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湘南日独協会創立20周年記念
2018年2月25日 熱海旧日向別邸
ブルーノ・タウト熱海の家訪問


会員 田中 満穂 氏


建物の前庭で田中氏と第1組

友達に建築専攻が一人いて彼が持っていた本の中にブルーノ・タウトがあったように思うが定かではない。 その後、日本文化を世界に知らしめた功労者の一人としてのブルーノ・タウトに 漠然と興味を惹かれていたが今日までまとまった本を読んだことはなかった。

社会人となり商売上のお付き合いのあった日本カーバイド社がタウトの関与した 唯一の日本での建造物を所有していることを知り是非一度見たいものだと 思いながら何十年もの年月が過ぎた。

そしてまた月日はめぐり、お茶の水大学で建築学の教鞭を取られていた 田中辰明先生とお話をさせていただく機会を得た。 同じ苗字、そしてともにドイツとの関与が深いということで話が弾み楽しい時間を 過ごさせていただいた訳だが、後日、田中先生のブログを見て、 先生がブルーノ・タウトの研究者であることにびっくり、 しかも共通のドイツ人の友達がいることも判明し二度驚いた。

そういう事もあり、ますます、一度は熱海のタウトが関与した建築物を見てみたいと 思っていたが、湘南日独協会の20周年記念春の行事で実現することになった。 望外の喜びであった。


海を見下ろす日向別邸入り口

日向別邸は備え付けのパンフレットによると、 アジア貿易で富をなした日向利兵衛が昭和8年(1933年)に温泉付き分譲地を購入し、 昭和9年から11年かけて建てた別荘とある。

木造2階建ての上屋は東京国立博物館の設計で知られる渡辺仁。 この建物は急斜面に建てられており土留めのかわりに鉄筋コンクリートで地下室を 造り屋上が庭園、その地下室に昭和11年タウト設計による部屋が完成したとのこと。

田中辰明先生の著作「ブルーノ・タウト 日本美を再発見した建築家」を引用すると 「滞在中の1933年に、『生駒山の小都市計画』(大阪電気軌道、現近畿日本鉄道)を 計画したがこれは実施に移されず、 旧日向別邸『熱海の家』がわが国におけるタウト唯一の作品となる。 全体は1933年から36年にかけて建てられ、タウトがかかわったのは35年からである。 (中略)日向は、銀座のミラテス工芸展でタウトのデザインした電気スタンドを買い、 そのデザインに共感した。 そこで熱海の地にすでに完成していた邸宅の鉄筋コンクリート造住宅の下部にできた 空間(いわば半地下室)に、居間と社交場をつくることを依頼したのである。


建物の平面図

そこには、日本的な素材を使い、桂離宮の面影をも追うことのできそうなデザインが 垣間見られる。 タウト自身の言葉によれば『全体として明快厳密で、ピンポン室(あるいは舞踏室)、 洋風のモダンな居間、日本座敷及び日本風のヴェランダを、一列に並べた配置は、 すぐれた階調を示している』ということになる。」

実際に見学した後の感想だが、日本の素材を使った丁寧な作りの中にモダニティを 感じさせるデザインが目を引く建築物であった。 依頼主の意図はどの部屋からも相模湾を眺めることのできる部屋ということが テーマとなっていたとのこと。 特に社交室の照明が小さな豆電球を横2列にずらっと天井から吊るして光の揺らぎを 感じさせるようなもので、日本趣味を持たせながらもモダニティを感じさせる部分であった。 全体規模としてはこじんまりとした感じだが、限られたスペースを有効活用しているとの印象である。 また、洋室と日本間の上段に登る階段はベンチにもなっていてそこに座って相模湾を眺める趣向となっている。


間取り図


天井からつるした豆電

ただ、惜しむらくは日本に来る前のタウトのドイツにおける建築家としての仕事と 比べると圧倒的に瑣末な作品と言わざるをえず、 タウトが当時置かれていた日本国内の状況がタウトが充実した仕事をするには 相当難しい状況だったのだろうと想像される。 結果、タウトは1933年5月から36年10月の短い日本での逃亡生活に終止符を打ってトルコに移住、 その地で1938年12月24日に他界している。

それともうひとつ、自分もこれまでタウトはユダヤ系ドイツ人とばかり思っていたが、 そうではない。タウトはキリスト教徒である。田中先生は前述の本で 「日本では、タウトはユダヤ人であったために政治的理由でナチス政権を逃れて来日した、 という説がある。志賀直哉はじめ有名人がそのような記録を残している。 しかしこれは正しくない。実弟のマックス・タウトが戦中、 戦後ベルリンで仕事ができたことからも、タウト=ユダヤ人説は否定される。 しかし当時の日本では、社会主義的思想・信条からナチス政権を逃れてきたとうより、 ユダヤ人であったので来日したというほうが受け入れやすく、 タウトを保護せんがために故意にこうした説を流した人がいたという説もある。」 と書いている。タウトは短い滞在期間の中で「ニッポン」、「日本美の再発見」、 「日本文化私観」、「日本 タウトの日記」と精力的に著作活動をこなした。 この活動においてタウトが日本国内にも広くしられ、 また建築の分野における日本的美を世界に知らしめた功績が高く評価されている所以である。

熱海のタウトの家を見たいと思い何十年も歳月が経ったがようやく見ることができた。 懐石料理をいただいたお昼の西紅亭も、 近隣に立つ坪内逍遥の雙柿舎も瀟洒な日本家屋で見応えがあった。

素敵な週末をありがとうございました。


内部でガイドの説明を受ける第2組の皆さん

見学についての手続きなどの情報

旧日向別邸の観光案内は、こちらから

熱海市役所 開庁時間内 平日(月曜日〜金曜日)
電話番号 0557ー86-6232 熱海市生涯学習課文化交流室
Eメール:bunkashisetsu@city.atami.shizuoka.jp

☆雙柿舎は日曜日のみ 問合せ:熱海市役所




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