会員掲示板

Back Number - これまでの寄稿など
(2018年)

これまで、ホームページに掲載した、当協会の開催イベントの様子、協会会員からの寄稿を、 ここに掲載しています

 【2018年】
  1月例会 「ドイツ語発音ワークショップ〜超入門編〜」を聴講して (大久保 明)
  中川先生の講演に寄せて (田中 幹夫)

  ドイツ料理を楽しむ会 (井上 洋美)
  ドイツ料理を楽しむ会に参加して (御木 理枝)
  ドイツ料理を楽しむ会を終えて (伊藤 志津子)
  湘南オクトーバー・フェスト2018
  オクトーバフェストにヨーデルがやってきた (鬼久保 洋治)
  オクトーバーフェストに参加して (中村 峯子)
  ミュンヘンのはるか、かなたのオクトーバーフェスト (Kai Steffen Bohnert)
  平成最後の望年会が開かれました (大久保 明)
  行事参加報告:第15回ふじさわ国際交流フェスティバル

  湘南日独協会 創立20周年記念行事 9月の概要 (大沢 由美子)
  ヨーゼフ・クライナー教授の講演に寄せて 〜クライナー君と私の60年〜 (松野 義明)
  「現代に生きるグリム昔話」を聴講して (中嶋 照夫)
  ドイツワイン試飲会 - Weinprobe - に参加して (出張 玲子)
  在日ドイツ人との座談会 (昔農 英夫)
  寄稿 ドイツ大使招待の秋祭りに参加して (寺島 綾)
  「海外旅フェスタin 藤沢」出展に参加して (勝亦 正安)
  日独のモノレール2社の提携の橋渡し
  6月例会 グリム童話と森 −現代環境意識を育んだ「森はわたしたちのもの」の伝統−(山口 泰彦)
  湘南日独協会 創立20周年記念行事 記念コンサートが盛会に終了
  合唱団「アムゼル」で歌う楽しみを知る (橋本 周也(
  湘南日独協会創立20周年を迎えて (大石 則忠)
  湘南日独協会小史

ここに掲載している以前の情報は、こちらからご覧頂けます
更に、以前の情報は、こちらからご覧頂けます


1月例会
「ドイツ語発音ワークショップ〜超入門編〜」
を聴講して

会員 大久保 明

講師の中川先生は長年湘南日独協会のドイツ語講座の講師です。 講座の生徒以外の会員とお会いする機会は少なく講演が望まれていました。 今回やっと実現し外国語を学ぶ上で非常に大事で難しい「発音」のワークショップという なかなか出会えない機会を得て出席した報告です。

主たる内容を順を追って述べてみる。
意味を区分する音である『音素』は日本語は24〜25、ドイツ語は50以上ありドイツ語をカタカナで表記することでは正確な意味が伝わらない (ドイツ語の歌詞にカタカナでフリガナを付記するのでは正確な発音は出来ない)。 口と耳を鍛えることが必要。口の構造は日本人もドイツ人も同じなので、 12歳ごろまでに繰り返し繰り返し発音することにより発音が習得可能になる。 また『母音数』は日本語は5であるがドイツ語では16存在すると言われている 口の動きでは、舌の縦(上下)の他前後(ひっこめる)といった動き、つまり舌にも力を入れる必要がある。 音を伸ばすのにも違いがある。ドイツ語では同じ音での伸ばしは無いので、日本語の「おばさん」と「おばあさん」の発音には注意が必要。

『子音』の発音では、口より強く空気を出す事が大事である。 ドイツ語で単語の語尾につくTとDの発音ではカタカナ表記では区別がつかない。 WeinのWとBeinのBも同様にカタカナCCでは区別がつかない。 LとRの「側面音」や、ドイツ語での「N」と日本語の「ん」も同様、舌の動きが重要。 ドイツ語と日本語の発音は大きく異なることから、話をするときには、 ポーズやイントネーションに気を付けることは勿論、何を伝えたいか、そのためにはどの単語にアクセントを置くか、 自分の気持ちを込めて相手に伝える気持ちを強く持って話すことが大事である。 一つの練習としてドイツ語の歌を覚えことも大いに役立つとのことでした。 会場には会員以外の参加者も多く発音のワークショップに積極的に参加されていたのが目に付きました。


中川先生の講演に寄せて

会員 田中 幹夫

中川先生にはドイツ語講座で大変お世話になっています。今日は先生のご専門でもあるドイツ語発声の基礎中の基礎について、 実践を交えたお話を楽しく聴かせていただきました。 半世紀以上も前に始めた語学学習を振返ってみますと、英語を習い始めたとき最初にしたのは辞書選びでした。 第二外国をドイツ語にした時も、生協で相良守峯の辞書をまず買いに行きました。 私の語学学習は「読み書き」でした。それでも中高時代はビートルズなどの英語の歌のコピーに熱中した 時期もあり、耳や口も多少は使いました。しかしドイツ語に関してはまさに単位だけに終わりました。 いま改めてドイツ語を学びなおし始めて、つくづく耳と口のトレーニングの大切さを感じています。 でも物事を始めるのに遅いということはないと自分に言い聞かせて Schritt für Schritt やっていきたいと思いますので、中川先生宜しくお願いします。


中川 純子先生


懇親会


ドイツ料理を楽しむ会

会員 井上 洋美

お天気に恵まれた11月17日(土)、片瀬山の静かな住宅地で開かれた催しに参加しました。 一階はカフェのお洒落な建物の二階で講師の大石 Christine 祥恵先生、 その御嬢様の鈴木洋子先生からドイツの家庭料理を教えて頂きました。 メインは豚ひれ肉の煮込み(Schweinsfilet sächsischer Art mit Kartoffeln und Kohl)、 デザートとして"リンゴのケーキ"(Apfelkuchen)という献立です。 参加者約30名の内、主に女性陣がキッチンで手際よく作業をすすめました。 調理中も初対面の方々ともドイツの話題などで盛り上がり、楽しいひとときでした。

メインのお料理はまず玉ねぎを30分ほど炒める事。 下準備したかたまり肉を20分位煮込んで一度取り出し1p程に切り分けて 鍋に戻しさらに煮込む事などがポイントかと思います。 つけあわせに茹でたじゃがいもと瓶詰の赤キャベツを少し煮詰めた物を添えてまさに ドイツ料理の完成です。 塩加減もちょうど良く柔らかいお肉がソースと絡んで絶妙のお味でした。 デザートはパイシートに紅玉リンゴを生のままスライスして乗せて、 上にシュトロイセル(バター、砂糖、小麦粉を混ぜた物)をパラパラかけて焼いたとても素朴なお菓子でした。 こちらも大変美味しく、きっとドイツでは母親と子供を結ぶようなお菓子なのでは、と思いました。

お食事のあとウィーンで学ばれた高橋愉紀さんの素敵なピアノの演奏がありましたが、 お腹も満たされ目を閉じて聞き入っている方も多くいらっしゃいました。

講師の先生、準備に奔走された皆様、ありがとうございました。 とても楽しくまた貴重な体験をさせていただきました。

  
寄稿者の井上さん(左端)と右隣りが御木さん  調理に集中する鈴木講師(中央)と受講の皆様


ドイツ料理を楽しむ会に参加して

会員 御木 理枝

メイン料理は柔らかくて、本当にやさしいお味の豚ひれ肉の煮込み。 今までドイツ料理は、大味でちょっと塩辛いのかしらと勝手に思い込んでいました。 講師の大石Christine 祥恵さんがお母様から受け継がれた、ドイツザクセン地方の家庭料理で、 豚ひれ肉を、30分かけて炒めたスライス玉ねぎや、マシュルームとブイヨンでコトコトと煮込んだものです。

大石さんとお嬢さまの鈴木洋子さんのてきぱきとしたご指導で、 お肉に塩コショウをして小麦粉をまぶしたり、玉ねぎを炒めたりなど和気あいあいとお手伝いする方、 テーブルで歓談される方など、お料理が出来上がるまでの時間を思い思いに楽しみました。

お肉に大きなポテトと紫キャベツが添えられて、 大石さんのご主人様がこの日のために用意して下さった赤ワインで乾杯。 デザートはApfelkuchen。 スライスしたリンゴの上にのせるシュトロイセルはコツがあるそうで、 ご家庭でも必ず大石さんが作られるそうです。

ピアニストの高橋愉紀さんの演奏も素晴らしく、 お洒落なシーズ・エチュードの会場で美味しいドイツ家庭料理にワインと、 ちょっと贅沢な時間を過ごさせていただきました。

