2009 ドイツ旅行

織田 正雄


 今回の北ドイツ旅行は実に多くの方々のご支援によって計画通り実行することができました。
 事前の打ち合わせは2008年10月から始めました。
 ドイツ各地の独日協会もかなりの時間と労力を費やしたはずです。東日観光の阿部さんのご尽力も不可欠でした。

 旅行の重点には次のことを入れました。
1、ドイツ人との交流−ドイツ独日協会との会合・会食。
2、ドイツの世界文化遺産を訪ねる。
3、進んでいるドイツのゴミ処理状況を見る。
4、通常旅行会社がアレンジするコースでないところに行く。
5、白いアスパラガスを賞味する。
6、バスばかりでなく、汽車にも乗りたい。

 10日間はかなり強行軍でしたが、幸い好天にも恵まれ、そしてけが人も病人も出なかったことは幸いでした。 次回もまた普通行かないところなどを訪ねてはどうでしょうか。 9カ国と国境を接しているドイツの国境はどうなっているか、見てまわるのはいかがでしょうか。




ドイツ旅行を終えて

堆 眞佐子


 北ドイツ旅行に参加させていただき、感謝いたします。独日協会の方々との交流会、 行く先々でのガイドの方の懇切丁寧な説明に、普通の観光旅行では味わえない経験をさせていただきました。
 帰りのミュンヘンから成田への飛行機で隣の方が湘南日独協会の会員で、ドイツ滞在経験をお持ちの方で、 私たちの旅程をご覧になり、「私も知らないような都市を行かれたようで、珍しいですね。 特にドイツが初めてのあなたのような方が。次は是非、ミュンヘンにいらっしゃるといいですよ」とびっくりされていました。 彼は、お仕事をリタイアされ、奥様と個人旅行をされて、奥様のご帰国後、ドイツの語学短期学校を終えてのお帰りとのことでした。
 今回の宿泊先々のホテルでの朝食に出た果物の種類の多さには感激しました。 リューベックの市場で買ったイチゴ、ラズベリーもおいしかったです。
 フランクフルトのホテルは、部屋の窓からの夜景が幻想的でした。日本と違い、川岸にコンクリート護岸がされておらず、 家々の灯りと橋のライトが川面に映り、ゆらゆら揺れてとても綺麗でした。
 ホテルへの帰り道に迷っては、道で出会ったドイツの方々に道を聞いて、親切に対応してもらいました。
 一緒に旅行してくださった日独協会の方々が、飲み物の注文から交流会での通訳まで、本当に長い旅行のあいだよくしてくださり、 不自由を感じることなくに過ごせました。
 織田会長はじめ、日独協会の皆さまのご健康とご活躍をお祈りします。
 本当にお世話になりました。ありがとうございました。




