匹敵する大作を演奏します。 マタイ受難曲は二部構成で全68曲、合唱とオーケストラとオルガンが各2組で、演奏は3時間を越えます。

福音史家(Evangelist)が聖句にある物語を語り、イエス、ピラトら弟子、大祭司達、シオンの娘、 罪の女等の登場人物、群衆で物語の情景を描いて行きます。この時代には普通に使われ、今は見慣れない楽器、 Viola da gambaが独奏楽器として登場します。 バッハの時代、教会内で女性が歌唱することはありません。女声は少年合唱とカウンターテナーが歌います。
物語の情景、人々の感情、登場人物の関係、言葉の意味などに従って、楽器だけでなく、 合唱の声部の数、和音とユニゾン、音楽の様式など、 音楽の構造を非常に精緻に考えて作られた名曲です。 イエスの言葉には、常に弦楽器が後光を表現し、最後の言葉では、一息、沈黙します。 物語と心象風景を音楽で表現しています。 2つのオーケストラと合唱が交互に対向で歌う場面は、最初の曲にも出て来ます。 合唱を2つに分けて交互に歌う交唱(Antiphona)は古くから教会音楽で使われている様式ですが、 「見よ」/「誰を?」のように、歌詞に従った「必然的な」表現方法として使っています。 演奏すると、物語に沿った問いかけと応答の言葉が左右から聞こえる劇的な効果も持っています。

J.S.Bach Matthäuspassion の参考音源はこちら(You Tube)から
(Leitung: Kay Johannsen, Stuttgarter Kantorei, Stuttgarter Hymnus Chorknaben, Stiftsbarock Stuttgart)
Aufführung im Rahmen des Zyklus' Bach:vokal, Stiftskirche Stuttgart


Viola da gamba


バッハがLeipzigのトーマス教会の楽長という重責に就任してからの苦労話を少し、輪郭だけですが。。。

トーマス教会は市の評議会下にあります。トーマス教会の上司には教区監督がいます。 また、1409年創立の古いLeipzig大学があり、 大学に付属する聖パウロ大学付属教会での礼拝はトーマス教会楽長が行う事になっています。 ということで、音楽の発展を望むバッハが、音楽活動のために調整する相手は3人も居ます。 勿論、バッハを支援する人も居ましたが、市の慣習に無い、予算が無いと反対されることも多く有りました。 (実は、マタイ受難曲の初演の時も、場所や予算、慣例などでもめていますが、最終的にはバッハの希望通り、トーマス教会で初演しています)

面倒な状況の中、救済を与えたのは、Dresdenに居たバッハの音楽を支持する、ザクセン選帝侯で、 ポーランド王であったAugust II世とAugust III世です。二人の国王はバッハからの請願を聞き入れ、 宮廷作曲家の肩書を与え、Leipzigでの音楽活動の環境は整います。

     
Friedrich August I., August II. (Polen)   Friedrich August II., August III. (Polen)

おそらく、この様な面倒を経験したバッハは、トーマス教会の付属学校からLeipzig大学と、 膝元で育った次男のCarl Philipp Emanuel Bachが音楽家になると決めた1738年に、 後のプロイセン王となるFriedrich II世の王宮に奉職することを薦めたようです。 Carl自身、この配慮に感謝し、教えを守ります。 Friedrich II世は、バッハに逢うことを熱望し、充分な敬意を持って接したという話が残っています。


   Friedrich II.      C.P.Emanuel Bach      Johann Quantz
A. Menzel: Sanssouci宮殿でFlute演奏するFriedrich大帝

1747年5月、バッハはBerlinを再び訪れます。この訪問は、7年前に戴冠したFriedrich王 II世が、 バッハと知り合えるように、王室奏者のCarlに父親と同行するようにと、 新築のサンスーシ宮殿への招待に応えたものです。 バッハの馬車が門に到着した時、大帝は「諸君、大Bachの到着だ!」と演奏を中断して出迎えます。

Friedrich大帝は音楽に造詣が深く、フルートは名手Quantzに師事し大変巧く作曲もします。 音楽を充分に理解し、バッハに何を望み、依頼すれば良いのかを承知しています。 バッハも、充分に理解して貰えると知りつつ、“音楽的な難題”を見事に解決し、 作品として仕上げた「音楽の捧げもの」を献呈しています。

次回、あと1回バッハのお話を続けたいと思います。


ご質問、ご希望、ご意見などは、協会の公式メールアドレス でご連絡ください。
記事の内容に全く関係の無い、音楽についてのご質問でも何でも結構です。ご遠慮なく、ご質問ください。 全てに巧く応えられるかどうかは、定かではありませんが、調べた上でご回答致します。

