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ドイツと日本を結ぶものnew mark

-Was Deutschland und Japan verbindet-
日独修好150年の歴史(内覧会参加)  副会長 三谷喜朗



会場入り口で三谷副会長

 7月6日、国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)にて開催され、湘南日独協会からは織田名誉会長、私副会長、大久保理事が出席した。独日協会連合会会長のフォンドラン会長始め多くの日・独関係者が出席し、当日の大雨に
も拘らず大ホールは略満席の盛況であった。
  開会式は館長の挨拶、祝辞に始まり、駐日ドイツ連邦国大使、駐独日本大使の祝辞(いずれも代読)と続き、最後に展示資料の選定に当たった、保谷徹東大教授によりスライド上映による事前の解説があった。その後、展示室入り口においてテープカットが行われ、各室を博物館学芸員の説明と共に参観した。22分類、77点に及ぶ膨大な文書・絵画・当時のフォートであったが、さすが国立博物館、よくぞこれまで展示が出来たものと感激の思いで見て回った。
  歴史を学んでいない私にとって最も印象に残った展示品は時の老中五名の連名署名と、プロイセン国全権使節オイレンブルク伯爵による通商条約批准書であった。
  参観後の「日独友好の集い」は、第一と第二分科会に分かれて討議が行われた。第一は「日独姉妹・友好都市間の交流を考える」、第二は「諸団体の日独交流を考える」で当協会は後者に参加した。最後の全体会議で心に残ったのは、「多極化する大国間で日本はどんな存在感を発揮すべきや」と「国際紛争解決能力、スキルを養う必要がある」との発言であった。また、日本の地方で外国人が児童のモラルの向上に協力している姿とか、またドイツではユースによる独日協会が発足しており機会があればホームステイ等を通じてユースサミットも開催したいとの提案もなされた。
  そして、夕闇迫る頃会場を後にして、レセプションの行われたドイツ大使公邸に向かい全国各地からの参会者との交流となった。
以上思い出すままにご報告申し上げます。






7月例会 講演会
志賀トニオ氏の講演会
「ドイツの指揮者への道」に出席して


会員  小野宏子




小野さんと志賀トニオ氏



 講演会当日は猛暑の日曜日の午後にも拘らず、湘南日独協会発足以来、月例会としてはこれまでにない程の多数の参加者で、準備された60席が満席となりました。
  志賀氏は横須賀市に生まれ、1996年桐朋学園にてサキソフォンを専攻、副科でピアノ、声楽、指揮を学び、2006年ドイツに渡り、28歳でロストック国立音楽大学指揮科に入学しました。
  卒業後、ワイマール、エアフェルトの各歌劇場、ミュンヘンの室内歌劇場等のコレペティトーア(注)、指揮者の経験を経て、2013年よりブレーマ−ハーフェン市立劇場で、正式にコレペティトーア兼指揮者に就任し活動を続ける気鋭の音楽家で、そこでの仕事を含めてこれまでに至った経緯を順序立てて解り易く話をされました。しかも、盛り沢山な内容で聴衆の関心をぐいぐい引く魅力的な話が続きました。実力漲る音楽家であることを実感しました。
  指揮者になるためには伝統的にまずその入り口として音楽大学で学びます。指揮科受験には次に述べる4つの課題項目がありました。@ピアノ:バロック、古典、ロマン、現代の4つの時代からそれぞれ任意の曲を選択して演奏 Aコレペティツィオン(任意のオペラの弾き歌い)B指揮:ブラームスの交響曲第2番より、1、2楽章 C初見(ピアノ、弾き歌い、スコアリーディング)等難しいことに挑戦しなければならないことを知り驚きました。ドイツには約30の音楽大学がありますが何れの大学も大概は同様の試験が行われるとのこと。日本に於いては最近では時代と共に各大学によって入試の様式が変化しているようですが、ドイツでは伝統的なことは変わらないということでしょうか。歌劇場等は殆ど国立で、中規模の劇場も市立という事ですから低額な入場料でオペラをはじめ各種の音楽を楽しむことが出来るのは羨ましい限りです。但し大都市にある歌劇場などはかなり高額の様ですが・・・。
  いよいよ音大を卒業して、劇場で仕事をする為には、これまた厳しいオーディションが待ち受けていて、それをクリアすることが必須で、先ずは音楽事務所に登録された後、更に劇場のオーディションを受けるための招待状を受け取らなければなりません(書類審査で10〜15人が招待されるとのこと)。それも運良く招待状を受け取ると次はその劇場の課題曲に挑み、合格となれば3年間の仕事が保障され、以後は1年ごとの更新となり、何事もなければそのまま仕事を続けることが出来ると言う段取りになっているようで、気の遠くなるような厳しい関門を次々に突破し目標とする指揮者への道が開けるのだと理解しました。
  志賀氏の仕事場(劇場)のスライド写真や、本番でのミュージカル「ウエストサイド物語」の指揮をされた時のDVD(一部)など若々しく凛々しい姿の映像に参加者達の惜しみない拍手が送られました。バレエ、ミュージカル等々演目によっては出演者の動きや呼吸に合わせての指揮者の視点を拡げた気配り、目配りが欠かせない映像にも触れました。
  ブレーマーハーフェン市立劇場はかつての戦火を免れ、教会とともに残った貴重な建物として市のシンボルになっているとのこと。スライドの一部にはドイツ全土で約70ある劇場のそれぞれの規模の大小や、ABCDとつけられた等級が一目でわかる色分けされた地図の画面がありました。とても興味深いものでした。ベルリン、ミュンヘンなどの大劇場は正にレベルの高いことで知られる劇場として認識していましたが画面を見て成程と納得でした。

