7月懇話会「ドイツビールと日本」
を謹聴して


会員 廣川貴男


 7月24日開催の例会は、当会の理事でモース研究会会員でもある吉田克彦さんによる「ドイツビールと日本」と題する、時節柄誠に好個なテーマの講演であった。この酒気芬芬たる話柄も、吉田さんの温雅瓢逸なお人柄からくる口吻の下では、不可思議にも、酒精度は希釈され、“狂い水”は甘露に変じたる如き心地がする。
 国産ビール揺籃期のお話故、“珈琲”や“葡萄酒”と同様、ドイツビールも“独逸麦酒”と表記せねば時代の空気は伝わらないのでは、などと余計なことを考えつつ、興趣尽きないお喋りに耳傾けた。



筆者廣川氏(左)と講演者吉田氏(右)


 日本での麦酒造りは明治初年、薩摩武士の村瀬久也と越後人・中川清兵衛という私には馴染み薄い二人の人物が深く関わっている。両人とも幕末に渡欧しており、現地で、或いは帰国後、ビール醸造に携わったようだ。日本国内で国産ビールが販売されるに至るまでには、黒田清隆や青木周蔵の如き新生明治日本を背負って立つ歴史上の超有名人が関与していた。明治9年には北海道開拓使麦酒醸造所が竣工し、翌年には函館で販売が開始されている。手許の『明治事物起源』(石井研堂著)によると、明治10年代には、この他テーブルビール、ストックビール、信濃ビール、桜田ビール、浅田ビール、ライオンビール、ニッシンビール等の国産銘柄が現れ、僅かの間に盛況を見るに至った。
 今回の講演は、私の蒙を啓き裨益するところ大であったが、歴史上の新知見を得たことも特記しておかなければならない。あの浦島太郎が竜宮城での饗宴で乙姫からお酌された飲物は、麦酒であったという“事実”がそれである。また、乙姫は碧眼の艶治な麗人であったということも。向後、亀を捉えたら、優しく遇し、恩を売っておかねばなるまい、さすれば、竜宮城へ…。



当日提供頂いた開拓ビールと吉田氏の著書湘南讃歌


 講演会会場のホワイト・ボードに貼られた昭和6年製のサッポロ・ビールのポスターは、明治・大正・昭和初期前期の商業用ポスターの特徴を濃厚に漂わせたもので、妙齢の婦人がシナを作って、麦酒を勧める態のもの。旧時代のリリシズムと、ちょっぴりのエロティシズムが馥郁とした逸品である。このポスター中の姐さんに秋波を送られながら、講演も進む程、いよよ渇は弥増し、ディオニソスの愛子たる私は、疾く琥珀色の壺中物にありつきたいものと、ひたすら焦がれるばかりであった。程経て、吉田さんより瓶詰めの“復元開拓使麦酒”が聴衆全員に恵贈された。その御厚志は只々悉く、深謝の他ない。
 夕刻、本日の第二会場である茅ヶ崎の「モキチ フーズ ガーデン」に移動し、昼時来の乾きを癒すことと相なった。当店は、日独協会が2004年4月24日に利用した茅ヶ崎・香川の熊沢酒造が茅ヶ崎駅近くに開いたビヤホールで、同酒造の懐かしい三種類のビール、ビター・リーベ・ルビーを再び味わうことができる。店内に入るや、正面の壁には、全面、本棚が設えられ、内外の文学全集の他、思想・経済・歴史等の書籍が隙間なく架蔵されている。聞けば、先代社長の蔵書だろいう。何やら、学び舎に引き戻された様な粛然たる思いで宴席に着く次第となりぬ。



Trinken(飲み)




Lachen(笑い)




Singen(歌い)




Unterhalten(語り)


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