筆者

「クラシック音楽の楽しみ方」  第4回

会員 高橋 善彦

今回は、大バッハのお話(その1)です。Johann Sebastian Bach は 1685年3月21日、Eisenachの三代前から音楽家の大家族に生まれています。 バッハは10歳の時に両親を亡くし、Ohrdrufに住んでいた長兄 Johann Christophの元に引き取られ、音楽教育を受けて育ちます。

バッハが兄のもとに行く1年前の1694年、兄Johannの結婚式の時、Erfurt系のJohann Christian Bach家に世話になり、 兄に音楽を教え、既に有名だったPachelbelに、9歳のバッハは逢っているようです。

バッハと同世代の音楽家には、逢うことは無かったのですが、大きな影響を受けるVeneziaのVivaldi (7歳先輩)、 音楽家となったバッハが、親しくし、色々と世話になるTelemann (4歳先輩)、 結局、逢うことが無かった Händel、D.Scarlatti (同歳)という巨星が揃い、バロック音楽の最盛期の中で活動します。

バッハが音楽家として活動し始めるのは1703年3月です。 Lüneburgにある聖ミカエル修道院付属学校を卒業した18歳のバッハは、Sachsen-Weimar公国の Johann Ernst 公爵の宮廷楽団に、Violinistと見習いとして働き始めます。 しかし、4ヶ月後の7月には、Weimar を離れ、ArnstadtのNeue Kircheの教会Organistとなり、 学生たちを教育し、作曲活動を始め、最初のOrgan曲を作っています。 このArnstadtには、バッハの望む音楽活動の環境が整い、作曲にも充分な時間を持てたようです。 1705年、Lübeckへ旅行し、既にドイツではOrgan名手で、68歳のDietrich Buxtehudeの基で、 主にOrgan演奏を学んでいます。 この時、20歳のバッハがBuxtehudeから学んだことは、音楽だけでなく、音楽家の心得、 教会の管理心得も教えて貰い、信頼を寄せ、大きな影響を受けています。

1708年6月、23歳のバッハは再びWeimarの宮廷に戻り、宮廷Organist、室内楽楽師に就任します。 この時の主君、Wilhelm Ernst公は、18歳の時の雇い主、Johann Ernst 公の長男です。 次男のJohann Ernst III世の次男Johann Ernst IV世は、オランダのUtrechtに留学中で、 1713年の夏に、多くのイタリアの作曲家の楽譜を入手し、Weimarに戻り、 バッハに鍵盤で演奏できるように編曲を依頼します。 これが、巨星Vivaldiの音楽を正対して学ぶ好機となります。

以降、バッハがイタリア様式を取り入れ、発展させ、洗練された名曲を作る原点となっています。 イタリア様式を使って、Brandenburg協奏曲集の第6番、第3番をWeimarで作曲し始めています。 1714年、バッハはWeimar宮廷楽長に就任し、ドイツ各地で音楽家、名Organistとして知られるようになります。

1717年8月、バッハはAnhalt-Köthen侯国 Leopold侯の宮廷楽長に招聘されます。 しかし、この時Weimar 公は辞職を承諾せず、バッハを1ヶ月間、城に幽閉するという逸話があり、 WeimarのStadtschlossには、幽閉されたとされる場所が、"Bastille"として残っています。


Das Weimarer Stadtschloss (auch Residenzschloss)

KöthenのLeopold候は、音楽を好み、ViolineやCembaloを自ら演奏します。 カルヴァン派のLeopold侯は、宗教についておおらかで、あまり宗教曲に興味を示さなかったようです。 Leopold侯の幼少時代の後見人が、初代プロイセン王でその息子のプロイセン王 Friedrich Wilhelm I 世と親しく、 プロイセン王の楽師17名を含む優秀な演奏家が揃っていたため、バッハはこの時期に、 多くの器楽曲の名曲を作曲します。例えば、Violinの独奏曲、協奏曲、管弦楽組曲、平均律クラヴィーア曲集(vol.I)、 Brandenburg協奏曲集などがKöthen 時代の作品です。

1723年4月、Leipzigのトーマス教会楽長に就任します。

Leipzigに移った後も、バッハは Köthenの宮廷楽長として、毎年、 Leopold 候の誕生日を祝うカンタータを作り、友好を継続しています。1728年11月、34歳でLeopold 候が亡くなると、 葬送用カンタータを「最も好きな雇い主」に奉悼しています。最後の地 Leipzigで、バッハは、ヨハネ、マタイ受難曲、カンタータ、 モテットなど声楽を含む曲を残しています。 この時代に特筆すべきは、200曲を越えるカンタータを作り、特に1723年から25年の2年間、 毎週、新しいカンタータを作曲し、約100曲の多様な作品を作っています。 1750年7月28日、バッハはLeipzigで27年間を過ごし、65歳で亡くなっています。

