劇場だより その4

ブレーマーハーフェン歌劇場 志賀 トニオ氏

今回のテーマは”風邪”。冬といえば毎年流行する風邪は劇場にとって最も厄介な物の一つ。 今冬もこれまでに多くの音楽家が病気になり、当人も、残された同僚も修羅場になりました。


例えば1月8日のさまよえるオランダ人の公演。 前日に主役のオランダ人が風邪で出演できないとの事。 ここで最初に重要な任務を担うのがKünstlerisches Betriebs Büro 通称KBBと呼ばれる部署です。 ドイツ中で、今シーズンさまよえるオランダ人を上演している劇場を洗い出し、オランダ人役の歌手と 出演交渉を行います。オランダ人クラスの役だと大きい劇場に依頼する事になり、ギャラも 高くなるのでKBBの腕の見せ所。ここで首尾よく交渉がまとまると、次は我々の仕事になる。 業界用語で、このように病欠で急遽出演する歌手の事をEinspringerというが、 公演当日朝一で出立したEinspringerはお昼頃に劇場に到着し、コレペティトーアと 指揮者、そして演出助手の立ち合いのもと、さっそく音楽稽古と立ち稽古の確認をする 事になる。例えば音楽面で、アリアの最初の部分のテンポを速めにしたいとか、 演技面で、ここでは相方のゼンタ(ヒロイン)が手を差し出した瞬間に、 その手を握って等、
細かい指示が出される。ここで相方が稽古に参加できればいいのだが、様々な都合により 参加できない事も多く、その場合ぶっつけ本番になる。 確認作業の時には相方役を誰かが歌い、演じなければならないので、指揮者がいる時には 彼がその役を歌い、いなければ(これもよくある。)コレペティトーアが弾き歌い、 演技は演出助手が行う。そして本番、皆いつもと違う歌と動きに合わせ、助け合いながら 進行していく。このEinspringerとの公演はまさにアドヴェンチャー(笑)不思議と名演になる事も多いが、 運が悪いとまったく指揮に合わせられなかったり、演技が出来ない歌手が登場し、ドタバタ劇となる。 通のお客さんは同じ演目に何度も足を運びこういう面も楽しむ。

上記で紹介したさまよえるオランダ人はしかし、Einspringerにとっては易しい演目。 なぜならばほぼどこの劇場も同じ音楽とテキストを使用しているからです。 それに対して難しいのは、ミュージカル、オペレッタそしてレチタティーヴォ付きオペラ (モーツァルト、ロッシーニ等)。劇場によって、音楽とテキストをカット変更したり、 場合によっては曲順も変更されたりするからです。数シーズン前にロッシーニの セヴィリアの理髪師を上演し、バジリオ役のEinspringerがHannoverからやってきました。 大変レベルが高く経験のある歌手でしたが、本番中レチタティーヴォで予定されていた部分を歌わずに 別の所にとんでしまいました。つまり彼がいつも歌っているカットをしてしまったのです。 体に染みついているものですから、1日の稽古で別のカットを練習しても本番の極限状態の中で、 ついいつもの物が出てしまったのです。私はチェンバロを弾いていたので、彼がどこにとんだのか、 瞬時に察知して伴奏をしなければなりません。他の歌手も彼のセリフに応じなければなりません。 幸運にも皆彼と一緒に”とぶ”事が出来、事なきを得ましたが、その瞬間の事は一生忘れることはないでしょう。

さて、ここまでは歌手の病欠にまつわるすったもんだを紹介しましたが、 ここで少しオーケストラ奏者の病欠にも触れることにしましょう。 オーケストラ奏者が病欠した場合にはOrchestergeschäftsführer と呼ばれる担当者がBremerhaven近郊 (交通機関で2時間圏内)の劇場(Bremen, Oldenburg, Osnabruck, Hannover, Hildesheim, Luneburg, Hamburg) かフリーランスの演奏家に出演を依頼します。オーケストラ奏者の場合事前の稽古はないので、 当日ぶっつけ本番となります。ですからオペラ指揮者が指揮台に上がって最初にする 仕事は実はどこに今日は新しい顔があるか確認する事なのです。そして新しい顔があれば、 そこに多めに合図を出す必要があります

最後に、病欠が起きた場合、現場にとっては大変な仕事になりますが、 Einspringerにとっては、自分をアピールするチャンスでもあるのです。 オーディションではせいぜい聞いてもらえるのは10分程度。 でもEinspringerとしては1曲丸ごと聞いてもらえるのですから。