今年のクリスマス、我が家のテーブルにもぜひ豚ひれ肉の煮込みをのせてみたいと思います。

  
大石講師から手ほどきを受ける松野会長   調理帽姿の大石さん。サポーターの大沢さんと

  
メインディッシュとデザート


料理が出来上がり乾杯の音頭を取る勝亦さん(中央)と
会の成功に終始惜しみないご支援ご協力をいただいた大石さん(前方右隣)、会場の皆様
心地よい午後を楽しみました

  
調理に食事とワイン、正に満ち足りた一日でした   料理教室を担当した伊藤理事(左)   


ドイツ料理を楽しむ会を終えて

会員 伊藤 志津子

湘南日独協会20周年記念事業の一つとして企画されたドイツ料理の講習会を担当いたしました。 「ドイツ料理を楽しむ会」という名称で11月17日に開催され、28名の方に参加していただきました。

20周年記念ということで広く宣伝をしたことが功を奏して、年齢、住まい、参加目的などさまざまの方に集まっていただきました。 湘南日独協会を知らなかった方がこの催しに興味を持って申し込んで下さったのはとてもうれしいことでした。

お互いに初対面の方々も調理が始まるとすぐに息の合った進行になり、皆さんがてきぱきと動き、それはみごとでした。 最初から最後まで和気あいあいとした雰囲気で進めることができたのはご参加の方々のおかげです。

この企画にまつわるメモが残っています。2017年11月17日に「大石さんとシーズ・エチュード下見」とありました。 すでにメニューについても「紫キャベツとメイクイーンを添える」とメモしてありました。

今年2018年4月の理事会で提出した企画書が承認され、より具体的に動くことになりましたが、講師を決めるという最も重要な段階は、 大石Christine祥惠さんと鈴木洋子さんが講師をお引き受けくださることでクリアしていました。

調理のできる会場を探すのが簡単ではないことを実感し、よい体験になりました。いくつかの可能性を一つ一つ検討し、その中からシーズ・エチュードを選びました。 この会場は大石さんが見つけて薦めてくださいました。

思い返しますと2018年11月の開催日まで1年がかりの長い道のりでした。2月から始まったさまざまの記念事業は5月、9月、10月とそれぞれ濃厚な内容で、 すべて大成功でした。他の記念行事が一つずつ終わっていくと、締めくくりとなる11月の「ドイツ料理を楽しむ会」も 成功させないといけないという思いがプレッシャーになりました。舞台裏で出番を待つ役者のような複雑な気持ちでした。

定員は20名、キッチンが付いているというだけの会場で、最終的に28人が調理をして食事をすることになり、準備を始めました。

鍋・フライパンをはじめ調理道具一式も用意して会場に運び込まなければなりません。

食事に際しても紙皿や紙コップを使うつもりはありませんでした。講師のお二人の素敵なこだわりです。そのおかげで、おしゃれな会になりました。 当日は食事の皿やナイフ・フォーク一式まで用意して持参して下さいました。打ち合わせのために何度かご自宅に伺った折に、 居間にそれらの品々が準備されて山積みになっていたのが印象に残っています。 何カ月もの間、この催しに専念して下さった講師のお二人には心から感謝いたします。

ピアニストの高橋愉紀さんが演奏を快くお引き受け下さったこともとても嬉しいことでした。 料理教室の日の特別のプログラムは、バッハ、ベートーヴェン、ブラームス・・・と11曲のメドレーでした。

美味しい料理と上質のワインに満たされて、はしゃいでいた会場でしたが、曲が始まるととたんに心地良い静寂に包まれピアノの音色が 身体に浸み込んでくるようでした。

最後に、大石則忠さんに御礼申し上げます。この催しの成り行きを見守ってくださり、ご支援ご協力をいただきました。


湘南オクトーバー・フェスト2018

暑さの残る10月21日(日)午後、藤沢市民会館を会場に開催されました。 「皆様、湘南のホーフブロイ・ハウスへようこそ!」峯松さんの掛け声で宴が始まりました。 混声合唱団「アムゼル」、「歌で楽しむドイツ語」のメンバーが皆様と一緒に楽しみました。ビールはドイツ直送のレーベン・ブロイの生。 エーデルワイストリオに加えて協会創立20周年記念にと、鬼久保理事の個人的繋がりがきっかけでヨーデルグループの参加が実現し、 節目の年の祭りに花を添えました。

招待した日独協会の研修生をも司会に巻き込むなど即興的色あいにあふれた、しかし協会伝統の祭りは、あっという間に幕が降りました。 鬼久保さんのフェストへの思いと参加者の声、後日研修生に綴っていただいた印象をご紹介します。


進行役の峯松さん(右)とグリットナーさん(中央)
左隣は即興の申し出を受けてくれた日独協会研修生のカイ・ボーネルトさん


出会い・treffen
オクトーバフェストにヨーデルがやってきた


会員 鬼久保 洋治

初めてオクトーバーフェストに出会ったのは2003年エーデルワイスカペレの 石川勝巳さんたちとチロル地方演奏旅行に同行してドロミテの帰り、 ドイツ南部バイエルン州ローゼンハイム(市川市と姉妹都市)でした、 隣接の移動遊園地で遊んだ後会場に入り中央のテーブルに民族衣装を着た日本人が 陣取りフォークダンスの仲間と踊り、ビールそしてカペレの飛び入り演奏で大いに 盛り上がりました。 アルプス音楽は大好きで日本でもヨーデル歌手がいることを知りコンサートを聴きに行きました。 川上博道、伊藤啓子、熱田健各氏の伴奏をしている新倉恵先生に スイスアコーディオンの指導を受けていることから今回のヨーデルぐるっぺ放歌会の 伴奏をお願いすることになりました。 私のヨーデルは2010年NHK学園ヨーデルコースで2年間その後同窓生有志で勉強会 (放歌会)を開催指導は清水先生(銀座ゲルマニアでピアニスト)を迎え 毎週土曜日勉強会を開いています。

湘南日独協会結成はオクトーバーフェストがきっかけで創立、 今年は20周年記念ゲストとしてヨーデルぐるっぺ放歌会のメンバー熱田健、 新井浩二、榎本みどり、伴奏新倉恵アコーディオンを迎え一味違った雰囲気の中、 参加者も110名を超える会となり感謝しています。

当協会は合唱団アムゼル、「歌で楽しむドイツ語」(Singen wir zusammen!)と 音楽活動が特徴の一つです、アルプス音楽とヨーデル、ドイツの歌と会場はドイツ生活、 旅行、同窓会、思い出の輪で花がさいたようでした。 次回も皆様に喜んでいただけるよう計画をしたいと思います、 皆様の友人が一人でも多く参加されるようお待ちしています。


アルプホルンを吹いて開宴通知セレモニーでの筆者(右)


ヨーデルぐるっぺ放歌会の皆様
写真左から新井浩二、熱田健、新倉恵、榎本みどりの各氏と筆者(右端)


オクトーバーフェストに参加して

中村 峯子


筆者の中村さん(右から2人目)とガルデさん

今年は湘南日独協会結成20周年を記念して、エーデルワイストリオとヨーデルぐるっぺ放歌会の演奏があると聞いて、 初めてオクトーバーフェストに参加しました。

式がひととおり終わると、いよいよイベントの始まりです。アムゼル合唱団の歌声はとてもきれいで、鎌倉芸術館でのコンサートを思い出しました。 「歌で楽しむドイツ語」(Singen wir zusammen!)の歌はアコーディオンに合わせて、 ガルデさんといっしょになごやかな雰囲気に包まれていました。

ヨーデルぐるっぺ放歌会は女性の榎本さんの「ヨハン大公のヨーデル」を筆頭に、楽しい曲が次々と歌われました。ヨーロッパアルプス地方では、 忙しい仕事が終わる秋から冬に向けての農閑期に農民たちがアコーディオンやカウベル、生活用具である木のスプーンなどを使って、演奏を楽しみます。 ヨーデルもそのひとつで頭声で出す声は、羊や牛の放牧をしてあちこちの山に散らばっている仲間に届くようにと歌ったものです。 その他、リズミカルで踊りたくなるようなメロディーの曲もあります。

オクトーバーフェストでも肩に手を置いて電車のように多勢の人がつながって、 会場の中を歩きました。曲に合わせて、体を動かすのは、人間にとって、たいへん楽しいものです。皆さん本当に楽しそうでした。 おいしい料理とおいしいお酒、音楽があれば、皆笑顔になります。オクトーバーフェストに参加して、本当に良かったと思いました。 オクトーバフェストを計画された皆様方ありがとうございました。来年も楽しい計画を楽しみにしています。