バッハは生涯に2度結婚しています。1707年、遠戚(従姉妹)で1歳年上のMaria Barbaraと結婚し、 5男2女の子供が産まれています。1720年7月、妻のMariaが35歳で急逝します。翌年、Köthenの宮廷歌手(Sop.)であった、 Anna Magdalene Wilckeと再婚し、6男7女、合わせて11男9女の20人の子供をもうけ、 10人は夭逝し、成長したのは男子6人と女子4人の10人です。

LeipzigのThomas教会の前にあるバッハ像

Anna Magdaleneはバッハを敬愛し、音楽活動を支えています。 Magdalenaは楽譜の作成を手伝うことも多く、二人の手書きの譜面はとても似ています。 Leipzigのバッハの家には多くの弟子や客が訪れ、各地からOrgan検定の依頼でバッハが出掛けている留守宅を、 いつもお腹の大きなMagdalenaが差配していたようです。 長男 Wilhelm Friedemannと次男 Carl Philipp Emanuel Bachは二人とも音楽家と成り、 LeipzigのバッハとMagdaleneを最後まで支えています。


バッハ作品番号(BVW)
Johann Sebastian Bachの作品は、独の音楽学者 Wolfgang Schmieder氏によって、バッハ作品目録として整理されています。 この目録で使われている番号をBWV (Bach Werke Verzeichnis)と呼びます。 1990年に第二版が発行され、BWVは1120曲、BWV Anh (Anhang 補遺)は205曲となっています。 まだ、見つかっていない作品があるかもしれません。

カンタータ(Kantate)
カンタータ(cantata)は声楽に器楽による伴奏が付いている曲です。 BWV作品目録番号で、1〜224番がカンタータです。 200番までが教会用のカンタータで、201〜224が教会以外での目的で作られた世俗カンタータで、 農民カンタータや珈琲カンタータなどがあります。衣装、舞台、演技のないオペラという感じです。

バッハの教会カンタータの大半は後年のLeipzigで書かれたものですが、 Weimarでも20曲以上書いています。やや古いスタイル、教会コンチェルト形式から、 新しいイタリア様式のカンタータへと作風が変化しています。

教会コンチェルト(concerto da chiesa)形式とは、コレッリの時代、合奏協奏曲で使われていた形式で、 ゆっくりとした楽章と、早い楽章が交互に出てくる形式です。

新しいイタリア様式は、言葉、語りが中心のRecitativoと、歌が中心のDa capoアリアを対比させる様式です。 Da capoとは「曲のはじめに戻る」という意味で、序奏から始まり、最初の曲想のアリアを歌い、 次に、雰囲気の違う対称的な曲想を歌い、もう一度、曲の最初に戻り、最初の曲想で終わる形式です。 この形式は、単に曲の形式だけでなく、適度な曲想の変化が、独唱、独奏パートの色彩を豊かにし、 名人芸を発揮出来る枠組みを与えます。後のW.A.Mozartや、G.Verdi などのオペラ、協奏曲などでも多く使われています。 おそらく、この新しいイタリア様式が、バッハが多様なカンタータを多く作るための大きな味方となっています。

ここで、私の好きなカンタータを1曲だけ、推薦曲として、ご紹介しておきます。

 カンタータ第78番「イエスよ、汝わが魂を」"Jesu, der du meine Seele" BWV 78
Leipzig時代の名曲で、1724年9月10日の三位一体節後第14日曜日の礼拝のために作曲した教会カンタータです。 全7曲の曲で、最初と最後に配置された2曲の合唱によるコラールと、3曲の独唱によるアリアを含んでいます。 どの曲も歌詞にあわせ、独特の雰囲気を持ち、バッハの音楽の多様性、持ち味が発揮された曲になっています。 特に2曲目のソプラノとアルトによる二重唱アリア「われは急ぐ、Wir eilen mit schwachen」は、 場面の陰陽を見事に描いた、Da capoアリアで、後に、楽器用に編曲されたりする人気のある曲です。

J.S.Bach Kantate Nr.78 の参考音源はこちら(You Tube)から
(Van Veldhoven | Netherlands Bach Society)


Kantate Nr.78 第1曲目 "イェス 我が心を救い出し"と神秘的に始まります


第2曲目のソプラノとアルトによる二重唱アリアは人気があります


第4曲目のフルートが美しく装飾的に伴奏するテナーのアリアです

他にも教会カンタータでは、第51番、第80番、第147番、世俗カンタータでは、第211番、 当時のLeipzigで流行始めた珈琲を取り上げた「珈琲カンタータ」などは、 是非、お薦めしたいカンタータです。カンタータはバッハの魅力の宝庫です。是非、聴いて みてください。

