講演会「ドイツにおける移民問題の現況」に出席して

会員 松野義明


 私のドイツ、オーストリアとのお付き合いは三期に分けられる。ウィーンに留学して、そのまま研究所勤めをしていた第一期(1957年〜1962年)、高速増殖炉の共同研究のためカールスルーエの原子核研究所とウィーンの国際原子力機関に頻繁に出張していた第二期(1970年〜2000年)、孫娘と遊ぶために南ドイツの小さな町に足しげく通った第三期(2008年〜2012年)である。この長いドイツ、オーストリアとのお付き合いのなかで、第二期後半から第三期にかけて、訪問の回を重ねるごとに、私はドイツの町に何か異変を感ずるようになってきた。新市街が近代化の波に乗って目を見張るような変化を遂げるのは、他のヨーロッパの町々でもよく見られることで、さほど珍しいことではないが、新市街のみならず旧市街にも奇妙なエキゾティズムを感ずるようになってきたのである。私の中に芽生えた違和感とも云える感情は、頻繁に遭遇するチャドルやヘジャブ姿の集団、どの街角でも目にするケバブの店、道を歩いていると自然に聞こえてくる耳慣れない言語などの視覚的あるいは聴覚的印象に起因する漠としたものだったが、その曖昧な私の違和感に、歴史的、文化論的説明を与え、問題点を明確化して下さったのが7月29日の昔農英明先生のご講演であった。




昔農氏


 ドイツは1955年のイタリアとの労働者募集協定締結を皮切りにスペイン、トルコ、ギリシャ、ユーゴスラヴィアなどと労働者募集協定を次々と結んでいった。ドイツが外国人労働者に求めたのは「景気調整弁」としての機能であったので、外国人労働者のドイツ国内滞在は一時的なものしか想定していなかった。しかし、1970年以降は労働者の家族呼び寄せが盛んに行われ、滞在期間も長期化し、事実上、移民化の様相を呈するようになった。その結果、移民人口は1570万人(全人口の19%)に達することになった。同時に、移民の学力不足、学校崩壊、失業問題、統合問題などの難問も続出した。そもそもドイツは移民国家であることを標榜しているわけではないので、外国人政策は存在したものの、移民政策は存在しなかった。2004年になってやっと移民法が成立し、ドイツにいる移民の潜在能力を活用するべく様々な工夫がされ始めたのである。
 昔農先生は、その工夫がある程度具現している事例の一つとしてノルトライン・ヴェストファーレン州の都市ドウイスブルグを紹介された。ドウイスブルグは人口49万人、かつてはルール工業地帯の中核的都市の一つであったが、現在は、70年代の産業構造の転換、基幹産業の衰退に多くの外国人労働者の移民化が重なり、移民の失業率低下、地域社会との交流の停滞、高度人材流出などが原因で目抜き通りに空き店舗が連なるなどの衰退の兆しが色濃く出ていた。同市マルクスロー地域は住民17,500人の約36.6%が外国人で、その70%がトルコ系移民であり、地域の衰退はドウイスブルグの他の地域と同様に深刻であった。しかし、トルコ人起業協会が設立され、EUや州からの資金援助も受けて、起業相談などが積極的に行われた結果、目抜き通りには宝石店、婚礼衣装などのブライダル産業が立ち並ぶようになった。また、2000年に入ってからは、ドウイスブルグに新しい大規模モスクの建設も行われたが、それに際しては、礼拝施設としての役割ばかりでなく、ドイツ語習得の場、異文化の相互理解の場、職業教育の場などの機能を付加する工夫もなされている。持続性を含めたその効果は今後の評価に任されている。




例会会場


 現代人は異文化との接触は避けて通ることはできない。だから、異文化を互いに理解し、尊重することが現代人には求められている。異文化が接触したとき、お互いの歩み寄りを拒絶すると当然軋轢が生ずる。誰でも、異なる文化が歩み寄り、それぞれの伝統文化を含む一段高い豊かな文化の構築を理想とし、その実現が望ましいと考えるだろう。しかし、そこに人間の生活に直結する経済活動や教育理念や宗教教義が絡んでくると、そう簡単に理想は実現できない。時には、心理的軋轢が深刻な憎悪に発展する可能性さえ秘めている。この一見解決不可能とも見える問題に対して最適な答えとなる移民政策を醸成しようともがいているのが現在のドイツであると、昔農先生は説かれる。
 文化が相異なる二つの人間集団が同一地域で平和に共存できる社会的仕組みを見つけ出す知恵がいまドイツでは求められているのだ。
 類似現象が日本でも起こり得る。前例主義がすべてに優先する日本では、「想定外」の現象に遭遇すると関係者は思考停止を起こす。そうならないために、あらかじめ類似現象を「想定」して対策を考えるべきである…とまでは昔農先生は仰らなかったが、ご講演をうかがった私にはそう思えるのである。


Copyright(C) 2008- 湘南日独協会 All Rights Reserved.

 

.