劇場だより


劇場便り その30

ブレーマーハーフェン 志賀 トニオ 氏

いよいよ8月はシーズンの幕開けです。 何年働いていても、シーズン初日は緊張するものです。 今年は9時に全員が大ホールに集合し、総支配人からの挨拶と新規契約者の紹介がありました。 オーケストラ奏者から始まり、オペラ、バレエ、演劇、大道具、メイク、事務等の新しい顔ぶれが20数名、 舞台に登壇し、記念撮影が行われました。その後は劇場のカフェテリアで顔合わせ。 その新しい仲間との挨拶や、夏休みの思い出話に花を咲かせます。 そしていよいよ11時からそれぞれの持ち場で仕事が始まります。 オペラ部門は一つ目の作品の"マクベス"(ヴェルディ)の立ち稽古、 二つ目の作品のミュージカル"ヘアスプレー"の音楽稽古、 シーズンのオープニングガラコンサートの音楽稽古と その翌日にある劇場祭の稽古があります。これらが同時進行でありますので皆大忙し。

私は今シーズン上記のミュージカル"ヘアスプレー"の正指揮者(Musikalische Leitung)を任されたので、 その仕事内容をご紹介しましょう。 "ヘアスプレー"は1960年代のアメリカを舞台とした、人種差別をテーマにした作品です。 毎週ゴールデンタイムに放送される音楽番組に歌って踊れる若者が10人レギュラーとして出演し、 ティーンエイジャーの憧れの的となっています。 しかし、そのレギュラーになるには見た目の良い白人である事が暗黙の了解となっています。 そこに歌も踊りも上手だけど、太っている白人のトレイシーがオーディションを受けにいくのですが、 太っていることを理由に黒人の友人と共に門前払いをくらいます。 トレイシーはその後、黒人の友人達からさらに踊り方を伝授してもらい、 寛容である番組司会者が彼女の高校を訪問した機会に歌と踊りを披露する事でレギュラーを勝ち取ります。 お茶の間の人気者になった彼女は、黒人の友人達に恩を感じ、彼らも同じ番組で採用されるべきだと声を上げ、 多くの抵抗勢力に立ち向かっていくのです。

さて、プロダクションの正指揮者としての最初の仕事は歌手の割り当てです。 最終的な権限は総支配人及びオペラディレクターにあるのですが、 音楽部門の責任者として意見する権利があります。 具体的には、オーディションの時に上記の二方、演出家と共に審査員として参加し、 ゲストとして採用する歌手を決定します。 ミュージカルの場合、劇場の契約団員以外にも多くのゲストを採用する事が多いので、 役柄に合った歌手を採用する事は公演の成否を大きく左右します。 毎年1月頃に来シーズンのオーディションが始まり、適格な人が採用出来るまで何度も繰り返されます。 今回の"ヘアスプレー"の難しい所は黒人のミュージカル歌手を見つける事でした。 女性5人、男性4人が必要で、著作権者の指定で黒人を採用する事が義務付けられていました。 特に男性は難しく、私はオーディションの時に伴奏も担当したのですが、 残念ながらプロのレベルに達していない参加者が多く、 オーディションを繰り返しても状況は変わりませんでした。 そこで著作権者と交渉し、黒人でなく褐色の歌手、所謂ラテン系の人も採用できるように認めてもらい、 なんとかこの問題を解決することができました。

次の問題は音楽番組の10人のレギュラーを見つける事でした。 彼らは歌って踊れるミュージカル歌手で、見た目が良い白人でなければならないので、 人選が非常に難しいのです。そこで、劇場のバレエ団のダンサーに踊ってもらう事にし、 歌は合唱団が歌う事に。その後私の提案で小中学生の合唱団も参加する事にし、大所帯のアンサンブルが出来上がりました。

出演者が決定したら、次の仕事は楽譜の作成です。 出版社から届いたヴォーカルスコアとオーケストラの楽譜を手直しして、 皆に配布します。音符とテクストの訂正やカット、場合によっては音楽的な指示も楽譜に書き込み、 少しでも稽古が円滑に進むようにしていきます。 特にミュージカルの場合、音の間違いが多いので指揮者泣かせなのです。 そして楽譜を配布する時期も重要です。 ワーグナー等の難しく量の多いヴォーカルスコアは立ち稽古開始1年程前に配布し、 ミュージカルの場合最低3か月前には配布しなければなりません。 出版社から楽譜が届いたのが4月で、9月下旬が立ち稽古開始なので、 夏休みが6週間ある事を考慮すると、5月下旬には楽譜を完成させて配布しなければなりません。 さっそく作業に取り掛かると、案の定ミスが大変多い楽譜で大変でした。 何より和音が複雑で、ミスなのか、そうでないのか判断のつかない所もあり苦労しました。 オーケストラの楽譜は稽古開始2か月前に配布する必要があったので、 ヴォーカルスコアの後に夏休め前に完成しました。ヴォーカルスコアを配布したら、早速歌手との音楽稽古の開始です。


一家で夏休み ベニスへ


トニオさんの所属する劇場へお出かけの4姉妹


劇場便り その29

ブレーマーハーフェン 志賀 トニオ 氏

3か月前には、まさか次の便りが戦争と関連する事になるとは思いもよりませんでした。 前回の便りを執筆した直後にウクライナでの戦争が始まり、劇場でもその影響を色濃く受けました。 私自身、悲劇的な映像を目の当たりにし、ショックから仕事に集中できない日々が続きました。 そして真っ先に心配したのが、同僚のウクライナ人の事でした。 この劇場には8年程前からウクライナ人のバレエダンサーが所属していたのですが、その彼が、 5年ほど前に同僚で同じ東ウクライナ出身のダンサーを連れてきて、 ロシア人のバレエ団のシェフに採用してもらえないか働きかけていました。 彼は当時紛争地となっていたドネツクの出身で、安全な所での仕事を探していました。 当時はドイツ語も英語も出来なかった彼でしたが、 バレエの実力は確かでしたので首尾よく採用されたのでした。 彼の両親は今でもドネツク在住だそうで大変心配しています。 劇場には他にもオーケストラや事務方にウクライナ人とロシア人がおり、複雑な心境です。

さて、私は2月から4月にかけて指揮をする機会が多かったのですが、 その演目はオペレッタの"ヴィクトリアと軽騎兵"とミュージカルの"チェス"でした。 そして不思議な事に両演目共、ロシアとの関係(戦争と冷戦)がテーマだったのです。 "ヴィクトリアと軽騎兵"は1930年初演のパウル アブラハムの作品です。 彼はウィーンオペレッタ白銀の時代の盟主レハールの後を継ぐ作曲家として当時期待されており、 この作品もとてもウィットに富み、且つモダンであり秀逸です。


ヴィクトリアと軽騎兵の舞台

残念ながらユダヤ人であった為、ナチスの台頭によりアメリカへ亡命しました。 この作品はロシアのシベリアにある政治犯収容所で始まります。 収容所で虐げられる様子が描写され、大変心が痛みます。 そこにクーデターを企てた罪で捕らわれたハンガリー人の軽騎兵が脱走に成功し、なんと日本に逃れます。 ですので、第1幕はシベリアと日本が舞台。そこで登場する横浜生まれの日本人とフランス人のハーフ、 リアさんが歌うアリアはマイネ ママ(Meine Mama)という日本名で30年代に大ヒットしたそうです。 実はこの作品、宝塚歌劇団で日本語版が作成されて、当時上演されていたそうです。 第2幕はサンクトペテルブルクに移動し、アメリカ大使館に隠れ、 ハンガリーに帰国する機会をうかがうのですが、 ロシアのスパイに見破られて再度捕らわれの身となってしまいます。 最終的には恩赦が出て無事ハンガリーに帰る事ができ、ハッピーエンドであるのが救いです。


チェスの舞台

"チェス"は東西冷戦の最中、アメリカとロシアの選手が国の威信をかけて試合をするお話しです。 この作品は、1956年のハンガリー動乱で始まります。ソビエト連邦の支配に反対する民衆が蜂起し、 ソ連軍の武力によって鎮圧され場面が描写されます。 そこで父と娘(フローレンス)が生き別れとなってしまいます。 チェスが好きであったフローレンスはその後アメリカに亡命し、 アメリカチャンピオンのアシスタント兼恋人として、ロシア選手(アナトリー)との試合に挑みます。 この試合はアナトリーが勝利するのですが、その時にフローレンスがアナトリーと恋に落ちてしまいます。


劇場便り その28

ブレーマーハーフェン 志賀 トニオ 氏

劇場便りは現在3か月毎に執筆しており、必然的に今現在進行中の話題を採り上げる事が主となり、 執筆直後の活動の紹介は手薄となってしまうのですが、 今回は前回の便り直後の11月下旬に予想だにしない出来事があったのでお伝えしたいと思います。

その時突然音楽監督さんから電話がありました。 アドヴェントコンサートを担当予定であったカペルマイスターの方の奥様がコロナに感染し、 濃厚接触者の彼が2週間の自宅隔離になった為、私が代理で指揮をしてくれないかという依頼でした。 電話があったのが火曜日の夕方で、2日後の木曜日からオーケストラとの稽古開始、 日曜日に本番という急な話でした。 私は例年アドヴェントコンサートではオルガンとチェレスタを担当しており、 今回もその為の準備をしていました。 オルガンとチェレスタが使用される演目はプログラム全体の半分程度でしたが、 それでも既に音楽の中身をある程度把握していて、 例年のコンサートの雰囲気を知っている私をカペルマイスターの方が推薦してくれてたそうです。 こんなチャンスは滅多にありませんから、 難しい作業になるのを承知で快諾しました。 早速カペルマイスターの方の自宅にスコアを受け取りに行き、 今度は自分がコロナに感染するわけにはいかないので、万全の感染対策をして帰宅した後、早速読み込み開始!

アドヴェントコンサートと聞くと、 讃美歌やジングルベルといったクリスマスソングの演奏をイメージするのですが、 ブレーマーハーフェン歌劇場では数年前から出来るだけ多くの観客のニーズに応える為に、 バラエティーに富んだプログラムを組むようになりました。 今回のプログラムは主に、クリスマスソング、 バロック及びシンフォニックな作品の3つのカテゴリーにより成り立っていました。

一つ目のクリスマスソングからは、讃美歌の "もろびとこぞりて"や "ジングルベル"等をシンフォニックにアレンジした曲(4曲)と、 子供の合唱が讃美歌をオーケストラの伴奏で歌う曲(6曲)がありました。 二つ目のバロックからは、 スタンダードであるバッハのクリスマスオラトリオやヘンデルのメサイアからの抜粋に加え、 ヴィヴァルディ、ハイドン及びプレトリウスのマイナーな作品が採り上げられていました(11曲)。 ヴィヴァルディは3楽章から成る重奏協奏曲で、今回はトランペットとヴァイオリンによって演奏され、とても内容の濃い作品でした。

3つ目のシンフォニックな作品ではまずプッチーニ作曲の "Sogno d'or"。 子守歌であり、4分程ですがとてもロマンチックで綺麗な作品です。 そして最後の締めはジョンウィリアムスから "Star of Bethlehem"と "Merry Christmas"。 彼らしいアメリカンでゴージャスな響きがありますがやはり難曲です。 アンコールは讃美歌と毎年恒例となっている北ドイツ訛り(plattdeutsch)の歌。 全ての曲数はなんと26曲ありました! 特にバロックの作品はごまかしのきかない難曲揃い。 二日間集中して勉強し、なんとか1回目のオーケストラの稽古を終了。 その後5人いるソロ歌手達や合唱団ともピアノで音楽稽古をし、 少しづつ進むべき方向性が見えてきました。 合唱監督は私の代わりにオルガンとチェレスタを弾く事になったので、その打ち合わせもする事ができました。

オーケストラとの3回目の稽古はHaupt Probe (略称HP)と呼ばれる一回目の通し稽古なのですが、 他のプロダクションとの兼ね合いで本番の舞台が使えず、 オーケストラの稽古場で行われる事になっていました。 しかし、その稽古場は狭く、 コロナの感染対策の為に義務付けられていた歌手との距離を保つ事が出来なかった為に、 歌手無しで稽古する事に。 せめてソロ歌手達とは一度オケとの稽古が出来たのですが、 合唱団及び、子供の合唱との稽古はゲネプロのみとなってしまいました。 そんな折に音楽監督から本番当日に司会をして欲しいとの依頼が。 例年指揮しているカペルマイスターの方は数曲毎にマイクを使って楽曲解説等をしていたので、 そこまではしなくても、最初と最後の挨拶だけでもして欲しいとの事。 大急ぎで挨拶の草稿を完成し、ドイツ語の文法のミス等細部を母にチェックしてもらいました。

そしていよいよ最後の通し稽古General Probe(略称GP)の日。稽古開始前にまずは子供の合唱団と初対面し、 ピアノ伴奏で6曲全てを稽古しました。

アドヴェントコンサートでは子供達の合唱がキーポイント。 前半と後半3曲づつ歌う彼女達が登場するだけで皆がほっこりするのです。 そして、彼女達をいつも指導してる方は実はコロナ感染してしまったカペルマイスターの奥様だったので、 彼女達の不安を稽古前に取り除く必要があると感じていました。

そしていよいよGP開始。最初は合唱団との曲だったのですが、 ここで問題発生。指揮者を映すモニターが準備されていなかったのです。 アドヴェントコンサートでは指揮者を背にして合唱団やソリストが舞台正面に立つ為、 指揮者の前方にカメラを設置して2階席手前にある大きなモニターで 指揮者を見れるようにする事になっていたのですが、 担当の方が忘れてしまったのです。 加えて合唱団員達がコロナの感染対策の為の距離の事でもめていた。 規則が度々変更されていたので、どの規則が今現在適用されるのかその場でわかる人がいなかったのです。 急いでそれぞれ担当の方と連絡し、 距離の問題は解決!10分程でカメラは設置されたがモニターはなぜか映らない。。 再度担当者に確認すると、必要な機材が一つ足らないとの事。 これ以上稽古開始を遅らせるわけにいかないので、15分押しでようやくGP開始。 モニターが無いのでお互い背中越しに重要な合図を確認しながら進行し、比較的スムーズに稽古を終了し安堵しました。

ヴィヴァルディの協奏曲はGPを録画し、 劇場のホームページにアップする事になっていたので緊張しましたが、 こちらもうまくいったようでした。 本番は3回予定されており、 1回目は当劇場のメインスポンサーであるシュパーカッセ銀行の関係者の貸し切り公演であったのですが、 大盛況で終える事が出来、ほっとしました。


地元紙の報道記事


劇場便り その27

ブレーマーハーフェン 志賀 トニオ 氏

ブレーマーハーフェン歌劇場では9月からほぼ通常通りの演目と稽古ができるようになり、 今シーズン最初の演目の「ホフマン物語」は久しぶりの大編成のオーケストラで、 休憩を挟んで3時間の公演となりました。 観客は50%に制限されているため、 通常はプレミエの時に我々劇場関係者に支給されるチケットが貰えず、 私は見れていないのですが、 プレミエではスタンディングオヴェイションの出る大成功だったとの事です。 やはりお客さんもこの時を待っていたのかもしれません。

そして次の演目はミュージカル「チェス」です。1970〜80年代に大ヒットしたポップグループのABBAが音楽を担当し、 日本でも上演されている人気作で、今回はシュウェリン (Schwerin)国立歌劇場で上演されたプロダクションをそのまま持ってくる事に。

        
                     チェスの舞台

ドイツの劇場ではたまにある事なのですが、ブレーマーハーフェン歌劇場では初めての事なので、ちょっと心配。 なにしろ稽古期間が通常の6週間ではなく、4週間しかないとの事。 舞台装置や衣装は全てそのまま使用し、主役級のソリスト2人と脇役2人はその時のキャストが来る事に。 しかし、もう1人の主役と脇役4人及びコーラスやバレエ団は一からこの曲を会得しなければなりません。 ミュージカルというのは特に場面展開が多く複雑で、振付けも覚えなければならず、 一番稽古期間が必要な演目なのです。 立ち稽古開始の3週間前にはシュウェリン国立歌劇場の公演のDVDが配布され、 それを参考にするようにとの事。 早速見てみると、映像とヴォーカルスコアが一致しない事に気付く。。 つまり、配布されたヴォーカルスコアにカットが書き込まれていなかったのです。 さらに、ヴォーカルスコアを練習していくと、場所によって音符が省略されていて、 そのままでは使い物にならない箇所も多々あり、シュウェリン国立歌劇場で使われていた楽譜が、 そのままブレーマーハーフェン歌劇場に来ていない事は明らかであった。

少しすると、今度は指揮者からオーケストラのパート譜のカットを書き入れないといけないから、 我々コレペティトーアの助けが欲しいとの依頼が来る。 つまりオーケストラの楽譜もすでに出来上がったものが来ると思っていたのだが、 実際にはまっさらな状態で、我々が手分けしたカットを書き入れる事に。 それと同時にヴォーカルスコアの手直しも必要で大忙し。 そして、ピアノを使った稽古は2週間しかないし、主役の2人は曲を既に知っているので、 コレペティトーアとしては立ち稽古が始まる時には 既にほぼ完璧に準備が整ってなければならない。 空き時間をひたすらそのために費やしてなんとか準備万端で立ち稽古初日。

その1日目と次の2日目の練習予定表を見てびっくり。なんと通常の10〜14時, 18〜22時に加えて15〜17時にも稽古が組まれている。 ドイツの劇場では労働時間が決められており、その規則を守る事が義務付けられている。 正確にはソリストの労働時間は4時間+4時間の計8時間で、 間に最低4時間の休憩が入る事になっている。 そこで担当の方にこのプランはルール違反ではないかと抗議しにいくと、 そのルールはゲストの歌手には当てはまらないとの事。 つまり時間が足りないので午後の時間を利用して、その時間に稽古を許されるソリストと稽古するとの事。 ピアニストは規則上その時間に稽古できないので、 演出家(正確には振付師)からその箇所の伴奏を録音して使用したいと頼まれましたが、 さすがにこれは拒否。。 そして後日再度抗議した所、午後の稽古は中止に。その後ものすごいスピードの稽古で、 一週間でとりあえずザックリではあるが曲を一通り稽古し終える。