まだ、バッハの音楽、凄いところ、Leipzigでの物語などお話したいことがありますので、次回に続きます。



ご質問、ご希望、ご意見などは、協会の公式メールアドレス でご連絡ください。

筆者

「クラシック音楽の楽しみ方」  第3回

会員 高橋 善彦

今回は、音楽と譜面のお話です。これまで「譜面は音楽の目安」と書いて来ましたが、 譜面と演奏にどのような差があるのか、演奏家はどのように楽譜を音楽にしているのかを、お話します。

音楽は、作曲家と演奏家による協同作業で成立する芸術です。 作曲家は音楽を創作し楽譜の形にします。 演奏家は楽譜に従い、作曲家の想いに寄り添いながら、知識、経験、感性、 技術で隙間を埋めながら再生し音楽を作り上げていきます。 この音楽の特性によって、例えば、Mozartの時代の音楽に、現在の解釈を加え、 聴衆の前で活き活きとした音楽を再生します。 この事で、長い歴史を通じて愛された名曲が、今でも色あせることなく演奏され、 名曲が生き残り、見直されています。音楽の要素毎に、楽譜の記述と音楽の差を見てみます。

まずは、音楽演奏の時間についてです。音楽の速さを決めるテンポは、例えば、 AllegroやAndanteのような速度記号で記述しています。 更に「ややAllegro」、普通はAllegroよりも少し遅いテンポを示す Allegrettoのような派生形もあります。 具体的にどれ程の速度で演奏するのかは、演奏者に任せることになり、指揮者による演奏時間の差になります。

Beethovenの第九交響曲の演奏時間を、極端な例で比べてみると、 Furtwangler指揮 Bayreuth祝祭管弦楽団の1955年の演奏は74分32秒、 Gardiner指揮 Orchestre Révolutionnaire et Romantiqueの1992年の演奏で59分43秒という差が出ます。

音楽演奏の時間について、もう少し細かく見てみると、音楽全体の音が無くなる「間」や、 テンポが変化する「揺れ」があります。


J.Strauss II : Operetta Die Fledermaus - Overture

上記の譜面は、J. Strauss II のWiener Operetteの最高峰とされる喜歌劇「こうもり」序曲に出てくるワルツ(Tempo di Valse)の部分です。 最初の4小節間は、序奏です。譜面には弦楽器が弓で弾く arco.の指定と強弱記号の pp (ピアニッシモ)から、 だんだん音を大きくする cresc. molto が書かれています。(クレッシェンド・モルト : だんだん強く)

有名な曲ですから聴き馴染みもあると思いますが、この部分は音が大きくなる cresc.とともに、 テンポも、ややゆっくりから速くなり、
赤矢印の箇所で一時停止して、ワルツに入ります。 速くするという指示(accel.)も、一時停止の印( ‘ や フェルマータ)も書かれていませんが、この様に演奏することが通例になっています。 1874年の直筆譜面にも何も書かれていません。 おそらく、曲の持つ楽しい雰囲気の中で、ワルツの登場を強調する効果を狙って、テンポの揺れを取っているのだと思います。 初演の時に、Strauss自身がこのように振ったのかもしれません・・・、わかりません。

同じくStrauss IIの有名なワルツ「美しく青きドナウ」の最初の第一ワルツにもテンポの揺れがあります。 ゆっくり始まり、徐々に速くなりますが、譜面には何も書かれていません。
   ★上記の喜歌劇「こうもり」序曲のワルツ
青い矢印 の箇所も少し遅くしている演奏が多いです・・・私もそうしています


J.Strauss II : An der schönen blauen Donau p.5

徐々に速くなって行く、この第一ワルツが一定のテンポに落ち着くのが、次の譜面にある青い線 ff の箇所です。その直前にある、8分休符(赤丸印)のある箇所で、 オーケストラの音は無くなります。多くの演奏では、この8分休符、普通の8分休符より、少し長めに休みを取り、を作ります。 前の「こうもり」序曲の間の例と同じく、次の ff で演奏されるワルツを強調することになり、「自然な音楽の流れ」(必然)を作ります。


J.Strauss II : An der schönen blauen Donau p.6

このようなは、一定のテンポで音楽が流れるのを、一瞬止めることになります。 この瞬間、オーケストラの奏者は、全員が息を止め、指揮者の棒の先に意識を集中します。 棒が降ろされた瞬間に、緊張感が解けて、オーケストラ全体が一体となった音を響かせます。

演奏時間の差を生むような、基本となるテンポをどのような速度にするのか以上に、 このようなテンポの揺れや間は、音楽に表情をつけることになり、同じ曲でも、 指揮者を含めた演奏者によって、印象が異なる音楽となる大きな要因です。 実際の音楽の演奏場面で、意識的に、もしくは無意識のうちに、 この揺れや間は多く使われています。歌を歌い始める時やフレーズの切れ目で「息をつく」が、この間の原点です。


