劇場だより



劇場便り その13

ブレーマーハーフェン 志賀 トニオ 氏


コレペティトーアとして歌手(右上に見えます)のオーディションの伴奏をする筆者


舞台から見た客席

ブレーマーハーフェン歌劇場では6週間の夏休みが終わり8月15日から今シーズンがスタートしました。 その仕事始めのスケジュールは9時〜10時、社員食堂で顔合わせ。 10時〜11時、舞台上にてシーズン初めの挨拶。 11時から各持ち場で仕事始めとなります。 入れ替わりの多い業界ですので、9時からの顔合わせで、 今シーズン新たに加入した15名程の仕事仲間と初めて面会しコーヒーを飲みながら交流を深めます。 10時からの挨拶では、そのニューフェイスの面々が一人一人紹介されます。 ここでは1年を通して唯一100人を超える劇場の全従業員が集まり、 総支配人の挨拶と毎年恒例の火災報知器についての説明が行われます。 火災報知器は実際に鳴らされ、舞台上で火を使う事が禁じられている事や、 もし火災が起きた時の処置を丁寧に説明されます。 そして、私にとって感慨深いのは、この日に再会した歌手やオーケストラ奏者のニューフェイス達。 あの大変であったオーディションを突破し、ここの舞台に共に立つ事の喜び。 自分が伴奏したその時を思い出しながら、彼等に祝福の言葉をかけることのできる特別な時間なのです。 そこで今回は劇場のコレペティトーアのオーディションの仕事についてお話ししましょう。

歌手の場合、劇場の専属歌手が別の劇場に移動もしくは契約が延長されなかった時、 新しい専属歌手を探す事になります。もしくは演目によって、専属歌手だけでは賄えない時にゲスト歌手を雇います。

専属歌手のオーディションの場合、どの声種であるか確認し、その声種のスタンダードなレパートリーを一通り事前に目を通す必要があります。 例えばスブレットソプラノと呼ばれる声種の場合、フィガロのスザンナ、ドンジョヴァンニのツェルリーナ、 魔弾の射手のエンヒェン等。これらおよそ10〜20曲前後のアリアを事前に練習し、 録音を聞き準備をします。オーディション当日には楽屋口でリストをもらいその日の受験者の人数を確認。 多い時は2人で分担し、一人で5人〜10人程度を伴奏します。 一人5曲程度稽古し、本番ではその中から2曲審査員から指定されます。

一曲目は自分で選ぶ事が出来る事もあるので、 この5曲のプログラミングと一曲目の選曲が重要なポイントとなります。 5曲の内訳は劇場から指示があり、ミュージカルを英語で、オペレッタをドイツ語で、 オペラをドイツ語とイタリア語で及び現代曲、といった具合です。 スブレットソプラノは快活でチャーミングな役柄が多いので、演技力や言語力も重要視されます。 これら5曲を一人10〜15分程度で稽古しますが、オーディション開始時間は決まっていますので、 時計を見ながら柔軟に対応します。上記のスタンダードな曲は手短に稽古し、 マイナーな曲に時間をかけます。

よくある例では、開始2時間前には2〜3人の歌手しかおらずゆっくり時間をかけて稽古をしていたら、 開始30分前になって10人もの歌手がほぼ同時に到着し、 一人3分づつ、大急ぎで稽古をする事になってしまう事。 この場合上記のスタンダードな曲は稽古せず、自分が弾いた事のない曲だけ、 もしくは歌手が自分で一曲目に選ぶ予定のものだけ選別して稽古し、 あとは同僚が伴奏している時に舞台袖で楽譜を見て少しでも音楽を頭の中に入れて対応します。 いざオーディションの本番の時は、どれだけフレキシブルに対応できるかがポイントになります。

歌手の人達は緊張していますから、それを程よくほぐす事も必要ですし、突然速くなったり、 遅くなったり、時には歌詞を忘れて数小節飛ばしてしまう事もあります。 そうなった事を審査員に気付かれないように伴奏できれば成功です。専属歌手の審査の場合、2〜3か月以上 数回に分けてオーディションを実施し、30〜40人の中から4名程度が2次審査に進みます。 2次審査では、1次審査で聞かなかったアリアを歌ってもらい、 音楽監督や演出家でもある総支配人からの指示があり、その指示に対応できるかが審査されます。 最後には面接があり、この2次審査を通った歌手が、上記の仕事始めに現れるわけです。(了)



劇場便り その12


ブレーマーハーフェン 志賀 トニオ 氏


昨日は今シーズンの仕事納め。そして本日(6月25日)は今シーズン最後の公演でした。 私は参加しなかったため、今回は妻が公演を見に行く事に。毎回売り切れになる人気のミュージカル、 怪傑ゾロの最後の公演だったのにもかかわらず、売れ行きが良くなかったので、 おかしいなと思っていましたが、当日になってやっとその理由がわかりました。公演は19時半から。 ワールドカップのドイツ対スウェーデン戦は20時から。。サッカーはお国の一大事ですから、 当然多くの人が観戦を優先したわけです。私は自宅で子供の面倒を見ていましたが、 試合中町中は静まり返り、勝利の瞬間にはあちこちで車のクラクションが鳴り響いていました。 本番が終了した後、今シーズンで劇場を去る同僚とのお別れ会に出席するため劇場へ。 それが試合終了とほぼ同じ時間帯だったため、町中が大騒ぎ。 自転車で向かったのでですが、荒い運転の車が多く大変危険を感じました。

このように劇場での仕事は社会生活と密接な関係があります。 今シーズンのブレーマーハーフェンの劇場の一番のヒット作はMenotti(メノッティ)作曲のDer Konsull(領事)でした。 いわゆる現代曲に属するオペラですが、 難民問題に悩む政治状況に合った作品としてここ数年頻繁に取り上げられています。簡単に曲目解説いたしましょう。

とある独裁体制下の町で、自由を求めて秘密裏に立ち上がったグループに属する夫を持つ家族が主人公です。 その夫は政治犯として警察に追われ国境近くに身を隠すことに。 そこで赤ん坊を抱えた妻に領事館に行って、出国許可(VISA)をもらってくるように嘆願します。 妻は要求通りに領事館に行くわけですが、多くの他の申請者同様、なかなかVISAがおりません。 舞台の中心はその領事館での領事秘書と申請者とのやり取りである。 結局夫は捉えられ、子供は栄養失調で死に、妻は絶望のあまり自殺するという悲劇的な内容です。 現在のドイツでは難民が社会問題となっており、受け入れに寛容であったメルケル首相に対する風当たりも強くなり、 最近では受け入れを制限し、一度受け入れた難民でも条件を満たさなければ国に送り返すといった、厳しい対応を取っています。