合唱団「アムゼル」


Singen wir zusammen !の皆様




フェスティバルの雰囲気を伝えるスナップ写真から


ミュンヘンのはるか、かなたのオクトーバーフェスト
カイ・シュテフェン・ボーネルト
日独協会東京 研修生

オクトーバーフェストのイメージは?−大きなテントとか並べた長いテーブル。 もうわくわくしてお客様が座って待っている。 ウエイター達はビールのグラスを堅く掴めて今か今かと出番を待っている。 皆の目はテントの一点に集中している。 ついに、「O'zapft is!*」という叫びが聞こえて祭りが始まる。

でも、オクトーバーフェストはドイツだけで行っているわけじゃない。ミュンヘンから遠い日本の藤沢にも皆がわくわく期待しているオクトーバーフェストがある。 今までにオクトーバーフェストに参加した経験がまったくない私は、日本ではどうなのかなと考えていた。 ドイツで行われるオクトーバーフェストと同じ雰囲気のイベントかな?着いた瞬間に、すぐに気づいたのは:本当にドイツのオクトーバーフェストだと。 レーダーホーゼンやダーンドルを着ている日本人。ステージではもう楽器の音を合わせが始まった。そして、本当のアルプホルンも置いてあった。 奇麗なダーンドルを着ている淑女が話しかけて本日のプログラムを親切に教えて頂いた。そして私達も司会をするべきだと。一体どういう意味?準備をせずに従って、 それから、ビールがもう止めどなく流れてきた。更に、エーデルワイス・トリオは誰でも知っている曲を歌い、 アムゼル合唱団はとても上手なドイツ語で私が子供の頃から知っている曲を歌い、どんな歌集にも入っている曲を聞かせて喜ばせて頂いた。

例えば、「Lorelei」と「Ein Männlein steht im Walde」と「Vogelhochzeit」など。 その後、ヨーデルくるっぺがステージに躍って、皆が盛り上がって暖かい感じの曲を聴きながら、踊り始めた。 やがて踊りの列はどんどん長くなる。ポロネーズに変わって部屋を回っているのだ。ここは日本かバイエルンか?

ドイツのオクトーバーフェストと少し違う印象だけど。ドイツでは呑むのが大事らしいけど、藤沢では一番関心が深いのはドイツの音楽だと私の印象だった。 ドイツではビールを物凄く沢山呑んでいるけど、日本でアットホームなオクトーバーフェストを体験させて頂いて良かったと思っている。 ミュンヘンのはるかかなたの本当の PROSIT DER GEMÜTLICHKEIT!


   編集者注:
   筆者の承諾を得て少し加筆、修正させてもらいました。
   が、原文の持ち味を最大限に残すよう心がけました。
   ボーネルトさんは日本語訳文とともにドイツ語原文もお送り下さいました。
   全文を掲載します。
   *O'zapft is!:ネットで調べたところ
   ミュンヘン市長が Oktoberfest の開始を宣言するバイエルン方言の決まり文句のようです。

Das Oktoberfest jenseits der Wiesn

Kai Steffen Bohnert

Was verbindet man gemeinhin mit dem Oktoberfest? - Riesige Zelte, mit reihenweise aufgestellten Tischen; hier tummeln sich bereits die Besucher Schulter an Schulter, in freudiger Erregung wartend; wie sich dann alle Blicke einem Ende des Zeltes zuwenden, wie die Kellnerinnen die Gläser fester halten, bereits sie zu füllen, wie dann ein Schlag durch das ganze Zelt geht und endlich der ersehnte Ausruf: „O'zapft is!“

Aber das Oktoberfest gibt es längst nicht mehr nur in Deutschland. Auch in Japan, fernab von München, wird das Fest mit großer Aufmerksamkeit erwartet. Heute z.B. fahren wir nach Fujizawa, in der Nähe von Tôkyô. Da ich allerdings bislang kein Oktoberfest besucht habe, war ich durchaus unsicher, was uns denn erwarten würde. Doch nicht etwa ein Oktoberfest, wie in Deutschland? Und wirklich, wir waren gerade angekommen, da sahen wir schon überall: Japaner in Lederhosen oder Dirndl, auf der Bühne stimmte man indessen die Instrumente, sogar ein wahrhaftiges Alpenhorn lag daneben; eine adrette Dame im Dirndl kam uns unverzüglich entgegen, sie erklärte uns sehr freundlich den Programmablauf, wir würden ja ebenfalls moderieren - wie bitte? Gänzlich unvorbereitet fügte ich mich jedoch, und dann floss das deutsche Bier bereits ungehemmt. Unterdessen stimmte das Edelweiß-Trio altbekannte deutsche Weisen an, der Amsel-Chor sang für uns, in übrigens ausgezeichnetem Deutsch, deutsche Lieder, die ich während meiner Kindheit so oft gesungen habe, und die noch heute in keinem Liederbuch fehlen; so etwa die Lorelei, Ein Männlein steht im Walde oder Vogelhochzeit. Hierauf sprang sogar ein Jodelchor auf die Bühne, und wirklich gab es dann kein Halten mehr: Die meisten Besucher sprangen auf und tanzten zu heiterer Schunkelmusik, bald zog sogar eine immer länger werdende Polonaise durch den gesamten Saal. Waren wir denn wirklich in Japan - und nicht etwa doch in Bayern?

Anders als beim Oktoberfest in Bayern, wo, so ist mein Eindruck, das Trinken im Mittelpunkt steht, war es in Fujizawa dagegen die deutsche Musik, der sich alle auf fast rührende Art zugewendet haben. Und während in Deutschland ein Maß nach dem anderen geleert wird, durften wir in Japan das Oktoberfest in fast heimeliger Atmosphäre erleben. Ein wahres Prosit der Gemütlichkeit, jenseits der Wiesn!


平成最後の望年会が開かれました

会員 大久保 明

朝は寒く雨模様でありましたが参加申し込み者全員が揃い、12月16日大船駅ビル・ルミネの「つばめグリル」で開かれました。 食事はドイツ風ハンブルグ・ステーキ、ドイツ風ソーセージ2種盛り合わせを中心とした料理に、 飲み放題のビールは勿論HellとDunkelの2種、紅白のワイン、ウイスキーとお好みに合わせて、デザートにはシュトーレンが出され大いに楽しみました。 幹事、小野理事のこだわりのメニューに満足しました。

会の進行は私が努めましたが、松野会長のご挨拶、小野理事の挨拶があり会員参加者のお話しも頂きました。 中でも特色のあるご発言をご披露したいと思います。

高坂 貞夫 氏:フランクフルト勤務から帰国後藤沢に住んで13年になるが、つい最近湘南日独協会の存在を知り入会した。ドイツの話が出来るのが楽しい。

堀田 清郎 氏:ドイツリートをソロで歌うのが好きで、梶井 智子氏に指導を受けたこともある。

福住 誠 氏:英独仏は勿論ロシア語もの多言語に通じる方であるが、今年はイタリアへ旅行しイタリア語で旅行記を書きイタリアへ送り大いに評価された。

その他、今年の個人的な十大ニュースの問いに対して、孫の誕生など孫に係る事例が多く、参加者の平均年齢が良く表れていると感じました。

中仕切りの向こうに居られた他のお客様にも参加頂き歌も歌いました。従っていつもより少し音量を下げて、聖夜・もみの木・野ばらを合唱し、 最後はブラームスの子守歌まで歌って終了となりました。

  
高坂さん                 堀田さん


小野幹事(右端)一人おいて左隣が福住さん


合唱される参加者の皆様


行事参加報告:第15回ふじさわ国際交流フェスティバル

快晴に恵まれた2018年10月28日(日)、藤沢駅近くのサンパレットにてふじさわ国際フェスティバルが開催され当協会も参加しました。 伊藤理事や勝亦理事が中心になって計画を進め、Der Wind 前号で勝亦さんが報告された8月の「海外旅行フェスタ in 藤沢」と同じくドイツ観光局と協力し、 「ドイツのゆきたい街、ピン押し」が企画の目玉でした。 勝亦さんの尽力により取扱い商社の三菱食品よりHariboブランドGumiの試供品提供を受け、 ブースを訪れたピン押し参加者に絵葉書と一緒にお礼にお渡しすることができました。 ブースは終始、予想以上の大盛況で、142名の参加者にピンを押してもらいました。

Berlin,Münchenなど大きな都市とともに、少なくとも編者は名前も知らない(Gelsenkirchen, Rostockなど)地方の小さな町にもピンが立ち、 観光局に報告されました。