この時点での最大の懸案はコーラスであった。 この作品はコーラスの出番が多く難しいのですがコーラスは前作のホフマン物語でも出番が多く、 先シーズンはコロナの影響で稽古時間が限られていたため、 チェスの立ち稽古が始まった時点で暗譜が出来ていない状態だったのである。 そしてオーケストラの稽古が始まると、こちらも稽古期間が少なく、BO (Buhnen Orchester Probe)と呼ばれるオーケストラとの舞台稽古が始まると まさにカオスな状態であった。

オーケストラの管楽器は通常の2管ないし3管編成ではなく1管編成(1人1パート)だったので、 パートによっては3人の奏者が入れ替わりで参加し、カオスに拍車をかけてしまったようでした。 そんな状況の中、通し稽古の直前に、シュウェリン国立歌劇場のプロダクションを演出した演出家が現れる。

       
                  ホフマン物語の舞台


ご家族で

それまでは振付師に稽古を任せていたのですが、今になって登場し、様々な箇所を変更したいとの事。 オーケストラが演奏してる所での台詞を5行程カットしたいと言い出し、 オーケストラもそれに合わせてカットする事に。 次には曲が終わった後のカーテンコールの時の為に音楽が欲しいと言い出し、 その為に曲中の一つのナンバーが再度演奏され、舞台上全員で歌う事に。 ゲネプロの前にそのカーテンコールの動きの確認の稽古をする事になり、 曲中でそのナンバーに参加してない歌手は、今からその箇所を練習し、暗譜しなければならない。

そんなカオスの中、プレミエは一番の出来だったそうで一安心。今後は練習期間をきちんと確保して欲しいものです。






劇場便り その26

ブレーマーハーフェン 志賀 トニオ 氏


劇場


オーストリアでの夏休み

ドイツの8月は秋の始まり、そして劇場の新シーズンの始まりです。 ここブレーマーハーフェン歌劇場でも8月23日に仕事が始まりました。 今回は特に総支配人が入れ替わり変化の大きいスタートとなりました。 ドイツの劇場に於いて総支配人が替わるという事は大変大きな意味合いがあります。 総支配人はその名の通り劇場のボスでありますから、劇場のさらなる発展を導く為に、 ありとあらゆるアイデアを結集していくのですが、その一つが新しい人員を連れてくる事。 ドイツの劇場では総支配人が替わると、可能な限りの契約を解除して、 代わりに新しい人を連れてくる事が頻繁に行われています。 もっと分かりやすく言うなら、それまでいた歌手、バレエダンサー、指揮者など、 所謂ソロ契約の人達をすべてクビにして 新シーズンから総入れ替えにする事が普通にドイツ中の劇場で起こっているのです。 幸いブレーマーハーフェン歌劇場の新しい支配人はソフトランディングを選択し、 総入れ替えにはなりませんでしたが、それでも30人程が入れ替わりました。 先日の仕事始めの挨拶ではその新規契約者が紹介されていました。 これだけ人が替われば、劇場の雰囲気というものも変わってきますし、 私も新しい上司の下で良い仕事をしていかなければなりません。

そしてもう一つの注目は相変わらずCOVIT-19(コロナ)の対応です。 ドイツでは国民の70%以上が2回のワクチン接種を終えましたが、 今現在感染者が急増しており、今後の対応が議論されている所です。 劇場でもまだルール作りが進行している段階で、仕事の現場でも色々な問題が生じています。 我々オペラ部門は現在Offenbach(オッフェンバック)作曲のHofmanns Erzalungen(ホフマン物語)の稽古をしているのですが、 未だに合唱部分の稽古をしていません。彼等は舞台に立っても良いのか、 良いなら歌手の間隔を空けるのか、駄目なら舞台袖で歌うのか、もしくは合唱部分をカットするのか。

ワクチン接種の有無の問題もあります。 ソロ歌手に関しては昨日からワクチン接種をしていれば間隔を空ける必要がなくなりました。 つまり、今までは演者の間隔をルールに沿って空けるように稽古していたのですが、 昨日からは抱き合う事も、キスシーンもできるようになったのです! これは画期的な改善ではありますが、その一方で演出自体を変更しなければなりません。 そして今大きな問題になっているのが、合唱団とオーケストラの扱いです。 仮にそれぞれの団員全員がワクチン接種を終えていれば、合唱は舞台に間隔を空けずに立ち、 オーケストラはフルでピットに入れます。 しかし、中にはワクチン接種をしていない団員もいます。 そして、ドイツには守秘義務があり、ワクチン接種の有無を聞く事が禁止されているのです。 これは病気にも適用されているルールで、病欠した時にも病気の内容を申告する義務はありません。 それからワクチン接種を終えた人は今まで義務付けられていた週2回の抗原検査が免除されました。 ただ希望すれば今までと変わらず劇場から無料で検査キットをもらう事はできます。 先シーズンの終盤にはこの抗原検査で大事件が発生しました。 その頃は上記のホフマン物語の稽古をしていたのですが、コロナの感染者が急激に減少し、 ブレーマーハーフェンでは感染者数が0の日が続くようになっていました。 それまで10数年いた総支配人が劇場を去る事もあり、数日に分けて送別会が催されました。 私も2回参加したのですが、1番最後の送別会は、たまたまその日は夜に仕事がなかったので、 雨天であった事もあり参加しませんでした。 そうしましたら、次の日に劇場から電話があり、送別会への参加を確認されました。 そう、なんとその日の朝、送別会に参加した1人が抗原検査で陽性だったのです! その送別会は最後であったので参加者も多く、雨天であったのでレストラン内で密集状態になったため、 参加者は全員濃厚接触者となってしまったのです。 そして抗原検査は疑陽性になる可能性があるので、その後のPCR検査の結果を待つ事に。 劇場のシーズンは残り3日で、まだ稽古の予定が入っていました。 ホフマン物語にはゲストの歌手も参加しており、彼らは送別会に参加していなかったので、 当面私とゲストの歌手だけで稽古する事になりました。 指揮者もいなくなり、全ての稽古を一人で任されて最後の数日だけ大忙し!そして2日後、 ようやくPCR検査の結果が。なんと陰性!


劇場便り その25

ブレーマーハーフェン 志賀 トニオ 氏

 
劇場正面に掲げられたプラカード 右拡大写真

ドイツでは昨年の11月から半年以上もの間、飲食店並びに生活必需品を除く店舗が休業していましたが、 5月に入りようやく感染者が下がり始め、地域によっては 制限付きで開業が認められてきました。ワクチン接種が進み、 ドイツ全体で35%の国民が一回目の接種を終え、希望の明かりが灯った雰囲気になっています。 一昨日には全国で一日に135万人がワクチン接種を受けた新記録となりました。 そして今日私の所にもかかりつけ医から突然の電話があり、急遽一回目の接種に行ってきました。 4月からはコロナテストの簡易キットが広範囲に流通し、 希望者はテストセンターで週2回無料で検査ができるようになり、 学校や職場でも週2回のテストが義務付けられました。 そして劇場の仕事も、この簡易キットのおかげで稽古を再開する事が可能となりました。 久しぶりの仕事はまずその簡易キットの使用方法の説明から始まりました。 その日は同僚たち3人とそれぞれ離れた席に座り、担当の方からの説明に沿って箱を開封しました。 まずはゴム製の小さな試験管に溶液を入れ、次に細長い綿棒のような棒を鼻に入れ粘膜を採取。 それを先程の試験管に入れ溶液と混ぜる。ここで箱から判定機を取り出し、 そこに溶液を垂らす。15分待って赤い線が2本出たら陽性。 1本なら陰性。それぞれがタイマーをセットし、ドキドキしながら結果を待つ。 陰性の結果でガッツポーズ!皆が陰性だったのでいよいよ稽古が始まりました。 仮にここで陽性になった場合は、PCR検査に行く事になります。


            簡易検査キット

この日に始まったのはコレペティの音楽稽古のみです。 まずは結局キャンセルになってしまったオペレッタの代わりに、 上演が再開された時に融通の利くガラコンサートをやる事になり、 その演目の稽古。ガラコンサートのテーマはベルリンのオペレッタです。 オペレッタと言えばウィーンを思い浮かべると思いますが、ベルリンにも一時代を築いたオペレッタの伝統があり、 今回はその代表作が中心です。Paul Linke 作曲のFrau Luna は大ヒット作で、 中でもDas macht die Berliner Luft Luft Luftはベルリンっ子なら誰でも口ずさむナンバーです。


興味津々

Willi Kollo 作曲のWie einst im Mai は有名なテノール歌手のRene Kollo (ルネコロ)のお父さんの曲です。 正確にはお爺さんのWalter Kolloの作品をその息子のWilli Kollo が手直しした作品で、 ワーグナー歌手として名を馳せたルネコロがオペレッタの名手でもあったのもうなずけます。 どれもとても楽しい音楽で、コロナ禍で沈んだ気分を晴れやかにしてくれるプログラムです。 その後2週間程稽古が進んだ所で、また残念な情報が入ってきました。 ブレーマーハーフェンは一向に感染者数が減らず、今シーズンの再開は難しいとの事で、 ガラコンサートの稽古は一時中断し、来シーズンの演目のみの稽古をする事になりました。 通常であれば来シーズンの準備は6月にするのですが、今年はゆっくり時間をかけて出来る事になりました。 まずはOffenbach(オッフェンバック)作曲のHofmanns Erzahlungen(ホフマン物語)、 Mozart 作曲のDie Entfuhrung aus dem Serail (後宮よりの逃走) そして現代曲のGlanert 作曲のOceaneの音楽稽古が始まりました。 5月に入るとコロナテストも検査キットが配布される事になり、 自宅で出来るようになりました。 そしてドイツ全土でようやく感染者数が急速に減少し始めました。 そしていよいよ屋外での公演が許可される数値に近づき、 来週から急遽6月からの公演開始に向けて立ち稽古が始まる事になりました。 ミュージカルのシカゴは外での公演が難しいので、 プレミエまでこぎ着けたカルメンとガラコンサートが取り上げられることになりました。 皆半年以上本番から離れているので、コンディションを取り戻す事が稽古の主な目的です。 私も昨晩、ワクチン接種の副作用で40度近い熱が出て、今日は一日寝込楽しみにしています。


劇場便り その24


ブレーマーハーフェン 志賀 トニオ 氏

ドイツでは11月から部分的なロックダウン、12月から完全なロックダウンと、 コロナ対策を強化してきましたが、12月22日に1週間の感染者数の平均値の最高値を更新し、 その後も大変厳しい状況が続いています。 劇場では当初稽古とオンライン配信は認められていました。 11月下旬にはアドヴェントコンサート、 12月中旬からはオペレッタの立ち稽古が始まる予定になっていました。 子供達も時間は短縮されましたが、毎日学校に通い、私も練習の目標があった事から、 春先のロックダウンと比べると精神的な喪失感が少なく安堵していました。 アドヴェントコンサートではオルガンを担当していました。 このパートはソリストのような役割があったので、やりがいを持って準部万端で挑んだのですが、 稽古前日にキャンセルの知らせが。。感染対策の為にコンサート自体が無くなってしまいまた。

次の目標は12月14日から立ち稽古が開始するオペレッタ、 レハール作曲「パガニーニ」。オペレッタは私にとって毎シーズン指揮をする大事な演目です。 レハールはウィンナオペレッタの第2の黄金期(銀の時代)を代表する作曲家です。 代表作は初期の作品「メリーウィドウ」ですが、 中期からはオペラとオペレッタの融合を目指し、 劇的な音楽と場面展開を内包し、 オペレッタの伝統であったハッピーエンドも排した革新的な曲を作曲しました。 そのレハールの第2の人生の始まりと言われる曲がこの「パガニーニ」です。 主役は名ヴァイオリン奏者のパガニーニであるため、 難度の高いヴァイオリンのソロが頻繁に出てきます。 通常はオーケストラのヴァイオリン奏者が演奏し、テノール歌手が楽器片手に演技をするのですが、 今回はなんと自分で楽器も弾いて、歌も歌える人をゲストとして採用!そんな芸当を出来る人がいるのかと 興味深々中稽古初日を迎えました。

  
トニオさんの稽古場、ピアノの状況です

立ち稽古初日はまず演出家、舞台美術家によって今回の演出のコンセプトについての説明があります。 しかし、この日はベルリンから到着予定の2人が電車の遅延の影響で1時間程度遅れるとの事。 そこへ、2人の到着を待つ全出演者のもとに総支配人が登場。 なんとその日の午後からの稽古を全てキャンセルしなければならないとの事。 理由は、大道具さんの一人にコロナ感染者が出た為に劇場を閉鎖する事になったのでした。 その後演出家と舞台美術家が到着。朝5時半に出発したのだけども遅刻して申し訳ないと言いながら、 演出のコンセプトを説明し始めようとすると、 演出家助手(劇場付き)が申し訳なさそうに稽古のキャンセルを説明する。 呆然とする演出家。。。なんとか気を持ち直してコンセプトの説明が行われ、 曲全体をざっと通して稽古を終了し、1月に再開する事を期待して解散しました。 しかし、その後もなかなか感染者が減少せず、政府からは、 限りなくホームオフィスを推進するように指示が出たので、 稽古の再開を絶望視していたのですが、なんと1月11日から再開するとの事。 本番はしばらく出来ないけれど、ゲネプロまでは稽古する事になったのです。 再開される事になった最大の理由はゲストとの契約だったようです。 「パガニーニ」には3人の歌手、演出家と舞台美術家の計5人がゲストとして契約しており、 彼らはこの作品が終われば次の契約の仕事がありますから、今、稽古をしておかないと、 もはや「パガニーニ」は上演が不可能になってしまうのです。 こうして、ようやく立ち稽古が始まりました。しかし通常4週間ある立ち稽古が 今回は2週間しかありません。毎日時間いっぱい稽古し、へとへとになりながら、 それでもやっと仕事が出来る、音楽が出来る充実感を味わいながら過ごしていた所に また総支配人が稽古に登場。。またしても稽古をキャンセルしなければならない事に。 今度は劇場内に感染者が出たわけではなく、ブレーマーハーフェン市からの指導で、 劇場での稽古が禁止されてしまったのです。それでも2週間弱の稽古をし、 稽古最終日に初めての通し稽古をする事が出来ました。 その稽古は再開した時に活用する為に録画されました。

私はその通し稽古でピアノを弾いたのですが、舞台上からは今までに体験した事のない不思議な緊張感が 伝わってきて、弾きながらにして涙を流してしまいました。 その涙をなんとかこらえて通し稽古を終えると、そこには涙を流しながら帰って行く出演者達の姿がありました。


ブレーマーハーフェン 港近くで元気に


日本の祖父母のためのオンライン・ミニコンサートをひらきました


劇場便り その23

ブレーマーハーフェン 志賀 トニオ 氏


お隣のチワワと一緒に
アドヴェント・カレンダーを抱えたお子様たち

12月はドイツ人にとって特別な月。思えば私も子供の頃、 毎年12月になるのを待ちわびていました。 12月1日から24日までは毎日朝起きては一目散にアドヴェントカレンダーの所に行って、 カレンダーの窓を開けるのが日課となります。 第一アドヴェントからクリスマスまでは毎日曜日に天井に吊るした アドヴェントクランツ(円形にしたモミの木に4本のロウソクが立っているもの)のロウソクに火を灯し、 家族で歌を歌います。第一アドヴェントでは4本あるうちの1本だけに火を灯し、 毎週1本づつ増やしていきます。

毎週明かりが増していく喜びを今でもよく覚えています。 12月6日の朝には夜中にWeihnachtsmann(サンタクロース)が 靴の中に入れてくれたお菓子入りの靴下を一目散に取りに行きます。 そして毎晩のようにクッキーとStollen(シュトーレン)作りのお手伝い。

特にクッキー作りでは、出来た生地を伸ばしてクッキー型で型取りしていくのが兄と私の仕事。 ざっと50種類はあろうクッキー型からお気に入りの物を選んで作業していると、 母からもっと色々な種類を使うようにと促されたものです。 そしていよいよクリスマスイヴの日、朝から居間の襖が閉じられ入室禁止に。 そこにはChristkind(幼児キリスト)が来てモミの木と贈り物を持って来てくれるのです。 夜には教会に出かけクリスマス礼拝に参加し、帰宅するとようやくその襖が開けられ、 中には装飾された美しいモミの木とその下に贈り物が! 私と兄はもちろんその贈り物の中身を早く見たい一心なのですが、 まずはモミの木のロウソクに火を灯し、讃美歌を歌わなければなりません。 義務を果たし、ようやく贈り物を開封した後には、ひと月かけて作ってきたクッキーとStollenにありつけます。 そして25日から30日までは毎日パーティー三昧。31日から突然正月モードに切り替わり1月3日まで新年のお祝いが続くのです。

これは日本で過ごした私の家族の一例ですが、ドイツではこれにさらにクリスマスマーケットでの楽しみもあり、 そしていよいよ本題、なにより12月はドイツ人が伝統的に劇場に足を運ぶ季節なのです。 今ドイツはコロナ禍のロックダウン中です。 11月をロックダウンしたのは12月を少しでも通常に近い状態で過ごしたいとの政府の思惑があったと思います。 しかし感染者数は減少せず、11月16日に行われた政府の会議後には 12月からのロックダウンの延長が発表されると皆覚悟をしていましたが、 決定は1週間先延ばしにされました。 感染者数の減少を待ち、なんとかして12月から規制を緩和できないか模索する政府の執念を感じました。 劇場も11月2日から公演がキャンセルされましたが、春先と違うのは今回は稽古は出来る事。