ですから、このオペラに類似した状況が現実に起こっているため、その政治状況に対する問題提起の意味も込めて、 この作品が多く上演されています。

そしてこの問題はすべての異国で働く外国人に少なからず当てはまるのです。 こに作品のオーケストラの稽古中に弦楽器奏者同士の喧嘩が始まりました。 第一ヴァイオリンと第二ヴァイオリンのそれぞれルーマニア人でした。 どうも第一ヴァイオリン奏者が第二ヴァイオリン奏者の出自をちゃかすような発言をしたようで、 それに怒った第二ヴァイオリン奏者が次の日から稽古に来なくなってしまいました。 後から聞きましたが、旧共産圏で国を出る事が難しかった彼等には特別な事情があったとの事。 第一ヴァイオリン奏者は両親が政治家に融通してもらい容易に出国できたが、 第二ヴァイオリン奏者は何年も待ってようやくVISAがおりて出国できたとの事。 日本人としてドイツの外人局に行くと感じる抑圧的な対応も一例で、このオペラの内容は、 昔の事でも他人事でもなく、まさに今現在の自分達の問題なのです。 2年前にドイツに難民が押し寄せ、ここブレーマーハーフェンでも難民が溢れています。 それまで待機児童の問題がなかった町でしたが、急に幼稚園も学校も足りなくなり、 我々も子供達の行く所に苦労しました。そういう状況ですから、 右翼政党が議席を伸ばすのも必然かもしれません。 しかしその一方で、その状況に危機感を持つドイツ人も多く、 その為に劇場が役割を果たしています。先日マインツの中心部の広場で右翼団体の移民排斥デモが行われました。 その時広場の前に立つ劇場からベートーベンの第9が響き渡りました。

彼等はこのデモに抗議して、窓を全開にして歌ったのでした。 Alle Menschen werden Bruder! Alle Menschen, alle Menschen!!

オペラ「領事」から2場面


領事秘書と申請者達


申請者の一人マジシャン



劇場だより その11


ブレーマーハーフェン 志賀 トニオ氏


桜の咲く自宅の庭

先日、オーケストラの打楽器奏者の引っ越しの手伝いに行ってきました。 2年程前に引っ越したばかりだったので、再度引っ越す理由を聞いてみると、家を買ったとの事。 ドイツの歌劇場ではオーケストラ奏者と合唱団員のみが終身雇用制で、指揮者、 コレペティトーア及びソロ歌手は単年ないし数年契約です。 従って、安心して家を買う事ができるのは上記の終身雇用の契約者になります。 ソロ歌手は単年ないし数年契約です。 従って、安心して家を買う事ができるのは上記の終身雇用の契約者になります。 ソロ歌手の場合は特に安定した職を持つ事が難しく、家族を持ち、 家を買うためにソロ歌手としての活動を諦めて合唱団員になる人も少なくありません。 劇場専属のソロ歌手の場合、その契約期間中は安定した収入を得られますが、 総支配人や音楽監督が交代する時に契約を切られてしまう事が多く、 その度に別の劇場を探さなければなりません。それを嫌って、最初から専属契約をせず、 フリーで活動する歌手も少なくありません。 ソロ歌手の場合、特に難易度の高い役柄ではゲストを呼ぶ事が多いので、 専属歌手として経験を積んだ後にフリーになり、 突然首を切られてゼロのなってしまうリスクを回避するのです。 その場合、交通の便の良い所に家を買って、そこからドイツ中に飛び回る事ができます。 指揮者やコレペティトーアの場合歌手と違い、フリーの演奏家の需要は大都市にしかありません。 ですから上記のソロ歌手のようにリスクを回避したい演奏家は、大都市に活動拠点を置き、 少しずつ人間関係を構築していきます。例えば、音大の非常勤、アマチュアオーケストラや合唱団等、 日本での音楽家と似た活動をする事になります。 専属契約を続けて劇場を渡り歩く場合には、生涯賃貸の物件に住む事が多く、家を買った場合には、 夫婦の一方が劇場を移る時に単身赴任する事になります。 このようにドイツの劇場で働く音楽家(世界中の?)にとって、 家族や家を持つ事は大変大きな問題となります。

さて、ここからは前回の劇場便りでご紹介したワイマール国民劇場での家の話をしましょう。

ここでは合唱アシスタントとして当初3か月の短期契約であったため、 劇場が住まいを用意してくれる事になりました。家賃は自腹ですが、月額150ユーロとの事。 ロストックの学生寮に住んでいた私は、そこでの家賃180ユーロより安い事に驚きました。 しかしワイマールのようなメジャーな劇場が用意する物件だから変な物件ではないだろうと思いましたし、 聞けば合唱監督も同じマンションに住んでいるとの事。 そしてさっそくオーディションの数日後にはワイマールでの仕事が始まりました。 ロストックから電車で5時間程でワイマールに到着し、直接劇場へ。 プロとして初めての劇場での仕事でドキドキしながら夕方の合唱団との稽古に参加。 合唱監督が指揮をし稽古をする時にピアノを弾くのが私の役目。曲目はカルメン、 神々の黄昏、トスカ、トゥーランドットの合唱箇所。 なかなかの難曲ばかりでしたが無事終了。 そしていよいよ例のマンションへ合唱監督と行くのかと思いきや、 鍵と住所の書かれた紙きれだけ渡させて、タクシーに乗って行けとの事。 同じマンションに住んでるのになんて不親切なんだと思いましたが仕方がありません、 諦めて言われた通りマンションにタクシーで向かいました。 数分で丘の上のマンションに到着。ややおんぼろの歴史を感じるたたずまい。 私の部屋は4畳半程で、トイレとお風呂は共同。しかし部屋にはベットも掛布団もない。 以前の住民が置いていったらしい毛布に似た敷物が一つだけ。そんな事もあろうかと、 用意周到に空気マットレスと寝袋をロストックで買って持参していた。 さっそく空気マットレスをポンプで膨らまそうと思ったが、なんと差込口のサイズが合わない。。 こちらは断念して今度は寝袋を袋から取り出すと、なんと今度は寝袋とは違うものが出てきた。 何やらマットのような物であった。実はこれ、海水浴場で砂浜の上に敷く薄型マットレスであった。 とんだ間違いをしてしまったが、怪我の功名!薄型ではあるがないよりはずっといい。 11月で寒かったため、着ていた上着と上記の敷物を掛布団代わりにして一日目の夜を乗り切る。 次の日は午前中の仕事を終えてすぐにお店に駆け込み、電動式ポンプを購入。掛布団は友人に借りる事ができ、 事なきを得る。結局ここの家には1年半住む事になるのだが、実はこのマンション、 ドイツ唯一の芸術家財団Marie-Seebach-Stiftung所有の建物だったのである。

Marie-Seebachはワイマール国民劇場で俳優(Schauspielerin)として活躍した方で、 芸術家が老後に安心して生活できるように財団を設立し、芸術家のための老人ホームを整備したのでした。 ですから、私が住んだマンションの周辺に財団所有の老人ホームが数棟あり、唯一このマンションだけが、 現役の芸術家向けに安く貸し出されたものでした。 このような財団はイタリアの大作曲家ヴェルディが設立した、 その名もヴェルディという財団が有名ですが、ドイツ唯一の芸術家財団がワイマールにあり、 ドイツ中から引退した芸術家がここに集まっている事はあまり知られていません。 そしてそれぞれの財団に共通する理念は、経済的に恵まれない芸術家を支援する事なのです。


