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第17回定時総会開催 new mark

平成28年1月31日湘南アカデミアで開催されました。
重要議案の「会則変更」第17条「会計年度は毎年4月1日にはじまり、翌年の3月31日をもって終了する」が承認され、 本年4月より実施されます。 このことにより、ドイツ語講座の会計年度とのずれによる複雑さを回避することが出来ることとなりました。
またこの変更により、本年1月より3月迄の3カ月間の特別な決算が必要となり、 4月24日(日)13時湘南アカデミアにおいて第18回総会を開催致します。
役員に関しては、新たに高橋善彦氏(下写真)の理事就任、宮川新平氏の都合による退任が承認されました。
湘南日独協会は2年後の2018年には創立20周年を迎え、また付属混声合唱団「アムゼル」は同じく15周年を迎えます。 4月には記念行事の準備を始めるる計画です。会員皆様のアイデアの提供とご協力をお願い申し上げます。




日独修好150年の歴史展のお知らせ

昨年、2015年7月佐倉市国立民俗歴史博物館で企画展示された歴史展の一部が現在横浜開港資料館で展示されています。期間は4月10日(日)迄となっています。





1月例会 映画「未完成交響楽」鑑賞

会員  下條 泰生



 総会の後の「未完成交響楽」映画観賞会の感想をストーリーに流されることなく鑑賞的観点から気が付いたことを書いてみたい。
この映画は、戦後間もなく見たので筋を殆ど忘れており、改めて鑑賞すると良く出来ている映画である。 何故未完成かは、映画の後NHKの「らららクラッシク」の録画DVDでの謎ときと合わせ、 またその後の懇親会でたまたま隣席のヨーゼフ・クライナー先生からのお話もあり、これにはここでは触れない。
西澤氏の解説によると、1823年作曲の未完成交響曲の時代背景にはナポレオン戦争の戦後処理のため開催されたウイーン会議に よる正統主義を標榜する保守反動のウイーン体制確立がある。 「歌は世につれ世は歌につれ」である。 「未完成」のロ短調の第一主題のマイナーの旋律のメランコリックな孤独・絶望の現実性と第二主題のメジャーの旋律のト長調の 甘い歓びの夢が織りなす調べは当時のシューベルトの心象を表すように思えてならない。 この二つの主題を持つ「未完成」が今も日本人に愛されているのは、 日本でのドイツの懐メロNo.1「ただ一度だけ Das gibt's nur eimal」に流れる「喜びとそのはかなさ」の 「無常」の響きと重なるからであろうか。  映画冒頭の質屋のシーン、伯爵や男爵の質草名札から垣間見る何やら戦後の経済状況を伺わせる。 ちなみにベートーベン作曲の「第九」の合唱曲「歓喜に寄す」の作詞(十八世紀末)は 「シラーが質草が思ったより多くの対価を得たことでの喜びのあまりの興奮の産物」とは・・・ 大学第二外国語の先生に教わったが、今や「第九」は日本の歳末風景、合唱曲はEUの歌となりドイツの 精神文化の汎世界性の一端を示すものと言える。
十九世紀前半オーストリア帝国はハンガリーをその版図(属国)に加えたこともあり、 宮廷行事―シューベルトの音楽会―にもハンガリーの伯爵令嬢カロリーネもはるばる馬車で 遅ればせながらやってきて大失笑することで憤然としたシューベルトは音楽を中止する。 この令嬢に扮するマルタ・エンゲルトは解説によれば本職はソプラノ歌手、 その歌うところのシューベルトのセレナーデは絶唱。またホイリゲで踊るハンガリアンダンスは圧巻。 ところで、シューベルトに手紙で結婚式への参列を促す書状の妹は、令嬢のブロンド(金髪)に対して ブルーネット(褐色の髪)でハンガリー建国のマジャール民族の血筋を思わせる手の込んだ演出である。
映画で歌われる質屋の娘エミーから貰った「ゲーテ詩集」の「野バラ」を始め「菩提樹」「アベ・マリア」等の 多くの歌曲は三十一歳という短くも満たされた人生とあいまって今でも日本人に愛され愛唱されている。
彼の生きた十九世紀前半のロマン主義の歌曲には「郷愁」(Heimwehハイムベエ)と「憧憬」 (Sehnsuchtゼーンズーヒト)が謳われているが、解説レジメ所載の漢詩「春夜落城聞笛」の起句 「誰が家の主笛・・」承「散らして春風にいり・・」そして結句「何人が故国の情を・・」に 洋の東西を越えて通底するものがある。
映画で質屋の娘が音楽会中止の後宮廷楽長に迫り「貴方がたのお上品の灯かりは消えるがシューベルトの曲は 決して消えない」と訴えるくだりにこそ「人生は短く芸術は長い」を高らかに歌う映画「未完成」の眼目がある。 最後に敢えて付け加えると、シューベルトと恋仲となる令嬢との音楽教師のシーンで左右に振れるメトロノームが クローズアップされた。彼の令嬢への想いと「未完成」の二つの主題―メランコリーと歓びーの調べの揺れを 象徴していると同時に、演出にはないがドイツ民族の精神性の二つの揺れを思わざるを得ない。