写真は文中に出てくるオペラ「さまよえるオランダ人」の舞台(筆者提供)


劇場だより その3

ブレーマーハーフェン歌劇場 志賀 トニオ氏


クリスマスマーケットへリンデさんと一緒に

12月はシーズン中1番の書き入れ時。年始のニューイヤーコンサートまで、本番が目白押し。 演劇部門では第1アドヴェントからクリスマスまでの間に子供向けの演目がほぼ毎日上演されます。 毎年違う演目を取り上げるのですが、必ずどこの劇場でもこの時期に行われ、 伝統的に "Weihnachtsmärchen" と呼ばれています。 シーズン初めに聴衆は今年のWeihnachtsmärchenは何だろうと注目している公演です。

今回は Ronja Räubertochter という盗賊の娘のお話。 そしてもう一つ皆が注目するのが、今年のクリスマスのオペラ公演。 毎年12月25日にオペラのプレミエがあるのが伝統で、この日だけはどんな曲が上演されても早々に売り切れになってしまいます。 今回は皆さんご存知の”こうもり”!私は当然このこうもりの稽古を毎日しているわけですが、 合間を縫って現在ドイツ訪問中の母と長女と3人で上記の演劇公演を見に行ってきました。 劇場で働いていると自分が関わっている曲は1枚タダ券をもらえ、それ以外は1枚3Euroで公演を見る事ができます。 チケット*には往復のバス代が含まれているのがドイツならでは。 いざ本番、客席は家族連れで賑わい、舞台はミュージカル仕立て、歌あり踊りありで十分楽しめる内容でした。 公演後には劇場前広場でクリスマスマーケットに繰り出すというゴールデンコース。


*チケット

さて、ここからは少し私の家族のお話しを。 私は日本人の妻と4人の娘(5歳、3歳の双子、1歳)の6人家族。 10代の頃から将来子沢山な大家族を持つ事を密かに夢見ていましたが、 音楽家になる事を決心した時に一度その夢を諦めました。 しかし、ドイツで仕事を始め、一人目の子供が生まれ、ドイツでの福祉制度を知れば知る程、 家族に手厚い社会であるのが分かり、一度諦めた夢を実現する事ができました。 ドイツでは制度上、子供を持てば持つほど、恩恵を得られるようになっている事。 そして、大学まで学費がほぼ無料で教育を受ける権利がある事が決定的でした。 それから、ドイツという国は国際的で外国人が住みやすい。 なかでもここブレーマーハーフェンは港町という土地柄、そして町が出来てまだ170年で、 長く米軍が駐留していた歴史からも、特に外国人が住みやすく、オープンな町のように感じます。 それに対して、以前それぞれ2年づつ住んでいた旧東ドイツの町、ロストックとワイマールは外国人の割合が低く閉鎖的でした。 よりドイツ的という利点もありますから、観光で行くならむしろ旧東ドイツの方が魅力的と感じる事もありますが、 家族と共に住むには色々な条件を満たさなければなりません。

ドイツの劇場で働く人の悩ましい問題はその労働時間です。 10〜14時、18〜22時が基本的な労働時間ですから、一日2往復しなければなりません。 劇場は町のど真ん中にありますから、必然的に住む場所も町の中心部になります。 そうなると家族向けの物件がなかなか見つかりません。私も2年間毎日不動産情報をチェックし、 ようやく今の物件を見つけました。

しかし、ドイツという国は家族を持つ音楽家にとっては大変住みやすく、感謝する事を忘れずに過ごしています。



4人のお嬢さん




劇場便りその2

志賀 トニオ氏

ブレーマーハーフェン歌劇場


先日10月15日にバレエ"コッペリア"のプレミエがありました。私が初めてMusikalischer Leiter(音楽監督)を任されました。 今回はその事の意味を、ドイツでの指揮者の伝統の紹介と共に解説したいと思います。

ドイツで指揮者になるにはコレペティトア兼指揮者という立場で仕事を始め、一段一段階段を登っていかなければなりません。 指揮者!として最初に任される仕事は舞台袖の指揮です。例えばオペラ”ラ・ボエーム”では2幕の終盤でトランペット、 ピッコロ、小太鼓を、オーケストラピットの音楽監督の指揮を横目で見ながら舞台袖で指揮し始め、そのまま彼等を導きながら 舞台を横切る場面があります。この場面は指揮の経験の浅い若者にとっては十分な難所となります。

