中村茂子氏講演「リヒャルト・フォン・フォルクマン=レアンダー、19世紀ドイツ人外科医のメスとペン」に出席して

会員 長倉寛子



ご友人の長倉さん


 中村茂子さんの幼い頃からの愛読書であるレアンダーの童話集「ふしぎなオルガン」のことは寡聞にして知らなかった。中村さんが大人になってからも繰り返し読み返されるほど心惹かれたのは何故なのか、と興味深くお話を伺った。

 中村さんがドイツ語を学ばれるきっかけとなったのが、ドイツ語で書かれたこのレアンダーについての評伝である。彼女が慶應義塾大学通信教育課程の卒論のテーマにレアンダーを選んだところ、指導教官の斎藤太郎教授が参考文献としてハレ在住作家シモーネ・トリーダーさんが書いた伝記を紹介して下さったそうだ。最初は独学で、その後湘南日独協会のドイツ語講座に参加して学習を進め、このドイツ語の伝記を読破したそうである。内容に興味を覚えた中村さんは著者へ感想メールをドイツ語で送られた。すると、トリーダーさんからの返信があり、ドイツでの面会が実現したのだった。目標に向かって果敢にチャレンジするエネルギーが中村さんのどこから湧いてくるのか、日頃の穏やかなお姿からは想像も出来ないことだ。
 トレーダーさんの案内によりレアンダー所縁の住居や記念碑、大学を巡り、中村さんはますますレアンダーの理解を深めたことだっただろう。中村さんによるレアンダーについての研究のおかげで私達もレアンダーを知ることになった。
 フォルクマン=レアンダーはドイツのハレ大学病院の整形外科医で、叔母に童話作家がいるものの文学をそれほど重んじない家庭に育った。1870年から1871年にわたる普仏戦争に軍医監として従軍中、フランスのパリ郊外にある立派なお城に駐屯した。その時故郷ハレの子どもたちに書き送ったものが原題「フランス炉辺の幻想」という童話集である。この中に日本語名「ふしぎなオルガン」を含めた22編が収められている。当時のミリオンセラーともいうべき童話集で、有名なグリム童話と並ぶものであった。
 フォルクマンにしてみれば全く私的な童話集だと思っていたものが、帰国してみると一冊の本にまとめられ広く世間に読まれていたとは意外なことだっただろう。その後統一ドイツの愛国的書物の一つとして兵士の携行本に選ばれたほどスタンダードな童話集と言えよう。この童話集は統一ドイツ誕生の高揚した気運の中にあって、それを微塵も感じさせずに書かれている。人間の心の驕りや運命に従わざるを得ない姿を通して子供たちへキリスト教的教えを悟らせているのだろう。




講演会場





原本を手に講演する中村さん





湘南日独協会ドイツ語講座で中村さんを指導した松野副会長より講師紹介



 フォルクマンは整形外科医としては防腐法に基づいた近代整形外科のもとを開いた。当時のドイツ皇帝はその功により、フォルクマンを世襲貴族にした。亡くなったあと、市民の要望でハレに記念碑が建てられた。中村さんがハレで見た記念碑である。
 童話作家としてのレアンダー、整形外科としてのフォルクマン、この二面性をそれぞれ確立させていた姿が浮かび上ってきたのは、中村さんの努力の賜物だ。中村さんの講演なさる横でパソコンを駆使して資料を展開なさる御夫君の姿に彼女の研究をバックアップする温かい気持ちを感じた。


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