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Back Number - これまでの寄稿など
(2022年度)

これまで、ホームページに掲載した、当協会の開催イベントの様子、協会会員からの寄稿を、 ここに掲載しています

 【2022年度】
  副会長就任のご挨拶 (木原 健次郎)
  5月例会 講演「第一次世界大戦を振り返り、現代を考える」を聴いて (槙 卓)
  6月例会 講演「ドイツ連邦共和国憲法と日本国憲法」を聴いて (宮崎 征)
  7月例会 講演「ドイツのコロナ対策」の講演をきいて (真部 淳)

  会長就任のご挨拶 (島 新)
  ドイツ大使館主席公使 Dr.フィーツェ氏の講演を聴いて (島 新)
  『小倉百人一首』寺澤行忠氏 講演会を聞いて (中村 茂子)
     例会は2021年3月ですが、寄稿は2022年度ですので、ここに掲載致します
  湘南日独協会のシュタムティッシュ「談話室SAS」をご紹介します (伊藤 志津子)



過去の情報は、
2021年度の情報2020年度の情報2019年の情報2018年の情報
2017〜2018年3月の寄稿以前のイベント情報
からご覧頂けます


副会長就任のご挨拶

副会長 木原 健次郎

本年4月、副会長に就任しました木原です。
ドイツとの縁は、1977 Düsseldorfの欧州現地法人勤務以来ですが、 結局ドイツで、長い海外勤務の1/3を過ごす事になりました。 振り返れば、他の海外勤務地(SydneyとNY)と比べ、特にドイツ時代は、 ビジネス上も当時の事業部製品が成長・発展期にあった事もあり、 多忙ながら楽しい月日を過ごしました。特にWeihnachtsmarktの、ドイツ人の敬虔さに裏打ちされた趣のある風情や、 Karnevalの羽目を外したお祭り騒ぎ、Bad NeuenahrのWeinfestなど、他の勤務地では味わえない素晴らしい経験でした。

楽しい思い出ばなしは他の機会に譲るとして、一言、湘南日独協会も関係する「文化交流」について私の感じている点を述べたいと思います。

そもそも文化とは、言語・宗教・伝統・慣習など特定の人間グループが 担っている精神の在り方・行動様式全般を指す言葉で、 その漠然さ故、何にでも使える万能ナイフのような性質を持つものです。 (私の子供時代には文化住宅や、文化干し(ひもの)まであった)。 一方、それが「民族」という概念に繋がるため、偏狭な国粋主義や排外主義につながるリスクも持つものです。

又、多様な文化背景を持つ移民の国、米国では、2世紀に亘って文化・民族の融合(melting pot)を図ってきましたが、 結局(民族としての)米国人の形成には成功せず、WASP (White-Anglo-Saxon-Protestant) 的文化、 南欧・中南米系文化、黒人文化等、それぞれがそれぞれのまま存在するというsalad bowl 現象となっているようです。 このように文化とはそう簡単に溶け合うものでもなさそうです。 場合によっては、数年前のフランスでのCanard Enchaine事件(表現の自由を預言者ムハンマドの絵を使って教えた教師が、 生徒の回教徒移民の父親に学校の前で殺害された)のような悲惨な事件をも起こすものです。

更に、文化交流と言えば、一般的には肯定的な印象を与えますが、 現代ではそれを自国の対外政策として政治的な意図を隠す為の隠れ蓑につかうケースや、 堂々と他者を否定する為に使う例(UNESCOの世界遺産申請など)もあり、注意を要します。

文化交流とは元来摩擦を起こすものだという事です。 しかし、そういった難しさがある事を認識したうえで、まずは相手を信頼する。 文化の違いからくる差異は乗り越えられると信じて行動する事、それが文化交流の原点でしょう。 私達はどんな違いがあっても、何よりもまず、お互い血の通った一個の人間なのだという動かぬ信念を持つこと。 それが"人間"への信頼であり、相手の心に通じる、人間誰しもが持つ、 天から与えられた共通の言葉なのだと思います。 人類史上、多くの紛争・摩擦があった一方、いくつものヒューマンなドラマが残されています。 文化交流を言うとき、その難しさを理解したうえで、心の底では、人間に対する信頼を揺るがず持ち続けてゆく事が大切だと思います。