ワイマールの住まい、由緒あるマンションを背景に



劇場だより その10

ブレーマーハーフェン 志賀 トニオ氏


ワイマールの象徴「国民劇場」


ワイマール時代の筆者

今日は久しぶりに我がブレーマーハーフェン歌劇場のシンフォニーコンサートに行ってきました。 毎シーズン8回ある定期公演のうち、今回は5回目。最大のお目当てはソロオーボエ奏者 Ramon Ortega Quero。母校ロストック音大の同僚で、 当時若干19歳で1位をなかなか出さない事で知られるミュンヘンの世界的コンクールで40年ぶり、 史上3人目のオーボエ部門1位に輝いた逸材である。音大時代には、時間さえあれば彼の演奏を必ず聞きに行ったものだが、 そんな彼がここブレーマーハーフェンでRichard Straussのオーボエ協奏曲を演奏するというのだ。 ワクワクしながら会場へ向かい、今日は時間があったのでじっくりとプログラムの曲目解説を読んでみる。 今日のプログラムは前半がRichard StraussのMetamorphosenとオーボエ協奏曲。後半がブラームスの交響曲3番。 1曲目のMetamorphosenは第2次世界大戦末期に書かれた曲で、 ミュンヘン郊外の山荘に暮らしていた晩年の作曲者が次々と破壊されていく祖国に絶望し、 彼の愛したドイツ文化の死を表したものである。その作曲中に書かれた手紙の一文をプログラムノートからそのまま引用しよう。

”Ich bin in verzweifelter Stimmung. Das Goethehaus, der Welt grostes Heiligtum, zerstort! Mein schones Dresden-Weimar-Munchen, alles dahin!”
”私は絶望しています。世界でもっとも崇高なゲーテの家も破壊されました。私の愛するドレスデン、ワイマール、ミュンヘンは壊滅です”。

そしてここからが今回の本題、私がドイツで最初にプロの音楽家として仕事を始めたワイマール国民劇場のお話しです。 湘南日独協会及び鎌倉市とも姉妹提携しているワイマールはドイツ人にとって特別な存在のようです。
谷にあり、人口わずか6万人の町であるのに、上記のように大都市と並んで語られる存在なのである。 ご存知のようにドイツの歴史上最大の文豪ゲーテの町として知られているが、 他にもベートーベンの第9の作詞家として有名なシラー、音楽家ではバッハ、リスト、ワーグナー、 上記のリヒャルトシュトラウス等、数多く活躍しました。 そして日本人がよく知る1919年制定のワイマール憲法は歌劇場に於いて調印されました。 そのワイマール国民劇場の正式名称は”Deutsches Nationaltheater Weimar“。 ここで使われている”Nationaltheater“ という名称はワイマールとマンハイムの劇場にのみ与えられた特別なものです。 マンハイムはモーツァルトの時代に世界一と言われたオーケストラがあった町で、 モーツァルトはパリに行く途中に訪れて多大な影響を受けています。 彼の31番以降の偉大な交響曲はこの訪問抜きには生まれなかったでしょう。

そして、その伝統あるワイマール国民劇場の合唱アシスタントとして私のキャリアは始まる事になる。 ここで劇場の合唱団について少し解説しておきましょう。 ドイツの歌劇場では、その規模に応じた合唱団の大きさがあり、当然その規模に合わせて合唱監督が配置される。 ミュンヘンやベルリンのように100人規模の合唱団の場合、第1合唱監督、第2合唱監督、 合唱アシスタントの3人が配置される。合唱アシスタントを配置できるのは合唱団員45人以上の劇場で、 ワイマールはそのぎりぎりライン。それ以下の人数の場合、合唱監督が一人で受け持つ事になる。 これは指揮者とピアニストの分業が基本の日本との大きな違いである。 ちなみにここブレーマーハーフェンの合唱団員は20人。

さて、そのワイマールでの合唱アシスタントの仕事内容を紹介しましょう。 一番主な仕事は合唱監督が指揮し音楽指導する合唱稽古でピアノを弾く事である。 ここで習うのは合唱団の伴奏方。最も重要なのが安定したテンポと和音を際立たせること。 細かい音符等は省略し、合唱団に必要な音を拾って弾く。これが出来るようになると、 ピアノの弾き方一つで合唱団がいつの間にか歌えるようになり、 本番の指揮者やオーケストラが不安定になっても絶対に崩れない出来栄えになる。 もう一つの仕事はパート練習の分担。音楽監督と分担して各声部に分かれて細かい練習をする。

それから、規模の小さい劇場には劇場専属のアマチュア合唱団を有している事が多くこちらも週に一回程度指導しなければならない。 これは規模の大きい合唱を必要とする演目を上演する時の補足要員となります。 そして私が所謂合唱監督として任されたのが少年少女合唱団の指導。 オペラの演目では少なからず子供の合唱が必要とされるので、その為の稽古をしなければなりません。 私が最初に取り組んだのがプッチーニのオペラ”トゥーランドット”。町にあるGoethe Schuleという名の学校まで毎週指導に通い、 イタリア語のテキストや音取りから始め、 プロのレベルとして通用するまでにしなければならない。 もちろん普段その学校で毎日指導している先生がいるのだが、 オペラの舞台に出るとなると演技もしなければならないし、なかなか大変である。 それらの仕事を毎日無我夢中でこなし、仕事場での評価も上々で、 当初3か月の契約だったのが10か月に延びる事になる。 結局その10か月で契約を終える事になるのだが、 ワイマールの劇場で働いたという経験と経歴を得たのは大きな財産になり、 その後オーディションを受ける為に必要な招待状を受け取るための最大のカードとなったのである。


トニオさんとお母様のリンデ(志賀ギゼリンデ)さん



劇場だより その9

ブレーマーハーフェン 志賀 トニオ氏


Halleの劇場


Neustrelitzの劇場

今年も残り数日。ブレーマーハーフェン歌劇場では11月に”リゴレット”、 クリスマスにベートーベン唯一のオペラ、”フィデリオ”のプレミエがありました。 そしてそれぞれの曲で重要な役割を担うのが合唱です。 その合唱団には今シーズンからキューバ人の "Chordirektor"(合唱監督)が就任しました。 国を出る事すら難しい環境下、ピアノの腕前を認められてザルツブルクに留学し、 Weimarの "Chorassistent"(合唱アシスタント)の職を経てここに来ました。 私は以前そのWeimarの職場で同じ上司(合唱監督)の元で仕事をしたので、 彼の仕事ぶりに親近感を感じます。 そこで今回は、私がドイツでプロの音楽家としてキャリアを開始した時のエピソードと、 歌劇場における合唱団の役割について、2回に分けてお話ししたいと思います。