次に音の強弱についてです。強弱記号の p f をどのような音量で演奏するのか、演奏者に委ねられます。 次の例、 A. BrucknerのSymphony No.4 第一楽章冒頭にあるように、弦楽器群に pp, ホルンのSoloに p と、 曲の同じタイミングで異なる強弱記号を使う場合も多くあります。 勿論、BrucknerはホルンのSoloを聴かせるために、このような強弱記号の使い分けをしていますが、 音量のバランスは演奏家が演奏場所の音響なども考えて答えを出していきます。


Anton Bruckner : IV. Symphonie Es, I Satz

指揮者によっては、弦楽器に最初の2小節間より、 ホルンが吹き始める3小節以降の音量を下げる演奏を求める場合もあります。 また、MozartのViolin協奏曲の5番(Kv219)には、f をどのように演奏すべきか、議論になる箇所があります。


楽譜に書かれている音の高さ(音高)はどうでしょうか? 実際の演奏場面では、主に奏者が微妙に調整しています。これは、細かな話は省きますが、 人が和音の響きで心地よく感じる音階と、旋律を演奏する時に心地よく感じる音階に差があるため、 自分の演奏する音の役割を考えた上で、もしくは、無意識に自然と使い分けています。


楽譜にある、更に抽象的な記述は、発想記号です。例えば、 animato 活き活きと、appassionato 熱情的に、cantabile 歌うように、 dolce 甘美に、espressivo 表情豊かに、spiritoso 精神を込めて等は、 演奏家に問いかけているような記述です。 勿論、比較的わかりやすい、alla marcia 行進曲風に、legato 滑らかに、 leggero 軽く、marcato はっきりと、morendo 絶え入りそうに、 等もあります。発想記号は作曲家の想いを表現している重要な要素ですが、 演奏方法は演奏者の感覚に委ねられます。


Sergei Rachmaninoff : Vocalise / Вокализ

RachmaninoffのVocaliseには、Lentamente. Molto cantabileという速度記号と発想記号が書かれています。 意味は「ゆっくり、より歌うように」となります。Vocaliseですので歌詞の無い声楽の曲です。 cantabile は“歌う(cantare)”に由来する発想記号ですが、ここでは「流れるように」と訳した方がわかりやすいかもしれません。

勿論、日本の音楽、例えば、佐藤 眞さんの合唱曲「旅」の中には「なつかしく」 という発想記号が書かれた曲があります。日本人なら、この言葉で伝わるものがありますね。 この発想記号の言葉が、その時代に、各人がどのように感じるかの多様性に、 音楽の魅力の秘密が有るように思います。ここまで、楽譜には書ききれない音楽の要素を書いてきました。

発想記号には、dolceとかsotto voceのように、音色に近い記述もありますが、 大切な「音色」は楽譜では書き切れない筆頭です。
音色の話は、また、別の機会に改めて。

次回については思案中です
ご質問、ご希望、ご意見などは、協会の公式メールアドレス でご連絡ください。

筆者

「クラシック音楽の楽しみ方」  第2回

会員 高橋 善彦

今回は、音楽の言葉となる譜面のお話です。最初の譜面はいつ頃作られたのか、ハッキリしていません。 現存する最古の譜面は、エジプトのオクシリンコス(Oxyrhynchus)遺跡で19世紀末に、古代エジプト、 プトレマイオス朝時代、紀元前3世紀頃のパピルスが大量に見つかり、その中に聖歌が残っています。 また、6世紀頃の聖歌を、修道院でパピルスに書き写した写本の断片がエジプトで見つかっています。(下図)

このパピルスの断片の中には、赤い丸で囲んだ所に、旋律の抑揚を示す記号が使われていて、 複数の人が音楽(歌)を共有して、一緒に演奏していたことがわかります。


Berlin, Staatliche Museen : P. 21319: Marianische „Troparia“

勿論、私たちが今よく見る譜面とはだいぶ違います。 聖歌は、教会の初期から何世紀もの間、口伝により伝承されています。 布教が進み、広く教会が建ち始めると、聖歌も普及させるために、 このような写本を作るようになります。 聖歌の旋律は、聖歌の言葉が持つ自然な抑揚(声調)に沿って組み立て、 言葉が正しく伝わるようにしています。 また、民謡のようによく歌われる旋律を基に、言葉の抑揚を当てはめている歌も多くあります。 次の例で、赤で囲った記号群が旋律の抑揚を表しています。


このような初期の譜面で使う記譜方法を「ネウマ記譜法」と呼びます。 このネウマ(Neume)という言葉は、ギリシャ語の「合図」「身振り」「息」という意味の言葉に由来しています。 初期の譜面は、礼拝の時、皆で聖歌を歌う時に、一緒に歌うために書かれた添え書きを起源にして、 各地域で実に多くの方法が考案され、地域の伝統として体系を受け継ぎ、統廃合を経て発展します。