参加者の中にはピン押しするでもなく、「今日は話が出来て本当に良かった」と言われて立ち去る方が何名もいらっしゃったことも印象に残りました。


ブースに立ち寄り、ピン押しに参加する家族連れ
フェスティバル公式、黄色のヤッケ姿が応対する伊藤さん


湘南日独協会 創立20周年記念行事

9月の概要


常務理事 大沢 由美子

創立20周年記念行事は、2月の「ブルノータウトの熱海の家見学会」を皮切りに、 5月には「アムゼルによる記念コンサート」そして9月8日、9日は2日連続の行事となった。

第1日目は「日本民族学・文化人類学の二十世紀」講師はボン大学名誉教授ヨーゼフ・クライナー博士、 「ドイツ生まれ日本育ちの歌」講師はアムゼル合唱団を設立した若林倖子氏、 「現代に生きるグリム童話」宇都宮大学名誉教授橋本孝氏と講演が三つも続くのである。 湘南日独協会では従来から月1回の例会で講演会をしてきている。それと同等の講演会を1日で3講演も行ったのである。

第2日目は初めての試みである座談会行った。ゲストもドイツ人4人を含む総勢7人である。 ゲストが7人というのも、なかなかユニークな座談会である。
その後は、ドイツワイン説明・試飲会である。試飲会というよりワインパーティーのような雰囲気でこの2日間を締めくくった。

創立20周年に向けては、3年前に「創立20周年記念事業検討委員会」を立ち上げた。 委員はすべて70歳以上である。人生経験豊かな面々のアイディアであるからユニークなものも沢山あった。

マスコミに登場する有名学者の講演会という案もあったが、悔しいかな「講演料が我が協会の経済力をは〜るかにこえていた」のである。 その後も候補に挙がる方や学校を直接訪ね、お願いしたがけんもほろろに断られることもしばしばであった。 そんな中で湘南日独協会のために安い講演料で快く引き受けてくださったのが前述の3人の先生方である。 これで一気に記念行事の流れが決まっていった。
次は、これらの催しをどのように宣伝するかである。
今回は、20周年の記念行事であるから会員の皆さんだけでなく、 地域の皆さんにも足を運んでいただき、湘南日独協会を知っていただきたいと考えた。
そのために、本格的デザインのパンフレットの作成し、 チラシとして新聞に折り込み藤沢市の2000世帯に配布し、 江ノ電沿線新聞には湘南日独協会の座談会の記事を載せ、もちろんホームページでも宣伝をした。

「たくさんの人に集まってもらえるだろうか」「人が集まらなければ、講師に申し訳ない」という思いで迎えた当日。 想定外の人数で満員御礼と言いたいような状況となる。足りない椅子を運び込むスタッフ、 足りない資料のコピーに走り出すスタッフ。お越しいただいた方々には十分楽しんでいただけただろうとほっとしている。


ヨーゼフ・クライナー教授の講演に寄せて

〜クライナー君と私の60年〜

会長 松野 義明

9月8日のクライナー教授の講演「日本民俗学・文化人類学の二十世紀―日本とは何かを問い求めて」 について感想を書くようにとの求めに、お引き受けしたものの、 私は以下に述べる理由により、もっとも不適切な人間であることに思い当たりました。 何故なら、彼は余りにも身近な存在なので、照れくさくて、書けないのです。 その代りに、今日は、 日本民族の成り立ちを研究する研究者として国際的評価を受けているクライナー教授が、 どんなふうに成長したかをお話しすることにしましょう。 下の写真は、1958年ごろウィーンに留学していた日本人の方々と、ある週末、 クライナー家で撮った一枚です。


前列(左から)立教大学経済学 住谷 一彦 教授、留学中のピアニスト佐藤 京子さん、
クライナー君のご母堂
後列(左から)筆者、上智大学宗教社会学 安斎 伸 教授、ウィーン大学1年生のクライナー君(18歳)

クライナー君のご母堂は大変日本人を歓迎してくれて、 週末には度々ウィーン郊外の自宅に呼んで、手作りの御馳走を食べさせてくれました。 この頃、彼は日本語もめきめきと上達し、 Japanologieで身を立てる決心が固まったころではないかと思います。 一人息子の背中を優しく押す母親の姿がそこにありました。 私は25〜26歳でしたが、オーバーの裾が長すぎるといっては短くしてもらったり、 シャツやズボンにアイロンをかけてもらったり、ご母堂にはずいぶん面倒を掛けました。 私は、昼間は原子力研究所での仕事のかたわら、 ウィーン大学の要請により週2日は夕方から、大学の日本学研究所で、 日本語の講師を務めておりました。 彼は私の最初の生徒の一人でした。ウィーン大学で3年ほど勉強した後、 東京大学に留学が決まり、たまたま私の実家が東京大学と同じ文京区にあったことや、 私がまだウィーンでの仕事に区切りがつかず、帰国していなかったこともあって、 彼は私の実家に住むことになりました。 もう一枚の写真をご覧ください。写真には写っていませんが、私には弟が二人います。 従って、私の母は再び3人のわんぱく息子たちの面倒を見ることになり、 この上なく幸せそうな顔をしているのが写真から読み取れます。 しばらくの間、母親たちは息子を交換した形になったわけです。


(左から)浴衣姿のクライナー教授 (21歳の頃)
筆者の母、筆者の祖母

この頃から、彼の講演でも頻繁に言及されている日本の民族学・文化人類学の巨人達 (岡正雄、石田英一郎を始めとして多数の学者)を師と仰ぎつつ、 沖縄調査を始めとする各種調査に参加し、益々、学識を深めていきます。 十分な資料が集まったところで、一旦、ウィーンに帰り、彼独特な明晰な分析力で、 資料を分析し、さらにまとめ上げて、博士論文提出。めでたく学位取得。 ウィーン大学教授(1971〜1976)、ボン大学教授(1976〜2008)、 ドイツ連邦政府のドイツ-日本研究所(東京)初代所長(1988〜1996)、 の要職を経て、法政大学特任・特別教授(2008〜2013)、現在は、ボン大学名誉教授、 法政大学国際日本学研究所客員所員、 東京国立博物館客員研究員という輝かしい業績を残しました。

専門こそ違いますが、 60年間腹の中を見せ合いながら付き合ってきた友人の立派な足跡がただひたすら嬉しいのです。 講演感想文を書けと言われても、何となく気恥ずかしくて、 書けない気持ちがお分かりいただけたでしょうか。


9月8日の講演で日本における民族学研究の流れをご自身の研究体験を通して、
ユーモアを交えながらお話しされるクライナー教授


満席となった講演会場。クライナー教授の講演に先立ち、オープニングの挨拶をされる松野会長


「現代に生きるグリム昔話」を聴講して


会員 中嶋 照夫

創立20周年記念行事、講演会Vは「現代に生きるグリム昔話」について講演していただきました。 御講演頂いた橋本孝先生はドイツ文学(グリム童話、グリム兄弟)を長年研究し、 ドイツの功労十字綬章を授賞され、日本グリム協会会長、栃木日独協会会長を歴任、活躍されております。

19世紀のドイツでは、民衆に歌いつがれ、語りつがれた歌謡・伝説・民話が注目を浴びました。 そして、伝説や民話などの口伝えの文芸が盛んに発掘され、その後グリム兄弟らに収集編纂されました。 それがグリム童話の原本です。 19世紀前半に編纂されたグリム童話が今日なお何故、世界各国で読まれているのでしょうか。

ヤーコブ・グリムとヴィルヘルム・グリムのグリム兄弟はフランス革命の少し前に生まれました。 ルイ16世、マリーアントワネットがギロチンで首を刎ねられ、 まだ小さな幼子のグリムはショックを受けたようです。 その様子はスケッチに今も残っています。 グリム童話はよく内容が残酷だと言われますが、 この様な歴史的な事件も深く影響しているのでしょう。 法律も勉強していたグリムはドイツの憲法の草案(「ドイツの土地に住んでる人は自由でなければいけない。 外国人であってもドイツの地を踏む人はすべて自由である。」)を創りましたが、 まだ時代がそれを要求しない時代であり、否決されました。 時が過ぎて第2次大戦後には彼の思想は受け入れられ、現在の憲法ができました。 グリムは心からドイツ統一を願ってました。グリムはそういう人だったのです。

さて、グリム童話は殆ど、女性が主人公ですが、男性が主人公の「幸せなハンス」ではご存知の如く、 笑えない話です。7年の丁稚奉公が明けて報酬としてもらった金塊を馬と、更に牛、豚、ガチョウと交換し、 「俺は何て運がいいんだろう」と喜ぶハンス。 しかし、その後遂にガチョウと砥石を交換し、その砥石ですら川に落として失ってしまう。 しかし手ぶらで家に帰ったハンスをお母さんは「よく帰って来た!」と喜びます。 話はこれで終わりですが、ここでグリムは人間的な優しさについて、言いたかったと思います。 ハンスを馬鹿だと思う人は、資本主義に毒されている人だと先生は仰っていました。 あなたはどう感じますか?グリムは物的な喜びより心の喜びに対して書きたかったのだと思います。