満員の会場


「ウエストサイド物語」本番指揮の映像


 全ての関門を突破し、現在、劇場でコレペティトーア兼指揮者として活動されている志賀氏に心からの敬意と拍手を送り、これからの益々のご活躍を期待するものです。そしていつの日かブレーマーハーフェン市立劇場の日本引っ越し公演を是非とも実現して頂きたいと願っています。因みに、講演会後の懇親会で志賀氏のお母様から、トニオ氏は今年11月に40歳になる、との情報を得ましたのでここに付記しておきます。
(注)Korrepetitor(独)
歌手の音楽稽古、立稽古の為のピアノ担当と指導、歌手や楽器演奏者のオーディションの際のピアノ担当、オーケストラ内でのピアノによる演奏、本番前のオケ合わせのダメ出し等、本番指揮者の代役として大きな役割を担う。
カラヤンを始め多くの有名な指揮者がこのような経歴を経ている。



David ダーヴィト
Luise Rinser ルイーゼ・リンザー
翻訳 山崎 正(統括)、小田 武司、御木 理枝、森長 京子


作者Luise Rinserは1911年生まれのドイツの小説家。ミュンヘン大学で心理学、教育学を学び、小学校教師を経て作家生活に入る。ナチスに対する反逆罪で、投獄の経験を持つ。


Dies ist eines der seltsamsten, süßesten und gefährlichsten Kapitel aus der Geschichte meiner Kindheit, die Kindheit eines leidenschaftlichen, verträumten, dem Glauben und der Magie ergebenen kleinen Mädchens, das schon in seiner Lebensfrühe so schwere Worte wie Schicksal, Jude, Sakrament und Tod begriff.
これは、私の子供のころの出来事の中で、極めて甘美であると同時に不思議な、しかも非常に危険に満ちた一断章である。人生の初期に、早くも運命とか、ユダヤ教とか、秘跡とか、死とかいった重苦しい言葉を理解していた一人の情熱的で、信仰と魔法に心を奪われていた夢見がちな少女の物語である。

Es war gewiß kein Zufall, daß ich es war, die zur Tür ging, um zu öffnen, und nicht, wie üblich, mein Vater. Unverge&aszlig;liches Bild, ein Bild aus dem Alten Testament: auf der steinernen Treppe vor dem Haus steht eine Frau, dunkel und fremd, sehr schön, ihren Arm um die Schultern eines Jungen gelegt, so groß wie ich, und ganz das Kind seiner Mutter: dunkel und fremd wie sie, beide regungslos und stumm.
玄関の扉を開けに行ったのが、いつものように父ではなく、私だったということは確かに偶然ではなかった。まるで旧約聖書の中から抜け出て来たような、忘れられない情景だった。家の前の石の階段の上に、肌が浅黒く大変美しい見知らぬ婦人が一人の少年の肩に手を置いて立っていたのだ。その少年は私ぐらいの背丈で、婦人と同じように色が浅黒く、初めて見る顔だが、どこから見てもその婦人の子供に間違いなかった。二人とも、身じろぎもせず、黙ったまま立っているのだった。