毎年恒例のWeihnachtsmarchen(クリスマスシーズンの子供向けの演劇公演)は 今年はRobin Hood(ロビン・フッド)。 昨日ゲネプロまでの稽古を終え、公演再開を待っています。 オーケストラの定期演奏会は演奏をインターネットで配信する事になりました。 オペラ部門は元々12月25日にドニゼッティ作曲のランメルモールのルチアのプレミエを予定していましたが、 こちらはコロナの影響でシーズン始めにすでにキャンセルされており、 11月から12月にかけてはその代わりに公演回数を増やし、 観客の定員が4分の1(大ホールでは186人)に抑えられている穴埋めを行う予定でいました。 実際、シーズン開始依頼ほぼ全ての公演が売り切れの状態であったので、少しでも減った収入を補いたい予定でした。 私もミュージカルの”シカゴ”の公演を指揮する予定がありましたが、その多くがキャンセルとなってしまいました。 しかし、幸運にも私が指揮する1回目のシカゴの公演が11月1日のロックダウン1日前であった為、 せめてその貴重な機会を入魂のタクトで締めくくる事ができました。 本番後には自然と今日は絶対に打ち上げをしようという事になり、 歌手達と近くの居酒屋に繰り出そうとしましたが、こちらもこの日が最終日。 夜の10時前でしたが、かろうじて一軒だけ開いていて、食事なしの飲みだけならという事でしたが、 ロックダウン前の最後の祝杯を挙げる事ができました。 そしてその1日前の10月31日にはこちらも滑り込みセーフでカルメンのプレミエが行われました。

このカルメンもシカゴと同じく90分の休憩無しバージョンに改編せねばならず、 今回はMarius Constant(マリウス・コンスタント)編曲”La Tragedie de Carmen”(カルメンの悲劇) という作品が採用されました。コーラスや脇役がカットされ、 オーケストラも小編成ですが、 主要な登場人物の心の葛藤に内容が凝縮される長所もあったように感じました。 3月にはプレヴィン作曲の”欲望という名の電車”をゲネプロまで稽古しながら、 プレミエ前日にロックダウンとなり公演を断念していましたので、 今回はコロナがなければ滅多に採用されないアレンジ作品をせめてプレミエだけでもお見せ出来た事に皆安堵しました。 そして近い将来公演が再開する事を祈っています。


シカゴの一場面


カルメンの一場面


劇場便り その22

ブレーマーハーフェン 志賀 トニオ 氏


筆者ご夫妻

8月は毎年シーズンの始まりの時期。今年はコロナの影響で開始が心配されましたが、 ここブレーマーハーフェンの劇場では8月13日に予定通り仕事が始まりました。 3月中旬から閉鎖されていたので、本当に始まるのか、 始まるならどのような条件の元に始まるのか皆、疑心暗鬼な状態でした。 まず、最初の顔合わせの時間。例年劇場のカフェテリアで開催されるのですが、 今年は劇場前の広場での開催となりました。

その後大ホールに移動して総支配人の挨拶、新規契約者の紹介、 劇場内の安全確認(火災報知器の使い方等)の説明があるのですが、 今年は皆マスクを装着して大ホールに移動し、そのまま着席。 総支配人の第一声は、席に座ったらマスクを外して良いとの事でした。 その後の劇場内の安全確認の説明も今年はコロナの説明が主となりました。 まずは休暇中に国外に滞在し、8月1日以降にドイツに入国した人は、PCR検査を受け、 一回目の検査の6日目以降に2回目のPCR検査を受け、 それぞれ陰性であった事を証明した後に仕事に来るとの事。劇場内を移動する時にはマスクを装着し、 稽古場に到着したら外して良い事。稽古場の大きさによって、滞在できる人数の上限がある事。 稽古は45分間ごとに休憩を入れ、15分換気し、休憩中はその部屋を空にする事。 それらの説明が終わり、いよいよ11時30分から最初の演目であるシカゴ (ミュージカル)の稽古が始まりますが、ここでも最初はコロナ関連の説明からスタート。 上演時の観客の感染リスクを低くする為、上演時間が休憩無しの90分程度になるように曲をカットする事。 語りの部分は2m、歌う時は6m間隔を空ける事。オーケストラはオーケストラピットには入らず、 別室の間隔を十分に空けられる広い部屋で、モニター越しに指揮者を見て演奏する事が説明される。 この決定には大変驚き、どのように機能するのか心配しています。歌手が舞台上で、 オーケストラは全く別の遠くの部屋だと、モニターと音声のずれが生じる危険性があると思うのですが。 こればかりは経験がないのでやってみなければわかりません。 そしてようやく音楽稽古と立ち稽古が始まりました。 コロナの話ではなく音楽の話ができる喜びを噛みしめながら通常の状態にようやく少し戻りました。 45分で休憩になるのはあっという間で、コーヒーを飲む量が増えました。

ここからは3月からのコロナ危機と劇場の様子を紹介しましょう。当初は突然2週間の休みになり、 その後再会される予定でしたが、感染者の増加に合わせて休みも延びていきました。 私は再開時に向けてウェルテル(マスネ)の準備に集中し、 その後はオーディションの為に普段はなかなか時間の取れないピアノのソロ曲の練習等をしていました。

なかなか仕事が再開せず、時間的にも余裕が出てきたので、今度は荒れていた庭の手入れをし、 学校と幼稚園がお休みになった子供達と、人のいない郊外の原っぱまでサイクリングし、 バドミントンやサッカーをして遊びました。数少ないアイス屋さんがお持ち帰り限定で空けていたので、 そこまでサイクリングして帰ってくるのも定番となりました。 5月になるとコロナの規則がやや緩和され、劇場では来シーズンに向けて、 シカゴのキャスティングのオーディションを行う事になり、私が伴奏する事になりました。 およそ2か月ぶりの仕事だったのですが、オーディションの3日前に風邪の症状と軽度の発熱があり、 これは困ったと、至急新聞に出ていたコロナ対応の電話番号に連絡。 金曜日の午後だったので、電話越しに対応する医師がいないとの事で、 19時に再度かけて欲しいとの事。言われた通りに19時に電話した所、 今度は何度かけてもつながらない。諦めて、しばらくたった後21時頃に電話したらようやくつながる。 聞けば、19時から医師が対応を始めていたそうで、きっと電話がなりっぱなしだったのだろう。 症状を伝えると、PCR検査の受診許可をすぐに検査所に送信してもらい、 次の日の朝には自転車で10分程の検査所まで行って来る。 そこではPCR検査だけして終わりだと思いきや、きちんと医師の診察があり、 血圧や体温、症状を確認。PCR検査の為だけに開設された検査所だったのですが、 内実は立派な診療所のようであった。自宅では検査結果が出るまで仕事部屋に隔離状態だったので、 少しでも早く検査結果が出る事を心待ちにしていました。幸い週末であったのにもかかわらず、 次の日の朝には陰性の結果が出る。風邪の症状も軽く、すでにほぼ完治しており、 予定通り次の日のオーディションで伴奏する事ができた。そしてその後、 5月に2週間の音楽稽古が行われる事と、6月1日から実質夏休みに入る事が告げられる。 そして何より皆が心配していた給料も、6月分のみ5%カットで、 それ以外は通常通りに維持されるとの事でした。ドイツの劇場で働いている人は公務員ですので、 そもそも税金で賄われている比率が高く、おそらく音楽家としては最も安定している職場の一つでしょう。 今回のコロナ危機程、ドイツの劇場で働いていて良かったと思った事はないと思います。 そして、音楽稽古では来シーズンに向けて、シカゴとフィガロの結婚を中心に稽古をしましたが、 あっという間に長期の夏休みに突入。しかし、休みといっても日本行きも断念し、 電車の移動も感染リスクがあるなか、思い切って車を購入する事を決断。 数年前に日本の運転免許証をドイツの物に書き換えていたのですが、 なにせ19歳の時に免許をとって以来ほとんど運転していない所謂ペーパードライバーだったので、 購入後に近所の駐車場で毎日練習。おけがでこの夏休みは車での散策を楽しむ事ができました。


稽古場の写真:床にマス目状に貼られた白いテープは演出の為ではなく、
コロナの規則を守り距離を保つ為の立つ位置を示す1メートル四方の目印



お子様たちは元気に野外で楽しんでいるようです


劇場便り その21


コロナ制限の中
サイクリングで気分転換する筆者

ブレーマーハーフェン歌劇場では、1シーズンに必ず現代曲のオペラを2曲上演するのですが、 その1曲目が今回採り上げるAndre Previn(プレヴィン)作曲のA streetcar named desire(欲望という名の電車)。 原作の戯曲は1947年にブロードウェーで初演され、 主人公が同性愛やレイプから破滅に至る衝撃的な内容を含んでおり、 一大センセーションを巻き起こし、その後映画やドラマ化され、日本でも度々上演されている。

ブレーマーハーフェン 志賀 トニオ 氏

今回の便りはコロナ危機真っ只中での執筆となりましたが、まずは2月に立ち稽古が始まった演目についてお話しましょう。

    
映画『欲望という名の電車』と演劇公演ポスター

その作品を、指揮者としても世界的に活躍していたPrevinが1998年にオペラ化したものです。 曲は全体的にテキストを重視した構成で、所謂メロディーが少なく、 音楽はジャズ等アメリカ的要素を多く含み魅力的ではあるが、 規則性が希薄であるため暗譜で歌うのが大変難解な作品でした。 特に主役のブランチ(ソプラノ)はほぼ出ずっぱりで、膨大な量を暗譜で歌わなければならず、 加えて上記の作品の内容からも推察されるように、大変ドラマチックな歌唱力と耐久性及び演技力が要求される難役でした。

その役は本劇場の専属歌手が受け持つ予定だったのですが、立ち稽古が始まる3週間前に病気になり、 キャンセルを余儀なくされてしまったのでした。現代曲を採り上げる時に一番厄介な事の一つが、 歌手が病気になった時に代わりが見つからない事。ドイツでは劇場の数が多く、 歌手が病気になった時に代役が務める事が日常茶飯事なのですが、現代曲は同じ曲を採り上げた事がある劇場が少ない、 又は全くない事が多いのです。

今回もドイツ中を探し、やっとの事で原語の英語ではなくドイツ語で  3年前に歌った経験のある歌手を見つけることができました。 しかしドイツ語に訳した時に、単語の長さや語順の相違等が生じるため、 多くの箇所でドイツ語に合わせてリズムも変更しなければならず、 英語に戻した時にまた一から譜読みをしなければならない箇所が想像以上に多く、 コレペティ稽古が難航。立ち稽古開始時には全3幕のうち、 1幕すらまだ暗譜で歌えない状況でした。出ずっぱりの役なので、 彼女がいないと稽古にならない場面が多く、必然的に立ち稽古と音楽稽古(コレペティ稽古)を前後に続けて行う事になります。

まずは朝一の音楽稽古で、その日の立ち稽古の箇所を入念に練習し、 できるだけ暗譜する所までこぎつける。 立ち稽古の時には彼女の音程やリズムが間違ってしまった時にコレペティが彼女のパートを弾きながら助け、 指揮者も明瞭な出だしの合図や、テキストの指示等を出して、双方向からサポートする。 それから、彼女の出番のない場面を少しでも多く稽古するようにし、 その時間を利用して立ち稽古と並行して彼女の音楽稽古が行えるように工夫しました。 そうこうしているうちにテキストが多くて暗譜が大変なので、 プロンプター(観客から見えない所にいて、舞台で歌手がテキストを忘れた時に、そのテキストを指示する役) がいないのはきつい、との歌手達の要望が出る。 ここの劇場では経費削減の為、数年前から専属のプロンプターがいなくなり、 テキストが多い作品の時だけ雇う事になっていたのですが、 急遽雇う事になる。このような状況で私や同僚のコレペティをはじめ、 皆に大変負担な毎日でしたが、その後2週間程の間に彼女とのコレペティ稽古も進み、 ようやく全幕が楽譜を見ながらではありますが、歌えるようになりました。

しかし、これでなんとか形になってくるかもしれないと、皆が安堵してきた矢先、 なんとその歌手もバーンアウトしてしまう! それまでの稽古の過程で疲弊しすぎたのと、その先の暗譜と立ち稽古の過酷さを前に、 自分にはやりきれないと判断したのだろう。 この時点で3月14日のプレミエまで3週間でした。 そこからまた別の歌手を探す事になるのですが、 今回はこの作品をすでに歌った事のある歌手を見つけるのはあきらめ、現代曲を得意とし、 譜読みが速い歌手を見つける事にしました。

そして3日後には首尾良く実力派の歌手を見つける事に成功し、 新たな練習計画が提示される。彼女は当面の間音楽稽古に集中し、 その間の立ち稽古では彼女の役を演出助手が代演し、コレペティが彼女のパートを弾き、 指揮者が彼女のパートを歌う。演出家は演出全般をできるだけ簡略化し、 代演している演出助手が立ち稽古に時間が取れない彼女に動きを説明できるようにする。 その後大変譜読みが速く勤勉な彼女のおかげで少しずつ軌道にのってきたプロダクションではありましたが、 さすがに3週間でものにできる代物ではなかったため、1幕は彼女が舞台で楽譜を見ながら演じ、 2幕は彼女(ブランチ)の妹役(ステラ)がブランチに成り代わっている設定にして、彼女は舞台袖で歌い、 妹役が舞台でブランチを演じ、3幕だけが暗譜で通常通りという苦肉の策を講じる事になる。 オーケストラとの稽古が始まると、時間が足りないとの事で、通常有り得ないのですが、 稽古が一日追加され、ようやくの事でゲネプロまでたどり着きました。 私はオーケストラの中でもチェレスタを担当し、オーケストラの稽古の合間には、 プレミエの2日後に始まる次のプロダクションのマスネ作曲、ウェルテルの準備にもかからねばならず、 忙しい毎日を過ごしていました。

そしていよいよプレミエを次の日にして、なんとコロナの為にキャンセル! 3月14日からすべての公演と稽古が中止になったのです。 そこで発した同僚達の言葉は、このプロダクションは呪われている。。。


子どもたちとリンゴの花咲く公園へ


劇場便り その20


ブレーマーハーフェン 志賀 トニオ 氏

今回は1月にWinterstein という劇場の定期演奏会に指揮者として出演しましたので、 その時の様子をお伝えしたいと思います。


アンナベルグ‐ブーフホルツ劇場の前で家族と

まず昨年の春先にWinterstein Theaterの音楽監督のマネージャーさんから仕事の依頼の電話がありました。 突然の事で大変驚いたのですが、その劇場の音楽監督は高橋直史さんという日本人の方で、 ブレーマーハーフェンに来る前(約8年前?)にお手紙を書いた事がありました。 その時はお会いする事はなかったのですが、それ以来インターネット上のFacebookで情報交換するようになり、 それをきっかけに私に声をかけて頂いたようです。

せっかくの機会ですからすぐにでも快諾したい所でしたが、 その為にはまず仕事場のブレーマーハーフェンの劇場で10日間の休暇をもらわなければなりません。 コレペティトーアは劇場の中で、演出助手と並んで最も忙しい職種の一つで、 10日間職場を離れる事は容易ではありません。さっそく上司に相談すると、 最大限協力して頂けるとの事。首尾良く休暇が認可され、無事契約を結ぶ事に成功する。

演目はハイドン/アルミーダ序曲、モーツァルト/劇場支配人序曲、サリエリ/フルートとオーボエの為の協奏曲、 ヨハン・シュターミッツ/ヴィオラダモーレ協奏曲第2番、レオポルト・モーツァルト/そりすべり 公演日時は1月11日 Aue(アウエ)及び1月20日 Annaberg-Buchholz(アンナベルグ゙-ブーフホルツ)であった。

所謂Wiener Klassik(ウィーナークラシック)のプログラムであったが、 モーツァルトの劇場支配人序曲以外は演奏頻度の少ない曲が多く、 特にヨハン・シュターミッツのヴィオラダモーレ協奏曲第2番はそれが何を指すのかわからないくらいにマイナーな曲で、 何処を調べても、楽譜も録音も見つける事ができず、結局11月にすべてのスコアを送付してもらい、 大急ぎで読譜する事になる。そして間もなく、上記の二つの序曲を除く3曲には楽譜に修正すべき箇所が多数ある事が判明する。 そもそもWiener Klassikのプログラムを採り上げる時には装飾音符やスラーの扱い等を丁寧に検討及び加筆する必要があるのだが、 今回は演奏頻度が少ないマイナーな曲が多かった事もあり、間違いや出版社の勝手な解釈による 加筆を訂正する必要になり、結局パート譜もすべて送付してもらい、 大がかりな修正をする事になる。1月8日にオーケストラとの稽古が始まるので、 奏者が稽古前に練習できるように、遅くても年内には完成して返送しなければならない。 前号の便りでお伝えした通り、12月は多忙であった為なかなか作業にとりかかれず、 結局クリスマス休暇頃に本格的にパート譜の修正を始め、なんとか12月30日に送付する事ができた。

そしていよいよ1月6日、 次の日に迫った出発の準備をしている時にマネージャーさんから電話がかかってきた。 なんとヨハン・シュターミッツのヴィオラダモーレ協奏曲のソリストが病気で コンサートをキャンセルしたとの事。 この曲は前述のように超マイナーであるし、 ヴィオラダモーレという楽器自体弾ける人が少ない為、 代わりを見つける事は難しいとの事で、曲を替える事に。 結局私が何曲か候補曲を出し、その中からモーツァルトの交響曲25番に決定。 その日の午後と次の日の電車の中はそのスコアの読譜に明け暮れるのであった。 しかし、内心シュターミッツより、モーツァルトの方がやりがいを感じていたので、 嬉しいハプニングでもあったのである。そしていよいよ練習初日。練習場所はAueのコンサート会場。 なんとホールで練習するという恵まれた環境であった。 このオーケストラは元々AueにあったシンフォニーオーケストラとAnnaberg-Buchholzの劇場付きオーケストラが合併して出来、 正式名称はErzgebirgische Philharmonie Aue。団員は45名。 Aueの町はシューマン生誕の地Zwickau(ツウィッカウ)から電車で50分で人口1万6千人。 そんな小さな町に500人入る立派なコンサートホールがあるのは驚きだ。 練習は10時から15時で4コマに分かれており、 途中2回の15分休憩と1回の30分休憩が入る。 ブレーマーハーフェンでは午前と午後の練習の間にオーケストラは5時間半空くのだが、 ここではAnnaberg-Buchholz等の別の町から来る団員もいるために、所謂Doppel Probe(ダブル リハーサル) という方式が採られている。 指揮者としてはリセットする時間がなく、 お昼をしっかり食べる時間もなく、なかなかハードであった。 オーケストラは最初は指揮者の様子見という感じがあったが、 徐々にペースを掴んでいき、順調に本番の日を迎える。本番ではミュンヘンから叔父と叔母達、 それから母も来場し、とても満足のいく演奏になりました。

