12月例会 講演会
「日本の不平等条約改正史におけるドイツの役割
−在独日本関係史料調査の近況を踏まえて− 」
講師 五百旗頭 薫氏 東大大学院教授
会員 山口 泰彦
12月17日(日)に開催された例会では、日本政治外交史が専門の東京大学大学院法学政治学研究科の五百旗頭 薫教授にご講演いただきました。
不平等条約改正というと、中学や高校時代、試験のために年号や事件を丸暗記した記憶があるだけでしたが、
今回の講演では、条約改正に向けてドイツが重要な役割を果たしたことをはじめ、新たな視点を披露していただき、
とても興味深く、刺激的なお話をおうかがいすることができました。
まずはじめに、不平等条約の何が問題だったのか。
関税自主権の喪失、領事裁判権までは学校の教科書でも出てくるのですが、
教授が研究の過程で発見されたのが、「行政権の侵害」。
これは条約には記載されていないことで、領事は日本の行政規則に拠って裁判を行うのですが、
その行政規則を決める際にも欧米諸国の公使・領事と事前に協議しなくてはならず、交渉がまとまらないこともあった、とのことです。
続いて行政権の拡大に伴い発生する問題が、機能肥大化による領事の機能不全。
領事機能が司法や警察だけでなく、衛生や営業規制といった行政機能にまで肥大化してくると人員が不足し、
機能不全に陥るようになりました。
今まで西洋の国は非西洋の国に領事という西洋のミニチュアを植え込んでいけばよかったのですが、
それだけでは足りず、中国のような租界をつくるか、国全体を植民地化するか、あるいは条約改正をするか、
3つの選択肢のどれかをとることになりました。
「ここが世界史的な分岐点」と教授。
この機会をとらえて行政権回復要求として条約改正交渉を始めたのが日本でした。
これに対して西洋側で最初にほころびが出たのがアメリカ、ドイツといった連邦制の国でした。
その背景には「アメリカは州ごとに行政規則が異なるので、日本との事前協議の際、『これがアメリカの規則だ。』
と提示できなかったのでは。ドイツもプロイセン規則優先の原則があったが、絶対的ではなかった。」との事情があったとのことです。
「不平等条約体制の弱い環=連邦国家」という教授の仮説は、アメリカについては検証されたが、
ドイツは現在検証中、とのことでしたので、検証された暁にはぜひ湘南日独協会の講演会でお話をおうかがいしたいと思います。
一方、日本国内の状況の変化についてもお話をいただきました。概要は次のとおりです。
明治政府の最大の外交課題であった条約改正に臨んだ外務省は、当初、
寺島宗則外務卿はじめ主要ポストは薩摩出身者で占められていて、アメリカと交渉し、
協定の締結まで進みましたが、欧州諸国が賛成しなかったため白紙になり、欧州諸国を説得しなかったアメリカ政府に日本政府は失望しました。
また、1877年の西南戦争で財政がひっ迫し、
大蔵省内で財源確保のため「まずは関税引上げを急ぐべき」との声が大きくなり、
関税自主権回復を主張する寺島外務卿が更迭され、長州出身の井上馨が外務卿に就任し、
関税引上げ路線に転換しました(=条約の関税率の改正だけで済む)。これ以降、外務省は長州出身者中心になっていきます。
この現実路線転換を評価したドイツはここから日本に急接近して、日本がイギリスや欧州諸国と交渉する際に助言をするようになりました。
ここで教授は、パックスブリタニカの時代だからといってイギリスだけを見るのでなく、
二番手のアメリカ、三番手のドイツの関係を見ながら日本外交を見ていく視点が必要では、世界史を日本から見ていくことが必要では、とお話されました。
それにしても、教授がこのように不平等条約改正について新たな視点からのお話をされたのは、
ドイツの主だった公文書館でドイツ語の旧字体で書かれた膨大な外交文書と格闘されて、
丹念に内容を分析するという地道な努力があるからこそ。講演では、旧字体で書かれた公文書のA4コピー1枚と旧字体のアルファベットの表を頂きましたが、
1枚読むだけでも大変です。
教授は冒頭、2012年にベルリン自由大学の夏学期に半年間講義して以来、
すっかりすがすがしいドイツの夏が気に入り、
夏になると在独史料の調査のため訪独されているとお話されていましたが、
私も湿気のないドイツの夏を思い出して久しぶりにドイツに行ってみたくなりました。
五百旗頭 薫氏
講演会場
講演会終了後の五百旗頭薫氏を囲んでの懇親会と望年会2018が開催されました
講演会の続きの話、新入会員挨拶、木原理事率いるSWZの仲間との歌、
鬼久保理事の三角ヴァイオリン演奏等愉快な時間を過ごし、オクトーバーフェストの際の傘の取り違えもめでたく解決!
2017年望年会は写真のように皆さん良い笑顔で終了!
五百旗頭氏と山口氏