10年程前、ロストック音楽大学の指揮科に在籍していた私は、就職先を探し始めていました。 ドイツで指揮者になる為の王道は、劇場の "Solorepetitor mit Dirigierverpflichtung"(コレペティトーア兼指揮者) と呼ばれるポジションを獲得する事でした。 これは所謂ドイツの伝統的な叩き上げの指揮者が最初に経験しなければならない職です。 ですから必然的に競争率が高く、獲得するのが難しいポジションです。 その職を得る為の最初の難関は、募集が出た時にいち早くその情報をキャッチし、 応募した後、"招待状"を受け取る事でした。 この"招待状"を受け取れなければオーディションを受ける事ができません。 ドイツの歌劇場では、この”招待状”システムが非常に重要で且つ難しいポイントです。 私の場合、日本の音大を卒業し、ドイツではロストックに2年在籍しただけでした。 ですからドイツの大きな町の音大に4年以上在籍していたような他の応募者と比べると経歴で見劣りし、 招待状を受け取る事は容易でないと考えました。そこで私は、まず音楽事務所に所属する事を目指し、 そこを通して応募した方が可能性が高いと判断し、ZAV(Zentrale Auslands und Fachvermittlung) と呼ばれる公立の音楽事務所のオーディションをベルリンまで受けに行きました。 ドイツには私立の音楽事務所も多数ありますが、若手指揮者は、 コンクールの賞歴がある場合を除き、通常このZAVから始め、キャリアアップした後に私立に移行します。 首尾よく合格した私は、早速ZAVの紹介で招待状を受け取る事に成功し、 一つ目の劇場にオーディションを受けに行きました。 それがロストックとベルリンの間に位置するNeustrelitzという小さな町の劇場でした。 小さいけどもおとぎ話に出てくるようにかわいらしく魅力的な劇場で、 オーディションが終わった後にはすぐ側の湖の畔で小一時間程、 達成感と開放感に身を委ねていたのを今でも鮮明に覚えています。 約1週間後に落選したとの通知がありましたが、そのすぐ後にHalleの劇場から招待状が届きます。 Halleはヘンデル生誕の地であり、町も大きくかなり難関なポジションです。 そのオーディションの準備の最中、ZAVから連絡が入り、 Weimarの歌劇場の“Chorassistent”(合唱アシスタント) の席が突然空いたから、当面3か月だけの契約内容だが、受ける気はないかと依頼されました。 オーディション予定日はHalleの次の日。Halle からWeimarは電車で1時間程だから、物理的には両方受験可能だ。 しかしコレペティトーア兼指揮者 のポジションと 合唱アシスタント ではオーディションの内容が全く異なるため、両方をこなすのはなかなか難しい。 しかしWeimarの話に大きなチャンスを感じとった私はその依頼を受け、 Halleを断るのも勿体無いと思い、二兎を追う者は一兎をも得ずとならないように願いながら、 内心ややWeimarの方に重きを置いて準備した。なぜなら合唱アシスタント の受験曲は初めてのものばかり。Halleの方は所謂スタンダードな内容で、 すでにZAVとNeustrelitzのオーディションでこなした内容と大差なかったからである。 結果、私の感が的中し、首尾よくWeimarのChorassistentの職を得る事になる。 人生で初めてプロの音楽家として定収入を得て仕事が出来る事になり、今振り返っても、 まさに私のキャリアの出発点であったと言えるだろう。その後のWeimarでの仕事ぶりについては次回お話ししましょう。



劇場だより その8

ブレーマーハーフェン 志賀 トニオ氏




快傑ゾロの舞台

今シーズンが始まってから2か月が経ちました。先週、バレエのプレミエがあり、すべての部門の最初の演目が出揃いました。 今回はオペラ部門最初の演目、”ゾロ”について詳しくお話ししましょう。

ここブレーマーハーフェンの劇場ではミュージカルでシーズンの幕を開けるのが伝統となっています。 シーズンを通し20回前後上演され、ほぼ毎回売り切れになる重要な演目です。怪傑ゾロが覆面を付けて登場し、 悪者達を見事な剣さばきで倒していく物語です。そのミュージカル版という事で、 音楽はフラメンコギターとしゃがれた歌声で一世を風靡したジプシーキングというグループのナンバーが中心です。 日本でも大ヒットし、ビールのCMに長い間使われていたので、きっとどこかで聞いた事があるでしょう。 そのジプシーキングの大ファンである劇場の支配人自らの肝いりで上演される事に決まり、彼自ら演出を手掛ける事になりました。 スペイン語に堪能な支配人は、ジプシーキングのナンバーを何曲も暗譜で歌える腕前。 しかし、実際に上演するとなると幾つかの障害がありました。オーケストラの編成はギター4人、トランペット2人、キーボード2人、 打楽器2人。一番の問題はフラメンコギターを弾ける奏者を4人見つける事でした。 ジプシーキングの演奏は訛ったスペイン語の歌とジプシー風のフラメンコギターが特徴ですから、 その特異な様式を体現できなければいけません。そこらじゅう探した結果、 ブレーメンを中心に活動するプロのフラメンコギターのグループが採用されました。 しかし、リーダーの奏者以外はコードネームから弾く経験しかなく、音符を読む事ができない。 メンバーの多くがスペイン語しかできず、ドイツ語でコミュニケーションが取れない。 当然指揮に合わせて演奏した事はない。結局彼等はこのプロダクションの為に、楽譜を読む練習をし、 指揮に合わせて演奏する術を少しづつ身に付けていきました。そんな彼等との印象的な稽古の一コマ。

ギタリストの一人が声を上げ練習を止めました。"我々のスタイル(演奏様式)と、打楽器のスタイルが違いすぎる。 それはルンバではない!"劇場の打楽器奏者は楽譜に忠実に演奏していたわけだが、どうも具合が悪いらしい。 "僕が演奏してみるから聞いていてくれ"楽譜を渡す我が劇場のプロ奏者。"いや楽譜は読めないからいらない。 僕は演奏する事しかできないから"この名台詞?の後に模範演奏。確かにリズムも感覚もまったく違う。というか、 ギタリストの彼が打楽器奏者としてもプロレベルであることに脱帽。

もう一つの問題は二つのキーボード。上記のようにオーケストラは少人数で、足りない楽器はキーボードで補うアレンジ。 例えばフルートやトロンボーン、鐘の音等をキーボードで演奏するわけだが、どうしても安っぽい音になりやすい。 そこで今回、世界の一流ミュージカル劇場が使用するキーボード、チューナー及びパソコン(マック)のセットをなんと劇場が購入! さすが支配人の肝いり。しかし2台はさすがに買えないので、1台はグランドピアノで代用。 そして公演数が多いため、交代で演奏できるようキーボード奏者を外部から2人採用。 なにせ、パソコンの設定から始めないといけないので、その道のプロでないと扱えません。 しかしプレミエの数日前そのうちの一人が病気になり出演をすべてキャンセル。そこで公演の指揮とピアノパートを同僚達と分担し、 プロダクションを熟知している志賀君にやってもらおうという事になった。さっそくもう一人のキーボード奏者と打ち合わせ。 まずケーブルの差し込み方、パソコンを立ち上げセッティング、ペダル操作による音色変換等、なかなか複雑である。