コンサート翌日にはブレーマーハーフェンで火の鳥のチェレスタを弾かなければならなかったので、 朝5時の電車でとんぼ返り。眠い目をこすりながらもミスなく終え安堵。 そして1月19日に、今度は家族と共に次のコンサート会場のAnnaberg-Buchholzへ。 こちらは鉱山の麓の町で坂が多く、 駅から町に向かう道があまりにも急で荷物を運ぶのが大変であった。 この街の人口は2万人で劇場の正式名称はEdward-von-Winterstein-Theater。 これは、この劇場で活躍した演劇俳優の名前を採っていて、 ドイツでは人物名を冠した唯一の劇場である。 この街はクリスマスの木彫品が有名で近くには蒸気機関車も走っている観光地。 劇場は300人収容と小さいが伝統ある素敵な作り。音響がAueとかなり違う為、本番前に15分間の稽古時間があり、 前回の本番が上手くいった手応えをオーケストラの反応から感じる。 そしていざ本番。今回はフランクフルトから兄が駆けつけ、私の家族と共に鑑賞。 全体的にAueの本番よりさらに熟成されたものが出来上がり大変満足できる公演になりました。


駆けつけた皆さんと


劇場便り その19

ブレーマーハーフェン 志賀 トニオ 氏


オペラ「道化師」の終演、観客の賞賛に応える指揮者志賀トニオ氏

12月はドイツ人にとって特別な月です。クリスマスカレンダーを飾り、 毎日そのカレンダーの窓を開けて指折りクリスマスが来るのを待ちます。 その間にクッキーやシュトーレンを焼いたり、アドヴェントで歌を歌ったりと大忙し。 劇場の仕事も1年の中で特に忙しくなりますが、今年は私にとって特にてんこ盛りな月となりました。 最初は12月 1日のアドヴェントコンサート。ここで私はオルガン、チェレスタ及びピアノを演奏する事に。

それは普通の事なのですが、なかなか譜面が渡されず、 本番3日前に渡されて意外に難しい事に驚き、さらに私は12月25日プレミエの演目、 ロッシーニ作曲のチェネレントラの立ち稽古のピアノを弾いていて、 その稽古と同僚のピアニストとのスケジュールの兼ね合いでゲネプロからしか参加できないとの事。 そもそも、アドヴェントコンサートという趣旨からクリスマスの讃美歌を 中心にした簡単なプログラムかと想像していたのですが、 そういう曲だけでなくモーツァルトやフォーレのミサ曲の抜粋なども織り交ぜ、 盛り沢山なプログラムで、 歌手もオーケストラも忙しい時期に色々な事を掛け持ちしているのでゲネプロでもカオスな状態でした。 それでも経験のある指揮者の力量もあり、本番は成功。 私もオルガンのソロなどを問題なくこなして安堵しました。

その次には12月 6日にミュージカル公演 "Der Graf von Monte Christo"(モンテクリスト伯爵) を初めて指揮しました。 今回は稽古の時に一度も振る機会がなく、まさにぶっつけ本番。 この曲は音楽的にはあまり難しくないのですが、 台詞や舞台進行に合わせて音楽を先に進めなければならない箇所が多く、 特にループ(もしくはVamp)と呼ばれる数小節の繰り返し箇所では、 先に進む合図を指揮者が間違えると空中分解が起こる危険をはらんでいます。 本振り指揮者の時にも何回か空中分解しかけていて、そこだけは外さずに成功しなければなりません。

いざ本番ではループ箇所はすべて成功!しかし、一か所だけ危なかった箇所がありました。 そこは、長い音符のフェルマータの所で台詞が入り、 その台詞が終わるのと同時に先に進まないといけないのですが、 この箇所は所謂メロディーが始まる前になぜかトロンボーンが一小節間、 長い音符の伸ばしで加わってからメロディーが始まるので、 奏者としては非常にわかりにくく、やはり事故の多いやっかいな箇所でした。 それでもすでに9回目の本番があり、 奏者も慣れてきていたのでこの箇所はもう大丈夫だろうと予測していました。 しかし、この日はトロンボーンだけが加わる箇所で、 一小節後のメロディーと共に加わる予定のティンパニが間違って入ってしまう。 それでも、それ以外のオーケストラ奏者は全員その後正しく演奏を始めたのだが、 そのティンパニをメロディーのスタートと勘違いした歌手が一小節早く歌い始めてしまう。 その歌手を合図に入る次の歌手も一小節早く歌い始めてしまい、 やや空中分解してしまう。 幸いこの箇所はそのすぐ後に比較的区切りがはっきりわかる所があり、 そこを私が指揮で示した所で、事なきを得る。 12月11日には先述したチェネレントラのKHP (Klavier Haupt Probe)と呼ばれる最後の通し稽古を弾きました。

そして12月14はバレエ公演の火の鳥でチェレスタを初めて弾く事になっていました。 この曲は組曲版が有名で、そこではチェレスタは入っていないのですが、 今回は所謂原曲のバレエ版で、組曲よりもかなりの長さがあり、 組曲版を良く知っていた私も聞いた事のない箇所が多くありました。 そしてこの曲にはピアノとチェレスタが必要で、 スケジュールの関係で私は稽古に参加する事が出来ず、 それまでの稽古と本番は私の同僚のピアニストと上司のStudienleiter 兼カペルマイスターの方が担当していましたが、 この日の本番を本振りの音楽監督の代わりに上記のStudienleiter 兼カペルマイスターの方が振る事になっていて、 彼もずっとオケの中でチェレスタを弾いていたので舞台を見る事が一度もできず、 お互いに難しい状況下で、この難曲と向き合っていました。 この曲は拍子が変わる事が多く、チェレスタパートは弾くのも難しいが、 休みが多く、その休みを数えるのが特に難しいのです。 本振り指揮者をアップに撮った映像資料を事前にもらって何度も小節を数える練習をする。 そしてその本番を翌日に控えた12月13日の朝に音楽監督から突然電話がかかってきました。 なんとその次の週の18日に、カヴァレリアルスティカーナ&道化師の本番を振れないかという依頼だった。 劇場の現場では上下関係を大切にする伝統があり、 立場的に音楽監督の曲を私が代振りする事はありえない。 その伝統を覆す依頼であり、 特にオーガニゼイションが行き届いたここの劇場ではまず起こりえない話であった。 どうも連絡の行き違いで第1カペルマイスターも音楽監督もその日はこの街にいないとの事。 上下関係の順序としては上記のStudienleiter 兼カペルマイスターの方が振る所なのだが、 彼は今回まったく稽古に関与しなかったので、 代わりに私が振るべきだと推薦してくれたのだった。 私は稽古でほぼ全曲弾いていたし、第1カペルマイスターがいない時には指揮もしていたので、 難曲ではあるがまたとないチャンス。二つ返事で快諾。


バレエ 火の鳥


オペラ 道化師

そしてその日から私の格闘は始まるのである。何せスコアはほぼ真っ白。 稽古で振った時にはヴォーカルスコアを使っていたので、 まずはスコアを振れる状態にしなければならない。 そして依頼を受けたその日はこの演目の本番がある。 5日後に振る前に客席で演目を見られるまたとないチャンス。 しかしその日は夜に母が日本から到着する日で、 私が空港まで迎えに行く事になっていた。 悩んだが、予定通り迎えに行くことにし、代わりに前述の火の鳥の時のように、 指揮者をアップに撮った映像資料をその日の夜の公演に作成してもらう事にした。 次の日の火の鳥のチェレスタをノーミスで乗り越え安堵。

15日には、1月の公演の為に至急作成せねばならなかった楽譜を完成させ、送付。 ここからまる3日ある。しかし、スコアを読むと、特に道化師は大変な難曲である事に改めて気付き、 やや焦るが、出来る事をやるしかないと自分に言い聞かせて本番の日を迎える。 16日の時点ではやや不安に思っていたが、勉強の甲斐あり、これなら大丈夫と自信をもって挑める状態であった。

いざ本番、振り始めると、オケが不安そうにしているのを感じる。 そう、オケも歌手もこの曲が難しい事を知っていて、 指揮者がちゃんと振ってくれなかったらどういう事になってしまうんだろうと 不安に思っていたのだと思う。 ほとんどの人が、私が5日前にこの依頼を受けた事を知っているし、 私がこのような大がかりなオペラを振っているのを見たことがない。 しかし、曲が進んでいくうちに私がこの曲を掌握している事に皆気付いてくる。 最初は無理に皆を引っ張ろうとしていたコンマスも、普通に楽に弾き出した。

そして大成功!劇場関係者も皆心配して見に来ていたが、胸をなでおろしていたようだった。 母も公演を見る事ができ、滞在中一緒に共にする時間は少なかったが、せめて少し親孝行できて良かったです。


ご家族との近影


劇場便り その18

ブレーマーハーフェン 志賀 トニオ 氏

ご存知のようにドイツでは夏が終われば新年度の始まりです。 ブレーマーハーフェンの劇場でもいよいよミュージカル "Der Graf von Monte Christo" (モンテクリスト伯爵)のプレミエ(演目の初日)でシーズンの幕開けです。 そして、シーズンの始まりには必ず新顔の面々が登場し、それと同時に昨シーズンまで見慣れた顔を見ない寂しさが同居するものです。 そこで今回は意外と知られていないシーズンの終わりから新シーズンの始まりにかけての劇場での仕事内容をご紹介したいと思います。


モンテクリスト伯爵の舞台

昨シーズンの最後のプレミエは6月8日でした。シーズンの仕事納めは6月30日でしたから、 プレミエの後に3週間時間があります。通常のプレミエの後にはすぐに次の曲の立ち稽古が始まるのですが、 この最後の3週間には立ち稽古がないので、基本的に本番と音楽稽古だけになります。 音楽稽古とは、次のシーズンに向けてコレペティが歌手と音取りやテキストの発音等を稽古する事です。 ですから、そのシーズンで契約を終える人は本番以外の仕事をする必要がないという事です。 その為、経費節約の必要性から、 劇場の中で短期契約を結んでいる人達(育児休暇や病欠の代理の契約者等)は上記の最後のプレミエまでだけの契約になる事が多く、 その後の3週間は本番だけの日払いになるのです。 これは6週間の夏季休暇中も給料が支払われる専属契約者とは大きな違いです。 専属契約者は本番の合間に音楽稽古を行い、自分の最後の本番が終了したのと同時に、 シーズンの終了を待たずに夏休みに入ります。 歌手によっては最後の演目に参加していない人もいるので、 運がよければ2週間程度早めに夏休みに入り、正式な夏休み期間と合わせて8週間もの間休暇となります。 そして休暇の間は仕事はしてはいけないという規則があるのがドイツらしい所です。 もちろんそれを守らずに個人の判断で働く人達はいますし、それを罰せられるわけではありません。 重要な点はシーズンが始まった時に、休暇中にそのシーズンの為の準備をしてない事が前提になる事です。 オーケストラ奏者の場合、シーズンが始まると必ず最初の2日間はEinspieltag(個人練習日)という楽器に慣れるための期間が設けられます。 これはドイツの学校では、休暇期間中に絶対に宿題が出ないというのと同じ考え方が根底にあるようです。 休暇はあくまで心身をリフレッシュさせ、仕事の英気を養う時間なのです。 しかし、コレペティトーア、指揮者及びソロ契約の歌手達だけは例外で、仕事始めの一日目から、 シーズンの最初の演目及びガラコンサートの準備が出来た状態で参加しなければなりません。 なぜなら一日目にはさっそく最初の演目の音楽稽古の通しをするからです。


モンテクリスト伯爵の舞台

今シーズンの最初の1か月の仕事内容を見ていきましょう。 仕事始めは8月15日でした。その日は9時〜10時、劇場付きカフェで顔合わせ。 10時〜11時、総支配人挨拶、新規雇用者そのの紹介、毎年恒例の火災報知器の説明。 11時〜、音楽部門はミュージカルの通し稽古。 この予定表は前のシーズン最終日に出るので、実質これが我々にとっては夏休みの宿題となるのです。 私の場合この通し稽古でピアノを弾かなければので、 夏休みの最後の1週間程度はその準備をする事になります。 そしてシーズン始め当日は、9時〜11時まではリラックスしているのですが、 内心通し稽古参加者だけはドキドキしながら通し稽古に集中しているのです。 なぜなら、その最初の瞬間が実力をアピールする場であり、 裏を返せば失敗すれば信頼を失う危険をはらんでいるのです。 次の日にはさっそく立ち稽古が始まり、次の難関はガラコンサートとその次の日の "Tag der offenen Tür"。 今シーズンのガラコンサートは9月7日でした。

このコンサートは新シーズンのダイジェストを紹介するものなのですが、 舞台の上に立つ者にとっては、自分たちの実力をアピールする格好の場であり、 新顔にとっては特にファーストインスピレーションを与える場として特に重要となります。 私はオーケストラの中で鍵盤楽器を担当し、ピアノ、チェレスタ及びオルガンを弾きました。 私の場合舞台の前に出るわけではないので、そこまでの圧力はかかりませんが、 オルガンでは私が一人で弾き始める曲があり、ガラコンサート独特の雰囲気の中、やはり緊張しました。 そして次の日の "Tag der offenen Tür" では、劇場全体が無料開放され、一般の方が舞台裏を見れる年に一度の機会。 お客さんにとっては大変魅力的な一日ですが、劇場の関係者は色々なイベントに駆り出されて大忙し。 例えば稽古場で稽古風景の紹介を実際に音を出しながら紹介したり、 ミニコンート形式で上演したりしますから、こちらも重要なアピールの場となります。 これらを乗り越え、ミュージカルのプレミエが終わると、いよいよ劇場暮らしにどっぷり漬かったシーズンの幕開けとなるのです。


劇場便り その17

ブレーマーハーフェン 志賀 トニオ 氏

今ドイツでは、難民の増加が社会問題となり、そのテーマについて議論を交わす事が日常となりました。 先日ドイツ人家族が我が家を訪れた時もその話題になり、 私が難民を指す言葉として一般的に使われているFluchtlinge(難民)という言葉を使用した際、 その言葉には差別的なニュアンスを含んでいるから使用すべきではないとたしなめられました。 代わりにImmigranten(移民)と表現すべきだと。それほど繊細な話題なのだと改めて感じた瞬間でした。 Bremerhavenは駐留米軍が退去した後に人口が減少したため空き家が多く、特に多くの難民が政府からこの街に振り分けられているのではと感じます。

というわけで、今回はその移民問題と、劇場との関係がテーマです。 まず直接的に影響を受けるのは選曲と演出です。毎シーズン必ずこの問題をテーマにした演目が上演され、演出家もそれを意識した演出をします。


ウエストサイドストーリーの場面

4年前のウェストサイドストーリーは現代のロメオとジュリエットと言われる曲で、 縄張り争いでいがみ合う白人系(ジェット)とプエルトリコ系(シャーク)の物語です。 恋に落ちてしまったジェットのトニーとシャークのマリアを巡る争いの後、 まずはそれぞれのリーダーが決闘の後死亡し、最後にはトニーも銃弾に倒れる。 その場面では葬送行進曲が奏でられ、通常はジェットとシャークのメンバー達が、 あまりの惨さを目の当たりにし、 このまま争いを続けるわけにはいかないと思い直して一緒にトニーの遺体を運んで幕を閉じる。 しかし、この時の演出家はジェットのメンバーを早々に舞台から退去させ、 あたかも争いがこれからも続いていく事を暗示させたのである。 その時に私が感じたのは現実の重みと難しさである。 作曲者バースタインがこの作品で表したかったのはきっと、若者達が3人の死をきっかけに改心し、 手を取り合って生きていく事だったかもしれない。しかし現実には、 改心できる人はきっと一部の人で、それ以外の人達は憎しみがさらに増して、 結局争いは続いていってしまうのではないか。 この演出を見て、なんでポジティブな終わり方にしてくれなかったんだろうと思う自分もいた。 なぜ希望を持たせて終わらせてくれないんだと。でも現実はそんなに簡単ではないという事を思わせてくれる演出でした。

その次の年に上演されたDer goldene Drache(金龍)は難民がドイツに押し寄せる直前の2014年に初演された現代を代表する作曲家 Peter Eotvos(ペータ エトヴェシュ)の作品であるが、咋今の世相を見事に表した傑作でした。ドイツに住む人なら誰でも 一度はAsiaimbisというお店を見た事があるでしょう。


「金龍」の一場面

Chinaimbisと呼ばれる事もあるこの軽食屋はドイツ中にあり、 どの店に入っても似通った価格と質であるのが特徴です。 安くてお腹いっぱいになれるので、私もRostockの学生時代に頻繁に食べに行きましたし、 今でもBremerhavenでその都度利用しています。

物語は、その曲名であるDer goldene DracheというAsiaimbisに不法滞在でやってきた10代後半の中国人少女が主人公です。 歯が虫歯になっても医者にかかれない為に、店員が歯を抜くことに。 抜けた歯が落ちて入ってしまったスープを食べるお客のシュチュワーデス2人組。 その裏で少女は出血多量で死亡し、店員達は夜中に橋から遺体を川に落としてしまう。 その水の流れにのって故郷の中国に流れ着くというお話し。 実は隣の風俗店で生き別れになった姉が働いている場面もある等、かなり衝撃的な内容であった。

曲の内容の他にも移民問題が色々な局面で関係してきます。 忘れてはならないのが私自身もドイツでは移民である事。 それは就職先を選ぶ時に注意が必要になってきます。 上述のRostockの音大に合格した時に、親類にネオナチに気を付けるように強く言われました。

それは当時、Rostockでネオナチがベトナム人を襲って殺害した事件がドイツ中で話題となっていたからです。 実際にRostockで危険を感じる事はありませんでしたが、その後訪れた旧東ドイツの町では排他的な雰囲気を感じる事が少なからずありました。