次に与えられるのがミュージカルの指揮。ミュージカルで難しいのは、場面転換が多い事。舞台が回転するタイミングを見て、 音楽を始めたり、セリフを聞きながら、音楽を止めたりしなければなりません。つまり、ここで求められるのは、 音楽の内容以前に、段取りをいかに確実につける事ができるか。新人指揮者はまずここまでの階段を登りきれるかが大事です。

これを登りきれば次はオペレッタです。これはミュージカル同様、場面転換が多い上に、音楽的にテンポの変化も多く、 曲によってはオペラ作品よりも指揮をするのが厄介です。

そしてその次に、バレエ作品。ここで重要なのは毎回ほぼ同じテンポで指揮をする事。言ってみればテンポ感が試されます。 バレエダンサーはオーケストラの音を聞きながら踊りますから、毎回違うテンポになってしまっては踊る事ができなくなってしまいます。 私の場合先シーズンまでにここまでの工程を達成しました。

次に与えられる仕事は、オペラもしくは、自分の持ち曲です。私の場合、後者の持ち曲としてバレエ作品をもらったわけです。 しかし、ここには特別の事情がありました。通常は初めてもらう持ち曲では、オーケストラの編成が小さく、演奏時間も短めの ものを与えられます。“コッペリア”は大編成のオーケストラで曲も壮大、伝統的には私のような立場ではもらう事の出来ない作品です。 この曲は本来第1カペルマイスターが振る予定だったのです。

しかし、8月から来る予定だった新しい第1カペルマイスターが契約を破棄してその席が空席になったのです。 つまり、運と実力が重なっての大抜擢だったといって良いでしょう。幸い、オーケストラ、バレエ団、観客、 そして新聞の批評も大変好評で、大成功だったと言って差し支えないでしょう。この業界は一度失敗すると、 やり直す事が難しいですから、ほっとしたというのが本音です。”コッペリア”は8公演ありますから、 その間にまた多くの経験を積む事ができるのもドイツならではですね。 詳細はこちらを参照下さい



  


今回上演のコッペリアの舞台写真(筆者提供)




劇場便りその1


志賀 トニオ氏

ブレーマーハーフェン歌劇場
コレペティトーア兼指揮者


ドイツは秋が年度始まり。私の仕事場、ブレーマーハーフェンの劇場も9月3日のガラコンサートで いよいよシーズンのスタートです。このガラコンサートでは、オペラ、バレエ、演劇、若者劇場のそれぞれの部門により、 今シーズンの見どころが紹介されます。演目はもちろんですが、人の出入りの多い業界、新顔を見る絶好の機会。 もちろん新顔にとっては、まず自分の実力を見せる最初の場です。 ドイツはここぞという所で実力を発揮する事を重視するお国柄。この最初での印象が、その後の人生を決定します。

後日にはTheaterfest 劇場祭りがあります。通称 Tag der offenen Tuer と呼ばれ、近年劇場を身近に感じてもらえる催しとして ドイツ中で行われています。 この日は無料で劇場が開放され、劇場の様々な所でコンサートやイベントを楽しめます。 例えば、稽古場1で、室内楽、稽古場2でバレエ、稽古場3で演劇、メイク部屋で子供が顔にペイント、 裁縫部屋では縫物、大道具で床に絵を描く等々。 舞台袖はカフェになり、メインのプログラムではオーケストラの演奏。 ここでは通常前日のガラコンサートを短縮した30分程度のミニコンサートが行われる。 基本的に劇場のすべてが解放されるので、迷路のような建物を散策するだけでも楽しい。 我々は劇場のあちこちで仕事をしないといけないので大変だが、私は子供が4人いるので、 劇場側の配慮で出番を少なくしてもらい、子供達と散策三昧。こういう所はやはり家族を大事にするドイツならでは。


ブレーマーハーフェン歌劇場(著者撮影)



この2日間が終わった後に、オペラ、バレエ、演劇のそれぞれの部門のプレミエとシンフォニーコンサート (今シーズンは例外的にガラの前に一回目のシンフォニーコンサート)が行われる。 今シーズンの新演目数は、オペラ部門7、バレエ3(少ないように見えるが、 バレエはオペラ部門にも参加している)、演劇10、若者劇場8。 シンフォニーコンサート8、室内楽4、ファミリーコンサート3。 オペラ部門では、ここの劇場では伝統的にミュージカル1、オペレッタ1、オペラ5の演目を上演し、 オペラ5の内訳はイタリア物が必ず1曲、現代曲が2曲入る。

詳細はHomepage参照


ブレーマーハーフェン中心部を望む






Copyright(C) 2017- 湘南日独協会 All Rights Reserved.

 

.