欠点だらけの非力な人間ですが、宜しくご指導をお願い致します。


5月例会
  講演「第一次世界大戦を振り返り、現代を考える」を聴いて
    講師 : 木原 健次郎氏

会員 槙 卓


1.講演について
講演では、カラーでの古地図を含むかなり詳しいレジメが配布された。 主な内容は以下の様に報告すると共に、私なりに振り返り、現代を考えてみた。

第一次世界大戦の終了を受けて開催されたのベルサイユ会議が、 第二次世界大戦までのドイツの歴史を決定づけた。 ベルサイユ会議で決定された巨額な賠償金、ラインラントの非武装化、 賠償金支払い遅滞による連合軍のラインラント進駐、東プロイセンの分離(ポーランド回廊

地域のポーランドへの割譲)、軍の縮小(特に空軍、 戦艦の建造は制限された)等はドイツ人には受け入れがたいものであった。 ドイツはそれほど大敗北を喫したのかとのドイツの人々の疑問が後のナチスドイツの台頭をもたらした。 ナチスの運動はまさにベルサイユ条約の打破であった。

第一次世界大戦と日本を振り返ると、日本は、小さな勝利(第一次世界大戦)を得たが大きな敗北(第二次世界大戦)を被った。

日本は日英同盟の関係、とは言っても自国の利益の拡大のため第一次世界大戦でドイツに参戦、 ドイツ領の青島を攻撃、ドイツ領南洋諸島も攻撃、イギリスの要請でヨーロッパに小艦隊を派遣した。 日本は、第一次世界大戦では、かたちの上では戦勝国となった。当時一等国になったと多くの日本人は喜んだ。 しかし英米等の本当の戦勝国からは低く見られていた。 戦争に勝ったとして大戦後日本はさらに世界に押し出そうとした。 その多くは隣国中国への進出だった。対支21か条を要求、青島を占有したその後返還をも求められた。

その後ロンドン海軍軍縮会議など英米は日本を対等の戦勝国とみなさず(歴史的、 客観的にみれば英米の立場は当然と思われるが当時の日本人はそうは思わなかった。) 戦勝国の地位を認めたのはなんと敗戦国のドイツであった。このため日本はドイツと親密になっていった。 この延長線上に第2次世界大戦があり大敗に繋がった。

2.身内の話
話を聞いていて、第一次世界大戦に関して、身内や知り合いの事が幾つか思いだされた。
・日本が青島を一時占領した時、家内の祖父は青島に移住した。その後青島の返還を求められ退去させられ大連に移住した。
・私の幼稚園の同級生の松江勇吉君の大叔父松江豊寿陸軍大佐は第一次世界大戦で捕虜にした ドイツ兵の徳島の坂東捕虜収容所の所長をしていた。 捕虜達でオーケストラを編成させベートーヴェンの交響曲第9を演奏した。 その後第9は全国で演奏された。世界で最も第9演奏が盛んな国になった。
・私の大叔父は当時東北帝大のドイツ語の先生をしていた。 彼の友人である東北帝大の教授、石原純はドイツに留学経験がありアインシュタインと 同じ大学で研究していたことがあり、ドイツ語の翻訳家でありかつ物理学者であった。 このため世界で初めてアインシュタイン全集を発刊した。 今、私の自宅にはそのアインシュタイン全集がある。 アインシュタインは、ノーベル賞受賞時来日盛大な歓迎を日本で受ける。 北海道から九州までの各大学で講演、東北帝大では教授就任を依頼している。 就任は実現しなかったが、アインシュタインは非常に感謝し石原氏に感謝の手紙を送った。