Ich starrte das unbegreifliche Bild schweigend an, bis mein Vater kam, mit einigen Fragen die Lage klärte und den Bann löste. Die fremde Frau war Ausländerin, ihr Mann jedoch Deutscher. Sie wollten sich für einige Zeit in unserm Dorf niederlassen, und der Junge, der kaum drei Worte Deutsch sprach, sollte von meinem Vater unterrichtet werden.
私はこの理解しがたい光景を父が来るまで黙ってじっと見ていた。父がやって来て、二、三の質問をしたところで、事情は明らかになり、堅い雰囲気はやわらいだ。見知らぬ婦人は外国の人であった。この婦人のご主人はドイツ人で、彼等はしばらくの間、私たちの村に滞在したいとのことであったが、ほとんどドイツ語を話せないこの少年は私の父から言葉を教えてもらうことになっていたのだった。

Täglich zur bestimmten Stunde kam David, allein, eine aufreizend neue Ledermappe achtlos nachschleifend, und überaus scheu. Mein Vater klagte, wie mühsam es sei, diesen verträumten kleinen Ausländer zu unterrichten. Es schien, als habe der Kleine mit sanfter Bestimmtheit beschlossen, nichts zu lernen. Er lächelte ernst und höflich, und nur selten beliebte er zu antworten.
毎日、決まった時間にダーヴィトはやって来た。眼を見張るような新しい皮のかばんを無造作にひきずるようにして、とてもおどおどした様子で一人でやってきたのだ。父はこの一風変わった外国人の少年に教えることがいかに骨の折れることかとこぼしていた。この少年は、はっきりと態度に表したわけではいないが、なにも学ぶ気がないように見えた。彼は真面目に、礼儀正しく笑みを浮かべてはいたものの、自ら進んで答えることはごく稀だった。

Eines Tages war mein Vater noch nicht da, als David kam, und das Kind blieb wartend auf der steinernen Treppe vor dem Haus stehen, klein, dunkel und verloren. Ich war eben dabei, für einen toten Vogel ein Grab zu graben. David sah eine Weile zu, dann kam er näher, und plötzlich sprach er. Er sprach, er sprach mit mir, und er sprach deutsch! Was er sagte, war etwa dies: ich sollte das Grab tiefer graben, da sonst Katzen oder Hunde kämen, die kleine Leiche auszuscharren.
ある日のことだった。ダーヴィトが来たとき父はまだ家に帰ってきていなかった。ダーヴィトは家の前の石段に立って、暗い顔をして身を縮めながら手持無沙汰に父を待っていた。私は死んだ小鳥の墓を作ってやるために、ちょうどそこに居合わせた。ダーヴィトは私のしていることをしばらく眺めていたが、近くに寄って来て突然しゃべり始めた。彼は話したのだ。私と話したのだ。しかもドイツ語で! 彼が話したことはおよそ次のようなことだった: お墓を作るときは、もっと深く掘らなくてはいけない。それは、浅いと猫か犬が来て小さな亡骸を掘り返すかもしれないからだということだった。

Einige Tage später traf ich David wieder, diesmal auf der Straße, am Abend. ≫Wohin gehst du?≪ fragte er in klarem Deutsch. ≫Zur Maiandacht. ≪ ≫Was ist das?≪ Sonderbares Kind: weiß nicht, was eine Maiandacht ist.
≫Komm mit≪, sagte ich kurzerhand. Ich hatte es eilig. Er folgte mir zögernd über die Schwelle der Kirche, tauchte wie ich die Hand ins Weihwasserbecken, betupfte seine Stirn, beugte seine Knie, tat alles, was er mir abschaute, und als er schließlich, von mir in die Reihen der Buben geschoben, dort kniete, das Gesicht unverwandt auf den Altar gerichtet, die Hände gefaltet wie wir alle, war er ganz einer der unsern.
数日後、私はまたダーヴィトに会った。今度は夕方、道路を歩いているときだった。「何処へ行くの?」と彼ははっきりしたドイツ語で尋ねた。「マリア様の春のお祈りに行くのよ」「マリア様の春のお祈りってなんだい?」マリア様の春のお祈りを知らないなんておかしな子だ。
「一緒においでよ」と私は急いでいたので手短に云った。彼はもじもじしていたが、教会の敷居を跨いで私について来て、私と同じように聖水盤に手を浸し、その手を額に軽くふれて、膝を折った。すべて私がした通りに行なった。そして、しまいに私が彼を男の子たちの列に押し込んだら、顔を祭壇の方にちゃんとまっすぐに向けて膝まずいた。私たちみんなと同じように手を合わせて…。こうして彼は完全に私たちの仲間になったのだ。