次に有名なグリム童話「ヘンゼルとグレーテル」。 物語の序盤、ヘンゼルは弱々しい女性に描かれていますが、魔女に捕まってからのヘンゼルはとても理性的です。 「お兄ちゃん!魔女はあんまり目が見えないよ。だから骨を出しな!」(現実の厳しさ)、そして宝物を持って帰る時、 鵞鳥が来て「お兄ちゃん!鳥さんが可哀想だから、お兄ちゃん先に乗りな。私も後から行くから」(人間の優しさ)と。 非常な賢明な女性に変化しています。 と先生は仰っています。あなたはどう思いますか?こんな事を考えれば、 ヘンゼルとグレーテルの話は大変な教訓を与えています。

子供にとって、幼児期にはグリム童話が好まれ、小学校下級生の頃はアンデルセン、 上級生になるともっと現実的なロビンソン・クルーソーが選ばれます。 子供にとって、グリム童話は「お話」の面白さがわかり始めた頃であり、 短くて単純なお話が好まれます。民話の面白さは幼児期の頭脳の発達に役立つと言われています。

橋本先生は現代の問題点にもスポットを当てグリム童話から種々の例を上げて解説されてます。 まだまだグリム童話には色んなパターンがあり、現代の問題点にも通じ、人生の糧となるでしょう。 グリム童話と言えば、遠い昔に読んでほぼ忘れてさっと読んで通過した世界。 先生による全翻訳グリム童話全集を読んでどんな発見があるか、グリム童話を読んでみては如何でしょうか? 私も今回の講演で興味を持ちましたので読んでみたいと思いました。


受講者に語りかけるように話される橋本先生


懇親会にも参加いただきました





8日の講演会終了後、講演会場近くのレストランで講師を囲む懇親会を催しました。 宴もたけなわ、幹事が、条件を満たす参加者に素敵なプレゼントを用意してました。 何と、驚きですが、一つの条件(その日がたまたま誕生日)を満たす参加者がおられたのです。 会員の舩木 健さん。満場の参加者による Zum Geburtstag viel Glück, Lieber Takeshi! の大合唱が贈られ、 しばし舩木さんのお祝いの会になりました。



ドイツワイン試飲会 - Weinprobe - に参加して

出張 玲子


筆者の出張さん(左)

湘南日独協会創立20周年記念行事として、ドイツワイン試飲会 - Weinprobe - が 平成30年9月9日(日)、藤沢商工会議所にて催され、ドイツ通やワイン好きな男女26名が参加しました。 日本ドイツワイン協会連合会の理事で、 同連合会認定ドイツワイン上級ケナーの資格をお持ちの賀久哲郎さんと、 同じく日本ドイツワイン協会連合会理事で同連合会認定ドイツワイン上級ケナー および日本ソムリエ協会認定ワインエクスパートでいらっしゃる木村 薫さんの お二人が、スライドを用いて講義してくださいました。 白ワイン7種、赤ワイン1種の、計8種類のグラスを傾け、あっという間の2時間でした。

ドイツにワインをもたらしたのは、紀元前50年頃に進駐してきたローマ軍で、 後にカール大帝がドイツの気候や土壌がブドウの生育に向いていることを見出したとの事。 西暦1100年以降は、各地の教会がワインを作るようになったそうです。

ドイツ国内には13の指定ワイン生産地域 (Ahr, Baden, Franken, Hessische Bergstrasse, Mosel, Mittelrhein, Nahe, Pfalz, Rheingau, Rheinhessen, Saale-Unstrut, Sachsen, Württemberg) が存在し、講師のお二人がそれぞれ各地域を訪れた際の写真を見せていただきながら、 エピソードを伺いました。フランスと同様の赤ブドウが発育するなど、 地区により様々な特徴があるそうです。 ドイツが世界に誇る、甘口白ワインとなるリースリング種をはじめ、ドイツで栽培されているブドウの品種についてもお話がありました。

ワインボトルに貼られたラベル“エチケット”の読み方についても説明していただきました。 "ドイツワイン"というと"甘口の白"というイメージがありましたが、 最近はドイツでも辛口の白が増えてきているそうです。 エチケットに、辛口白ワインはtrocken, feinherb, halbtrocke, 甘口白ワインはlieblich, suss, edelsuss などと記載されていますが、 一般的にKabinett とあれば、辛口です。 また、アイスワインも素晴らしい甘口ワインです。

個人的には、白ワインに合う料理について質問させていただきました。 ドイツ白ワインはやや酸味が強いため、レモンを絞るような料理が合うそうで、 特にカツレツ(Schnitzel)などはお勧めとの事でした。 想像しただけで、わくわくします。頂いたドイツワインに関する小冊子には、 和食とドイツ白ワインの合わせ方が詳しく載っており、こちらも是非試してみたいと思います。

バブルの余韻が残る頃に青春期を過ごしましたが、 当時の貧乏学生にとって輸入ワインは高嶺の花でした。 でも、クリスマス・ディナーで奮発して、 ヨーロッパらしい可愛いエチケットが貼られたドイツの甘い白ワインを、 ドキドキしながら飲んだことを思い出しました。

BGMは"Lili Marleen"


説明される講師の賀久 哲郎氏(右)と木村 薫さん




こぼれる笑顔の参加の皆さん、ワイン談義に花が咲きました


在日ドイツ人との座談会

会員 昔農 英夫

「ところ変われば品変わる」と言いますが、生まれ育った風土や歴史がものの考え方や生活習慣に影響することは、 日本一国内をとっても北と南、極端な場合、峠ひとつ越えても異なる例はいくらでもあげられます。 これが民族、宗教、気候を全く異にする諸外国まで範囲が広がると、その多様性には興味が尽きません。 永住権や短期滞在資格などで現在、日本に住む外国人は約260万人に達するそうです。 総人口の50人に一人が日本以外にルーツを持つ外国人というのですから改めて驚きです。 この現実からも、異文化相互理解は時代の要請にちがいありません。

座談会では、日本にお住まいのドイツ人と、これとは逆に、 ドイツで長く生活された日本人をゲストに迎えました。経歴、出身地方、世代や関心もまちまちな7名です。 日独の違いはもとより、ステレオタイプではない現代の実情、 同国人でも世代間での見方や価値観の違いの一端でも浮き彫りにできればと思っていました。

ゲストへの事前質問から、ドイツでは個人や個性を大事にし、 ものごとに合理的に向き合うことを追及する、対極的に、 日本では個より全体の調和が重視され、重要な点をあいまいにし、これが誤解のもと。 ときにこれを美徳とみなす場面もあることなどが指摘されていました。 当日は、最近、関心の高い「仕事と生活のバランス」ついて話を進めました。 仕事への向き合い、残業、仕事と私の切り替え、休みの過ごし方などです。発言の大勢は、 明瞭、合理的なアプローチで極力無駄を省くドイツと、時に、 ファジーで本質以外のところにも力を費やす日本であったように思います。 進行役がこのような企画や進め方に全く不慣れで、運営が出だしからつまずきましたが、 パネラー皆さんの多様でかつ積極的な発言や経験談に終始助けられ、 時間枠の90分はまたたく間に過ぎ、本音の声も聞くことが出来ました。 多様なパネラーの意見を存分に引き出すに至りませんでしたが、 会場の皆様を含めご協力に感謝いたします。


ゲストの皆様:左から 高橋愉紀、棚橋フリースあこ、アルント‐オラフ・フリース、
レベッカ・ラトケ、ミリアム・グリットナー、ハンナ・ダウシュ三浦、寺田雄介(敬称略)
皆さん忙しいスケジュールの合間を縫って駆けつけ下さいました。左端が進行役の筆者


寄稿 ドイツ大使招待の秋祭りに参加して

会員 寺島 綾


ドイツ大使公邸庭園にて筆者の寺島さん

ご招待いただき、2018年9月17日ドイツ大使公邸日独協会秋祭りに参加させていただきました。 不安定な天気が続いていましたが、この日は雨も降らず暑さも和らぎ、良い気候に恵まれました。

大使館公邸に入ることは今回が初めてで、このような催しに参加することもあまりないため非常に緊張しましたが、 自分と同じく初参加の方も多くいらっしゃり、自然とすぐお話することができました。 各地の日独協会の会員の方々が参加され、鹿児島など遠方から参加された方も多くいらっしゃいました。