以上、講演を聴いて、諸々について考えると、どこの国に対しても力でおさえつけることは後々に禍根をのこすことになると、強く感じた。


会場風景


6月例会
  講演「ドイツ連邦共和国憲法と日本国憲法」を聴いて

    講師 : Dr.ハインリッヒ メンクハウス教授

会員 宮崎 征

講師は、明治大学法学部教授のDr.Heinrich Menkhaus教授である。 湘南日独協会での講演は2017年に次いで2度目となっている。 教授は、ドイツのミュンスター大学法学部を卒業し、同大学にて法学博士号をとられ、 ドイツおよび、欧米、日本で、法学法律関係の研究、修養に努められた。 そして、ドイツの大学(ミュンスター大学、マールブルク大学、ボン大学ロースクール)などで、 教鞭をとられ、また、長年にわたり日本の大学で教鞭をとられている。 日本語は堪能であり、わが国の歴史文化にも精通されている。 私は、教授とは在日ドイツ商工会議所で机を並べた関係で旧知の仲であり、 今回、特に親しみを持って幅広く学習させて頂いた。その全てを紹介することが出来ないが、 特に興味を抱いた一部の紹介と感想を以下にまとめた。

日本とドイツは共に、第二次世界大戦の敗戦国だったが、互いに対する相互の評価は高く、 現在では近代国家として、様々な分野において深い友好関係で結ばれている。

日本国憲法では、以下のように明記されています。 日本国民はその全土において、自由と平和がもたらす恩恵を享受できます。 日本国民たる要件は法律でこれを定められ、その支配については憲法の前文に記載され、 またその権力は日本国民の代表者がこれを行使します。

憲法を制定する基礎となる「基本権」に加えて、様々な義務も挙げられています。 勤労の義務、子弟教育の義務、納税の義務等に関しては、立憲主義と義務の規定は似合いません。 また「基本権」に関する具体的な制限が不明瞭なのも問題を残しています。

憲法第九条も度々問題点と解釈が議論されています。 朝鮮戦争勃発で、日本国憲法制定に深く関与したアメリカは失敗したと思ったことでしょう。 他方で、日本は特需景気にも恵まれ、戦後ずっと軍備にあまり資金を注ぎ込むことなく、 経済が想定外の大発展を遂げることが出来ました。 しかし、自衛隊と憲法第九条に関して長年議論されていますが、なかなか進展していません。 ドイツでは日本の憲法にあたる基本法があり、改正は迅速に行われています。 その他にも日本国憲法にはいくつかの問題点が残されています。 例えば、人工知能や意識できるロボットに対する権利をどう扱うか。 これも非常に重要なテーマで、日本人に欠けている未来を見据えた議論が必要です。

戦後何度も憲法改正を行って来たドイツと、放置してきた日本の怠慢は、どう比較すべきでしょうか。 先進国であるならば、厳しい対応が必要です。

   
メンクハウス教授              講演会会場              


7月例会
  講演「ドイツのコロナ対策」の講演をきいて

    講師 : ハンナ ダウシュ 三浦さん

真部 淳

2022年7月24日(日)の7月例会の講演会「ドイツにおけるコロナ対策」に出席しました。 おりしも、オミクロン株BA.5が燃えさかっている最中、ようやく第6波が下火となり、 色々なイベントが、通常に戻りつつある中で、再び燃え上がり第7波になったわけです。 講演会そのものは予定通り行なわれましたが、あとの懇親会は安全をみて中止になりました。残念でしたが。

ドイツ人である ハンナ・ダウシュ・三浦 さんがドイツの状況を色々説明してくれました。 ドイツも日本と同じように生活が戻りつつあるようですね。 マスクは室内ではするが室外ではしないが、現在のドイツと日本の大きな違いのようです。