Nach der Andacht wartete ich vor der Kirche auf ihn. Er kam langsam, nachdenklich und verwirrt, lächelte mir flüchtig zu und wollte nicht sprechen. Aber am nächsten Abend war er wieder in der Kirche, und so viele Male. Eines Tages hatte ihn meine Mutter in der Kirche gesehen. ≫Was tut denn David in der Maiandacht?≪ fragte sie. Eine unverständliche Frage. Tat er nicht, was wir alle taten? ≫Aber er ist doch jüdisch≪, sagte sie und fügte hinzu: ≫Ob seine Eltern wissen, daß er in unsere Kirche geht?≪
≫Darf er nicht?≪ fragte ich betroffen.
≫Ich sagte dir doch: er ist Jude. ≪
お祈りのあと私は教会の前で彼を待っていた。彼はのろのろと考え深げに、困り切った顔をして出てきて、ちらっと私に微笑みかけたが、何も話そうとはしなかった。でも次の日の夕方、彼は再び教会にやってきた。その後何度もやって来た。ある日、私の母は教会の中でダーヴィトを見かけ、「ダーヴィトは春のお祈りでいったい何をしているの?」と尋ねた。訳のわからないおかしな質問だ。私たちみんながしたことを彼はしなかったとでもいうのだろうか?「だって、あの子はユダヤ人ですよ」と母は付け加えた「あの子が私たちの教会へ来ていることをご両親はご存じなのかしらね?」
「あの子は教会へ行ってはいけないの?」と私は驚いて尋ねた。
「あの子はユダヤ人だって云ったでしょ」

Ich war neun Jahre alt, und solche Begriffe waren mir noch dunkel. ≫Jüdisch≪ bedeutete: aus dem Orient sein, aus dem Lande der Propheten, aus dem Volk der Apostel, der Muttergottes und Christi selbst. Kein Grund für David, nicht in die Kirche zu gehen. Ich fragte David. ≫Ich bin jüdisch≪, sagte er, hob seine Schultern und ließ sie wieder fallen. Von da an gab es ein geheimes Gebot, nicht mehr über diese Frage zu sprechen. Aber an Fronleichnam, als wir Kinder festlich geschmückt unter den wehenden Fahnen, im Glanz von Kerzen und Gold, durch Dorf und Wiesen zogen, sah ich David in der Ferne folgen, und ich hätte ihn gern gerufen, so wie man einen fremden Hund zum Futternapf lockt.
私は9歳だったのでこんなややこしいことはわからなかった。「ユダヤ人」と云えば、東方から来た人であり、預言者の国から来た人であり、使徒たちやマリア様やイエス様ご自身の民族の血をひく人達だということしか頭に浮かばなかった。ダーヴィトが教会に行かない理由など全くなかった。私はそのことをダーヴィトに尋ねた。「僕はユダヤ人なんだ」と彼は云って、肩をいからせ、すぐにまた肩を落とした。その時から、この間題についてもう口にしないということが暗黙の掟となった。しかし、聖体の祭では、われわれ子供たちが風に旗をなびかせ、ローソクと金色の飾りをキラキラさせながら、村や草原を抜けて、行列を作って歩いている時、私はダーヴィトが遠く後からついて来るのを見つけた。私は、まるで知らない犬を餌で誘うように、できることなら彼を呼び寄せたかった。

Ich war ein frommes Kind, doch war meine Frömmigkeit heftig und ein wenig abwegig. Es gab in unsrer Kirche eine Seitenkapelle mit einer überlebensgroßen Figur Christi aus gemaltem Gips, so abscheulich, daß selbst ich es bemerkte. Doch ging es mir nicht um Schönheit, sondern um Glauben und Zauber. Diese Figur lebte. Wenn ich lange genug vor ihr kniete, ohne meine Augen auch nur einmal abzuwenden und ohne etwas anderes zu denken als an sie, dann begann sie leise zu atmen und mich anzusehen. Das war mein Geheimnis. Ein großes und hintergründiges Wagnis, den Freund einzuweihen. Er lächelte ungläubig, doch schon erlag er dem Verlangen nach Gebet und Wunder. Wie ich, so starrte auch er beschwörend auf das Bildnis. ≫Jetzt≪, flüsterte ich, ≫siehst du?≪ In diesem Augenblick ging die Tür auf. Es war Davids Mutter, die atemlos kam. Sie, sonst so sanft, stürzte auf David zu, riß ihn wild an sich und schüttelte ihn. ≫Was tust du hier?≪ Dann schaute sie mich böse an: ≫Was geht dich mein Junge an. Wir sind Juden. Du verstehst? Wir haben nichts zu schaffen mit diesem allen da. ≪ Damit zog sie David mit sich und warf die Tür hart hinter sich ins Schloß.
私は信心深い子供だったし、信仰する心は一途なものがあったが、少し的が外れていた。私たちの教会の側壁にある小聖堂の一つに、色を塗った等身大より大きな石膏のキリストの彫像が安置されていたが、私ですらこの像をひどい出来だと思っていた。しかし、私にとっては美しさというよりは信仰心と魔力が大事だったのだ。この像は生きていた。私が像の前に長いこと脆き、じっと目を逸らさずに、この像以外のことを何も考えずにいると、その像はかすかに息をし始め、私をじっと見つめるのだった。このことは私の秘密だった。勇気のいる冒険ではあったが、私は、気後れしながらも、結局、そのことをあの子に打ち明けてしまった。彼は信じられないという顔をして微笑んだ。それなのに、彼は祈りと奇跡への願望に打ち勝てなかったのだろう。私と同じように、彼もその肖像をむさぼるように凝視した。「ほらね!」と私は囁いた。「見えたでしょ?」その瞬間、扉が開いた。