私が湘南日独協会の会員ということで、Der Wind Vol.20, No.4にも掲載されていました 湘南モノレールとヴッパータール空中鉄道提携の話をしてくださった方や、 短期留学経験のある広島の大学生の方、ワーキングホリデーを利用してドイツに滞在していた方など、 皆さんの様々なドイツに関する体験や、興味・関心のあるお話を聞くことができました。 とても興味をかきたてられると共に、皆さんの行動力や熱意には頭の下がる思いです。

個人的にはドイツ語圏のミュージカルについてお話できたことが非常に嬉しかったです。 実際に現地に行って観劇をしたいという気持ちが強まりました。 またこれまで面識はあるものの、お話をしたことがなかった湘南日独協会の方ともお話することができ、 良い交流をしていただきました。

今回の秋まつりは、大使館公邸の庭を見ることができることも楽しみの一つでした。 大使館は元藩邸や著名な方の邸宅だった所が多いので、是非一度は拝見したいと思っていました。 ドイツ大使館は、元は旗本酒井内蔵助下屋敷、海軍囚獄署、小泉策太郎邸だったとのことです。 お庭は広い芝生も素敵でしたが、庭に朱塗りの武家門や立派な四阿(あずまや)、 水鉢、中国風の石像や稲荷祠に鐘楼と多種多様なものがあり大変興味深かったです。

お食事をいただきながらの会話は時間が経つのが存外早く、 二時間があっという間に過ぎていき、盛況のうちに終了となりました。 この度秋まつりに参加することで、積極的に物事に参加する意欲を頂けたと思います。

最後に、この場をお借りして御礼申し上げます。 この度はこのような得難い機会をいただきまして、誠にありがとうございました。

☆  ☆  ☆  ☆

ドイツ大使公邸での今年の秋祭りには湘南日独協会から3名(全体では全国から約90名) の会員が招待を受けました。 寺島さんとともに参加された内海祥子さんと杉山麻衣子さんからも写真が 寄せられましたのでここに紹介いたします。


フォン・ヴェアテルン大使と内海祥子さん(中央)


大使公邸で内海さん(左端)と全国からの参加者


フォン・ヴェアテルン大使ご夫妻と杉山麻衣子さん(左)


杉山さんと日独協会のミリアム・グリットナーさん(左)
グリットナーさんは20周年記念行事の座談会にゲストとして、
また湘南オクトーバーフェストの司会も引き受けて下さいました。大感謝です。


「海外旅フェスタin 藤沢」出展に参加して

会員 勝亦 正安

去る8月30日、日本旅行業協会主催による「海外旅フェスタin 藤沢」が、藤沢市民会館で開催され、多数の業者、団体が参加しました。 出展団体の一つであり、日頃協会が協力を頂いているドイツ観光局の依頼を受け、 協会から理事の伊藤と勝亦が代理として一日、観光局ブースの運営に当りました。 参加費用、用具類はすべて観光局が負担、用意し、当協会は運営のマンパワーを提供しました。 運営の内容は、来客に地図ゲームに参加して貰う事でした。朝から子供連れの家族など、 予想外に多くの訪問客がありました。 ゲームは、行きたいドイツの都市を地図上に見付け、その上にピンを立てるという単純なものですが、 探し、求めるという行為に大人も子供も興味津々、ゲーム参加者と運営担当者の間で自然と会話が弾みました。 町探しの助けを求める人、町の見どころを尋ねる人、往時のドイツ旅行を懐かしく語る人、 想像と期待で眼を輝かせながらピンを立てる子供ら、鈴木恒夫藤沢市長も来訪、ゲームに参加頂きました。 夫々に楽しそうでした。ゲーム参加者にお土産として用意されたハリボのグミ120個は直ぐに品切れとなる始末。

ちなみに、地図上に立てられたピンの数は合計124、行きたいドイツの都市の数は45、 最多の14ピンを集めたのはフュッセン(ノイシュバンシュタイン城)、二番目は11ピンのドレスデン、 三番目は10ピンのベルリンでした。この調査結果の詳細はドイツ観光局へ報告されました。 当日は、多くの理事の来訪と運営への協力があり、おかげ様で、協会20周年行事、 オクトバーフェスト、ドイツ語講習会等のP.R.を行うことも出来ました。 ドイツ観光局の委託に応えたという自負と共に、協会にとっても意義ある一日だったと思います。


ピンを刺す少女とお母さん


ハリボのグミににっこり 左は伊藤さん


鈴木恒夫藤沢市長もブースに立ち寄られました


応援の中嶋さん(左) 右は報告者の勝亦さん



日独のモノレール2社の提携の橋渡し

   
湘南モノレール           ブッパータール空中鉄道

湘南モノレール社とドイツ・ブッパータール空中鉄道社の2社は 「姉妹懸垂式モノレール提携」を9月13日に締結の運びになりました。 この日は、120年前の1898年9月13日、ブッパータールの400mのテストトラックで 最初の懸垂式モノレールの試験走行が行われた記念すべき日です。

湘南モノレール社は9月8日(土)朝10時より大船駅に於いて、記念式典を行う予定です。 また、9月9日(日)〜16日(日)の間、江の島に於いて、 セーリング競技ワールドカップ(兼・五輪テスト大会)が開催されますが、これに先立ち、 8日(土)11:30より江の島に於いて、同Welcome Festivalが催されることもあり、 同社記念式典は8日(土)10:00開催としたものです。

本式典後、本提携を記念した特別列車を、本年末まで運行の予定です。 また、9月8日(土)の式典時・以降に、幾つかの記念イベントを計画しております。
上記に係るプレスリリースにつきましては、8月28日(火)夕刻にリリース予定です。

一方、ドイツWSW社側は、前述の通り、9月13日(木)が記念すべき日ですので、 同日にプレスリリースを行い、その後にイベント開催を計画されています。

この提携には、湘南日独協会西山忠壬顧問が協力し湘南モノレール尾渡英生社長から多変感謝されています。 8月28日のプレスリリース等祝賀行事の詳細などは 湘南モノレール社のホームページ をご覧下さい。


出版のお知らせ


『黒おばさん』
クララ・フェヒナー原作(ドイツ語)、19世紀メルヘン集の初の日本語翻訳が出版されました。
会員中村茂子氏の翻訳、発行 幻冬舎、1,080円(税込み)です。


6月例会 報告

グリム童話と森
  −現代環境意識を育んだ「森はわたしたちのもの」の伝統−

講師 情報通信医学研究所 主任研究員 森 涼子 氏

会員  山口 泰彦


山口 泰彦 氏

2018年 6月24日(日)に開催された例会では、ドイツ文化史、キリスト教史がご専門で、 現在は情報通信医学研究所主任研究員の森涼子さんにご講演いただきました。

グリム童話というと、子どもの頃、児童文学全集で 「ヘンゼルとグレーテル」や「ブレーメンの音楽隊」などいくつかの物語を読んだ印象が残っていますが、 実は最近、岩波文庫の『グリム童話集』全五冊を装丁箱入りで購入して、 「さあ、読もう!」と意気込んでいたところでしたので、ちょうどいいタイミングで今回のお話をおうかがいすることができました。

それではさっそく森さんのお話に移りましょう。

1. ドイツ人にとって森は特別な場所
ドイツ人の森への思い入れは以前から強かったのです
最初に森さんがお話されたのは最近の事例。
その一つが、ドイツの森林管理官だったペーター・ヴォールレーベン氏の著書 "Das Geheime Leben der Baume" (2015年 邦訳は長谷川圭訳『樹木たちの知られざる生活』2017年 早川書房) がドイツ国内でロングセラーを記録していること。

この本によると森の中の木はお互いにコミュニケーションをとり、助け合っているのだそうです。 そしてもう一つの例が、シュピーゲル誌が1981年に酸性雨の影響によって 「森が死んでいく」という表現で特集を組んだことが大きなインパクトとなり、 その後、環境問題が大きな政治的課題となって1983年の連邦議会選挙で環境政党「緑の党」が初めて27議席を獲得したこと。

酸性雨はドイツ以外の国にも降り、森林が被害を受けているはずですが、ドイツではこのような大きな政治的動きになりました。

2. いつからドイツ人は森が好きになったのか
では、ドイツ人はいつから森が好きになったのでしょうか。
少し時代をさかのぼると、ナチスが「永遠の森林」を「永遠のドイツ民族」に結び付け、 森林保護をドイツ民族意識高揚のイデオロギーとして利用しました。