Erfurtの劇場で2か月程仕事した時には、町でほとんど外国人を見かける事がなく、劇場に入ったとたんに、そこだけ国際的になり不思議な感覚になりました。

その他には、劇場では小学生から高校生までを対象にした、 教育プログラムに力を入れています。 子供達が授業の一環で劇場を訪れ文化に触れる機会がとても多くなっています。 そこには当然難民の子供達も含まれますから、心を豊かにする教育こそが私達芸術に携わる者にできる難民支援なのではないでしょうか。


劇場便り その16

ブレーマーハーフェン 志賀 トニオ 氏

昨日、現代オペラのプレミエを終え、今シーズンも残すところ2演目となりました。 来週からはピアソラのタンゴオペラの立ち稽古が始まります。 この時期になるとそろそろ皆シーズンの終わりを見始め、夏休みの過ごし方も決め始めます。 その夏季休暇の夢を見ながら、あと少し頑張れば休める!と思いながら力を振り絞ります。 このような価値観は、夏に6週間の休みがあるドイツの劇場ならではでしょう。 ドイツではご存知、年間6週間の休みが取れるのですが、一般的な会社員の場合、 その6週間を一度にまとめて取らず、何回かに分けるのが普通です。 夏に4週間、クリスマスに1週間、イースターに1週間といった具合です。 この例は子供がいる場合で、学校の休みに合わせて休暇を取るようにし、 逆に子供がいない場合は、その時期を外し、会社が通年で機能するように調整するのです。 ですから、必然的に休んでいる人の仕事を他の社員が分担する事になります。 劇場の場合、仕事内容が特殊で、仕事を分担する事が難しいため、 年に一度まとめて6週間休む事になっています。クリスマス、 新年及びイースター等の祭日には本番がある事が多いので、 特に私のようなコレペティトーアの役職の人はまとまった休みはなかなか取れません。 歌手やオーケストラ奏者は、自分が参加していない演目が必ずあるので、夏以外に、 休みをもらう事が可能です。私も運が良い年は、夏以外に2〜3週間程度休みが取れる事がありました。 また、合唱団員の場合、夏に8週間休みがあるので、 外国人の団員達は長期間祖国に帰れる機会に恵まれていると言えるでしょう。

このように書いていると日本の方々に怒られそうですが、 この働き方の違いが日本とドイツの一番大きな違いの一つでしょう。 私の家族も毎夏日本に帰省していますが、数週間子供達と滞在しているのを不思議そうに見られているのをよく感じます。

劇場での仕事というのは、ドイツの中では極めて特殊で、多い仕事量に対して、 少ない賃金なのですが、日本の音楽家の仕事環境と比べたら夢のような環境と言えるでしょう。 しかしドイツ人にとっては、劇場の仕事は他の職業と比べて明らかに条件が悪く、あえてその仕事を選ぶ人が減っているのが現実です。 ドイツでお休みの話をすると、その話ばかりになってしまい、 いったいドイツ人はいつ仕事をしているんだという錯覚を起こしてしまいかねないので、 ブレーマーハーフェン歌劇場の演目についても紹介しましょう。

昨年は魔笛及び蝶々夫人と名曲が続きましたが、その後はDie Herzogin von Chicago/Kalman, Gier nach Gold-Mcteague/Bolcom, Maria de Buenos aires/Piazzolla, Mariechen von Nimwegen/Martinu. 4演目続けて、プロの音楽家でも知らないようなマイナーな曲が続きます。 曲名が日本語訳されていない為、ドイツ語で書かざるをえない程の曲を採り上げるのは勇気ある選択で、 その斬新なプログラムはこの劇場が内外で高く評価されている理由の一つとなっています。 1曲目はカルマン作曲のオペレッタ。カルマンといえばチャルダーシュの女王や伯爵令嬢マリツァが有名で ハンガリーのチャルダーシュとウィーンのワルツを融合して成功したと言われています。 この曲はシカゴ侯爵夫人と一応訳されていて、上記の二つのスタイルに加え、 アメリカのチャールストンやフォックストロットを採り入れ、楽器にもサックスを採用するなどして、 アメリカ的なサウンドを作り出しています。 その後のミュージカルというジャンルの先駆けとなった作品で、歌って、語って、 さらに踊る大変バラエティー豊かな秀逸な作品で、近年ドイツでは上演機会が増えています。 次のBolcomの作品はドイツ初演の現代曲です。アメリカ出身の作曲家で、 宝くじで一等賞を当てて大金持ちになってから、 人生が狂い始め不幸になっていくという内容のある作品です。 こちらも現代曲らしい難しい作曲技法にジャズやポップのスタイルを採り入れ、 アメリカ的なサウンドを作り出しています。これら2曲は、今シーズンのテーマであった”アメリカ” を意識した選曲となっています。 ここの劇場では毎シーズンテーマを決めて、それに沿った作品を採り上げています。 ブレーマーハーフェンは長い間、アメリカへの玄関口となっていた歴史があり、 多くの人がここから船でニューヨークに向かいました。 戦後は90年代までアメリカ軍が駐留したことから、大変アメリカとの繋がりが強い町なのです。 3曲目のピアソラのオペラは、所謂タンゴオペラとしてこちらも最近ドイツで上演機会が増えています。

そして最後のマルティヌーのオペラ。チェコ人の作曲家で、 オーケストラ作品等が演奏される事があり、私も名前は知っていましたが、 オペラとなると未知数。どんな作品なのか今から楽しみです


Die Herzogin von Chicago/Kalman


Gier nach Gold-Mcteague/Bolcom


劇場便り その15

ブレーマーハーフェン 志賀 トニオ 氏

12月はドイツ人にとって特別な月であり、同時に一年で一番忙しい月です。 皆クリスマスの為の準備に明け暮れ、 その合間を縫ってクリスマスマーケットに出かけるのが楽しみとなっています。 そして今年の私の12月は、そのクリスマスマーケットに繰り出す時間がない程の忙しさになりました。

まず前回の便りで触れたNachdirigieren (代振り)の日程が12月14日のミュージカル、"サンセット大通り"と19日のバレエ公演、 "真夏の世の夢/メンデルスゾーン及びヴァイオリン協奏曲/フィリップ・グラース"と立て続けにあった事。 そしてそれぞれがNachdirigierenで一番難しい一回目の公演であった事。 まったく稽古をせずにいきなり指揮台に立つので、一回目の公演は準備万端でも毎回緊張するものです。 指揮台に立ってみないとわからない事もあり、 今回のミュージカルの公演では苦労する箇所がありました。 エレキギターとキーボードの音が音響の設定が特殊で大変聞き取りづらかったのです。 それまで自分がキーボードを弾いている時には、自分の音も隣で弾いてるギターの音も良く聞こえたのですが、 いざ指揮台に立ってみると、楽器を演奏している所から音が聞こえず、 舞台上方のスピーカーからしか聞こえてきませんでした。 エレキギターとキーボードが重要なリズムを演奏している箇所がいくつかあり、 そのリズムが聞こえずに歌手とずれてしまう問題が何度が生じてしまいました。 振り返ると、それまで振っていた指揮者が同じ箇所でいつも苦労していて、 同じようにずれていたのを思い出しました。このような問題はマイクを使うミュージカル公演特有のもので、 本来は稽古期間中に音響さんと打ち合わせをして解決しておくべき事なのです。 それでも全体の公演としては大きな破綻をせずに小さなミスに留める事に成功し、 まずまずの公演となりました。その後のバレエ公演も成功し、 今度は12月25日の蝶々夫人のプレミエ。こちらは11月上旬から、立ち稽古でピアノと指揮を担当し、 本番では先日7歳となった長女が子役で出演! 蝶々夫人の子役といえば本来3歳の男の子でなければいけないのですが、 ドイツでは子供は6歳以上でないと働いてはいけない法律があり、 彼女がする事に。2幕の途中から50分程ほぼ舞台にでずっぱりであるため、 なかなかの大役。嫁さんは3人の次女達の世話をしなければならないので、 長女が稽古の時には必ず私が世話役となりました。昨日無事ゲネプロを終え、 この便りが発行される頃には2回目の本番を迎えている頃でしょう。

しかし、12月にあった一番の出来事は12月8日にあったビックリ企画、通称"Flash Mob"でした。何それ?と思ったのは私だけではないでしょう。 11月上旬に音楽監督から呼び出され、Flash Mobをやって欲しいと打診されました。 君はOrganization(企画、構成)するのが得意だからと。この Flash Mobとは数年前から流行り始め、 道端やデパートなどでオーケストラが突然ビックリで演奏し始める形態の事。 その映像自体は何度かFacebookで見ていたので、 それは面白い企画を任されたと思いさっそく曲目の選考から取り掛かる事に。 演奏する場所はデパートの出入り口付近の吹き抜けになっている屋内。Youtubeで Flash Mobで検索し、 どのような先例があるのかチェック。 なるほど、人ごみとお風呂のように響き渡る音響を考慮し、打楽器や金管楽器等、 音がはっきり聞き取れる楽器を使う必要がある。 テンポはできるだけ一定のもの選択するのが得策。 それでいて、できればまだ誰も扱っていない曲目を選択したい。 熟考した結果、チャイコフスキー作曲のくるみ割り人形を選択。 ドイツではクリスマスシーズンにくるみ割り人形を演奏する伝統もあり、音楽監督も快諾。 その後演奏会場に何度も足を運び、構想を練る。色々なアイデアが浮かび上がると同時に、 色々な問題も生じてくる。楽譜はどうするのか。 譜面台は?楽器ケースは?チェロの椅子は?等々。 その後、歩きながら演奏する管楽器奏者ようにマーチング用の楽器に取り付ける形態の譜面台を注文し、 楽譜は厚手の縮小した紙にコピー。その他の問題点も一つ一つクリアし、 それと共に演奏の段取りも決まっていく。まずはヴァイオリン奏者が一人で演奏し始め、 その後、その他の奏者が少しづつ加わっていく。 フルートがエスカレーターを登りながら登場する場面は特に念入りに準備。 早く登りすぎたらエスカレーターの上で演奏している効果が見えないし、 遅すぎると演奏自体が聞こえてこない。 2曲目で加わるコントラバスの登場を大きく見せるようにしたり、 3曲目で金管楽器が階段の上から登場する場面、 4曲目でティンパニが楽器を転がしながら加わってくる場面等、 細かい細工をあちこちにちりばめる。最後には家族にもお願いし、 最初にストリートミュージシャンとして一人で演奏し始める ヴァイオリン奏者の楽器ケースに子供達がお金を入れるさくらとして登場してもらう。 これらの計画表をオーケストラに配り、前日早朝のお客がまだいない時間に30分程リハーサル。 もう少し長くリハーサルをしたかったのですが、寒さのあまり断念。 そして当日土曜日の12時ぴったりに、予定通り開始。最初は噂を聞きつけた身内の観客20人程度でしたが、 みるみるうちに膨れ上がって大盛況!後日新聞にも取り上げられ大成功。今後定番となる企画になりそうです。

Facebookをお持ちの方はStadttheater Bremerhavenのサイトで、 もしくはYoutube(Flash Mob Bremerhaven で検索すると出てきます)で演奏の様子を視聴する事ができます。
   こちらからご覧頂けます


デパートでのFlash Mob の様子


クリスマス・マーケットにて志賀ギゼリンデさん(右)と志賀トニオさんご一家


「蝶々夫人」のプレミエ公演(12月25日)子役のお嬢さんの初舞台


劇場便り その14

ブレーマーハーフェン 志賀 トニオ 氏

今シーズンが始まって2か月余り。オペラ部門は現在魔笛の稽古中で、それが終われば次は蝶々夫人と、 名曲続き。バレエ部門は今シーズン一番の大物のプレミエを控え、私は魔笛の稽古と平行してこちらにも参加。 演目はメンデルスゾーンの真夏の夜の夢とフィリップ・グラースのヴァイオリン協奏曲。 同僚の指揮者が受け持っている演目なのですが、彼が振る事ができない日程があり、 私が9回ある本番の内、3回を受け持つ事に。 このように本指揮者が受け持っている演目を指揮することを業界では"Nachdirigieren"と呼びます。 日本語に訳しにくい言い回しで、"代振り"と言われたりします。 ただ日本で代振りというと、本振りの指揮者が仕事の都合で来れない時に稽古したり、 病気で本番を急遽交代した時に使われ、計画的に数公演を受け持つという事例がほとんど存在しません。 それは日本では一つの演目を数多く上演する機会が少ない為です。 ドイツの劇場では一演目を少なくても6回は上演し、オペレッタやミュージカルとなれば一シーズンに20回前後上演されます。 大きい劇場になると所謂レパートリーの演目が何曲もあり、何十年と同じ演目、同じ演出を続けています。 例えばミュンヘンのバイエルン州立歌劇場では魔笛や薔薇の騎士のように、 何十年も前に出来た名物の演出が今でもそのまま上演されており、 指揮者はその演目を Nachdirigieren する事になります。これを日本風に代振りと言うと、ちょっと違和感を感じてしまいます。 そして若手指揮者にとってはまずこの Nachdirigieren を確実にこなしていく事が次の段階にステップアップする条件となります。 私は今シーズン、ミュージカル5公演、オペレッタ4公演、バレエ3公演を Nachdirigieren する事になりました。 そしてこの三つのジャンルは、まさに若手指揮者が出来なければいけない難関なのです。 ミュージカルの場合、台詞や舞台転換等に合わせて指示を出していかなければなりません。 例えば曲中に4小節の繰り返し箇所があり、歌手が歌うのではなく語り続け、 "さようなら"と言ったら繰り返す事を終了し、音楽を先に進めるとしましょう。 (これを業界用語でStichwortといいます。) このような箇所の指揮者の仕事は、まずこの4小節が必要以上に多く繰り替えされ、 音楽が間延びしないようにテンポを計算し、この4小節にたどり着く事。

次に Stichwort"さようなら"が来る少し前にオーケストラ奏者にそろそろStichwort が来るという合図をし、 実際に Stichwort"さようなら"がきた瞬間に先にいく合図を出さなければなりません。 ここで難しいのが、4小節の繰り返しの中のどこでStichwort がくるかという事です。 もし4小節目ぎりぎりでくるとそこで指示が遅れて先にいけなかった場合、もう一度4小節を繰り返さなければならなくなり、 場が間延びしてしまいます。実力のある歌手だと、Stichwort が4小節目にくるように音楽を聞きながら絶妙に調節してくれる事もあります。 しかし、現場ではしばしば失敗が起こります。1小節目にきてしまった Stichwort に反応して、 4小節を待たずに先にいく合図を出してしまった指揮者に反応してオーケストラの半分だけが合図通りに先にいって空中分解。 何を隠そう、私も先シーズンのミュージカルで一度失敗してしまいました。すでに6公演を Nachdirigierenし、常に成功していた箇所だったのですが、 その日は歌手のマイクの音量が小さく、語りの部分が聞き取りにくく、Stichwort を聞き逃すまいとそちらに集中しすぎてオーケストラがいま 4小節の繰り返しのどこにいるのかを聞く事がおろそかになり、1小節早く先にいく指示を出してしまったのです。 その時はオーケストラの編成が小さく、すでに15公演ほどこなして、 曲を皆よく知っていたので、大きな空中分解にならずに済みましたが、大変な冷や汗をかきました。

それから、今回のミュージカルでは Drehbühne (回転舞台)が使われました。 これは演出効果が高く私は大変好きな手法で、Drehbühne を使った演目は失敗しないと私は思っているのですが、 指揮者にとっては腕の見せ所となります。この Drehbühne は稽古の時に時間を計って、 それに合わせて適切な回転スピードをプログラミングしますから、その稽古の時とほぼ同じテンポで指揮をしなければなりません。 例えば、30小節目に Drehbühneが回転し始め50小節目で終わり、 それと同時に上方から雨が降ってくる演出だとすると、ほぼ時間通りに回転を終えないといけません。 以前ハンブルクにあるミュージカル専門の劇場を訪れた時に、 指揮者が譜面台の所にメトロノームを置いてテンポを確認しながら振っているのに驚いた事がありました。 このようなミュージカル専門劇場では、毎回同じテンポにしてすべての転換等を完璧に作リ上げる事が基本となっているようです。

次にバレエの場合、ダンサーが踊りやすいテンポで指揮する事が重要です。 大きい劇場では主役級のソリストが交代で踊る事も多く、そのソリストに合ったテンポで振る事も必要になります。 ここの劇場ではそういう事はありませんが、ほぼ本指揮者と同じテンポで振らないと踊れなくなってしまいます。 かといってメトロノームのように機械的に振っては音楽が生き生きしてきません。 そしてバレエのNachdirigieren で特にやっかいなのは、稽古に参加せずにいきなり本番になってしまう所です。 オペラやミュージカルの場合音楽稽古や立ち稽古の間に曲を覚えるので、 ほぼその時点でいつでも Nachdirigieren できる状態になりますが、 バレエの場合立ち稽古はCDで行い、オーケストラの稽古は本指揮者のみがするので、 曲を覚える為には自分で家でピアノを弾いたり、公演のDVDを見る事になります。 そして、我々代振り指揮者には公演前に稽古する機会はなく、必ずぶっつけ本番になります。 この難しい仕事をこなせて初めて、次のステップに進み自らの演目を受け持つ事が出来るのです。


今年のバレエ部門のプレミエ公演からメンデルスゾーン「真夏の夜の夢」の舞台シーン





志賀トニオさんの活躍されている Stadttheater Bremerhaven


劇場便り その13

ブレーマーハーフェン 志賀 トニオ 氏


コレペティトーアとして歌手(右上に見えます)のオーディションの伴奏をする筆者


舞台から見た客席

ブレーマーハーフェン歌劇場では6週間の夏休みが終わり8月15日から今シーズンがスタートしました。 その仕事始めのスケジュールは9時〜10時、社員食堂で顔合わせ。 10時〜11時、舞台上にてシーズン初めの挨拶。 11時から各持ち場で仕事始めとなります。 入れ替わりの多い業界ですので、9時からの顔合わせで、 今シーズン新たに加入した15名程の仕事仲間と初めて面会しコーヒーを飲みながら交流を深めます。 10時からの挨拶では、そのニューフェイスの面々が一人一人紹介されます。 ここでは1年を通して唯一100人を超える劇場の全従業員が集まり、 総支配人の挨拶と毎年恒例の火災報知器についての説明が行われます。 火災報知器は実際に鳴らされ、舞台上で火を使う事が禁じられている事や、 もし火災が起きた時の処置を丁寧に説明されます。 そして、私にとって感慨深いのは、この日に再会した歌手やオーケストラ奏者のニューフェイス達。 あの大変であったオーディションを突破し、ここの舞台に共に立つ事の喜び。 自分が伴奏したその時を思い出しながら、彼等に祝福の言葉をかけることのできる特別な時間なのです。 そこで今回は劇場のコレペティトーアのオーディションの仕事についてお話ししましょう。