過去の経緯を詳しく説明してくれましたが、 「連邦首相も州首相会議も感染対策について決定することはない」ということで国と州政府が調整しながら、 実情に合わせて、対策をコントロールしていたようです。 2022年7月19日現在のドイツと日本の感染状況の数値データを比較して示してくれましたが、 直近1週間の新規感染者率人口100人当たりはドイツ0.7人、 日本0.5人でした。現在、そんなに大きな違いではないわけです。 むろん時期によって大きく変動するわけですが。 コロナが始まってから累積の死者数率は人口100人当たりドイツは0.2人、 日本は0.02人で10倍差と大きく違います。世界に比べ日本はいいと胸を張るところですが、 東南アジアの諸国と比べると胸を張れないことになっています。 欧米と東南アジアでどうしてこんなに違うのかということが、今でも解明されない謎となっています。 あと、医療用マスク着用規定のあるところでは非着用者に50-250ユーロの罰金、飲酒が禁止されている公共の場所で の違反者にはやはり同額の罰金と、罰金による厳しい規制があります。 逆に、勤務者、自営業者、小企業、文化人には素早い、手厚いサポートがあったようです。 説明はハンナさんの人柄を表して、丁寧に、穏やかに話されました。 聞いていて癒されました。ハンナさんは日本人の夫君が十年程前かにお亡くなりになった後、 母国に戻られようかとも考えましたが、日本に留まられる意思を決め、 現在に至られたそうです。こういう方が、日独の架け橋になっていてくれることはありがたいことですね。

なお、報告者は群馬県から藤沢まで来訪しています。 わざわざ遠い所からくるものだと思われると思います。 藤沢にくるきっかけは明治大学のドイツ人教授の憲法についての講演会だったかも知れません。 私は日本国憲法、天皇制とか、9条とかに、強い関心を持っていました。 ドイツ人の方が日本の憲法をどう思っているかききたいと思いました。 当日、教授は途中でも質問してかまわないと言ってくれたので、矢継ぎ早に、 疑問に思ったことを次々と質問しました。面白かったです。

その後、湘南日独を紹介してくれた友人が、 トーマスマンのことを講演するので聴きにきてくれと言ったので、行ったこともありました。 そんな事で湘南に時々お邪魔しています。

   
講演するハンナさん                 講演会場             


会長就任のご挨拶     

湘南日独協会 会長 島 新

この度、本年2022年4月24日に開催された湘南日独協会の総会において、 会長に選任されました。今は亡き松野会長の後をうけて就任された大久保会長のあとを引き継ぐ形で、 就任致しました。1998年に設立された、伝統ある本協会ですので、 責任の重大さを痛感しており、身の引き締まる想いです。

幸いな事に、これまでの会長、役員、諸先輩、会員の皆様のご尽力によって、 組織面、運営面はもちろんのこと、活動の内容につきましても、確固たるものが出来上がっておりますので、 安心して務めを果たして行く所存です。

ドイツと私との関係は、2001年より6年弱、ドイツのフランクフルトに駐在したことで、 深まり、愛着も強くなったと感じます。それまでは、 出張では何度も訪れておりましたが、駐在ということになりますと、 ずっと以前の1970年代に、6年間ほどニューヨークに勤務した経験はありますが、 ドイツでの駐在はこの時が初めてでした。

すでに東西の壁は解消し、ドイツは統一され、西欧の中心としてその存在感は非常に大きなものがあり、 又、フランクフルトは交通的にも欧州の中心で、ドイツのみならず、 欧州全域を俯瞰したビジネスをするのにも非常に便利でした。 しかも、永年あこがれておりましたヨーロッパ文化、ドイツ文化の中心での生活であり、十分満喫できました。

2006年のクリスマスに駐在先から帰国し、しばらくすると、ドイツでの楽しかった数々の思い出が懐かしく蘇ってきました。 そのような時に、数年前、湘南日独協会の存在を友人から教えられて早速入会した次第です。

これまで入会された会員の方々の、ほとんどの皆さんは、ドイツに何らかの関心や愛着をもっておられ、 会での催しや活動に参加、接触することに喜びを求めておられることと思います。私もその一人でしたし、今もそうです。