さらに時代をさかのぼると、ドイツ・ロマン派のグリム兄弟が集めた民話集『グリム童話集』 (初版 第1巻1812年、第2巻1815年)にたどり着きます。
『グリム童話』では「ヘンゼルとグレーテル」のように、 恵まれない境遇の主人公二人が森に入り、知恵を使って危機を乗り越え幸せになるという、 「チャンスを与える場」として森が描かれています。ロマン派にとって、欺瞞に満ちた森の外の世界に対して、 森は転機の場所だったのです。

しかしながら、ドイツ・ロマン派以前の森は違いました。
ドイツ中世の英雄叙事詩『ニーベルンゲンの歌』で、 ドラゴンを倒し不死身の体を得た英雄ジークフリートは、その後の闘いでも勝利をおさめましたが、 森の中で家臣に裏切られ殺されてしまいます。

中世では、森の外の世界は英雄が活躍する場で、 森の中はあってはならない裏切り行為が行われる場所でしたが、 ロマン派が森のイメージを変えたのです。ロマン派が森に対する思い入れの出発点でした。

講師の森さんからは、他にも森の利用権をめぐる領主と農民の争いなど とても興味深いお話をご披露いただきましたが、紙面の都合でとてもすべては紹介しきれません。 詳しくは森さんの著書『グリム童話と森』(2016年築地書館)をぜひご覧になっていただければと思います。

ドイツ人の森に対する思いや、その変遷と時代背景がとても丁寧にわかりやすく書かれています。 そして何より筆者である森さんの森に対する思いが伝わってきます。

最後になりましたが、森様、このたびはお忙しい中、ご講演をいただきどうもありがとうございました。

   
森先生の著書          先生を囲んで                         



懇親会




湘南日独協会 創立20周年記念行事
記念コンサートが盛会に終了

湘南日独協会創立20周年・混声合唱団アムゼル15周年記念コンサートは、 鎌倉芸術館小ホール600席をほぼ満席にして盛会に終了致しました。 当日は晴天で早くから並ばれる方も多く予定を早め開場し、 ドイツ大使館フォン・リムシャ公使、鈴木藤沢市長、 創立当初に協会運営に尽力された鎌田哲男夫妻がいわき市から、 川本美臣氏夫妻が佐倉市から駆け付けられました。

松野美智子会員のヴァイオリン演奏と合唱団アムゼルの熱い演奏で盛り上がり、 フィナーレをオペレッタ「こうもり」を共演賑やかに、笑顔笑顔のコンサートでした。

    
(左)公使の通訳をする松野会長    (右)挨拶される鈴木藤沢市長
松尾鎌倉市長からは祝電を頂きました。


    
(左)ヴァイオリン演奏          (右)いわき日独協会よりの額の贈呈



出演者とコンサートの運営に関わった皆様


湘南日独協会創立20周年おめでとうございます
 合せて 混声合唱団「アムゼル」創立15周年おめでとうございます

合唱団「アムゼル」で歌う楽しみを知る

会員  アムゼル団員 橋本周也

結成後1年の2004年の春に入団。当時団員は20人位だったでしょうか、それから14年が経過した今、 50人の大合唱団に成長したのは正に夢のようです。

そんな中、今年5月18日に開催された「創立15周年記念コンサート」にメンバーの一員としてステージに立ち、 仲間達と歌えたことに大いに喜びを感じています。そんな「アムゼル」の活動を通して自分を振り返ってみたいと思い筆を執りました。
入団した頃は「湘南日独協会」が主催する行事のアトラクションへの出演や、「ウルマー・カンマ―・アンサンブル」、 「ジルヒャー男声合唱団」など、訪日の合唱団と共演する「日独交流のコンサート」で毎年のようにステージに立つ機会がありました。 もちろん原語で歌うわけですが、私たちの歌が果たしてドイツからやってきた人たちに理解してもらえたかは疑わしく、 私は少なからず緊張して歌っていたことを覚えています。 入団5年後の2009年には藤沢市合唱連盟に加盟し、 その年から毎年夏に開催される「ふじさわ合唱祭」に参加することが一つの目標となりました。 それに伴って団の纏まりも一段と良くなり、梶井智子先生の情熱的なご指導と内海祥子先生の素晴らしいピアノ伴奏とが相俟って、 レパートリーを広げながら合唱団の歌唱力を上げることが出来たことと思います。 そして2013年開催の「10周年のコンサート」では、数多のドイツ歌曲に取組み、歌う楽しみを体感しました。


橋本氏の入団した当時のアムゼル

アムゼルの「15周年記念コンサート」に寄せて
先の10周年コンサートを経験して5年、成長したアムゼルの「15周年記念コンサート」の出来栄えなど、私なりの感想について触れてみます。

第1部の日本歌曲では、日本人なら誰でも思わず口ずさんで歌える日本の四季の歌4曲で、 観客の皆さんの雰囲気を和らげることが出来たかなと思います。 最初の「荒城の月」は無伴奏でじっくりと歌い、次に湘南の辻堂海岸で作詞されたという「浜辺の歌」は、 ご当地に因んだ選曲でした。 続く「赤とんぼ」、「雪の降るまちを」は、季節外れの感もなく普段の練習通りに歌えて、まずまずのスタートでした。

第2部はこのコンサートのメインイヴェント。先ずはモーツアルトの「夕べの想い」、「別離の歌」の2曲、 そしてブラームスのワルツ集「愛の歌」より6つの小曲、最後はクラッシクファンなら誰でもご存じの曲、 J.シュトラウスUの「美しく青きドナウ」のドイツ歌曲を歌い上げて、客席からは盛大な拍手を頂きました。 ここで歌った曲はいずれも2年を超えるレッスンを積み重ねてきました。 特にブラームスの「愛の歌」は私たちアムゼルのこれまでの歌唱力を超えた難度の高い曲で、 習い始めの頃は音程やリズムの調和がうまくとれず、なかなか練習に気乗りしませんでした。 今振り返ると正直な気持ち、“お客さまに聴いて頂ける代物” になるとは、私にはとても思えませんでした。 それでも、私たち団員の退く心の中に踏み込んだ熱意あふれる我らが智子先生の指揮・指導のお蔭で、 各パートがまとまりアンサンブルらしいものが徐々に出来てきました。 “練習はウソつかない”との喩は、 こういう時に使う言葉であったと認識した次第で、 練習にお付き合い下さった両先生には心から感謝しております。

そして第2部の後半は映画音楽とオペレッタ。 F.デーレ「すみれの花咲く頃(宝塚歌劇のテーマ)」、ハイマンの「ただ一度だけ」(会議は踊るより)の2曲を歌う。 その後は、ステージ一杯に広がってJ.シュトラウスUの喜歌劇「こうもり」より「シャンパンを讃える歌」を歌う。 女声合唱、梶井先生のソロ、男声合唱があり、 続いて「こうもりのワルツ」を歌いながらステップを踏むという合唱団「アムゼル」ならではの得意ワザを披露すると、 このアトラクションに会場一杯の聴衆からは拍手喝采の大受けでした。

私はダンスが下手で元々踊りながら歌うなどという器用なことはできないので、 このステージは遠慮させて頂きましたが、舞台の裾で頑張った皆さんに拍手。 その後、アンコールに応えジーチンスキー作曲の「ウィーン、わが夢の街」で再登場し、 ほぼ1時間近くのステージを終えて最後はロビースマイルでお越し下さった友人、知人に感謝とお礼を申し上げました。




第一部の舞台


ブラームスのワルツ集「愛の歌」より


J.シュトラウスUの喜歌劇「こうもり」より「シャンパンを讃える歌」


湘南日独協会創立20周年を迎えて


会員  大石 則忠


大石氏は前から2列目の向かって右の1番目、奥様は同列3番目です

1998年11月湘南日独協会の設立総会が鎌倉のPark Hotelで催されたのを鮮明に記憶している。初代会長は岩崎英二郎氏でした。 後の二代目織田正雄氏及び三代目松野義明現会長も出席されていました。 来賓としては藤沢、鎌倉の市長、鎌倉市の姉妹都市Weimar市の独日協会会長ほかを囲んでの発会式記念写真がスタートポイントです。 発起人の要として大活躍された江ノ電沿線新聞社の当時社長の吉田克彦さんの設立意欲に負うところ大でありまた。

湘南地域には戦前からドイツに関連が深い名士が多かったと存じますが、 殆んどの方々が東京サイドで活躍しておられたせいか当地での協会設立はむしろ遅かったのではないかと思います。 発起人の皆様の熱意の賜物で今日があると思います。