歌手の場合、劇場の専属歌手が別の劇場に移動もしくは契約が延長されなかった時、 新しい専属歌手を探す事になります。もしくは演目によって、専属歌手だけでは賄えない時にゲスト歌手を雇います。

専属歌手のオーディションの場合、どの声種であるか確認し、その声種のスタンダードなレパートリーを一通り事前に目を通す必要があります。 例えばスブレットソプラノと呼ばれる声種の場合、フィガロのスザンナ、ドンジョヴァンニのツェルリーナ、 魔弾の射手のエンヒェン等。これらおよそ10〜20曲前後のアリアを事前に練習し、 録音を聞き準備をします。オーディション当日には楽屋口でリストをもらいその日の受験者の人数を確認。 多い時は2人で分担し、一人で5人〜10人程度を伴奏します。 一人5曲程度稽古し、本番ではその中から2曲審査員から指定されます。

一曲目は自分で選ぶ事が出来る事もあるので、 この5曲のプログラミングと一曲目の選曲が重要なポイントとなります。 5曲の内訳は劇場から指示があり、ミュージカルを英語で、オペレッタをドイツ語で、 オペラをドイツ語とイタリア語で及び現代曲、といった具合です。 スブレットソプラノは快活でチャーミングな役柄が多いので、演技力や言語力も重要視されます。 これら5曲を一人10〜15分程度で稽古しますが、オーディション開始時間は決まっていますので、 時計を見ながら柔軟に対応します。上記のスタンダードな曲は手短に稽古し、 マイナーな曲に時間をかけます。

よくある例では、開始2時間前には2〜3人の歌手しかおらずゆっくり時間をかけて稽古をしていたら、 開始30分前になって10人もの歌手がほぼ同時に到着し、 一人3分づつ、大急ぎで稽古をする事になってしまう事。 この場合上記のスタンダードな曲は稽古せず、自分が弾いた事のない曲だけ、 もしくは歌手が自分で一曲目に選ぶ予定のものだけ選別して稽古し、 あとは同僚が伴奏している時に舞台袖で楽譜を見て少しでも音楽を頭の中に入れて対応します。 いざオーディションの本番の時は、どれだけフレキシブルに対応できるかがポイントになります。

歌手の人達は緊張していますから、それを程よくほぐす事も必要ですし、突然速くなったり、 遅くなったり、時には歌詞を忘れて数小節飛ばしてしまう事もあります。 そうなった事を審査員に気付かれないように伴奏できれば成功です。専属歌手の審査の場合、2〜3か月以上 数回に分けてオーディションを実施し、30〜40人の中から4名程度が2次審査に進みます。 2次審査では、1次審査で聞かなかったアリアを歌ってもらい、 音楽監督や演出家でもある総支配人からの指示があり、その指示に対応できるかが審査されます。 最後には面接があり、この2次審査を通った歌手が、上記の仕事始めに現れるわけです。(了)


劇場便り その12

ブレーマーハーフェン 志賀 トニオ 氏


昨日は今シーズンの仕事納め。そして本日(6月25日)は今シーズン最後の公演でした。 私は参加しなかったため、今回は妻が公演を見に行く事に。毎回売り切れになる人気のミュージカル、 怪傑ゾロの最後の公演だったのにもかかわらず、売れ行きが良くなかったので、 おかしいなと思っていましたが、当日になってやっとその理由がわかりました。公演は19時半から。 ワールドカップのドイツ対スウェーデン戦は20時から。。サッカーはお国の一大事ですから、 当然多くの人が観戦を優先したわけです。私は自宅で子供の面倒を見ていましたが、 試合中町中は静まり返り、勝利の瞬間にはあちこちで車のクラクションが鳴り響いていました。 本番が終了した後、今シーズンで劇場を去る同僚とのお別れ会に出席するため劇場へ。 それが試合終了とほぼ同じ時間帯だったため、町中が大騒ぎ。 自転車で向かったのでですが、荒い運転の車が多く大変危険を感じました。

このように劇場での仕事は社会生活と密接な関係があります。 今シーズンのブレーマーハーフェンの劇場の一番のヒット作はMenotti(メノッティ)作曲のDer Konsull(領事)でした。 いわゆる現代曲に属するオペラですが、 難民問題に悩む政治状況に合った作品としてここ数年頻繁に取り上げられています。簡単に曲目解説いたしましょう。

とある独裁体制下の町で、自由を求めて秘密裏に立ち上がったグループに属する夫を持つ家族が主人公です。 その夫は政治犯として警察に追われ国境近くに身を隠すことに。 そこで赤ん坊を抱えた妻に領事館に行って、出国許可(VISA)をもらってくるように嘆願します。 妻は要求通りに領事館に行くわけですが、多くの他の申請者同様、なかなかVISAがおりません。 舞台の中心はその領事館での領事秘書と申請者とのやり取りである。 結局夫は捉えられ、子供は栄養失調で死に、妻は絶望のあまり自殺するという悲劇的な内容です。 現在のドイツでは難民が社会問題となっており、受け入れに寛容であったメルケル首相に対する風当たりも強くなり、 最近では受け入れを制限し、一度受け入れた難民でも条件を満たさなければ国に送り返すといった、厳しい対応を取っています。

ですから、このオペラに類似した状況が現実に起こっているため、その政治状況に対する問題提起の意味も込めて、 この作品が多く上演されています。

そしてこの問題はすべての異国で働く外国人に少なからず当てはまるのです。 こに作品のオーケストラの稽古中に弦楽器奏者同士の喧嘩が始まりました。 第一ヴァイオリンと第二ヴァイオリンのそれぞれルーマニア人でした。 どうも第一ヴァイオリン奏者が第二ヴァイオリン奏者の出自をちゃかすような発言をしたようで、 それに怒った第二ヴァイオリン奏者が次の日から稽古に来なくなってしまいました。 後から聞きましたが、旧共産圏で国を出る事が難しかった彼等には特別な事情があったとの事。 第一ヴァイオリン奏者は両親が政治家に融通してもらい容易に出国できたが、 第二ヴァイオリン奏者は何年も待ってようやくVISAがおりて出国できたとの事。 日本人としてドイツの外人局に行くと感じる抑圧的な対応も一例で、このオペラの内容は、 昔の事でも他人事でもなく、まさに今現在の自分達の問題なのです。 2年前にドイツに難民が押し寄せ、ここブレーマーハーフェンでも難民が溢れています。 それまで待機児童の問題がなかった町でしたが、急に幼稚園も学校も足りなくなり、 我々も子供達の行く所に苦労しました。そういう状況ですから、 右翼政党が議席を伸ばすのも必然かもしれません。 しかしその一方で、その状況に危機感を持つドイツ人も多く、 その為に劇場が役割を果たしています。先日マインツの中心部の広場で右翼団体の移民排斥デモが行われました。 その時広場の前に立つ劇場からベートーベンの第9が響き渡りました。

彼等はこのデモに抗議して、窓を全開にして歌ったのでした。 Alle Menschen werden Bruder! Alle Menschen, alle Menschen!!

オペラ「領事」から2場面


領事秘書と申請者達


申請者の一人マジシャン


劇場だより その11

ブレーマーハーフェン 志賀 トニオ氏


桜の咲く自宅の庭

先日、オーケストラの打楽器奏者の引っ越しの手伝いに行ってきました。 2年程前に引っ越したばかりだったので、再度引っ越す理由を聞いてみると、家を買ったとの事。 ドイツの歌劇場ではオーケストラ奏者と合唱団員のみが終身雇用制で、指揮者、 コレペティトーア及びソロ歌手は単年ないし数年契約です。 従って、安心して家を買う事ができるのは上記の終身雇用の契約者になります。 ソロ歌手は単年ないし数年契約です。 従って、安心して家を買う事ができるのは上記の終身雇用の契約者になります。 ソロ歌手の場合は特に安定した職を持つ事が難しく、家族を持ち、 家を買うためにソロ歌手としての活動を諦めて合唱団員になる人も少なくありません。 劇場専属のソロ歌手の場合、その契約期間中は安定した収入を得られますが、 総支配人や音楽監督が交代する時に契約を切られてしまう事が多く、 その度に別の劇場を探さなければなりません。それを嫌って、最初から専属契約をせず、 フリーで活動する歌手も少なくありません。 ソロ歌手の場合、特に難易度の高い役柄ではゲストを呼ぶ事が多いので、 専属歌手として経験を積んだ後にフリーになり、 突然首を切られてゼロのなってしまうリスクを回避するのです。 その場合、交通の便の良い所に家を買って、そこからドイツ中に飛び回る事ができます。 指揮者やコレペティトーアの場合歌手と違い、フリーの演奏家の需要は大都市にしかありません。 ですから上記のソロ歌手のようにリスクを回避したい演奏家は、大都市に活動拠点を置き、 少しずつ人間関係を構築していきます。例えば、音大の非常勤、アマチュアオーケストラや合唱団等、 日本での音楽家と似た活動をする事になります。 専属契約を続けて劇場を渡り歩く場合には、生涯賃貸の物件に住む事が多く、家を買った場合には、 夫婦の一方が劇場を移る時に単身赴任する事になります。 このようにドイツの劇場で働く音楽家(世界中の?)にとって、 家族や家を持つ事は大変大きな問題となります。

さて、ここからは前回の劇場便りでご紹介したワイマール国民劇場での家の話をしましょう。

ここでは合唱アシスタントとして当初3か月の短期契約であったため、 劇場が住まいを用意してくれる事になりました。家賃は自腹ですが、月額150ユーロとの事。 ロストックの学生寮に住んでいた私は、そこでの家賃180ユーロより安い事に驚きました。 しかしワイマールのようなメジャーな劇場が用意する物件だから変な物件ではないだろうと思いましたし、 聞けば合唱監督も同じマンションに住んでいるとの事。 そしてさっそくオーディションの数日後にはワイマールでの仕事が始まりました。 ロストックから電車で5時間程でワイマールに到着し、直接劇場へ。 プロとして初めての劇場での仕事でドキドキしながら夕方の合唱団との稽古に参加。 合唱監督が指揮をし稽古をする時にピアノを弾くのが私の役目。曲目はカルメン、 神々の黄昏、トスカ、トゥーランドットの合唱箇所。 なかなかの難曲ばかりでしたが無事終了。 そしていよいよ例のマンションへ合唱監督と行くのかと思いきや、 鍵と住所の書かれた紙きれだけ渡させて、タクシーに乗って行けとの事。 同じマンションに住んでるのになんて不親切なんだと思いましたが仕方がありません、 諦めて言われた通りマンションにタクシーで向かいました。 数分で丘の上のマンションに到着。ややおんぼろの歴史を感じるたたずまい。 私の部屋は4畳半程で、トイレとお風呂は共同。しかし部屋にはベットも掛布団もない。 以前の住民が置いていったらしい毛布に似た敷物が一つだけ。そんな事もあろうかと、 用意周到に空気マットレスと寝袋をロストックで買って持参していた。 さっそく空気マットレスをポンプで膨らまそうと思ったが、なんと差込口のサイズが合わない。。 こちらは断念して今度は寝袋を袋から取り出すと、なんと今度は寝袋とは違うものが出てきた。 何やらマットのような物であった。実はこれ、海水浴場で砂浜の上に敷く薄型マットレスであった。 とんだ間違いをしてしまったが、怪我の功名!薄型ではあるがないよりはずっといい。 11月で寒かったため、着ていた上着と上記の敷物を掛布団代わりにして一日目の夜を乗り切る。 次の日は午前中の仕事を終えてすぐにお店に駆け込み、電動式ポンプを購入。掛布団は友人に借りる事ができ、 事なきを得る。結局ここの家には1年半住む事になるのだが、実はこのマンション、 ドイツ唯一の芸術家財団Marie-Seebach-Stiftung所有の建物だったのである。

Marie-Seebachはワイマール国民劇場で俳優(Schauspielerin)として活躍した方で、 芸術家が老後に安心して生活できるように財団を設立し、芸術家のための老人ホームを整備したのでした。 ですから、私が住んだマンションの周辺に財団所有の老人ホームが数棟あり、唯一このマンションだけが、 現役の芸術家向けに安く貸し出されたものでした。 このような財団はイタリアの大作曲家ヴェルディが設立した、 その名もヴェルディという財団が有名ですが、ドイツ唯一の芸術家財団がワイマールにあり、 ドイツ中から引退した芸術家がここに集まっている事はあまり知られていません。 そしてそれぞれの財団に共通する理念は、経済的に恵まれない芸術家を支援する事なのです。


ワイマールの住まい、由緒あるマンションを背景に


劇場だより その10

ブレーマーハーフェン 志賀 トニオ氏


ワイマールの象徴「国民劇場」


ワイマール時代の筆者

今日は久しぶりに我がブレーマーハーフェン歌劇場のシンフォニーコンサートに行ってきました。 毎シーズン8回ある定期公演のうち、今回は5回目。最大のお目当てはソロオーボエ奏者 Ramon Ortega Quero。母校ロストック音大の同僚で、 当時若干19歳で1位をなかなか出さない事で知られるミュンヘンの世界的コンクールで40年ぶり、 史上3人目のオーボエ部門1位に輝いた逸材である。音大時代には、時間さえあれば彼の演奏を必ず聞きに行ったものだが、 そんな彼がここブレーマーハーフェンでRichard Straussのオーボエ協奏曲を演奏するというのだ。 ワクワクしながら会場へ向かい、今日は時間があったのでじっくりとプログラムの曲目解説を読んでみる。 今日のプログラムは前半がRichard StraussのMetamorphosenとオーボエ協奏曲。後半がブラームスの交響曲3番。 1曲目のMetamorphosenは第2次世界大戦末期に書かれた曲で、 ミュンヘン郊外の山荘に暮らしていた晩年の作曲者が次々と破壊されていく祖国に絶望し、 彼の愛したドイツ文化の死を表したものである。その作曲中に書かれた手紙の一文をプログラムノートからそのまま引用しよう。

”Ich bin in verzweifelter Stimmung. Das Goethehaus, der Welt grostes Heiligtum, zerstort! Mein schones Dresden-Weimar-Munchen, alles dahin!”
”私は絶望しています。世界でもっとも崇高なゲーテの家も破壊されました。私の愛するドレスデン、ワイマール、ミュンヘンは壊滅です”。

そしてここからが今回の本題、私がドイツで最初にプロの音楽家として仕事を始めたワイマール国民劇場のお話しです。 湘南日独協会及び鎌倉市とも姉妹提携しているワイマールはドイツ人にとって特別な存在のようです。
谷にあり、人口わずか6万人の町であるのに、上記のように大都市と並んで語られる存在なのである。 ご存知のようにドイツの歴史上最大の文豪ゲーテの町として知られているが、 他にもベートーベンの第9の作詞家として有名なシラー、音楽家ではバッハ、リスト、ワーグナー、 上記のリヒャルトシュトラウス等、数多く活躍しました。 そして日本人がよく知る1919年制定のワイマール憲法は歌劇場に於いて調印されました。 そのワイマール国民劇場の正式名称は”Deutsches Nationaltheater Weimar“。 ここで使われている”Nationaltheater“ という名称はワイマールとマンハイムの劇場にのみ与えられた特別なものです。 マンハイムはモーツァルトの時代に世界一と言われたオーケストラがあった町で、 モーツァルトはパリに行く途中に訪れて多大な影響を受けています。 彼の31番以降の偉大な交響曲はこの訪問抜きには生まれなかったでしょう。

そして、その伝統あるワイマール国民劇場の合唱アシスタントとして私のキャリアは始まる事になる。 ここで劇場の合唱団について少し解説しておきましょう。 ドイツの歌劇場では、その規模に応じた合唱団の大きさがあり、当然その規模に合わせて合唱監督が配置される。 ミュンヘンやベルリンのように100人規模の合唱団の場合、第1合唱監督、第2合唱監督、 合唱アシスタントの3人が配置される。合唱アシスタントを配置できるのは合唱団員45人以上の劇場で、 ワイマールはそのぎりぎりライン。それ以下の人数の場合、合唱監督が一人で受け持つ事になる。 これは指揮者とピアニストの分業が基本の日本との大きな違いである。 ちなみにここブレーマーハーフェンの合唱団員は20人。

さて、そのワイマールでの合唱アシスタントの仕事内容を紹介しましょう。 一番主な仕事は合唱監督が指揮し音楽指導する合唱稽古でピアノを弾く事である。 ここで習うのは合唱団の伴奏方。最も重要なのが安定したテンポと和音を際立たせること。 細かい音符等は省略し、合唱団に必要な音を拾って弾く。これが出来るようになると、 ピアノの弾き方一つで合唱団がいつの間にか歌えるようになり、 本番の指揮者やオーケストラが不安定になっても絶対に崩れない出来栄えになる。 もう一つの仕事はパート練習の分担。音楽監督と分担して各声部に分かれて細かい練習をする。