幸いにも、湘南日独協会には、そのような会員の皆様のご期待に応える様々な催し、活動がそろっております。

例えば、毎月行われる例会・講演会、「見て聴いて楽しむ音楽史」の集い、SAS談話室、 読書会(ドイツの名作を原書で読む会)、ドイツ語で歌おう会(Singen Wir Zusammen)。 秋の「オクトーバーフェスト」や国際交流イベントへの参加などがあります。

また、ドイツ人および日本人の先生によるドイツ語講座(初級、中級、上級)は、 コロナ禍の問題で今は対面でなく、Zoomによる運営をしておりますし、合唱団「アムゼル」への活動支援も行っております。

また、年4回発行している協会の会報「Der Wind」や協会のホームページを通じてこれらの諸活動や催しについて、皆様にお伝えしております。

以上のような諸活動を通じて、皆様の協会に寄せるご希望、ご期待に応えるように、 役員とともに、会員の皆様のご支援も得て、微力の限りを尽くして、会を運営して行きたいと考えております。

これからも、皆様の変わらぬご支援、ご鞭撻を切にお願い申し上げます。


4月例会
  ドイツ大使館主席公使 Dr.フィーツェ氏の講演を聴いて

会員 島 新


Dr.フィーツェ氏

2022年4月24日(日)、湘南日独協会主催の例会で、講演会「ドイツと日本の絆」を聴いた。 講師のDr.フィーツェ氏は、東京にあるドイツ連邦共和国大使館の主席公使である。 同氏の経歴を拝見すると、以下に記載の概略に見られる通り、アジア、 とりわけ日本とのかかわりが非常に長く、日本通の方である。 日本語も、従って非常に堪能で、講演も日本語で行われた。

公使は、1963年に、旧東ベルリンに生まれる。 ベルリン・フンボルト大学にて日本地域を研究され(専攻:日本語、経済・貿易関係)、 1987-1988年に東海大学に留学、その後、ハーバード大学研究員、 ドイツ外務省にて外交官研修、EU―ASEAN担当、在大阪・神戸ドイツ総領事館領事、 ドイツ外務省本省日本担当、在オーストリア国連ドイツ政府代表部、 在日ドイツ大使館広報部長、ドイツ外務省本省中国担当副課長、在中国ドイツ大使館政治部長、 連邦大統領府アジア・アフリカ担当課長を経て、2018年8月以降、在日ドイツ大使館主席公使として現在に至る。 近々本国に帰任されるとのことである。

公使が話されたことを、ここに逐一再現することはできないが、印象に残ったことと、感想を以下に報告する。

公使は、神奈川県にある東海大学に留学したことでもあり、同じ神奈川県にある湘南日独協会には特別な思いがある。

一方、ドイツと日本との間には、永年にわたって築き上げられ培われた良好で強い 「日独の絆」がある。だが、3月に突然発生したウクライナにおける残酷な侵略戦争の現実に直面し、 今、ドイツは、自国を守るための安全保障政策の見直しをし、独日政府間でも意見交換をしている。 (同じ週にドイツのショルツ首相が来日された)。

食料や気候変動などの問題への対処も含めて、独日、G7、EU日本、国連などにおいて、各国は結束し、 共同行動をとることが重要であり、強みでもある。また一方、独、日、いずれも相手国によって、 貿易や経済の面での依存度を見直さなければならない。 日独の友好関係によって連携して何かできるようになると良いし、友好信頼のアクションが必要であると思っている。


会場風景

講演の終盤、質疑応答があり:
日本についていえば、対米依存が大きく、その関係は大事であろうが、 それだけでなく自力を向上させなければならないのではないか。 それは、軍備だけでなく、外交も含めて。それによって日本が直面している脅威に対しても強いメッセージになるだろう。

講演を終わって強く感じたことは、ドイツは今まで冷戦時代も含めずっと危機に身近に接してきて、 戦後ずっと平和な環境にあった日本の我々とは、危機感が、ずいぶん違う。しかもドイツは真っ先に直面するのだと。