抑揚を表す記号を、現在の譜面に対応させると、およそ、このようになります

その後、東ローマ帝国配下のビザンチン文化の中で、教会で行われる礼拝を見直し、 礼拝も聖歌も増え、旋律の抑揚を大まかに表す印では聖歌を区別出来なくなり、 旋律を明らかに表す記譜法が使われるようになります。 まだ、音の高さを表す五線は使われていませんが、この時代に、それまでの記譜法を集大成し、現在の記譜法の起源が生まれています。

音の高さを示す線が最初に使われる記譜法は、9世紀に出現します。 860年頃のフランク王国 Caroling朝の頃に書かれた音楽の理論書(Musica Enchiriadis)の中に、音の高さを表す線の間に歌詞を書き込む、 ダジアン(Daseian)の記譜法が紹介されています。まだ、線の間だけで、線の上は使われていません。

音の高さは示されるようになりますが、まだ、音の長さを示していません。 歌詞の言葉が話されるときの各母音の長さを、そのまま音の長さと解釈します。 歌によって、速く歌う旋律、ゆっくり歌う旋律という、今の速度記号にあたる記述があります。

11世紀になると、音の高さを示す線(譜線)を使ったNeume譜面が現れ、4本譜線を用いるようになります。 この譜面には、高い声用と低い声用の譜面が区別され、現在のハ音記号(下図の
赤丸印)、 ヘ音記号の基となる記述が使われています。

   


このような現代記譜法の基になる記譜法は、中世イタリアのアレッツォ大聖堂で合唱の指導をしていた修道士で音楽教師の グイード・ダレッツォ(Guido d‘Arezzo)が考案し、1025年頃、”アンティフォナリウム(Antiphonarium ; 聖歌曲集)序説”という著書の中で、 解説しています。グイードは、記譜法を整備しただけでなく、ドレミ(階名)の基となるUt-Re-Mi-Faなども考案し、音楽の教育に大きな影響を与えています。

譜線の本数は、その時代に活躍した歌手や楽器の音域の広さに沿って、本数が増えます。 その後、17世紀になって五線が定着します。それまで、4本線が主流の時代に、印刷の都合で6本の線を引き、 2本は単に間隔を確保するだけという譜面も残っています。 また、9〜11本の線が引かれている譜面もありますが、流石に見にくかったのでしょう、多くの線を使っている例は僅かで、五線譜に集約していきます。


9線譜が使われている、Viola d'Amoreのための譜面
Heinrich Ignaz Franz von Biber(1644 - 1704)
- Harmonia Artificiosa VII scordatura notatati(1696)

譜面の横方向=時間の流れは、歌詞の言葉の長さで表していたのですが、 14世紀頃から楽器だけで演奏する曲、器楽曲が増え、音の長さ(音価)を楽譜で表すようになります。 定量記譜法(mensural notation)と呼び、時代によって使われる記号は変化します。 17世紀に、ほぼ現在、使っている記号になります。
記譜法で使われる音価記号の種類の数は、時代の音楽の表現や、演奏技術によって変化しています。

楽譜の発展に大きな影響を与えたのが、楽譜の商用印刷です。 グーテンベルクが活版印刷を開発した20年後に、当時、音楽の中心地であったVeneziaで、 ペトルッチ(Ottaviano Petrucci)が商用の楽譜印刷を始め、1501年にHarmonice Musices Odhecatonという歌集を出版しています。


Harmonice Musices Odhecaton
Josquin des Prez : Adieu mes amours

楽譜が印刷出来る前は、譜面は手で写し写本を作って、音楽を広めていました。 譜面を写す専門職が居ました。楽譜の印刷が出来るようになった以降も、譜面は常に必要とされ、 つい最近まで写譜職は健在でした。楽譜の印刷技術は、当時の音楽家に新しい収入の道を与え、その後の音楽の発展に大きく寄与しています。

ペトルッチの印刷譜面を見ると、充分に綺麗です。五線、歌詞、音符の順番で3回に分けて印刷しています。 1520年頃の英国で、ラステル(John Rastell)が1回の印刷で済む廉価版印刷を始め、楽譜の印刷は広く普及します。 例えば、宗教改革の影響で、前宗派の音楽が大量に廃棄されていた時代の英国の名作曲家、ウィリアム・バード(William Byrd)等の作品が現在まで残ることが出来たのは、 印刷技術の恩恵を受け、大量の印刷楽譜がドイツ等大陸側に残っていたからです。

