ヴァイマル探訪記

会員 寺田雄介



 2010年5月7日の朝、肌寒いヴァイマルに到着しました。ドイツの地を踏むのはこれで4度目ですが、この街に来たのは初めてです。 ヴァイマル中央駅の前は静かで落ち着いた雰囲気。日本の観光地と違い、コンビニも土産物屋も寂れた飲食店もなく、とてもすっきりとしています。 ヴァイマル独日協会の理事であり『アートホテル・ヴァイマル』を経営されているゼンゲさんが、自ら車を運転して駅まで迎えにきてくれました。 「赤い大きなスーツケースを持っている男性が私です」としかメールしていなかったのですが、プラットホームからよろよろと降りてくる私をすぐに見つけて、 声をかけてくださいました。

 駅をあとにして中央広場やゲーテ広場周辺へ移動するにしたがって、観光客も次第に多くなり、街の賑わいも増してきました。 ゼンゲさんのホテルは街の中心部から少し離れた閑静な住宅地にありました。木陰が涼やかな、まるで軽井沢のような雰囲気の漂うところです。




『アートホテル・ヴァイマル』の室内



 案内していただいたお部屋は、白と赤を基調としたモダンで清潔感溢れるインテリアでした。 おやっ、と私の目を引いたのは、机の上のコーヒーメーカーでした。ドイツのホテルではまず見かけることはありません。 それもそのはず、ゼンゲさんが以前来日したときに、日本のホテルの部屋には必ずコーヒーメーカーが置かれていることがとても気に入って、 そのアイデアを真似したそうです。廊下には鎌倉の大仏の写真や、『飛翔』と書かれた掛け軸が飾ってあり、あぁ、本当に日本が大好きなんだなぁ、と感じました。




ヴァイマル市内にあるイルム公園



 翌日はゼンゲさんとイルム川沿いを散策したあと、午後は一人で街を観光しました。ゲーテの家と別荘、シラーの家、リストの家、バウハウス美術館、そしてヴァイマル城。 それぞれご紹介したい素晴らしい点がたくさんあるのですが、それには残念ながら紙面が足りません。 そこで、夜に訪れたドイツ国民劇場について、少し触れることにします。

 かつてリストが楽長として活躍したドイツ国民劇場は、ゲーテの『ファウスト』やシラーの『ウィリアム・テル』が初演されたことでも有名です。 肩を並べた二人の銅像はヴァイマルの街のシンボルですが、実際にはシラーのほうがゲーテよりもはるかに背が高かったといいます。 あまり身長差があるとマズいということで、同じ背格好にしたようですね。そして『ワイマール憲法』が採択されたのもこの劇場。 帝国から共和国に変わった歴史的の舞台も、このドイツ国民劇場なのです。世界遺産にも登録されているこの建築物が、 普通の劇場として今もなお市民に親しまれているところからも、文化に対する懐の広さがうかがえます。




ドイツ国民劇場とゲーテ・シラー像



 実はこのドイツ国民劇場で、私はシャンソンを楽しんだのです。さすが音楽の国ですね。フォーマルな服に身を包みながらも、 誰もが心から音楽を楽しんでいるのが伝わってきます。指揮者のように手を動かす観客もいれば、サビの部分で体を揺らし、表情をほころばせる観客もいます。 コンサート後には拍手が鳴り止まず、出演者のほうが根負けをして、4度目のカーテンコールでついにアンコールを歌ったほど。 いわゆる「お約束」の拍手ではなく、心の底から賞賛している雰囲気は、非常に心地よいものでした。

 三日目は、まずアンナ・アマーリア公爵夫人図書館へと足を運びました。日本のガイドブックでは比較的地味に扱われている場所ですが、 ヴァイマルで私が一番感銘を受けたのはこの図書館でした。 ここは前日までにツアーに申し込み、指定された時間に団体で入館しないと、見学できません。 是非一度は見ておいたほうがいいだろうと、ゼンゲさんが僕のために申し込んでおいてくれたのです。内部は撮影禁止なので、お見せできないのがとても残念です。




アンナ・アマーリア公爵夫人図書館



 2004年にアンナ・アマーリア公爵夫人図書館は火事に遭い、ロココ様式のホールが丸焦げになるという災難に見舞われました。 所蔵されていた本も少なからず焼失しましたが、ドイツ人は持ち前のゲルマン魂(?)で痛んだ本をこつこつと修復しました。 その修復の過程は館内のビデオで紹介されているのですが、本当に緻密な手作業で驚きました。残った紙の部分を傷つけないように、 黒こげの部分に新しい紙を貼って一枚一枚補強するのです。気の遠くなる作業です。そしてついに2007年に再び開館にこぎつけ、今に至っています。

