3月例会
岩崎英二郎先生のご講演を拝聴して


会員 松野義明



岩崎英二郎先生


 2013年3月24日、湘南日独協会創立15周年記念事業の一環として行われた当協会初代会長 岩崎英二郎先生のご講演を拝聴した。演題は「即席造語(Augenblicksbildung)の二つの型」で、多少なりともドイツ語に係わったことがある人たちにとっては、大変興味深いお話であったと思う。
 ドイツ語の言葉の語尾に、-ei / -(e)lei / -(e)reiをつけたり、語頭にGe-をつけたりすることによって即席の名詞を作ることができる。そしてその名詞は、元の言葉の意味に何かしらネガティヴな意味が付きまとう傾向がある、というご指摘である。その事実を明らかにするため、先生は、前者について32、後者について16の実例を示された。それらの実例には日本語訳もついているので、上記接尾語や接頭語の微妙なニュアンスをはっきりと認識することができた。
 短時間に先生が淡々と話された内容はまさにエッセンスで、その背後には、17世紀から現代までのおそらく数百人の広範な作家の作品の精査という作業から得られた膨大なデーターベースが先生の頭の中に蓄積されているに違いないと私は想像している。過去に多くの方が出版している日本語訳についても先生はご自身のデーターベースに基づいてコメントなさったが、極めて説得力のあるものだった。改めて翻訳の難しさを認識すると同時に、先生の不断のご努力と語学研究者としての計り知れない強靭な情熱をひしひしと感じないわけにはいかなかった。
 人間が自分の感じた情緒の機微を表現するとき、あまたある言葉の中から適切な言葉を選択しなければならないが、選択した言葉が表現したい内容にピタリと合わない場合には、その言葉に何かちょっとしたものを付け加えてピタリとした表現にしたくなる(ド下手、ドけち、ドぎつい、などの「ド」や馬鹿メ、こいつメ、などの「メ」もそうかもしれない)。語尾の-ei / -(e)lei / -(e)reiや語頭のGe-はそんな人間の表現欲から自然発生したものではないだろうかと、語学研究にはズブの素人である私は先生のお話を伺いながら考えていた。
 私自身のささやかな体験をお話ししよう。昔、ドイツ人の友人と一緒にある日独共同研究の予算申請書を作っているとき、申請書の書式が無意味にややこしいので、彼が"Solche Schreiberei macht mich immer so nervoes!"(毎回つまらんことを書かせやがって、全くイライラするなあ!)とボヤいていたのを思い出す。口の中でSchreiberei, Schreibereiと繰り返していると、本当に「お役所提出用のシチ面倒臭い書類作り」という気分になってくるから不思議である。また、ある日、やはり研究仲間と手分けして複雑な数値計算を電動計算機でやっていた時(当時は電子計算機がまだ自由に使えなかった!)、友人が"Schweinerei! Schon wieder falsch!"(畜生!また、間違えちゃった!)と少々お下品な叫び声をあげていたのを思い出す。これはきっと自分のドジに対する自責の叫びだったのだろう。
 蛇足であるが、先生はご講演の冒頭に、「私は長い間学生の前で話をしてきたので、大勢の人の前で話すことに慣れているとお思いでしょうが、実はとても恥ずかしいのです」とおっしゃった。この「恥ずかしい」をピタリと表現するドイツ語があるだろうか。浅学の私には思いつかない。ことほど左様に、情緒の機微を表現する仕方には民族的な差異もあるようだ。
 ともあれ、先生の膨大なご研究成果の一端に触れることができたこと、しかも、自分で思っているだけかもしれないが、理解できたことに大きな喜びを感ずるのである。


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