私事になりますが、家内の母親Hedwig Weckel Koh (1909−2012)はLeipzig出身でLeipzig国立歌劇場に所属したバレリーナでした。 大正時代にLeipzig高等音楽院に留学中の高勇吉と知り合い、 高勇吉の帰国後、昭和初期(1928)に霊南坂教会で結婚し渋谷の桜ケ丘に新居を構えたそうです。 ほどなく逗子に移り住みドイツ人の仲間も増え、戦後は鎌倉に転居し湘南とは縁が深くなりました。 “遥かなる波の音”と題したNHKのテレビ番組に取り上げられた、 ヴァイオリン英才教育として 知られる鈴木メソッド創立者の夫人ワルトラウト・ブランケさんは仲の良い友人で番組でも紹介されています。 其のほかにもドイツ人の友人は多く、釜石市長(1955-62)であった鈴木東民氏夫人トウルーデさん、 日本薬学界の創成期に貢献された長井長義氏(1845-1929)のテレーゼ・シューマッハ夫(1862-1924)、 その長男亜歴山(1877-1966)とはベルリンの日本大使館商務官時代に既知を得、戦後まで交流が続いたそうです。


Hedwigさん

由比ヶ浜のドイツ料理店“シー・キャッスル”では家内の母親Hedwigの100歳の誕生日には オーナーのカーラ・ライフさんが大変骨を折ってくださり、 長年白金台に在住のクリステイーネ今道夫人他多くのドイツ夫人がお祝いに参加して下さいました。 母親はその後湘南鎌倉総合病院に隣接のかまくらの愛の郷にて余生を送りましたが、 その間には、アムゼル会員のギゼリンデ志賀夫人、逗子のジグリンデ松尾夫人、 秋谷のヨハンナ川村夫人が最後までお世話をして下さり、103歳で天国に召されました。

私は独身時代に1961年から64年に掛けて、Wankel氏の発明になるロータリーエンジンのNSU・Wankel研究所に リエゾン・エンジニアーとして駐在しておりました。 デイーゼル・エンジンメーカー(ヤンマー)社員であり、 ドイツとの関係がほかならぬ繋がりがありました。 其のドイツ勤務時代に後に日本で結婚することになりました女性を私の大学時代の先輩に紹介されたのです。 当時彼女はHeilbronnの伯母の家に寄宿してドイツ語の習得中だったのです。 我々はそれぞれが東京へ帰国後、東京オリンピックの年1964年に結婚しました。 私達が藤沢に移り住んでから家内が吉田さんと知り合い誘われて当協会の発起人の末席に加えて頂き、 私もメンバーとなって20周年を迎える栄誉に浴している次第です。

思い出に残る2度のドイツ旅行


ヴァルトブルク城での一行

例えば2007年5月の旅行ではGoethe街道沿いのEisenach郊外のWartburg城の訪問でした。 音楽に造詣の深い方には馴染みの深い城内の音楽堂、 また宗教裁判に掛けられたマルチン・ルーターが囚われた小部屋にて 新約聖書のドイツ語への翻訳をされた歴史的お城だそうです。 地方ごとに方言が強く相互には通じない時代だったそうですが標準的ドイツ語に整えたと言う業績は特筆すべきであると存じます。

その旅行の最後の訪問地のPassauでは元の駐独の木村大使並びに高野大使夫妻が馳せ参じられました。 歓迎式典でのPassau市長の演説では方言は特異で、なるほど標準語の必要性を実感した次第でした。


Passau市長の挨拶

2013年5月の北ドイツめぐりでは、 東方への護りに備えたザクセン公の備えたElbe河沿いのKoenigstein要塞は岩盤の高さ240メートルの岩山にそびえ、 ノミとハンマーで150メートル以上の深さの井戸を掘り抜き、飲み水を確保した技には驚かされた。 ドイツ北海に面したRuegen島のSassnitzがドイツ人の長年の保養地ともなっており、 以西のBinzを経てBad DoberanからKuehlungsborn間のミニ鉄道約37Kmの旅は印象的でした。 其の鉄道は日本の鉄道マニアの垂涎の的であり、日本でもTV放映されました。

トーマス・マンの著作、ブッテンブロー家の人々の舞台であるLuebeckは海上保険発祥の地であり、 その発祥の地、船員会館(Schiffersgesellschaft)での昼食は貿易に携わる者にとっては感動させられる企画でした。

最後の訪問地はHamburgであったが駐独領事御臨席でのHamburg独日協会との盛大なフェアーウエル夕食会では アムゼルの皆様の合唱で締めくられました。


ケーニッヒシュタイン要塞


ノミとハンマーでの150メートル以上の深井戸


リューゲン島で


ミニ鉄道の車内

湘南日独協会20年間の活動は目覚ましい発展を遂げられています。 前半の十年にはドイツ語教室、アムゼル合唱団の設立とオクトーバーフェストの恒例化がすすみました。 また後半の十年には、藤沢市、鎌倉市の国際行事への参画も定着し、Singen Wir ZussammenやStammtisch等の行事が゙加わりました。 協会の体制としては、理事の若返り、若手会員の増大とますます、協会の活性化が顕著になったと存じます。

今後の益々の発展を祈念してお祝いの言葉といたします。


湘南日独協会小史

主な出来事
1998 湘南日独協会創立(11月14日)初代会長岩ア英二郎氏
1999 全国日独協会連合会加盟(2月)、ワイマール独日協会と姉妹提携(5月16日)

    

会報Der Wind(風)発行など協会の基盤が固まる。 また、7月にドイツフェア(湘南オクトーバーフェストの前身)開催。講演会や音楽会などを例会として開催。 ワイマール訪問とドイツ周遊の旅(9月)。
2000 引き続き、岩ア英二郎先生による「ドイツ語あれこれ」など講演会、例会開催。4月にドイツ語講座が開講。
2002 例会、ドイツフェアなどに加えてこの年ドイツ料理教室開催
2003 ワイマール独日協会一行が来訪(5月)。記念バレエ公演、祝賀会開催などで創立5周年を祝う。
2004 ワイマール市長、ワイマール独日協会一行来訪(11月)
2005 織田正雄氏が2代目会長に就任。日本におけるドイツ年にちなむ各種行事に参加。鎌倉交流フェスティバルに初参加。
2006 2月にワイマール市民訪問団来訪、鎌倉中央公園に菩提樹を記念植樹。来訪団と文化交流会開催

        鎌倉中央公園へ植樹


2007 5月に「ワイマール等ドイツ訪問の旅」。この年よりドイツフェアを湘南オクトーバーフェストと改め開催
2008 協会創立10周年。祝賀会にドイツ大使館プリンツ公使・ワイマール独日協会来訪団参加(12月)。HP開設(7月)

        10周年式典

2009 湘南日独協会の会報Der Windの紙面を一新し、会員が寄稿などを通じて積極的に参加する現在のスタイルになる。
2010 10月16日横浜のドイツ学園で「日独修好150年」の開会式が開かれ参加、当協会の記念行事も開始。
2011 日独修好150周年、ドイツから贈られた菩提樹を植樹(鎌倉、藤沢市内)

       奥田公園に植樹

会員の吉田克彦氏、久住多賀子氏が日独友好賞受賞、独日協会来訪団と交流会開催(4月)

       受賞後のパーティ
2012 例会、懇話会に加えて、「歌で楽しむドイツ語」など新機軸の催しが始まる、藤沢フェスティバルに参加。 宮下啓三先生逝去(5月)、後日偲ぶ会を開催
2013 アムゼル10周年記念コンサート(5月)、湘南日独協会創立15周年記念して、 ワイマールでの祝賀会と東部ドイツ・ユネスコ世界遺産を訪ねる旅、 小岩井農場見学会など実施
2014 例会を(8月を除く)通年実施へ。新企画「ドイツ人と話す会」が始まり(6月)毎月の催し3本体制が始まる。
ワイマール独日協会からBauhaus会長など23名が来訪。ヴォルフワイマール市長も同行、 各種行事で交流。フォン・ベアテルン独大使夫妻を迎えて歓迎交流会を開催(11月)
2015 松野義明氏が第3代会長に就任。月例行事に加え、 ケンペル・バーニー祭(箱根)鎌倉川喜田映画記念館の国際映画週間(ドイツ篇)への協力など協会活動の多様化が進む。
2016 会報Der Windの全面カラー化、増ページ、 連載企画などHPと両輪で協会行事の外部発信の一層の充実を図る。
2017 ドイツ語コースの拡充(入門コースの新設)湘南地区のドイツ語学習者へ確実に定着。 創立メンバーで初代会長岩ア英二郎先生逝去(7月)、追悼特集号を発行。



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