入念に準備していよいよ本番当日。開演1時間前にステージマネージャーから連絡が入り、本番開始が遅れそうだとの事。 なんとその日は台風が直撃し交通が麻痺してしまったのです。主役級の2人の歌手がベルリンとハノーバーから来る予定が、 電車が止まってしまい、急遽レンタカーで向かう羽目に、、そしてその道路も倒木の影響であちこち通行止め。 イネス役は開演時間の19時半頃に到着しそうで、ラモン役は20時頃にはなんとかつきそうだとの連絡が入り、 結局本番を30分遅らせて開演する事に決定。そしてラモン役は彼が到着するまでの間、支配人自ら代わりを演じる事に。 6曲目の彼のナンバーは間に合わなければカットして飛ばし、その後にある決闘のシーンまでに彼が到着する予定。 このシーンは剣を使って複雑な動きをし、危険も伴うため急遽代わりをする事はできない。 そんなすったもんだに追い打ちをかけるようにすでに会場入りしていた首席トランペット奏者が急病のため出演をキャンセル。 こちらも急遽アマチュアオケでトランペットを演奏している合唱団員が受け持つ事に。 もはや初めてキーボードを弾くという緊張感は吹っ飛び、別次元の高揚感と、支配人自らの演技を見る希少価値も入り交じり公演スタート。 6曲目に彼は間に合わずカット、、そして例の決闘シーンの直前でストップ!ラモン役が到着したからここで休憩を入れますとのアナウンス。 その後は通常の1幕と2幕の間の休憩をカットして無事終演。キーボードもほぼノーミスで終えて安堵し、忘れられない公演になりました。



劇場だより その7



ブレーマーハーフェン 志賀 トニオ氏

8月は劇場にとってシーズン始まり。公演は9月からですが、稽古はその3週間程前から始まります。 私の劇場便りも早いもので2年目を迎えました。

今回は日独協会の会報という原点に立ち返り、音楽業界から見えてくる日独の違いを テーマにしたいと思います。私は毎晩ネットで日本の新聞を読むのが習慣ですが、 今日”日米野球文化の違い。男の本能、報復は必要な事?”という記事がありました。 投手が打者の頭にボールをぶつけて乱闘になり、その乱闘に加わるか、止めに入るか。 「目には目を」の文化がある米国では前者が良しとされ、後者は裏切り者になる。 仲間がやられたんだから、やり返さないとはどういう事か!となるわけである。 ドイツだったらどうだろうかと考えてみたが、おそらく米国と同じではないだろうか。 正義と和を重んじ、後者を良しとする日本はむしろ世界的に稀有な文化なのではないか。 話は飛びますが、出入りの激しい劇場の現場では、シーズン始まりに多くのニューフェイスが登場します。 今年も20人余りが新加入しました。第1カペルマイスターはユダヤ人から、ギリシャ人に。 合唱指揮者はロシア人からキューバ人に代わりました。 他にもコレペティトーアに韓国人、合唱団にアメリカ人、ソロ歌手にインド人等々、 これ程国際的な職場はドイツでもなかなかないのでは。 旧西ドイツの町はどこに行っても人種のるつぼですが、旧東ドイツの町では 8〜9割ドイツ人で、劇場だけが別世界なのが不思議でした。

そして国際的という事はそれだけ文化の違いも存在する事になります。 ここで先ほどの話に戻ると、正義と和を重んじる文化というのは、ここではなかなか通じない という難しさがあります。日本でオーケストラと対峙した時、奏者達は、ほぼ99%日本人です。 ですから共通の文化を土台とする事ができますが、ドイツではドイツ人30〜50%程度。 他は外国人ですから、それらの人達をも納得させる説得力が指揮者には求められる事になります。 日本で生まれ育った私にはドイツに来た当初その力がなく苦労しました。

最初の試練はRostockの音大時代にオーケストラを結成した時でした。 日本の桐朋学園時代にオーケストラを結成して学園祭で演奏した経験があったので、 ドイツでも試みたわけですが、やはり国際色豊かな学生達相手に悪戦苦闘。

”ここで右に”と言って右に行ってくれる人は数名の心優しき日本人と比較的 まじめなドイツ人くらいで、後は説き伏せるのに四苦八苦。 それでも学生の間にその自前のオーケストラで4回演奏会を開き、 少しづつ対応の仕方を覚えていきました。 その後私が最初に就職したWeimarの劇場では合唱アシスタントとして合唱指揮者の 指導ぶりから多くを学びました。この劇場の合唱団は旧東ドイツ出身者で 50〜65歳のドイツ人が7割を占め、非常に扱いの難しい団員達を手玉にとる 技(笑)が必要でした。文句を言う隙を与えないスピーディーな稽古と言い回し。 適度に休暇を与えてガス抜きする等。そして、ドイツには”絶対に謝るな”という 文化があり、これを守る事が現場では大変重要でした。どんな事があっても自分の 非を認めず説き伏せる強さ。弱肉強食で、弱ければ食われて終わるという厳しさ。 正々堂々戦うのではなく、不意を衝いてでも勝つ為ならなんでもする執念。 これらを理解し身に付けた上で、今度は日本の良さをどのように利点としていくか。 劇場では家族のように働くので、日本の”和の精神”が重宝されます。 自己を主張するばかりで協調性のない音楽家は結局長続きしません。 そしてドイツでも有数のハードワークな職場ですから、忍耐力が不可欠です。 このようにそれぞれの文化の良さを融合していけたら良いですね。



ロストックの音大時代オーケストラで指揮する筆者



劇場だより その6



ブレーマーハーフェン 志賀 トニオ氏

ここブレーメン州の学校は6月22日から6週間の夏休み。劇場の休みは通常、学校の休みの1週間〜10日後に始まります。 というわけで、今回のお題は”お休み”。ドイツといえば言わずと知れた”お休み大国”。 我が家の本棚には”大真面目に休む国ドイツ”という本が置いてあります。

一般企業に勤めた場合、年に6週間の有給休暇があり、同僚と融通しながら任意に休暇を取ります。 一般的に子供がいる家庭では、夏に4週間、クリスマスと、イースターに一週間づつ取り、 子供がいない人はその時期を避けて取ります。劇場の場合クリスマスとイースターは仕事があるので、 夏にまとめて6週間お休みとなります。なかには好きな時に休めない事に不平を言う人もいますが、 私の場合、父がドイツ人である母と結婚した後、35年間一度も4日以上の休みがなく、 休暇でドイツに行く事が出来ませんでした。今は多少環境が改善したとはいえ、 日本では未だに1週間以上の休みを取る事は困難です。 ですから、休みに対して不平を言うドイツ人を見ると、腹立たしい気持ちになってしまいます。