ペトルッチの印刷譜面を見ると、今の譜面と違うところが幾つかあります。 まだ、小節線がありません。小節線(縦線)が最初に使われるのは、 15世紀から16世紀の鍵盤楽器とvihuelaという楽器の曲から始まります。但し、一定の拍数を区切る線ではなく、 音楽の区切り、拍の印のように使われます。 現在のような小節線が拍子記号と共に一般的になるのは、17世紀中盤です。 モンテベルディ(Claudio Monteverdi)の印刷譜面の中には、小節線が使われ始めている曲が有ります。

もう一つ、大きな差は、装飾音符です。ペトルッチの頃の印刷技術では、小さな音符を印刷することは出来ずに記号で装飾音符を表しています。 装飾音符が印刷出来るようになるのは、もう少し後、J.S.Bachの時代に、銅板や亜鉛板を使い、表面に彫刻(engraving)し印刷する凹版印刷技術からです。


Johann Sebastian Bach : Goldberg-Variationen, Aria mit 30 Veranderungen
Nuremberg: Balthasar Schmid (engraved copper plates)

この譜面は、BachのGoldberg 変奏曲集の冒頭で、単音の装飾音符が使われています(赤矢印)。 装飾音のトリルも、tr.ではなく、+、髭付きのギザギザなどの記号を使っています(青矢印 )。

そして、Mozartの時代になると現在使われているような、小さな音符を使った装飾音符が、普通に使われるようになります。


Mozartの時代の装飾音符 (Klaviersonate Nr. 11, Kv.331)

まだ、譜面の歴史の話は途中ですが、今回はここまでです。非常に長い歴史の中で、 多くの人が音楽を伝える譜面を、その時々の音楽からの要請に応えながら、知恵と工夫を凝らして、 判りやすく使い易い記譜法を発展させてきました。 現在の記譜法は、非常に高い精度を持った、音楽を表現する言葉となっています。 是非一度、譜面を見て、譜面は音楽の目安でしかないことを実感してみてください。面白いですよ。

次回について

次回は「譜面は目安でしかない」とはどういう事なのか、音楽を演奏する時、指揮者や演奏者が何を補っているのか? を取り上げてみたいと思っています。

以降は、まだ未定ですが、音楽の表現方法についてベートーベンとヴィバルディの名曲を例に取り上げてみたいと思っています。
尚、ご質問、ご希望、ご意見などは、協会の公式メールアドレス でご連絡ください。

筆者

「クラシック音楽の楽しみ方」  第1回

会員 高橋 善彦

クラシック音楽の楽しみ方と題して、湘南日独協会の会報で、クラシック音楽を楽しむ方法を、 何回かに分けて、ご紹介させて頂くことになりました。 まず、簡単に自己紹介をさせて頂きます。 私が音楽を始めるきっかけになったのは、前回の東京オリンピック開会式、 当時中学一年生だった私は、ファンファーレを見て「トランペットを始める!」と思ったことです。 その後、高校生になって、鎌倉交響楽団と学校のオーケストラに所属し、バッハの音楽に出会い、 一気にクラシック音楽にのめり込みました。 その後、今でも演奏活動、指揮活動、音楽史の研究活動を続けています。

皆さんの中にも、クラシック音楽を聴いたり、見たり親しまれている方は多いと思います。 もう少し楽しんでみませんか?と、お薦めしているのが、「家で」音楽を楽しまれる時、 手元に「楽譜」を置いて楽しんでみませんか?ということです。演奏会ではありません。 家で楽しまれる時の話です。ここで、楽譜とは、指揮者が見るスコアのことです。スコアは英語のScore、 日本語では総譜、イタリア語ではPartitura、ドイツ語ではPartiturで、 オーケストラ全部の楽器の譜面をまとめたものです。

「譜面は読めない」と思われる方が多いのですが「読む」ではなく「見る」です。 楽譜とは長い歴史の中で生まれてきた、音楽を記述する方法で、実に良く出来ています。 作曲家が音楽を作るとき、スコアの形にまとめます。有名な曲のスコアをご紹介します。 大作曲家ベートーベンの有名な、第5番交響曲「運命」の冒頭のスコアです。


Ludwig van Beethoven : Fünfte Sinfonie c-Moll, Opus 67 / Erster Satz

楽器の名前がイタリア語の複数形で書かれています。管楽器は、各パート2人です。 上から、木管楽器 Flautiフルート、Oboiオーボエ、Clarinettiクラリネット、Fagottiファゴットです。 次が金管楽器、Corniホルン、Trombaトランペット、Timpaniティンパニ、続いて弦楽器の5部という順番です。 Allegro con brioは音楽の演奏速度の目安を表しています。 Allegroは、日本語で「速く」「活発に」と訳します。曲がゆっくりなら、 Andante「歩くように」、Adagio「ゆるやかに」となります。でも、音楽を聴きながら、 スコアをご覧になる訳ですから、「この音楽は、Allegroなんだ」と思って頂ければ、それで充分です。