海上自衛隊護衛艦はたかぜ見学会

会員  藤野 満


護衛艦へのタラップを上る藤野氏

1月24日(日)12時に横須賀駅集合で、32名の会員が参加し、この冬1番の寒風吹くなか、自衛艦「はたかぜ」を見学しました。
日独協会の勝亦さんが窓口となり同じ湘南日独協会会員でもある護衛艦の花形職場の射撃担当の秋山友一一等海曹のお世話で実現したものです。 秋山さん、たっての願いとのことで秋山さんと同郷の相樂友和二等海曹も休みを返上して我々多数の見学者のお世話をして頂きました。 秋山さんは「秋山真之とのご親戚ですか」との度々の質問を受けたとかで閉口されておられましたが、制服姿はまさに「戦艦三笠」に乗艦し 日本の危機を救った明治の軍人を思い出さすものでした。



「はたかぜ」は戦時太平洋艦隊で活躍した「旗風」を初代として昭和61年(1986年)完工した3代目の「はたかぜ」。 4600トンの護衛艦で23cm口径の大砲を前後に2門、SM?1という開発初期型のミサイル発射装置1基、 3連魚雷発射管2基、ASROC対潜ミサイル(米国製)1基に30ノットの速力を出すロールスロイス製の ガスタービン4基計7.2万馬力を搭載しており、そのひとつひとつを詳細な説明つきで見学させていただきました。
また、すぐ隣にはアフリカのソマリア沖から戻ってきたばかりのイージス艦が停泊、 イージス艦に搭載のミサイル発射装置は最新式のSM?3で射程がより長く、精度も一段と向上しているとのこと。 ソマリア沖を通る船は年間2万隻あり、そのうち日本船は1600隻で、その3割がタンカーとのことですが、 北はスエズ運河を通るため、ときには「飛鳥」のような客船も通過します。いわばここは欧州と日本を結ぶ航路の要であり、 そこを通る船の乗組員や旅客の安全が守られ、どれだけ安心が得られているかはかり、知れません。


はたかぜのモデルシップが山口さんよりお二人へ贈呈されました

今もって昔の伝統的な海軍用語が使われている海上自衛隊では、主機関を「もとき」、雑巾掛けを「内舷マッチ」と呼んでいるとのこと。
規律は階級で守られており、階級を意識することは海上自衛隊でも重要な話ですが、どの階級の司令が乗艦しているか他の船からも認識できるように船橋のガラス窓に最高指揮官識標を表示しているのは印象的でした。
また、艦橋内に異なった色カバーがかかった椅子が2席あり、右舷側の赤席には艦長の一等海佐、左舷側の黄席は司令官の海将補が座るとの事。色で各々の階級を示し、赤より黄が上の階級で、ちなみに赤の下は青とのことでした。
「はたかぜ」は30年以上前の建造のため、操舵輪の真上に未だテレグラフ(船内伝声管)があるのには感動いたしました「面舵一杯!」などの言葉が機関室などへ伝声管に向けて発声されてはじめて艦橋らしさを感じるのは自分だけの時代遅れの認識でしょうか。最近の船には舵輪がジョイスティックに置き換わったものもあり、船らしさを象徴するものが、技術の進歩の陰で一つ一つ消えていくのを見るのは寂しい限りです。
見学後は後部甲板にて全員の記念撮影、近くのレストランで待望の横須賀カレーを食べた後は、会員の山口氏がご自身でつくられた「はたかぜ」のプラモデルをお二人に贈呈。その後、秋山、相樂氏のご案内で付近の記念碑を見学し、さらには希望者のみ軽く喉も潤したりし、帰宅の途につきました。お二人のおかげで横須賀を満喫、楽しい一日を過ごさせていただきました。厚く御礼を申し上げたいと思います。
最後に、その記念碑のなかに真新しい私の親族正岡子規が詠んだ句碑があり、「横須賀や只帆檣(はんしょう)の冬木立」をご紹介させて頂きたいと思います。


正岡子規の句碑


ドイツ語講座交流会

新春1月16日(土)受講生・講師・協会役員を交えて
交流会がさいか屋8階中国料理「煌蘭」にて開催されました。 初めに松野・中川両講師の挨拶のあと森住さんの乾杯で始まり日頃ドイツ語に接している21名の参加者は各円卓で、 おいしい食べ物と・飲み物で話の花(日本語)が一気に満開となりました、 自己紹介ではドイツでの生活、ドイツ語との出会い趣味、と話題も多彩で今回初参加の皆さんも主役に そして皆さんと親しく交流を深めました。
日頃聞くことのできないお話しなど交流も盛り上がり予定の時間は足りないぐらいでした。
講座は16年間の長い歴史の中続いていますがこれからも4講座受講生と講師・協会の支えでますますの発展を誓ってめでたく 友好の場となりましたこと、多くの皆様の参加に感謝します。

ドイツ語講座担当理事 鬼久保





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