 夜はヴァイマル独日協会の副会長であるバウハウスさんと合流し、ゲーテの愛したクリスチアーネが眠っているヤコプ教会へと向かいました。 そこでは曲目がヴァイマル出身の音楽家の作品だけの演奏会が行われたのです。合唱隊が正面だけではなく、二階の左右にも分かれて歌うので、 歌声が三方から立体的に聞こえてくるという神秘的な演奏会でした。

 その後、バウハウスさんとゲーテの家の隣にある『白鳥亭』というレストランに移動し、夕食をご一緒しました。 以前、この『白鳥亭』には、天皇皇后両陛下もお越しになったことがあるそうです。一般客は立ち入り禁止なのですが、支配人さんにお願いして、 特別に天皇陛下がお食事をされた部屋を見学させていただきました。お店の三階にあり、今もVIPの接待以外では使わないそうです。 「何をお召し上がりになったのですか?」と聞いたところ、「天皇陛下専用のコース料理だったようです」とのお話でした。 記念に天皇皇后両陛下のお写真の前で、写真を撮らせていただきました。




『白鳥亭』3階にある、天皇陛下がお食事をされた部屋の前で



 瞬く間に最終日になりました。午前中は街の中心部から少し離れたところにある、ヴァイマルゆかりの偉人たちが眠っている墓地へ行きました。 カール・アウグスト公、ゲーテ、シラーに始まり、計44人もの偉人たちが眠っています。写真を撮るべき場所ではないのですが、 わざわざ日本から来たので一枚だけお許しください、と心の中で言い訳をしながらシャッターを押しました。左がゲーテ、右がシラーの棺です。




左がゲーテ、右がシラーの棺



 午後はブッヘンヴァルトの収容所へ向かいました。ゼンゲさんが是非一度は見ておいたほうがいい、と誘ってくださったのです。 ヴァイマル市の中心部から車で約15分。途中、窓からは一面の菜の花畑が見えました。あまりに鮮やかな黄色が続くので、 まるでこの世ではない場所に向かっているような、不思議な感覚に襲われました。

 午前中に訪れた墓地とは違い、収容所では写真を自由に撮って構わないそうです。 実際に、多くの観光客が “Jedem das Seine” と書かれた収容所のゲート前で記念撮影をしていました。 しかし、なぜか私にはそれができませんでした。理由は未だに自分でもよくわかりません。広島の原爆ドームを初めて見学したときと同じような、 奇妙な息苦しさを覚えたのです。

 収容者が運ばれてくる電車の終着駅、ゲート、監視塔、電流フェンス、バラックの跡、拷問部屋、ガス室。全てが生々しくそこにありました。 敷地の一番奥にあった展示館には、ブッヘンヴァルトに関するあらゆる資料が残されていました。収容所で亡くなった人たちの服、靴、帽子、バッチ、家族の写真、 その他身の回りの物など。また、ブッヘンヴァルトが解放された当時のモノクロの記録動画があり、収容者たちの当時の生の声も聞くことができます。 一方でガス室や銃で殺された人々の様子や、積み上がった死体の山を写したものもあり、その凄惨な風景を目の当たりにすると、 食事なんてとても喉を通らなくなります。しかし、センゲさんの言う通り、これもまたヴァイマルなのです。 ゲーテやシラーの華やかなる時代はあくまで街の一面に過ぎないと、改めて気づかされました。

 本文では触れることはできませんでしたが、ヴァイマル独日協会のローマン会長にもホテルの一室をご提供いただきました。 また、バウハウス副会長とゼンゲ理事には、お忙しい中にもかかわらず、私のために時間を割いてくださったことを、ここに心より感謝申し上げます。

 最後になりましたが、今回の旅では、ヴァイマル滞在中の宿泊費をヴァイマル側に負担していただいただけでなく、8万円の援助を湘南日独協会より頂きました。 それは、訪湘の折、当協会に歓待されたことのお礼に、若手会員交流のための資金にお役立てください、とヴァイマル独日協会が織田会長にお渡しくださったものでした。 つまり、私がこれほどの貴重な体験をすることができたのも、ひとえに湘南日独協会の皆様のご活動のおかげなのです。 この場を借りて会長並びに会員の皆様に御礼申し上げるとともに、協会のさらなる発展をお祈り申し上げます。


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