このように、音楽用語はイタリア語が中心です。細かなことを知らなくても、 感覚的に音楽を「目で見る」ことが出来るようになっています。 もう少し見てみると、冒頭はff (fortissimo フォルティッシモ)と書かれていて、 6小節からp (piano ピアノ)となっています。これはご存じの方、多いと思いますが、 強弱記号で、音の大きさの目安を表しています。

次の例は、同じく第5番交響曲の第二楽章、ゆっくりな曲ですので、速度記号は、Andanteとなっています。


Ludwig van Beethoven : Fünfte Sinfonie c-Moll, Opus 67 / Zweiter Satz

第二楽章の冒頭は、ビオラとチェロが旋律を演奏しています。譜面の下には、dolceと書かれています。 デザートのことではありません。「甘く」という意味の発想記号です。一番下のコントラバスには、 pizz.と書かれています。これは、ピッチカート(pizzicatoの省略形)、弦を、指で弾く奏法の指定です。 この第二楽章の最初を聴いていて、コントラバスが、指で弾いている音が、聞こえるでしょうか?

スコアを見て、知っていると聞こえてきます。これが、スコアを見る、一つのポイントです。「知っていると聞こえる」

次の例は、同じくベートーベンの第6番交響曲「田園」の冒頭です。


Ludwig van Beethoven : Sechste Sinfonie F-Dur, Opus 68 - Pastorale/ Erster Satz

第一楽章*の最初から少し後に続く、スコアでは次のページに、以下のような箇所があります。
(会報には「第二楽章」となっていますが、「第一楽章」の間違いです)


赤矢印の箇所:クラリネットが少し吹いて、これに引き続いて、オーボエが吹き始め、田園に着いた時の、 ワクワクするような旋律を演奏します。この時、下で2本のホルンが柔らかな田園風景の雰囲気を表す、 長いだけの音を鳴らします。チェロは風を表しているのでしょうか?

スコアを見ていると、
・どの楽器が何をやっていて、音楽を作っているのか
・楽器をどのように組み合わせ、一緒に演奏させると、どの様な音がするのか
・作曲家は、どんな思いを込めて、楽譜を書いているのか
というような、新しい発見があります。

スコアは、作曲家が書いた音楽を伝えられる全てですが、スコアに書かれている各記号を、ここで少し説明したように、 目安でしかないことがわかります。ここから先、どのように解釈して、どのように具現化するのかは、 指揮者を含めた演奏家の仕事です。ですから、スコアを見ていると、 カラヤンとバーンスタインの解釈の差が見えてくるかもしれません。

スコアを見ることは、音楽について、色々な発見、疑問など興味をお持ちになる、きっかけとなります。 オーケストラや音楽の歴史も潜んでいます。それに、美しい音楽の楽譜は美しいです。

スコアの入手方法

便利な時代です。ネットワークには、各著作権の消滅している、Public domainのスコアを、 いつでも見ることが出来るようにという趣旨で、 IMSLP(International Music Score Library Project)というサイトがあります。 非会員の場合、ダウンロード開始まで15秒ほど待たされますが、基本的に無料で使えます。 日本語で曲名、例えば、「ベートーベン 交響曲第5番 imslp」と検索すると出て来ます。

有名な通販サイトでも、スコアは入手できます。スコアには、小型スコアという、私の目には無理なサイズと、 大型スコアがありますので、ご利用になる場合はご注意下さい。料金も様々です。私は、Dover出版社から出ている、 ペーパーバックで、割安なものを愛用しています。 こちらは、例えば、ベートーベンの交響曲第5番、第6番、第7番の3曲が一冊になっている曲もあります。 内容については、じっくり確かめた上でご利用ください。

次回以降についての見込み

音楽と楽譜の歴史概要:どのように楽譜は生まれたのか、を知ると「楽譜は読めない」などと言う恐れは無用です。を予定しています。

以降は、まだ未定ですが、音楽の発展、弦楽器の歴史、管楽器の話、打楽器の話、何故、指揮者は必要なのか? 作曲家の話、 名曲の話などを取り上げて行きたいと思います。
尚、ご質問、ご希望、ご意見などは、協会の公式メールアドレス でご連絡ください。

筆者

ご参考(IMSLP) - Die Sinfonien des Komponisten Ludwig van Beethoven:
  Beethovenの交響曲は、こちらからが便利です

  第五番交響曲 : 第一楽章 第二楽章 第三楽章 第四楽章
  第六番交響曲 : 第一楽章 第二楽章 第三楽章 第四楽章 第五楽章



Copyright(C) 2019- 湘南日独協会 All Rights Reserved.