さて、劇場ではその他に様々な”お休み”の規則があります。 我々コレペティトーアの通常の勤務時間は10時〜14時と18時〜22時です。

午前と午後、それぞれ4時間の勤務中に必ず20分の休憩が入る事が義務付けられています。 それから、4時間を超えて働いてはならず、午前と午後の間には4時間の休憩が入らなければなりません。 しかし、劇場の仕事の性質上、当然 ”通常”ではない状況が起こりますから、 その場合は残業手当が支給されます。コレペティトーアが残業手当をもらう最も頻繁なケースは歌手の オーディションの時です。劇場ではシーズンを通して、新しい専属歌手及びゲスト歌手のオーディションが行われます。 このオーディションは通常14時に始まります。これは遠方から受けにくる人に配慮しているためです。

ここブレーマーハーフェンのような小さな劇場でも、オーディションとなるとオーストリアやスイス、 ドイツ全国から受けにきます。昨年”さまよえるオランダ人”のゼンタ役のオーディションでは20人を 超える歌手たちが一日に押し寄せ、時間が足りないとの理由で通常は2曲のアリアを歌う機会が与えられますが、 今回はゼンタのアリア1曲だけに絞られ、さらに残り7人になった所で、時間節約のためアリアの中間部分を カットするよう音楽監督から指示が出ました。これには歌手達もぷんぷん。ただでさえゼンタを歌いに来る 歌手たちは大きい劇場でも歌っている実力派揃いでプライドもあります。そして、遠くはるばる交通費と ホテル代をかけて来たのにこの扱いは何たる事か!と。私は12時前に歌手との打ち合わせ稽古を始め、 終わったのが17時半ですから、もちろん残業手当が出ます。これはちょっと特殊な例ですが、 通常の10数人程度のオーディションでも14時に始まると、終わるのが16時頃。 通常の勤務時間である18時からは平行して立ち稽古がある事が多いですから、 必然的にオーディションがある都度上記の、4時間の休憩の規則にひっかかり、残業手当が出ます。

オーケストラの通常の勤務時間は9時半〜12時と17時〜19時半で休憩20分。 ここの劇場ではオーケストラに子持ちの家族が多いため、他の劇場より勤務時間が早めになっています。 ここで問題になりやすいのが午後の17時始まり。我々コレペティトーアはオーケストラの中で演奏する 仕事もありますから、午前の立ち稽古で14時まで働き、午後17時からオケの練習に参加すると、 また上記の規則にひっかかります。

バレエの通常の勤務時間は10時〜13時と15時〜17時。バレエはスポーツ、という観点から間に休みを入れずに夜に長い休みを入れたほうが好ましいとの事。 バレエはオペラやミュージカルにも参加するので、その場合我々コレペティトーアは午前の立ち稽古に14時まで参加した後、 15時からバレエの振付の稽古に参加するケースもあり、また規則にひっかかります。

劇場の合唱団には特に多くの規則があります。ここですべての規則を列挙する事はできませんが、例えば立ち稽古では3時間15分まで、 休憩は1時間45分までに20分取る事になっています。演出家は合唱団と稽古をする時には常にこの規則を念頭に周到に段取りを決めないといけません。 そして3時間15分の時間になり、合唱団が去って行った後に、ソリストと稽古を続ける事になります。 これらの規則は日本で育った私には到底想像する事が出来ませんでしたが、その環境の中で仕事をしてみると、 人間的に心身ともに健康であることが、働くための大前提となっていると感じます。


   

劇場から100mの海岸で4人のお嬢さんと(左) 自転車で劇場へ通う道筋の風景(右)



劇場だより その5



ブレーマーハーフェン 志賀 トニオ氏

私がお届けする劇場便り、早くも記念?の5回目となりました。 今回はやや玄人的なテーマ“演目”についてです。1年間のシーズン中に上演される演目は、その劇場の価値や様々な事情を表す鏡のような存在です。 さっそくブレーマーハーフェンの今シーズンのオペラ部門の演目を見ていきましょう。 ドラキュラ(ミュージカル)、さまよえるオランダ人/ワーグナー、こうもり/シュトラウス、ビーダーマンと放火犯(ドイツ初演の現代曲)、 Lend me a tenor(オペレッタ風ミュージカル)、仮面舞踏会/ヴェルディ、ヴァネッサ/バーバー(20世紀に書かれた現代曲)。 この7曲の中で皆様がご存じな曲は何曲あったでしょうか?特に有名なのは、さまよえるオランダ人とこうもり。 少しクラシックに精通した方ならヴェルディの名曲、仮面舞踏会。ドラキュラはもちろん話としてはご存知かと思いますが、 そのミュージカルとなるとどうでしょうか。そして他の3曲はプロの我々でもまず知らないマイナーな曲です。 つまり、上記最初の4曲はある程度客が入る事を計算出来る安全パイ。後の3曲は採算を度外視した冒険曲なのです。 特にここの劇場では、今の支配人が来てから毎年2曲の現代曲を上演するのが伝統になっています。 毎シーズン、その2曲は客足が悪く、なのにどうしてその伝統を守ろうとしているのか私も疑問に思っていました。 1昨年の事ですが、ヴッパータールの劇場で某日本人の方がドイツの歴史上初めて総支配人になり、 シーズンの演目に有名曲だけを並べた事をメディアに痛烈に非難されていました。こんなに斬新さに欠けるつまらない演目はありえないと。 ブレーマーハーフェンの劇場は今シーズンと昨シーズン2年続けて、それぞれ別の団体から、 そのシーズンの最も優れた劇場の一つとして賞を頂きました。そしてそこで評価されたのが、上演レベルの高さと、”上演演目の斬新さ”だったのです。 つまり、斬新な演目を並べる事によって、田舎町の小さな劇場であるブレーマーハーフェンがメディアから注目を集め、存在価値を高めていたのです。 しかし、そのような冒険はあくまで財政的余裕がなければできません。劇場が公共の施設として大部分が税金で賄われているおかげと言えるでしょう。

その財政事情もドイツ国内で州によって様々で、特に旧東ドイツの幾つかの劇場は、どうしても採算重視で有名曲に偏った演目に なってしまっている事を付け加えておきましょう。

さて、ではその演目が我々の仕事の現場にどのような影響を及ぼすか見ていきましょう。

ここの劇場では現代曲のための高いソルフェージュ能力、それからミュージカルのためのジャズやポップスの知識や感性が要求されます。 特に歌手は加えてドイツ語力、演技力、ミュージカルでは踊り、タップダンス、英語力、ミュージカル用の歌唱法等、様々な能力が要求されます。 その一方でワーグナーまで歌うわけですから、かなりマルチな能力とタフさが必要です。