私のドイツの人々への親しみ

会員 阿部 仁


 10月31日、今日のドイツ・リードのコンサートは大盛況で、会場は音楽ファンの方々で満席です。 まさかこの湘南の地元で、シューベルトの歌曲「冬の旅」全曲を生演奏で聞けるとは思いもしませんでした。 バリトン歌手のトーマス・バウアー氏の深く響きわたる声、 そして熟練した世界的ピアニストのイエルーク・デームス氏が醸し出す透明で柔らかな旋律の音色が、 ドイツの緑あふれる木々や、古城の見える両岸の中を滔々と流れる川の情景を思わず目前に見る思いがしました。 私がドイツに縁ができて初めてドイツを訪ねたときは、 単にヨーロッパ文化の歴史ある憧れの国の一つにしか見えませんでした。 しかし、日本の国の世の流れの価値観とともに、よくよくドイツから発信される情報に注目するようになってゆくうちに、 なぜか日本がこれから絶対に取り組んでいかなければならないことを、 ドイツではすでに国家的に立ち上げて実践しているので本当にびっくりし、その結果、 ますます深くドイツという国に興味を抱いていく「きっかけ」になった記憶があります。
 私の狭い価値観の中でドイツを本当に素晴らしいと思ったのは、 日本の政治は無残に営利のために壊されていく自然を放っている一方で、 ドイツの人々はすでに人間と自然との共存と調和を十分に考慮し、国も人も自然環境の未来へ「つなげる」重要さを理解して、 人間を大切にすると同時に、自然も一度壊したら二度と戻らないという当たり前のことを知り尽くしているように思った点でした。 また職人の技術にしても、一旦なくなってしまったら全てを失ってしまうものが、 一つ一つが継続されているために、伝統と人間と技術を本当に大切に保護されています。 そんな風土や考え方などをもつドイツとドイツの人々に対して私は自然に憧れるようになりました。 そしてさらに今年はもう一つ、ドイツの人々の心の思いを感じる機会がありました。
 今年の5月に湘南日独協会の皆様方と旧東ドイツの街々を訪問していくうちに、 どの街にも戦時中に壊された数々の建物があり、またそれを修復して戦前の姿に復元しようと、 街中が膨大な時間と費用をかけて復元工事をしていました。 そのうちに、街の人々が大切にしていたものが失われ、 どんな気持ちになってしまったのかと、壊された建物の中で次々と思うようになり、本当に段々悲しくなっていく自分に気がつきました。 そしてどれほどドイツの人々が悲しい思いをしたことかと、日本人に照らし合わせてしまいました。 日本が大戦の戦火で自分たちの親しみ馴染んだ街が同じように焼かれ、潰され、どれだけ辛い思いを心の中で日本人が感じて、 傷ついたかと思ったときに、また、このドイツの人々も自分の街を空襲され、破壊され続けて、 どんなに心を傷つけられたかと思ったときに、日本人もドイツ人も区別はない、 人間としての痛みや悲しみは皆同じなのだと、恥ずかしながら今更のようにつくづく思いました。 特に家族や友人を失う気持ち、馴れ親しんだ建物がなくなる気持ち、さらに調和のとれた自然が壊れる気持ち、 日本人、ドイツ人に限らず人はみな同じ気持ちになれるのだと。 変な私ですが、日本人と同じ悲しみを知っているドイツの人々に、とても愛着を感じたこの一年間でした。 そして今年の12月には、この愛すべきドイツの人々と日本の群馬県昭和市の素朴な合唱団の人々と、 ハノーファー市とオズナブルック市の真ん中にある小さな街のメレ市の教会で「ハレルヤ」を歌い、 今年のクリスマスをドイツの皆様と一緒に祝います。引き続き良き交流ができればと思っています。




アムゼルの歌声

合唱団アムゼル代表 西川 統


 An die Musik「楽に寄す」のメロディーはどなたもよく耳にされていることでしょう。 日独協会の合唱団員たるもの、その歌詞のとおり「甘く清らかなハーモニー」で聴く人を「天国に誘おう」と、 2003年の結団以来猛練習をしてきました。その5年の成果はこの7月、第27回ふじさわ合唱祭に初参加し歌った「陽気な鱒」に、 「さすがに日独協会付属だけのことはあって、よくこなれたドイツ語での歌は素晴らしい」という 専門家の批評をいただいたことに表れています。結団当初の湘南ビール祭りやワイマール市民歓迎会での演奏直後に、 「今のはドイツ語だったの?」と口の悪い協会員から皮肉られたことが今や嘘のようです。
 長期滞在の経験者の少ないアムゼル団員の誰それに、ヨーロッパの自然の中のアムゼルの歌声を聞いてもらおうと探し回ったところ、 フランス製の「鳥の笛」シリーズの中の「アムゼル」を見つけました。 これが不思議なことに「吸って音を出す」構造になっていたのです。 不良品ではないという輸入元の説明にも関わらず、とても音を出すのに苦しいので返品してしまいました。 協会員の中で本物の鳴き声をお聴きになった方は、合唱団がそんなに美しい声なのかとお疑いでしょう。 手前味噌になるといけないのでここでは「その目標に向かって努力しています」と謙遜しておきましょう。 5年間でドイツのオリジナルの歌だけでなく、日本の歌もドイツ語歌詞で歌いこんできました。 今はレパートリーが60曲を超えています。団の新しい方針に「対外活動の充実」を謳ったところ、 早速に片瀬公民館しおさいセンターでの「ふれあいコンサート」や、湘南鎌倉総合病院での合唱披露など申し込みが相次ぎ、 一同張り切っています。
 「楽しく歌おう」が団のモットーです。みなさんもご一緒にいかがですか?美しい声になるのはとても楽しいものですよ。


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