ダーヴィトのお母さんだった。息を切らしてやって来た。いつもはもの静かなお母さんがダーヴィト目がけて駆け寄ってきて、乱暴に彼を引き寄せて、身体を揺すった。「お前は一体ここで何をしているの?」それから怒りを込めた目つきで私を睨み付けた。「あなたはうちの坊やをどうしようっていうの? 私たちはユダヤ人です。わかっているのですか?ここにあるものは私たちには何の意味もないものなのよ」彼女はそう云うとダーヴィトを引き寄せて、乱暴に扉をガチャンと閉めた。

Am Abend sagte mein Vater zu mir: ≫Was sind das für Geschichten. David ist jüdisch. Das ist eine andere Religion. Du sollst ihn nicht verwirren. Ich verbiete dir, ihn mit in die Kirche zu nehmen. Spiel du nicht Schicksal. Hast du verstanden?≪
Ahnungsweise hatte ich verstanden. Aber das, was ich verstand, tat weh: David, mein Freund, mußte ein Fremder für mich bleiben. Warum? Unsre Unbefangenheit war dahin. Wir gingen uns aus dem Weg.
Aber was half es, daß die Erwachsenen die Brücken abzubrechen versuchten? Es kam, wie es kommen mußte.
その夜、父は私に言った「どんないきさつがあったにしても、ダーヴィトはユダヤ人なのだ。宗教が違うんだよ。お前は彼を混乱させてはいけないよ。彼を教会へ連れて行かないようにするんだね。人の運命を弄んではいけない。解ったね?」
私にはうすうす解っていた。しかし、解っていたということが悲しかった。私の友人のダーヴィトが、私とはいつまでたっても打ち解け合うことが許されないのだ。でも、どうしてなんだろう? 私たちの無邪気な関係はだいなしになってしまった。それ以来、私たちはお互いに避け合うようになってしまった。だが、大人達が私たちの間の架け橋を壊してしまおうとしたことは、功を奏しただろうか? いや、奏さなかった。なぜなら、これは起こるべくして起こったことだったからである。

In der Fastenzeit begann für mich der Beichtunterricht, und leidenschaftlich bewegt von dem, was ich hörte, vergaß ich das offene und das geheime Verbot: wenn ich David irgendwo traf, beim Schlittenfahren auf dem letzten, kranken Schnee oder am See, wo die Fischer ihre Boote teerten, oder wo auch immer, erzählte ich ihm davon. Er hörte begierig zu und behielt alles im Gedächtnis, und als ich schließlich zur ersten Beichte ging, tief gesammelt und in feierlichem Ernst, da sah ich David hinter einer Säule stehen. Wir schauten uns lange an, dann ging er fort.
四旬節の期間中に、私のための告解の授業が始まった。そこで聞いたことに心から感動したあまり、私はあの公然の秘密である掟を忘れてしまった。私がダーヴィトと何処かで会ったとき、それが季節遅れのあるかなしかの雪の上を橇で滑っていた時だったか、漁師が小舟にタールを塗っていた湖畔でだったか、あるいは、いつもの所でだったか、はっきり憶えていないが、とにかくダーヴィトに出会ったとき、私は彼にその告解授業のことを話した。彼は熱心に耳を傾け、そしてすべてをしっかり記憶に留めた。私がいよいよ気持ちを深く集中して厳粛な面持ちで最初の告解に行った時、私はダーヴィトが柱の陰に立っているのに気が付いた。長いこと二人はお互いに見つめ合っていたが、やがて、彼はその場を立ち去っていった。