それから、規模の小さい劇場には劇場専属のアマチュア合唱団を有している事が多くこちらも週に一回程度指導しなければならない。 これは規模の大きい合唱を必要とする演目を上演する時の補足要員となります。 そして私が所謂合唱監督として任されたのが少年少女合唱団の指導。 オペラの演目では少なからず子供の合唱が必要とされるので、その為の稽古をしなければなりません。 私が最初に取り組んだのがプッチーニのオペラ”トゥーランドット”。町にあるGoethe Schuleという名の学校まで毎週指導に通い、 イタリア語のテキストや音取りから始め、 プロのレベルとして通用するまでにしなければならない。 もちろん普段その学校で毎日指導している先生がいるのだが、 オペラの舞台に出るとなると演技もしなければならないし、なかなか大変である。 それらの仕事を毎日無我夢中でこなし、仕事場での評価も上々で、 当初3か月の契約だったのが10か月に延びる事になる。 結局その10か月で契約を終える事になるのだが、 ワイマールの劇場で働いたという経験と経歴を得たのは大きな財産になり、 その後オーディションを受ける為に必要な招待状を受け取るための最大のカードとなったのである。


トニオさんとお母様のリンデ(志賀ギゼリンデ)さん


劇場だより その9

ブレーマーハーフェン 志賀 トニオ氏


Halleの劇場


Neustrelitzの劇場

今年も残り数日。ブレーマーハーフェン歌劇場では11月に”リゴレット”、 クリスマスにベートーベン唯一のオペラ、”フィデリオ”のプレミエがありました。 そしてそれぞれの曲で重要な役割を担うのが合唱です。 その合唱団には今シーズンからキューバ人の "Chordirektor"(合唱監督)が就任しました。 国を出る事すら難しい環境下、ピアノの腕前を認められてザルツブルクに留学し、 Weimarの "Chorassistent"(合唱アシスタント)の職を経てここに来ました。 私は以前そのWeimarの職場で同じ上司(合唱監督)の元で仕事をしたので、 彼の仕事ぶりに親近感を感じます。 そこで今回は、私がドイツでプロの音楽家としてキャリアを開始した時のエピソードと、 歌劇場における合唱団の役割について、2回に分けてお話ししたいと思います。

10年程前、ロストック音楽大学の指揮科に在籍していた私は、就職先を探し始めていました。 ドイツで指揮者になる為の王道は、劇場の "Solorepetitor mit Dirigierverpflichtung"(コレペティトーア兼指揮者) と呼ばれるポジションを獲得する事でした。 これは所謂ドイツの伝統的な叩き上げの指揮者が最初に経験しなければならない職です。 ですから必然的に競争率が高く、獲得するのが難しいポジションです。 その職を得る為の最初の難関は、募集が出た時にいち早くその情報をキャッチし、 応募した後、"招待状"を受け取る事でした。 この"招待状"を受け取れなければオーディションを受ける事ができません。 ドイツの歌劇場では、この”招待状”システムが非常に重要で且つ難しいポイントです。 私の場合、日本の音大を卒業し、ドイツではロストックに2年在籍しただけでした。 ですからドイツの大きな町の音大に4年以上在籍していたような他の応募者と比べると経歴で見劣りし、 招待状を受け取る事は容易でないと考えました。そこで私は、まず音楽事務所に所属する事を目指し、 そこを通して応募した方が可能性が高いと判断し、ZAV(Zentrale Auslands und Fachvermittlung) と呼ばれる公立の音楽事務所のオーディションをベルリンまで受けに行きました。 ドイツには私立の音楽事務所も多数ありますが、若手指揮者は、 コンクールの賞歴がある場合を除き、通常このZAVから始め、キャリアアップした後に私立に移行します。 首尾よく合格した私は、早速ZAVの紹介で招待状を受け取る事に成功し、 一つ目の劇場にオーディションを受けに行きました。 それがロストックとベルリンの間に位置するNeustrelitzという小さな町の劇場でした。 小さいけどもおとぎ話に出てくるようにかわいらしく魅力的な劇場で、 オーディションが終わった後にはすぐ側の湖の畔で小一時間程、 達成感と開放感に身を委ねていたのを今でも鮮明に覚えています。 約1週間後に落選したとの通知がありましたが、そのすぐ後にHalleの劇場から招待状が届きます。 Halleはヘンデル生誕の地であり、町も大きくかなり難関なポジションです。 そのオーディションの準備の最中、ZAVから連絡が入り、 Weimarの歌劇場の“Chorassistent”(合唱アシスタント) の席が突然空いたから、当面3か月だけの契約内容だが、受ける気はないかと依頼されました。 オーディション予定日はHalleの次の日。Halle からWeimarは電車で1時間程だから、物理的には両方受験可能だ。 しかしコレペティトーア兼指揮者 のポジションと 合唱アシスタント ではオーディションの内容が全く異なるため、両方をこなすのはなかなか難しい。 しかしWeimarの話に大きなチャンスを感じとった私はその依頼を受け、 Halleを断るのも勿体無いと思い、二兎を追う者は一兎をも得ずとならないように願いながら、 内心ややWeimarの方に重きを置いて準備した。なぜなら合唱アシスタント の受験曲は初めてのものばかり。Halleの方は所謂スタンダードな内容で、 すでにZAVとNeustrelitzのオーディションでこなした内容と大差なかったからである。 結果、私の感が的中し、首尾よくWeimarのChorassistentの職を得る事になる。 人生で初めてプロの音楽家として定収入を得て仕事が出来る事になり、今振り返っても、 まさに私のキャリアの出発点であったと言えるだろう。その後のWeimarでの仕事ぶりについては次回お話ししましょう。


劇場だより その8

ブレーマーハーフェン 志賀 トニオ氏




快傑ゾロの舞台

今シーズンが始まってから2か月が経ちました。先週、バレエのプレミエがあり、すべての部門の最初の演目が出揃いました。 今回はオペラ部門最初の演目、”ゾロ”について詳しくお話ししましょう。

ここブレーマーハーフェンの劇場ではミュージカルでシーズンの幕を開けるのが伝統となっています。 シーズンを通し20回前後上演され、ほぼ毎回売り切れになる重要な演目です。怪傑ゾロが覆面を付けて登場し、 悪者達を見事な剣さばきで倒していく物語です。そのミュージカル版という事で、 音楽はフラメンコギターとしゃがれた歌声で一世を風靡したジプシーキングというグループのナンバーが中心です。 日本でも大ヒットし、ビールのCMに長い間使われていたので、きっとどこかで聞いた事があるでしょう。 そのジプシーキングの大ファンである劇場の支配人自らの肝いりで上演される事に決まり、彼自ら演出を手掛ける事になりました。 スペイン語に堪能な支配人は、ジプシーキングのナンバーを何曲も暗譜で歌える腕前。 しかし、実際に上演するとなると幾つかの障害がありました。オーケストラの編成はギター4人、トランペット2人、キーボード2人、 打楽器2人。一番の問題はフラメンコギターを弾ける奏者を4人見つける事でした。 ジプシーキングの演奏は訛ったスペイン語の歌とジプシー風のフラメンコギターが特徴ですから、 その特異な様式を体現できなければいけません。そこらじゅう探した結果、 ブレーメンを中心に活動するプロのフラメンコギターのグループが採用されました。 しかし、リーダーの奏者以外はコードネームから弾く経験しかなく、音符を読む事ができない。 メンバーの多くがスペイン語しかできず、ドイツ語でコミュニケーションが取れない。 当然指揮に合わせて演奏した事はない。結局彼等はこのプロダクションの為に、楽譜を読む練習をし、 指揮に合わせて演奏する術を少しづつ身に付けていきました。そんな彼等との印象的な稽古の一コマ。

ギタリストの一人が声を上げ練習を止めました。"我々のスタイル(演奏様式)と、打楽器のスタイルが違いすぎる。 それはルンバではない!"劇場の打楽器奏者は楽譜に忠実に演奏していたわけだが、どうも具合が悪いらしい。 "僕が演奏してみるから聞いていてくれ"楽譜を渡す我が劇場のプロ奏者。"いや楽譜は読めないからいらない。 僕は演奏する事しかできないから"この名台詞?の後に模範演奏。確かにリズムも感覚もまったく違う。というか、 ギタリストの彼が打楽器奏者としてもプロレベルであることに脱帽。

もう一つの問題は二つのキーボード。上記のようにオーケストラは少人数で、足りない楽器はキーボードで補うアレンジ。 例えばフルートやトロンボーン、鐘の音等をキーボードで演奏するわけだが、どうしても安っぽい音になりやすい。 そこで今回、世界の一流ミュージカル劇場が使用するキーボード、チューナー及びパソコン(マック)のセットをなんと劇場が購入! さすが支配人の肝いり。しかし2台はさすがに買えないので、1台はグランドピアノで代用。 そして公演数が多いため、交代で演奏できるようキーボード奏者を外部から2人採用。 なにせ、パソコンの設定から始めないといけないので、その道のプロでないと扱えません。 しかしプレミエの数日前そのうちの一人が病気になり出演をすべてキャンセル。そこで公演の指揮とピアノパートを同僚達と分担し、 プロダクションを熟知している志賀君にやってもらおうという事になった。さっそくもう一人のキーボード奏者と打ち合わせ。 まずケーブルの差し込み方、パソコンを立ち上げセッティング、ペダル操作による音色変換等、なかなか複雑である。

入念に準備していよいよ本番当日。開演1時間前にステージマネージャーから連絡が入り、本番開始が遅れそうだとの事。 なんとその日は台風が直撃し交通が麻痺してしまったのです。主役級の2人の歌手がベルリンとハノーバーから来る予定が、 電車が止まってしまい、急遽レンタカーで向かう羽目に、、そしてその道路も倒木の影響であちこち通行止め。 イネス役は開演時間の19時半頃に到着しそうで、ラモン役は20時頃にはなんとかつきそうだとの連絡が入り、 結局本番を30分遅らせて開演する事に決定。そしてラモン役は彼が到着するまでの間、支配人自ら代わりを演じる事に。 6曲目の彼のナンバーは間に合わなければカットして飛ばし、その後にある決闘のシーンまでに彼が到着する予定。 このシーンは剣を使って複雑な動きをし、危険も伴うため急遽代わりをする事はできない。 そんなすったもんだに追い打ちをかけるようにすでに会場入りしていた首席トランペット奏者が急病のため出演をキャンセル。 こちらも急遽アマチュアオケでトランペットを演奏している合唱団員が受け持つ事に。 もはや初めてキーボードを弾くという緊張感は吹っ飛び、別次元の高揚感と、支配人自らの演技を見る希少価値も入り交じり公演スタート。 6曲目に彼は間に合わずカット、、そして例の決闘シーンの直前でストップ!ラモン役が到着したからここで休憩を入れますとのアナウンス。 その後は通常の1幕と2幕の間の休憩をカットして無事終演。キーボードもほぼノーミスで終えて安堵し、忘れられない公演になりました。


劇場だより その7



ブレーマーハーフェン 志賀 トニオ氏

8月は劇場にとってシーズン始まり。公演は9月からですが、稽古はその3週間程前から始まります。 私の劇場便りも早いもので2年目を迎えました。

今回は日独協会の会報という原点に立ち返り、音楽業界から見えてくる日独の違いを テーマにしたいと思います。私は毎晩ネットで日本の新聞を読むのが習慣ですが、 今日”日米野球文化の違い。男の本能、報復は必要な事?”という記事がありました。 投手が打者の頭にボールをぶつけて乱闘になり、その乱闘に加わるか、止めに入るか。 「目には目を」の文化がある米国では前者が良しとされ、後者は裏切り者になる。 仲間がやられたんだから、やり返さないとはどういう事か!となるわけである。 ドイツだったらどうだろうかと考えてみたが、おそらく米国と同じではないだろうか。 正義と和を重んじ、後者を良しとする日本はむしろ世界的に稀有な文化なのではないか。 話は飛びますが、出入りの激しい劇場の現場では、シーズン始まりに多くのニューフェイスが登場します。 今年も20人余りが新加入しました。第1カペルマイスターはユダヤ人から、ギリシャ人に。 合唱指揮者はロシア人からキューバ人に代わりました。 他にもコレペティトーアに韓国人、合唱団にアメリカ人、ソロ歌手にインド人等々、 これ程国際的な職場はドイツでもなかなかないのでは。 旧西ドイツの町はどこに行っても人種のるつぼですが、旧東ドイツの町では 8〜9割ドイツ人で、劇場だけが別世界なのが不思議でした。

そして国際的という事はそれだけ文化の違いも存在する事になります。 ここで先ほどの話に戻ると、正義と和を重んじる文化というのは、ここではなかなか通じない という難しさがあります。日本でオーケストラと対峙した時、奏者達は、ほぼ99%日本人です。 ですから共通の文化を土台とする事ができますが、ドイツではドイツ人30〜50%程度。 他は外国人ですから、それらの人達をも納得させる説得力が指揮者には求められる事になります。 日本で生まれ育った私にはドイツに来た当初その力がなく苦労しました。

最初の試練はRostockの音大時代にオーケストラを結成した時でした。 日本の桐朋学園時代にオーケストラを結成して学園祭で演奏した経験があったので、 ドイツでも試みたわけですが、やはり国際色豊かな学生達相手に悪戦苦闘。

”ここで右に”と言って右に行ってくれる人は数名の心優しき日本人と比較的 まじめなドイツ人くらいで、後は説き伏せるのに四苦八苦。 それでも学生の間にその自前のオーケストラで4回演奏会を開き、 少しづつ対応の仕方を覚えていきました。 その後私が最初に就職したWeimarの劇場では合唱アシスタントとして合唱指揮者の 指導ぶりから多くを学びました。この劇場の合唱団は旧東ドイツ出身者で 50〜65歳のドイツ人が7割を占め、非常に扱いの難しい団員達を手玉にとる 技(笑)が必要でした。文句を言う隙を与えないスピーディーな稽古と言い回し。 適度に休暇を与えてガス抜きする等。そして、ドイツには”絶対に謝るな”という 文化があり、これを守る事が現場では大変重要でした。どんな事があっても自分の 非を認めず説き伏せる強さ。弱肉強食で、弱ければ食われて終わるという厳しさ。 正々堂々戦うのではなく、不意を衝いてでも勝つ為ならなんでもする執念。 これらを理解し身に付けた上で、今度は日本の良さをどのように利点としていくか。 劇場では家族のように働くので、日本の”和の精神”が重宝されます。 自己を主張するばかりで協調性のない音楽家は結局長続きしません。 そしてドイツでも有数のハードワークな職場ですから、忍耐力が不可欠です。 このようにそれぞれの文化の良さを融合していけたら良いですね。



ロストックの音大時代オーケストラで指揮する筆者


劇場だより その6



ブレーマーハーフェン 志賀 トニオ氏

ここブレーメン州の学校は6月22日から6週間の夏休み。劇場の休みは通常、学校の休みの1週間〜10日後に始まります。 というわけで、今回のお題は”お休み”。ドイツといえば言わずと知れた”お休み大国”。 我が家の本棚には”大真面目に休む国ドイツ”という本が置いてあります。

一般企業に勤めた場合、年に6週間の有給休暇があり、同僚と融通しながら任意に休暇を取ります。 一般的に子供がいる家庭では、夏に4週間、クリスマスと、イースターに一週間づつ取り、 子供がいない人はその時期を避けて取ります。劇場の場合クリスマスとイースターは仕事があるので、 夏にまとめて6週間お休みとなります。なかには好きな時に休めない事に不平を言う人もいますが、 私の場合、父がドイツ人である母と結婚した後、35年間一度も4日以上の休みがなく、 休暇でドイツに行く事が出来ませんでした。今は多少環境が改善したとはいえ、 日本では未だに1週間以上の休みを取る事は困難です。 ですから、休みに対して不平を言うドイツ人を見ると、腹立たしい気持ちになってしまいます。

さて、劇場ではその他に様々な”お休み”の規則があります。 我々コレペティトーアの通常の勤務時間は10時〜14時と18時〜22時です。

午前と午後、それぞれ4時間の勤務中に必ず20分の休憩が入る事が義務付けられています。 それから、4時間を超えて働いてはならず、午前と午後の間には4時間の休憩が入らなければなりません。 しかし、劇場の仕事の性質上、当然 ”通常”ではない状況が起こりますから、 その場合は残業手当が支給されます。コレペティトーアが残業手当をもらう最も頻繁なケースは歌手の オーディションの時です。劇場ではシーズンを通して、新しい専属歌手及びゲスト歌手のオーディションが行われます。 このオーディションは通常14時に始まります。これは遠方から受けにくる人に配慮しているためです。

ここブレーマーハーフェンのような小さな劇場でも、オーディションとなるとオーストリアやスイス、 ドイツ全国から受けにきます。昨年”さまよえるオランダ人”のゼンタ役のオーディションでは20人を 超える歌手たちが一日に押し寄せ、時間が足りないとの理由で通常は2曲のアリアを歌う機会が与えられますが、 今回はゼンタのアリア1曲だけに絞られ、さらに残り7人になった所で、時間節約のためアリアの中間部分を カットするよう音楽監督から指示が出ました。これには歌手達もぷんぷん。ただでさえゼンタを歌いに来る 歌手たちは大きい劇場でも歌っている実力派揃いでプライドもあります。そして、遠くはるばる交通費と ホテル代をかけて来たのにこの扱いは何たる事か!と。私は12時前に歌手との打ち合わせ稽古を始め、 終わったのが17時半ですから、もちろん残業手当が出ます。これはちょっと特殊な例ですが、 通常の10数人程度のオーディションでも14時に始まると、終わるのが16時頃。 通常の勤務時間である18時からは平行して立ち稽古がある事が多いですから、 必然的にオーディションがある都度上記の、4時間の休憩の規則にひっかかり、残業手当が出ます。

オーケストラの通常の勤務時間は9時半〜12時と17時〜19時半で休憩20分。 ここの劇場ではオーケストラに子持ちの家族が多いため、他の劇場より勤務時間が早めになっています。 ここで問題になりやすいのが午後の17時始まり。我々コレペティトーアはオーケストラの中で演奏する 仕事もありますから、午前の立ち稽古で14時まで働き、午後17時からオケの練習に参加すると、 また上記の規則にひっかかります。

バレエの通常の勤務時間は10時〜13時と15時〜17時。バレエはスポーツ、という観点から間に休みを入れずに夜に長い休みを入れたほうが好ましいとの事。 バレエはオペラやミュージカルにも参加するので、その場合我々コレペティトーアは午前の立ち稽古に14時まで参加した後、 15時からバレエの振付の稽古に参加するケースもあり、また規則にひっかかります。