それに対してミュンヘンやベルリンのような大きい劇場では仕事内容が異なってきます。全体として言えるのは規模が大きい分、 役割分担がはっきりしています。 例えば、ドイツ語ができなくても、イタリア語ができればイタリア物専門、ワーグナー等の大物専門、現代曲専門等。 そしてブレーマーハーフェンとの大きな違いは再演演目の多さです。劇場によってはプレミエが5曲程度で、あとは再演が10曲程度だったりします。 ちなみにミュンヘンでは何十年も前の魔笛やばらの騎士の舞台演出を今でも上演していて、その有名な舞台を見たいがために観客が訪れます。 ミュンヘンでは例年プレミエが8曲前後、再演が10数曲ありますから、ざっとオペラだけで20曲上演しています。 再演の曲は短い練習時間しか取りませんからコレペティトーアとしては、すでにキャリアをある程度積んでこれらの曲を レパートリーとして持っていなければなりません。 歌手も同様で、すでにその曲を何度も歌った事がないと参加する事はできません。オーケストラもあの難曲のばらの騎士をほぼ暗譜で弾いて いますから。



「ドラキュラ」の舞台



劇場だより その4

ブレーマーハーフェン歌劇場 志賀 トニオ氏

今回のテーマは”風邪”。冬といえば毎年流行する風邪は劇場にとって最も厄介な物の一つ。 今冬もこれまでに多くの音楽家が病気になり、当人も、残された同僚も修羅場になりました。


例えば1月8日のさまよえるオランダ人の公演。 前日に主役のオランダ人が風邪で出演できないとの事。 ここで最初に重要な任務を担うのがKünstlerisches Betriebs Büro 通称KBBと呼ばれる部署です。 ドイツ中で、今シーズンさまよえるオランダ人を上演している劇場を洗い出し、オランダ人役の歌手と 出演交渉を行います。オランダ人クラスの役だと大きい劇場に依頼する事になり、ギャラも 高くなるのでKBBの腕の見せ所。ここで首尾よく交渉がまとまると、次は我々の仕事になる。 業界用語で、このように病欠で急遽出演する歌手の事をEinspringerというが、 公演当日朝一で出立したEinspringerはお昼頃に劇場に到着し、コレペティトーアと 指揮者、そして演出助手の立ち合いのもと、さっそく音楽稽古と立ち稽古の確認をする 事になる。例えば音楽面で、アリアの最初の部分のテンポを速めにしたいとか、 演技面で、ここでは相方のゼンタ(ヒロイン)が手を差し出した瞬間に、 その手を握って等、
細かい指示が出される。ここで相方が稽古に参加できればいいのだが、様々な都合により 参加できない事も多く、その場合ぶっつけ本番になる。 確認作業の時には相方役を誰かが歌い、演じなければならないので、指揮者がいる時には 彼がその役を歌い、いなければ(これもよくある。)コレペティトーアが弾き歌い、 演技は演出助手が行う。そして本番、皆いつもと違う歌と動きに合わせ、助け合いながら 進行していく。このEinspringerとの公演はまさにアドヴェンチャー(笑)不思議と名演になる事も多いが、 運が悪いとまったく指揮に合わせられなかったり、演技が出来ない歌手が登場し、ドタバタ劇となる。 通のお客さんは同じ演目に何度も足を運びこういう面も楽しむ。

上記で紹介したさまよえるオランダ人はしかし、Einspringerにとっては易しい演目。 なぜならばほぼどこの劇場も同じ音楽とテキストを使用しているからです。 それに対して難しいのは、ミュージカル、オペレッタそしてレチタティーヴォ付きオペラ (モーツァルト、ロッシーニ等)。劇場によって、音楽とテキストをカット変更したり、 場合によっては曲順も変更されたりするからです。数シーズン前にロッシーニの セヴィリアの理髪師を上演し、バジリオ役のEinspringerがHannoverからやってきました。 大変レベルが高く経験のある歌手でしたが、本番中レチタティーヴォで予定されていた部分を歌わずに 別の所にとんでしまいました。つまり彼がいつも歌っているカットをしてしまったのです。 体に染みついているものですから、1日の稽古で別のカットを練習しても本番の極限状態の中で、 ついいつもの物が出てしまったのです。私はチェンバロを弾いていたので、彼がどこにとんだのか、 瞬時に察知して伴奏をしなければなりません。他の歌手も彼のセリフに応じなければなりません。 幸運にも皆彼と一緒に”とぶ”事が出来、事なきを得ましたが、その瞬間の事は一生忘れることはないでしょう。

さて、ここまでは歌手の病欠にまつわるすったもんだを紹介しましたが、 ここで少しオーケストラ奏者の病欠にも触れることにしましょう。 オーケストラ奏者が病欠した場合にはOrchestergeschäftsführer と呼ばれる担当者がBremerhaven近郊 (交通機関で2時間圏内)の劇場(Bremen, Oldenburg, Osnabruck, Hannover, Hildesheim, Luneburg, Hamburg) かフリーランスの演奏家に出演を依頼します。オーケストラ奏者の場合事前の稽古はないので、 当日ぶっつけ本番となります。ですからオペラ指揮者が指揮台に上がって最初にする 仕事は実はどこに今日は新しい顔があるか確認する事なのです。そして新しい顔があれば、 そこに多めに合図を出す必要があります

最後に、病欠が起きた場合、現場にとっては大変な仕事になりますが、 Einspringerにとっては、自分をアピールするチャンスでもあるのです。 オーディションではせいぜい聞いてもらえるのは10分程度。 でもEinspringerとしては1曲丸ごと聞いてもらえるのですから。



写真は文中に出てくるオペラ「さまよえるオランダ人」の舞台(筆者提供)


劇場だより その3

ブレーマーハーフェン歌劇場 志賀 トニオ氏


クリスマスマーケットへリンデさんと一緒に

12月はシーズン中1番の書き入れ時。年始のニューイヤーコンサートまで、本番が目白押し。 演劇部門では第1アドヴェントからクリスマスまでの間に子供向けの演目がほぼ毎日上演されます。 毎年違う演目を取り上げるのですが、必ずどこの劇場でもこの時期に行われ、 伝統的に "Weihnachtsmärchen" と呼ばれています。 シーズン初めに聴衆は今年のWeihnachtsmärchenは何だろうと注目している公演です。

今回は Ronja Räubertochter という盗賊の娘のお話。 そしてもう一つ皆が注目するのが、今年のクリスマスのオペラ公演。 毎年12月25日にオペラのプレミエがあるのが伝統で、この日だけはどんな曲が上演されても早々に売り切れになってしまいます。 今回は皆さんご存知の”こうもり”!私は当然このこうもりの稽古を毎日しているわけですが、 合間を縫って現在ドイツ訪問中の母と長女と3人で上記の演劇公演を見に行ってきました。 劇場で働いていると自分が関わっている曲は1枚タダ券をもらえ、それ以外は1枚3Euroで公演を見る事ができます。 チケット*には往復のバス代が含まれているのがドイツならでは。 いざ本番、客席は家族連れで賑わい、舞台はミュージカル仕立て、歌あり踊りありで十分楽しめる内容でした。 公演後には劇場前広場でクリスマスマーケットに繰り出すというゴールデンコース。