Einige Zeit später, kurz vor Ostern, war Mission in unserm Dorf. Fremde Mönche kamen, predigten und hörten die Beichte von morgens bis abends, und die Kirche war voll von Betern, einen Tag von Männern, einen von Frauen, von Jungfrauen, von Jünglingen, und zuletzt kamen wir Kinder daran. Am Abend zuvor gingen wir alle zur Beichte. Da die Kirche von den Burschen besetzt war, hatte man für uns Beichtstühle in der Schule aufgestellt, in jedem der fünf Schulzimmer einen. Unvergeßlicher Abend: wir Kinder in den Korridoren schweigend wartend, der Bretterboden frisch gescheuert und noch naß, Halbdunkel, da und dort eine große Kerze, knisternd und schattenwerfend, das Gemurmel der Mönche hinter den geschlossenen Türen, und vor den Fenstern der Aprilabend, Karwoche, feucht und rein, und der Gesang einer Amsel. Fast zu viel für ein empfindliches Kind. Ich war die letzte in meiner Reihe. Plötzlich kam noch ein Kind. Ich war tief gesammelt und drehte mich nicht um. Erst als ich aus dem Beichtstuhl kam, sah ich, wer es war: David, und er ging nach mir zur Beichte, als müßte es so sein. In der Dunkelheit vor dem Schulhaus wartete ich auf ihn. Doch als er kam, legte er den Finger auf den Mund, schlug die Augen nieder und verschwand.
しばらくして、復活祭も間近になった頃、私たちの村で伝道集会が開かれた。よその教会の神父さんが来て、お説教をし、朝から晩まで告解に耳を傾けた。そして教会はお祈りをする人達で一杯になった、ある日は男たちで、ある日は女たちで、また、ある日は娘たちで、そして、またある日は青年たちで一杯になるという具合だった。最後が私たち子供の番だった。夕方、私たち女の子はあらかじめ告解をしていた。男の子で教会が一杯になるので、女の子のために告解の席が学校に用意されていたからだ。五つの教室にそれぞれ一つずつの告解の席が用意されていた。私たち子供は廊下でお喋りもせずに待っていたこと、ブラシで磨いたばかりの床板はまだ濡れていたこと、辺りは薄暗かったこと、あちらこちらに大きなローソクがパチパチと音を立てて、影を投げかけていたこと。閉ざされた扉の向こうからは神父さんのぶつぶつ言う声が聞こえてきていたことなど今でも忘れられない夜だった。窓の外は四月の夜だった。聖週間だった。湿気と清らかさがたちこめていた。アムゼルの鳴き声が聞こえていた。感じやすい子供にとっては、多すぎるくらいの思い出だ。私は列の一番後ろにいた。突然もう一人の子供が私の後ろについた。私は神経を集中していたので振り向かなかった。私が告解の席から出て来た時、初めて、それが誰であるかが分かった。ダーヴィトだった。彼は私の次に、当たり前のように告解に行った。私は校舎の前の薄暗がりの中で彼を待っていた。彼は戻ってはきたが、指を唇の上に置いて、目を伏せたまま立ち去った。

Was für ein Irrtum ! David hatte gebeichtet, doch David, das wußte ich nun schon, war nicht getauft. Das Sakrament war ohne Kraft für ihn. Umsonst. Er glaubte sich reingewaschen, doch war in Wirklichkeit nichts geschehen. Das Sakrament war mißbraucht, und ich war schuld. Ich hätte den Pfarrer um Rat fragen können, aber das wagte ich nicht. Ganz allein war ich mit meiner Unruhe und Verwirrung. Eines Tages ertrug ich es nicht mehr.
なんというひどい間違いを犯してしまったのだろう! ダーヴィトは告解を受けたが、洗礼を受けていないことを、私はとっくに知っていたはずなのに。ということは、彼にとって、この秘跡の礼はなんの力も持っていないということなのだ。無駄なことなのだ。彼は清らかな身になったつもりだろうが、実際は何も起っていなかったのだ。秘跡の典礼は誤って行われたのだ。私のせいだ。私は神父さんに助言を求めることだってできたはずだ。でも、どうしてもそれはできなかった。私は不安と動揺で全く一人ぼっちになり、ある日、これ以上我慢ができなくなった。(次号へ続く)


 

 

 






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