劇場の合唱団には特に多くの規則があります。ここですべての規則を列挙する事はできませんが、例えば立ち稽古では3時間15分まで、 休憩は1時間45分までに20分取る事になっています。演出家は合唱団と稽古をする時には常にこの規則を念頭に周到に段取りを決めないといけません。 そして3時間15分の時間になり、合唱団が去って行った後に、ソリストと稽古を続ける事になります。 これらの規則は日本で育った私には到底想像する事が出来ませんでしたが、その環境の中で仕事をしてみると、 人間的に心身ともに健康であることが、働くための大前提となっていると感じます。


   

劇場から100mの海岸で4人のお嬢さんと(左) 自転車で劇場へ通う道筋の風景(右)


劇場だより その5



ブレーマーハーフェン 志賀 トニオ氏

私がお届けする劇場便り、早くも記念?の5回目となりました。 今回はやや玄人的なテーマ“演目”についてです。1年間のシーズン中に上演される演目は、その劇場の価値や様々な事情を表す鏡のような存在です。 さっそくブレーマーハーフェンの今シーズンのオペラ部門の演目を見ていきましょう。 ドラキュラ(ミュージカル)、さまよえるオランダ人/ワーグナー、こうもり/シュトラウス、ビーダーマンと放火犯(ドイツ初演の現代曲)、 Lend me a tenor(オペレッタ風ミュージカル)、仮面舞踏会/ヴェルディ、ヴァネッサ/バーバー(20世紀に書かれた現代曲)。 この7曲の中で皆様がご存じな曲は何曲あったでしょうか?特に有名なのは、さまよえるオランダ人とこうもり。 少しクラシックに精通した方ならヴェルディの名曲、仮面舞踏会。ドラキュラはもちろん話としてはご存知かと思いますが、 そのミュージカルとなるとどうでしょうか。そして他の3曲はプロの我々でもまず知らないマイナーな曲です。 つまり、上記最初の4曲はある程度客が入る事を計算出来る安全パイ。後の3曲は採算を度外視した冒険曲なのです。 特にここの劇場では、今の支配人が来てから毎年2曲の現代曲を上演するのが伝統になっています。 毎シーズン、その2曲は客足が悪く、なのにどうしてその伝統を守ろうとしているのか私も疑問に思っていました。 1昨年の事ですが、ヴッパータールの劇場で某日本人の方がドイツの歴史上初めて総支配人になり、 シーズンの演目に有名曲だけを並べた事をメディアに痛烈に非難されていました。こんなに斬新さに欠けるつまらない演目はありえないと。 ブレーマーハーフェンの劇場は今シーズンと昨シーズン2年続けて、それぞれ別の団体から、 そのシーズンの最も優れた劇場の一つとして賞を頂きました。そしてそこで評価されたのが、上演レベルの高さと、”上演演目の斬新さ”だったのです。 つまり、斬新な演目を並べる事によって、田舎町の小さな劇場であるブレーマーハーフェンがメディアから注目を集め、存在価値を高めていたのです。 しかし、そのような冒険はあくまで財政的余裕がなければできません。劇場が公共の施設として大部分が税金で賄われているおかげと言えるでしょう。

その財政事情もドイツ国内で州によって様々で、特に旧東ドイツの幾つかの劇場は、どうしても採算重視で有名曲に偏った演目に なってしまっている事を付け加えておきましょう。

さて、ではその演目が我々の仕事の現場にどのような影響を及ぼすか見ていきましょう。

ここの劇場では現代曲のための高いソルフェージュ能力、それからミュージカルのためのジャズやポップスの知識や感性が要求されます。 特に歌手は加えてドイツ語力、演技力、ミュージカルでは踊り、タップダンス、英語力、ミュージカル用の歌唱法等、様々な能力が要求されます。 その一方でワーグナーまで歌うわけですから、かなりマルチな能力とタフさが必要です。

それに対してミュンヘンやベルリンのような大きい劇場では仕事内容が異なってきます。全体として言えるのは規模が大きい分、 役割分担がはっきりしています。 例えば、ドイツ語ができなくても、イタリア語ができればイタリア物専門、ワーグナー等の大物専門、現代曲専門等。 そしてブレーマーハーフェンとの大きな違いは再演演目の多さです。劇場によってはプレミエが5曲程度で、あとは再演が10曲程度だったりします。 ちなみにミュンヘンでは何十年も前の魔笛やばらの騎士の舞台演出を今でも上演していて、その有名な舞台を見たいがために観客が訪れます。 ミュンヘンでは例年プレミエが8曲前後、再演が10数曲ありますから、ざっとオペラだけで20曲上演しています。 再演の曲は短い練習時間しか取りませんからコレペティトーアとしては、すでにキャリアをある程度積んでこれらの曲を レパートリーとして持っていなければなりません。 歌手も同様で、すでにその曲を何度も歌った事がないと参加する事はできません。オーケストラもあの難曲のばらの騎士をほぼ暗譜で弾いて いますから。



「ドラキュラ」の舞台


劇場だより その4

ブレーマーハーフェン歌劇場 志賀 トニオ氏

今回のテーマは”風邪”。冬といえば毎年流行する風邪は劇場にとって最も厄介な物の一つ。 今冬もこれまでに多くの音楽家が病気になり、当人も、残された同僚も修羅場になりました。


例えば1月8日のさまよえるオランダ人の公演。 前日に主役のオランダ人が風邪で出演できないとの事。 ここで最初に重要な任務を担うのがKünstlerisches Betriebs Büro 通称KBBと呼ばれる部署です。 ドイツ中で、今シーズンさまよえるオランダ人を上演している劇場を洗い出し、オランダ人役の歌手と 出演交渉を行います。オランダ人クラスの役だと大きい劇場に依頼する事になり、ギャラも 高くなるのでKBBの腕の見せ所。ここで首尾よく交渉がまとまると、次は我々の仕事になる。 業界用語で、このように病欠で急遽出演する歌手の事をEinspringerというが、 公演当日朝一で出立したEinspringerはお昼頃に劇場に到着し、コレペティトーアと 指揮者、そして演出助手の立ち合いのもと、さっそく音楽稽古と立ち稽古の確認をする 事になる。例えば音楽面で、アリアの最初の部分のテンポを速めにしたいとか、 演技面で、ここでは相方のゼンタ(ヒロイン)が手を差し出した瞬間に、 その手を握って等、
細かい指示が出される。ここで相方が稽古に参加できればいいのだが、様々な都合により 参加できない事も多く、その場合ぶっつけ本番になる。 確認作業の時には相方役を誰かが歌い、演じなければならないので、指揮者がいる時には 彼がその役を歌い、いなければ(これもよくある。)コレペティトーアが弾き歌い、 演技は演出助手が行う。そして本番、皆いつもと違う歌と動きに合わせ、助け合いながら 進行していく。このEinspringerとの公演はまさにアドヴェンチャー(笑)不思議と名演になる事も多いが、 運が悪いとまったく指揮に合わせられなかったり、演技が出来ない歌手が登場し、ドタバタ劇となる。 通のお客さんは同じ演目に何度も足を運びこういう面も楽しむ。

上記で紹介したさまよえるオランダ人はしかし、Einspringerにとっては易しい演目。 なぜならばほぼどこの劇場も同じ音楽とテキストを使用しているからです。 それに対して難しいのは、ミュージカル、オペレッタそしてレチタティーヴォ付きオペラ (モーツァルト、ロッシーニ等)。劇場によって、音楽とテキストをカット変更したり、 場合によっては曲順も変更されたりするからです。数シーズン前にロッシーニの セヴィリアの理髪師を上演し、バジリオ役のEinspringerがHannoverからやってきました。 大変レベルが高く経験のある歌手でしたが、本番中レチタティーヴォで予定されていた部分を歌わずに 別の所にとんでしまいました。つまり彼がいつも歌っているカットをしてしまったのです。 体に染みついているものですから、1日の稽古で別のカットを練習しても本番の極限状態の中で、 ついいつもの物が出てしまったのです。私はチェンバロを弾いていたので、彼がどこにとんだのか、 瞬時に察知して伴奏をしなければなりません。他の歌手も彼のセリフに応じなければなりません。 幸運にも皆彼と一緒に”とぶ”事が出来、事なきを得ましたが、その瞬間の事は一生忘れることはないでしょう。

さて、ここまでは歌手の病欠にまつわるすったもんだを紹介しましたが、 ここで少しオーケストラ奏者の病欠にも触れることにしましょう。 オーケストラ奏者が病欠した場合にはOrchestergeschäftsführer と呼ばれる担当者がBremerhaven近郊 (交通機関で2時間圏内)の劇場(Bremen, Oldenburg, Osnabruck, Hannover, Hildesheim, Luneburg, Hamburg) かフリーランスの演奏家に出演を依頼します。オーケストラ奏者の場合事前の稽古はないので、 当日ぶっつけ本番となります。ですからオペラ指揮者が指揮台に上がって最初にする 仕事は実はどこに今日は新しい顔があるか確認する事なのです。そして新しい顔があれば、 そこに多めに合図を出す必要があります

最後に、病欠が起きた場合、現場にとっては大変な仕事になりますが、 Einspringerにとっては、自分をアピールするチャンスでもあるのです。 オーディションではせいぜい聞いてもらえるのは10分程度。 でもEinspringerとしては1曲丸ごと聞いてもらえるのですから。



写真は文中に出てくるオペラ「さまよえるオランダ人」の舞台(筆者提供)


劇場だより その3

ブレーマーハーフェン歌劇場 志賀 トニオ氏


クリスマスマーケットへリンデさんと一緒に

12月はシーズン中1番の書き入れ時。年始のニューイヤーコンサートまで、本番が目白押し。 演劇部門では第1アドヴェントからクリスマスまでの間に子供向けの演目がほぼ毎日上演されます。 毎年違う演目を取り上げるのですが、必ずどこの劇場でもこの時期に行われ、 伝統的に "Weihnachtsmärchen" と呼ばれています。 シーズン初めに聴衆は今年のWeihnachtsmärchenは何だろうと注目している公演です。

今回は Ronja Räubertochter という盗賊の娘のお話。 そしてもう一つ皆が注目するのが、今年のクリスマスのオペラ公演。 毎年12月25日にオペラのプレミエがあるのが伝統で、この日だけはどんな曲が上演されても早々に売り切れになってしまいます。 今回は皆さんご存知の”こうもり”!私は当然このこうもりの稽古を毎日しているわけですが、 合間を縫って現在ドイツ訪問中の母と長女と3人で上記の演劇公演を見に行ってきました。 劇場で働いていると自分が関わっている曲は1枚タダ券をもらえ、それ以外は1枚3Euroで公演を見る事ができます。 チケット*には往復のバス代が含まれているのがドイツならでは。 いざ本番、客席は家族連れで賑わい、舞台はミュージカル仕立て、歌あり踊りありで十分楽しめる内容でした。 公演後には劇場前広場でクリスマスマーケットに繰り出すというゴールデンコース。


*チケット

さて、ここからは少し私の家族のお話しを。 私は日本人の妻と4人の娘(5歳、3歳の双子、1歳)の6人家族。 10代の頃から将来子沢山な大家族を持つ事を密かに夢見ていましたが、 音楽家になる事を決心した時に一度その夢を諦めました。 しかし、ドイツで仕事を始め、一人目の子供が生まれ、ドイツでの福祉制度を知れば知る程、 家族に手厚い社会であるのが分かり、一度諦めた夢を実現する事ができました。 ドイツでは制度上、子供を持てば持つほど、恩恵を得られるようになっている事。 そして、大学まで学費がほぼ無料で教育を受ける権利がある事が決定的でした。 それから、ドイツという国は国際的で外国人が住みやすい。 なかでもここブレーマーハーフェンは港町という土地柄、そして町が出来てまだ170年で、 長く米軍が駐留していた歴史からも、特に外国人が住みやすく、オープンな町のように感じます。 それに対して、以前それぞれ2年づつ住んでいた旧東ドイツの町、ロストックとワイマールは外国人の割合が低く閉鎖的でした。 よりドイツ的という利点もありますから、観光で行くならむしろ旧東ドイツの方が魅力的と感じる事もありますが、 家族と共に住むには色々な条件を満たさなければなりません。

ドイツの劇場で働く人の悩ましい問題はその労働時間です。 10〜14時、18〜22時が基本的な労働時間ですから、一日2往復しなければなりません。 劇場は町のど真ん中にありますから、必然的に住む場所も町の中心部になります。 そうなると家族向けの物件がなかなか見つかりません。私も2年間毎日不動産情報をチェックし、 ようやく今の物件を見つけました。

しかし、ドイツという国は家族を持つ音楽家にとっては大変住みやすく、感謝する事を忘れずに過ごしています。



4人のお嬢さん



劇場便り その2

志賀 トニオ氏

ブレーマーハーフェン歌劇場


先日10月15日にバレエ"コッペリア"のプレミエがありました。私が初めてMusikalischer Leiter(音楽監督)を任されました。 今回はその事の意味を、ドイツでの指揮者の伝統の紹介と共に解説したいと思います。

ドイツで指揮者になるにはコレペティトア兼指揮者という立場で仕事を始め、一段一段階段を登っていかなければなりません。 指揮者!として最初に任される仕事は舞台袖の指揮です。例えばオペラ”ラ・ボエーム”では2幕の終盤でトランペット、 ピッコロ、小太鼓を、オーケストラピットの音楽監督の指揮を横目で見ながら舞台袖で指揮し始め、そのまま彼等を導きながら 舞台を横切る場面があります。この場面は指揮の経験の浅い若者にとっては十分な難所となります。

次に与えられるのがミュージカルの指揮。ミュージカルで難しいのは、場面転換が多い事。舞台が回転するタイミングを見て、 音楽を始めたり、セリフを聞きながら、音楽を止めたりしなければなりません。つまり、ここで求められるのは、 音楽の内容以前に、段取りをいかに確実につける事ができるか。新人指揮者はまずここまでの階段を登りきれるかが大事です。

これを登りきれば次はオペレッタです。これはミュージカル同様、場面転換が多い上に、音楽的にテンポの変化も多く、 曲によってはオペラ作品よりも指揮をするのが厄介です。

そしてその次に、バレエ作品。ここで重要なのは毎回ほぼ同じテンポで指揮をする事。言ってみればテンポ感が試されます。 バレエダンサーはオーケストラの音を聞きながら踊りますから、毎回違うテンポになってしまっては踊る事ができなくなってしまいます。 私の場合先シーズンまでにここまでの工程を達成しました。

次に与えられる仕事は、オペラもしくは、自分の持ち曲です。私の場合、後者の持ち曲としてバレエ作品をもらったわけです。 しかし、ここには特別の事情がありました。通常は初めてもらう持ち曲では、オーケストラの編成が小さく、演奏時間も短めの ものを与えられます。“コッペリア”は大編成のオーケストラで曲も壮大、伝統的には私のような立場ではもらう事の出来ない作品です。 この曲は本来第1カペルマイスターが振る予定だったのです。

しかし、8月から来る予定だった新しい第1カペルマイスターが契約を破棄してその席が空席になったのです。 つまり、運と実力が重なっての大抜擢だったといって良いでしょう。幸い、オーケストラ、バレエ団、観客、 そして新聞の批評も大変好評で、大成功だったと言って差し支えないでしょう。この業界は一度失敗すると、 やり直す事が難しいですから、ほっとしたというのが本音です。”コッペリア”は8公演ありますから、 その間にまた多くの経験を積む事ができるのもドイツならではですね。 詳細はこちらを参照下さい



  


今回上演のコッペリアの舞台写真(筆者提供)


劇場便り その1


志賀 トニオ氏

ブレーマーハーフェン歌劇場
コレペティトーア兼指揮者


ドイツは秋が年度始まり。私の仕事場、ブレーマーハーフェンの劇場も9月3日のガラコンサートで いよいよシーズンのスタートです。このガラコンサートでは、オペラ、バレエ、演劇、若者劇場のそれぞれの部門により、 今シーズンの見どころが紹介されます。演目はもちろんですが、人の出入りの多い業界、新顔を見る絶好の機会。 もちろん新顔にとっては、まず自分の実力を見せる最初の場です。 ドイツはここぞという所で実力を発揮する事を重視するお国柄。この最初での印象が、その後の人生を決定します。

後日にはTheaterfest 劇場祭りがあります。通称 Tag der offenen Tuer と呼ばれ、近年劇場を身近に感じてもらえる催しとして ドイツ中で行われています。 この日は無料で劇場が開放され、劇場の様々な所でコンサートやイベントを楽しめます。 例えば、稽古場1で、室内楽、稽古場2でバレエ、稽古場3で演劇、メイク部屋で子供が顔にペイント、 裁縫部屋では縫物、大道具で床に絵を描く等々。 舞台袖はカフェになり、メインのプログラムではオーケストラの演奏。 ここでは通常前日のガラコンサートを短縮した30分程度のミニコンサートが行われる。 基本的に劇場のすべてが解放されるので、迷路のような建物を散策するだけでも楽しい。 我々は劇場のあちこちで仕事をしないといけないので大変だが、私は子供が4人いるので、 劇場側の配慮で出番を少なくしてもらい、子供達と散策三昧。こういう所はやはり家族を大事にするドイツならでは。


ブレーマーハーフェン歌劇場(著者撮影)



この2日間が終わった後に、オペラ、バレエ、演劇のそれぞれの部門のプレミエとシンフォニーコンサート (今シーズンは例外的にガラの前に一回目のシンフォニーコンサート)が行われる。 今シーズンの新演目数は、オペラ部門7、バレエ3(少ないように見えるが、 バレエはオペラ部門にも参加している)、演劇10、若者劇場8。 シンフォニーコンサート8、室内楽4、ファミリーコンサート3。 オペラ部門では、ここの劇場では伝統的にミュージカル1、オペレッタ1、オペラ5の演目を上演し、 オペラ5の内訳はイタリア物が必ず1曲、現代曲が2曲入る。

詳細はHomepage参照


ブレーマーハーフェン中心部を望む

Copyright(C) 2021- 湘南日独協会 All Rights Reserved.

 

.