ノーベル平和賞を誕生させた女性

会員 宮下啓三



ベルタ・フォン・ズットナー(1844-1906)



 日本人2人の化学賞受賞、反体制作家である中国人の平和賞受賞。今年のノーベル賞は日本人にとっての朗報と世界的な議論のたねをもたらしました。 それにしても、ノーベル賞の受賞者を決定する組織はスウェーデンにあるのに、平和賞だけがノルウェーで選ばれるというのは、なぜなのでしょうか。
 ノーベル平和賞の女性第1号であった人の顔がドイツ切手に描かれています。その女性の名はベルタ・フォン・ズットナー。オーストリアの女流作家で、 ドイツ語で小説を書く人でしたが、1905年にノーベル文学賞ではなくてノーベル平和賞をさずけられました。
 ベルタの人生は波乱に富んでいました。貴族の家柄であることが名前についた「フォン」の文字にあらわれていますが、家が没落したために、 あるお屋敷の娘たちを教育する仕事を始めました。娘たちの兄である青年と恋愛関係におちいりました。雇い主が困って彼女を家から遠ざけようとして、 就職の世話をしました。外国語に堪能だったベルタは、パリに生活拠点を置いていたノーベル氏に才能を買われて、秘書と家政婦を兼ねる仕事に就くことになりました。
 パリに来たものの、ウィーンにいる7歳年下の若い恋人を忘れられず、ノーベル氏に置き手紙を残してウィーンに戻って、ひそかに2人だけの結婚式を挙げてから、 ヨーロッパとアジアの境に位置するグルジアに移り住みました。「この世の天国」と聞いていたのに、行ってみればそこは民族紛争で人々が憎しみあい殺しあう土地でした。 身近に戦争の悲惨さを見聞きしてヨーロッパ中央に戻ったベルタは、心底から戦争を憎しみ平和を求める作家に変身しました。 彼女は戦争がもたらす不幸をテーマとする小説で名高い作家となりました。さらに、平和を説くために講演してまわりました。
 そうして、戦争のない世界をつくるための言論を世に広めるためにノーベル氏にも協力を求めました。ノーベル家での仕事を見捨てた女性の求めに応じたノーベル氏も立派です。 ノーベル賞の発足を決めたノーベル氏に、ベルタは平和賞を加えるようにと熱心に説得を続けました。すでに決まっていた構想に後から付け加わったという事情が、 平和賞だけノルウェーで受賞者を決定するという、特別な仕組みを生む理由となりました。
 切手はベルタ・フォン・ズットナー(1844-1906)の生誕150年にあたる年に発行されました。 ベルリンの壁が消えてふたたび一つになったドイツが国際平和へのいっそうの大きい寄与を誓う意思を示す切手でした。


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