講演のあと、人数をしぼって懇親会を開いた。日本語達者な夫人も一緒に、平和な日本での歓談であった。


3月例会
  『小倉百人一首』寺澤行忠氏 講演会を聞いて

会員 中村 茂子

講師の寺澤 行忠氏と筆者

藤原定家の国宝『明月記』を見に行ったことがある。 友人に誘われて行った五島美術館、ところがせっかくの国宝が、全く一文字も読めなかった。 すぐ隣から小声で読んで、ああだこうだと話している声も聞こえた。 一念発起、変体仮名を読む講座に通った。教材は江戸期に書かれた「小倉百人一首」。 藤原定家との初めての出会いだった。この変体仮名教材の「百人一首」を端緒として、私は和歌の奥深さを知った気がする。
そんな私にとって、寺澤行忠先生の「小倉百人一首」講演会は大変興味深かった。

講演は、まず「百人一首」がいかに国民に親しまれ浸透しているか、宝塚女優の芸名を例に挙げることから始まった。

ついで、「百人一首」がかるた遊びとして流布したことから、かるたについての説明、 すなわち日本古来の貝合わせと、南蛮渡来の「天正かるた」から生まれ、 江戸元禄の頃には「百人一首」かるたは大いに盛んになった。 尾形光琳の美しい「光琳かるた」にも言及され、その写真本を見せてくださった。 こうした美しいかるたは、貴族や大名の子女の嫁入り道具であったという。 身近な宝塚女優の名前とかるたを導入として、「百人一首」そのものへお話は進む。

「百人一首」は、百人の優れた歌人の歌を、一首ずつ選んだ歌集である。 「小倉百人一首」と呼ぶのは藤原定家が歌を選び、京都小倉山の山荘のふすまの色紙に書いたことに由来する。 この選歌については定家の子、為家の妻の父、宇都宮頼綱が行ったという説があった。 この頼綱の選歌説を、かつて賀茂真淵を始め支持した者が多かったが、現在は定家の選歌であり、 彼の晩年の秀歌観を反映している、と見るのが妥当である。

百首はすべて勅撰集からとられている。勅撰集は、天皇の勅命で編まれた歌集である。

こうした勅撰集を編纂する準備の意味あいもあって天皇主催による内裏内歌合(うたあわせ)も催された。 歌合は、二つの組に分かれて、互いに一首ずつ和歌を朗詠して勝負する。歌を詠むことはまことに大事だった。

「小倉百人一首」の種類を見ると、恋の歌が半分を占めている。 公的な勅撰集ではないので、定家は好きな恋の歌を取った。 「百人一首」は恋愛歌集だと言って良い、と寺澤氏。 さらに歌枕、つまり諸国名所を詠みこんだ歌が多い。名所屏風歌の要素もある。 百首は概ね成立順に並べられている。

この後、講演は「歌仙画」に移る。「百人一首」に名を残す歌人三十六人を、 藤原公任が選んだ「三十六歌仙」、その姿を描いた鎌倉時代の歌仙絵巻が、 大正六年に売りに出された。三十六人の歌人に住吉大明神を加えた三十七枚。 余りの高額のため巻物を切断、一枚ずつ切売りした。文化財保護法のなかった時代である。 切断時に模写が作られ、その模写でさえ高額だったという。 こうした文化財の価値を図る物差しが、つまるところ売買金額になるのは他の美術品と同じということか。

講演は、これより小野小町、伊勢、小式部内侍、式子内親王ら女流歌人に進んだ。 謡曲「定家」に描かれた式子内親王と定家との恋にも思いをはせる。
藤原定家による「小倉百人一首」が伝統和歌を国民の間にしみわたらせ、 日本人の美意識を形成するうえで、また古典的教養を涵養をするうえで大きな役割を果たしている、 という寺澤行忠氏のお話に、心から納得した。

