追悼 宮下啓三さん

会員 古橋昭子


 私が宮下さんに初めてお会いしたのは今から50数年前、私が鵠沼の湘南学園の先生になった時で宮下さんが高校1年の時でした。高2になる時には慶應義塾高校へと転向して終い以後会う事はもなく過ぎていました。
 今から15年前、湘南日独協会初代理事を務めた川本さん(私が彼と初めて会った時彼は中2の生徒でした)から湘南日独協会を設立するので参加をとの電話をいただき鎌倉で行われた発会式に出席した時私の前の席に座った宮下さんを見て思わず「あなた啓三ちゃん?」と即、声を掛けた程変わっていませんでした。頭のてっぺんは大分うすくなってはいましたが!以来私はドイツ語の講座のお世話をさせていただき、宮下さんは織田副会長と共に副会長として、岩撫苑繪長と共に当協会の発展に力を尽くして来られました。ドイツ文学の大物である他、絵画の技術にも巧け一方山にも詳しく、北アルプスの殆どを歩いた私とも山の話にも通じるものがありました。
 一度二人で藤沢のおでん屋に飲みに行き、お互いに知らなかった話をしたこともなつかしく想いだされます。会として大切な人に逝かれて終いました。
 最後に私と宮下さん共通の望みは会員名簿を作る事です。嫌だと云う方は載せなければ良いではありませんか。名簿の無い会なんてあり得ないと云うのが宮下さんの主張でした。私もそう思います。
 宮下さん長いことありがとうございました。







 宮下啓三氏は2011年10月16日(日)に湘南日独協会特別例会において、湘南日独協会のための講話「ドイツ民謡と歌曲と詩の言葉についての話」と題されてのご講演をいただきました。 当日は遠方から駆けつけられた方々も多く盛会でした。上の写真は当日、先生がドイツで贈られた記念のゲーテ像を手にしての講演のご様子、右は講演終了後の懇親会(先生ご紹介の場所)で先生ご夫妻を囲んでのスナップ写真です。(大久保)


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