2月例会 講演会
ヨーロッパ有数の緑化地帯となった“旧東西ドイツ”国境地帯」
〜冷戦時代の跡地に垣間見る自然を愛するドイツ人の心〜
講師 相原恭子氏
舞台をヨーロッパに置いて現在活躍中の作家・写真家
ドイツを中心とする紀行書多数
会員 山口 泰彦
2月28日(日)に開催された例会では、ドイツ政府観光局勤務のあと、舞台をヨーロッパに置いて現在、作家・写真家として活躍されている相原恭子氏にご講演いただきました。
私自身、1989年の夏に塀の中の旧東ドイツに行って以来、東西に分断されていたドイツ、そしてドイツ統一はずっと興味をもって追いかけていたテーマなので、今回の講演会はとても楽しみにしていました。
4年前には、旧東ベルリンに行って、ベルリンの壁崩壊の舞台となったボルンホルマー検問所や国民を監視していた国家保安省(シュタージ)の建物(今はシュタージ博物館)など、普段は観光客が行かない場所に行ったり、ベルリンの壁の跡をたどったりしました。
講演では、相原氏が昨年、ドイツ統一25周年を記念して開催されたインターナショナルプレスツアーに日本を代表して参加され、約1,400kmに及ぶ旧東西ドイツの国境地帯に広がるグリーンベルトの現在の様子などを、たくさんのスライドをご用意されてお話いただきました。
かつての国境地帯の東ドイツ側は、国民が逃亡しないよう、国境のはるか手前に塀や見張塔を設置して、その先にはブナ林や荒野が広がり、さらに国境にも塀があって、塀と塀の間は、立ち入りが禁止されているので「誰も居ない地域(Niemandland)」と呼ばれていました。
旧西ドイツのヘッセン州と旧東ドイツのチューリンゲン州の国境にあった検問所「ポイント・アルファ(Point Alpha)」の周囲にもそういったグリーンベルトが手つかずのまま残されていたので、空気も良く、小鳥のさえずりも聞こえ、今では散策路も整備されていて、社会見学に来た子供たちが自然を身近に感じることができる場になっています。
土地があるから開発しようというのでなく、自然を大切にしようという発想や、一方で、記念館では東西分断の悲劇の歴史を紹介し、負の遺産を忘れずにとどめるのはいかにもドイツ人らしいとお話されていました。
過ちを繰り返さないようにと、警告の意味を込めた記念碑(Mahnmal)はドイツでよく見かけますが、ここでも旧東側の国境地帯には西側に逃亡しようとして犠牲になった人たちのシラカバの木で作った十字架(Birkenkreuz)が残されているとのことです。
他にも、丘の上には中世の美しい古城ハンシュタイン城がそびえる美しい村で、今ではサイクリングロードや遊歩道が整備されているボルンハーゲンが、目の前が西ドイツとの国境だったため、かつて住民は秘密警察シュタージの監視下に置かれ、地元住民以外は立ち入りができなかったこと、村内を国境が走っていたため「小さいベルリン」と呼ばれ、兄弟の家が東西に分断され、行き来することもできなかったメドラロイトのことなどもご紹介いただきました。
そして、最後に紹介されたのがポツダムのお話。
ポツダムは、第二次世界大戦の終わりに米、英、ソ3国の首脳会談が行われたので有名ですが、ポツダムの市民はこの会談で原子爆弾の使用が決定されたことが心に重くのしかかっていて、市内には「ヒロシマ・ナガサキ通り」があり、「ヒロシマ」と名付けられたバスが市内を走り、車内には原爆で犠牲になられた方の人数などが書かれたボードを掲示したりして、過去の過ちを忘れないようにしているとおうかがいしました。
どれもが興味深いお話ばかりで、あっという間の一時間半でした。私もいつかは旧東西ドイツの国境地帯を訪ねてみたいと思います。
最後になりましたが、相原様、このたびはお忙しい中、ご講演をいただきどうもありがとうございました
講師を囲んでの懇親会
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