さて、冒頭の『明月記』が一文字も読めなかった話をすると、寺澤氏は言下に「定家は悪筆なんです」
寺澤行忠氏は、ご自身の研究が一段落したあと、海外における日本文化を研究された。
自国の文化を知ってからこそ、他国の文化の理解がある、とのお考えによる。
その観点から『ドイツに渡った日本文化』『アメリカに渡った日本文化』の本をお書きになった。

日本の文化、伝統への理解を大事にしたい、とあらためて感じた。


湘南日独協会のシュタムティッシュ「談話室SAS」をご紹介します

会員 伊藤 志津子

シュタムティッシュは2014年6月に始まり、2020年3月から2021年10月はコロナで休会となり、2021年11月に再開しました。

SASはSchwatzerei<おしゃべり> Am<で> Stammtisch<常連客のテーブル>の短縮です。
「Stammtisch」の本来の意味は、 レストランや居酒屋で常連客が連日のように集まる一角(テーブル)のことです。 その席の常連客はビールなど飲みながらその日の出来事を皆に話して聞かせます。
おしゃべりだけではなくトランプ遊びなどで盛り上がることもあり、 そのような目的で定期的に常連席に集まるグループも「Stammtisch」と呼ばれます。

湘南日独協会のシュタムティッシュを始めるにあたって、 当時の松野義明会長(故人)が集まりの目的として挙げられたのは、 ――リラックスした雰囲気の中で日本人、ドイツ人、他の外国の人との出会いがあり、 気楽に話をする中で「ものの見方」について相互的関心と理解を深める――ということでした。

現在、参加者10名ほどの中にドイツの方も1, 2名おられ、ドイツ語でおしゃべりすることも出来ます。 日本と海外の生活習慣や文化の違いを紹介し合ったり確認したりしています。

政治のありかたや教育制度の良し悪し、読書、買い物、料理など話題はさまざまです。 最近ではコロナ対策の現状やウクライナとロシアの現実も話題に出ています。

参加者は自由に話すことでよいのですが、2時間を充実させるためにあらかじめその日のテーマを決めて、 テーマを決めた人に話の口火を切ってもらいます。必要に応じてその人が資料を持参されることもあります。

参加者それぞれの興味のあり方により、話題がどの方向に進むかは全く予知できません。そこが自由で楽しいです。

2時間の「談話室SAS」の後に皆で居酒屋に向かい、それからが飲みながらのシュタムティッシュとなり、 ドイツやスイスのStammtischにより近くなります。

これまでのテーマの一部を参考までにご紹介します。
2014年『外国人』,『自由時間の作り方』
2015年『人と動物のつきあい』,『住まい・生活空間』
2016年『モラル崩壊』,『個人情報保護』,『Inklusion』,『幸せとは』,『音声情報と標語にあふれる国』
2017年『日本人らしさ』,『日本のマンガ文化』,『技術』,『Premium Friday』,『経験から得た知』,
『お金』,『歴史豊かな静岡市』,『大人たちの時間』
2018年『結婚と離婚』,『Fasching 「Die fuenfteJahreszeit」』,『日曜日』,『おもてなし』,
『良寛の足跡を訪ねて』
2019年『ねこブーム』,『元号』,『郷に入っては郷に従え』,『森鴎外』,『NIMBYとは何でしょう』,
『Tokushima Anzeiger』
2020年 『面白かった本の紹介』,『朗読の楽しみ』
2021年 『ドイツにおける弓道』
2022年 『イースターはいつ?』,『コロナ対策事情、ドイツと日本』,『DieGermanen』,
『外国人に対する日本語教育』,『アメリカと欧州』

「談話室SAS」に是非お立ち寄りください。
お待ちしております。
日時:月一回(8月は夏休み)第二火曜日。
   午後3時15分から2時間。
会場:湘南アカデミア、江ノ電第二ビル
   江ノ電沿線新聞社4F。
参加費:1,000円
お問い合せ: 伊藤志津子0466-28-4609


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