*チケット

さて、ここからは少し私の家族のお話しを。 私は日本人の妻と4人の娘(5歳、3歳の双子、1歳)の6人家族。 10代の頃から将来子沢山な大家族を持つ事を密かに夢見ていましたが、 音楽家になる事を決心した時に一度その夢を諦めました。 しかし、ドイツで仕事を始め、一人目の子供が生まれ、ドイツでの福祉制度を知れば知る程、 家族に手厚い社会であるのが分かり、一度諦めた夢を実現する事ができました。 ドイツでは制度上、子供を持てば持つほど、恩恵を得られるようになっている事。 そして、大学まで学費がほぼ無料で教育を受ける権利がある事が決定的でした。 それから、ドイツという国は国際的で外国人が住みやすい。 なかでもここブレーマーハーフェンは港町という土地柄、そして町が出来てまだ170年で、 長く米軍が駐留していた歴史からも、特に外国人が住みやすく、オープンな町のように感じます。 それに対して、以前それぞれ2年づつ住んでいた旧東ドイツの町、ロストックとワイマールは外国人の割合が低く閉鎖的でした。 よりドイツ的という利点もありますから、観光で行くならむしろ旧東ドイツの方が魅力的と感じる事もありますが、 家族と共に住むには色々な条件を満たさなければなりません。

ドイツの劇場で働く人の悩ましい問題はその労働時間です。 10〜14時、18〜22時が基本的な労働時間ですから、一日2往復しなければなりません。 劇場は町のど真ん中にありますから、必然的に住む場所も町の中心部になります。 そうなると家族向けの物件がなかなか見つかりません。私も2年間毎日不動産情報をチェックし、 ようやく今の物件を見つけました。

しかし、ドイツという国は家族を持つ音楽家にとっては大変住みやすく、感謝する事を忘れずに過ごしています。



4人のお嬢さん




劇場便り その2

志賀 トニオ氏

ブレーマーハーフェン歌劇場


先日10月15日にバレエ"コッペリア"のプレミエがありました。私が初めてMusikalischer Leiter(音楽監督)を任されました。 今回はその事の意味を、ドイツでの指揮者の伝統の紹介と共に解説したいと思います。

ドイツで指揮者になるにはコレペティトア兼指揮者という立場で仕事を始め、一段一段階段を登っていかなければなりません。 指揮者!として最初に任される仕事は舞台袖の指揮です。例えばオペラ”ラ・ボエーム”では2幕の終盤でトランペット、 ピッコロ、小太鼓を、オーケストラピットの音楽監督の指揮を横目で見ながら舞台袖で指揮し始め、そのまま彼等を導きながら 舞台を横切る場面があります。この場面は指揮の経験の浅い若者にとっては十分な難所となります。

次に与えられるのがミュージカルの指揮。ミュージカルで難しいのは、場面転換が多い事。舞台が回転するタイミングを見て、 音楽を始めたり、セリフを聞きながら、音楽を止めたりしなければなりません。つまり、ここで求められるのは、 音楽の内容以前に、段取りをいかに確実につける事ができるか。新人指揮者はまずここまでの階段を登りきれるかが大事です。

これを登りきれば次はオペレッタです。これはミュージカル同様、場面転換が多い上に、音楽的にテンポの変化も多く、 曲によってはオペラ作品よりも指揮をするのが厄介です。

そしてその次に、バレエ作品。ここで重要なのは毎回ほぼ同じテンポで指揮をする事。言ってみればテンポ感が試されます。 バレエダンサーはオーケストラの音を聞きながら踊りますから、毎回違うテンポになってしまっては踊る事ができなくなってしまいます。 私の場合先シーズンまでにここまでの工程を達成しました。

次に与えられる仕事は、オペラもしくは、自分の持ち曲です。私の場合、後者の持ち曲としてバレエ作品をもらったわけです。 しかし、ここには特別の事情がありました。通常は初めてもらう持ち曲では、オーケストラの編成が小さく、演奏時間も短めの ものを与えられます。“コッペリア”は大編成のオーケストラで曲も壮大、伝統的には私のような立場ではもらう事の出来ない作品です。 この曲は本来第1カペルマイスターが振る予定だったのです。

しかし、8月から来る予定だった新しい第1カペルマイスターが契約を破棄してその席が空席になったのです。 つまり、運と実力が重なっての大抜擢だったといって良いでしょう。幸い、オーケストラ、バレエ団、観客、 そして新聞の批評も大変好評で、大成功だったと言って差し支えないでしょう。この業界は一度失敗すると、 やり直す事が難しいですから、ほっとしたというのが本音です。”コッペリア”は8公演ありますから、 その間にまた多くの経験を積む事ができるのもドイツならではですね。 詳細はこちらを参照下さい



  


今回上演のコッペリアの舞台写真(筆者提供)



劇場便り その1


志賀 トニオ氏

ブレーマーハーフェン歌劇場
コレペティトーア兼指揮者


ドイツは秋が年度始まり。私の仕事場、ブレーマーハーフェンの劇場も9月3日のガラコンサートで いよいよシーズンのスタートです。このガラコンサートでは、オペラ、バレエ、演劇、若者劇場のそれぞれの部門により、 今シーズンの見どころが紹介されます。演目はもちろんですが、人の出入りの多い業界、新顔を見る絶好の機会。 もちろん新顔にとっては、まず自分の実力を見せる最初の場です。 ドイツはここぞという所で実力を発揮する事を重視するお国柄。この最初での印象が、その後の人生を決定します。

後日にはTheaterfest 劇場祭りがあります。通称 Tag der offenen Tuer と呼ばれ、近年劇場を身近に感じてもらえる催しとして ドイツ中で行われています。 この日は無料で劇場が開放され、劇場の様々な所でコンサートやイベントを楽しめます。 例えば、稽古場1で、室内楽、稽古場2でバレエ、稽古場3で演劇、メイク部屋で子供が顔にペイント、 裁縫部屋では縫物、大道具で床に絵を描く等々。 舞台袖はカフェになり、メインのプログラムではオーケストラの演奏。 ここでは通常前日のガラコンサートを短縮した30分程度のミニコンサートが行われる。 基本的に劇場のすべてが解放されるので、迷路のような建物を散策するだけでも楽しい。 我々は劇場のあちこちで仕事をしないといけないので大変だが、私は子供が4人いるので、 劇場側の配慮で出番を少なくしてもらい、子供達と散策三昧。こういう所はやはり家族を大事にするドイツならでは。


ブレーマーハーフェン歌劇場(著者撮影)



この2日間が終わった後に、オペラ、バレエ、演劇のそれぞれの部門のプレミエとシンフォニーコンサート (今シーズンは例外的にガラの前に一回目のシンフォニーコンサート)が行われる。 今シーズンの新演目数は、オペラ部門7、バレエ3(少ないように見えるが、 バレエはオペラ部門にも参加している)、演劇10、若者劇場8。 シンフォニーコンサート8、室内楽4、ファミリーコンサート3。 オペラ部門では、ここの劇場では伝統的にミュージカル1、オペレッタ1、オペラ5の演目を上演し、 オペラ5の内訳はイタリア物が必ず1曲、現代曲が2曲入る。

詳細はHomepage参照


ブレーマーハーフェン中心部を望む

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