東部ドイツ旅行記

会員 西山忠壬


 ドレスデンまでの旅行に関しては既にこれまで報告がされておりますので、その後に関して報告させていただきます。
 4日目、ドレスデンを8時半に出発、ケーニッヒシュタインの上の方、標高361メートルの所には13世紀に築かれた要塞が残って居り、順路から広がる眺望は圧巻であった。敷地内には観光施設としての博物館も完成し、歴史を物語る多くの展示品で埋まっていた。
 その後、クーアオルトラーテンに移動し砂岩の層が長年の雨水の浸食作用と風化により奇岩の断崖絶壁な地形が出来上がったと云うザクセンスイスをハイキングで登り、下を流れるエルベ川より約200メートルの高さにある1851年建造のパスタイ橋側の展望台からも周囲の奇岩を眺めた後近くのレストランで昼食をとる。




エルベ川の聳えるケーニッヒシュタイン


 その後、600年前貴族の狩猟用の館として建造されたピルニッツ宮殿へ。17世紀末ニアウグスト強王の所有となり、愛人ゴーズル伯夫人にプレゼントしたと云う。ここではまず240年前に日本からプレゼントされた椿の木を先ず拝見する。木の脇には冬場に温室として使用されるガラス製の建造物もおかれていた。城内にはアウグスト強王が息子の為に作ったと言われるゴンドラも展示されていた。
 ピルニッツ宮殿の裏手からは、エルベ渓谷でリバークルーズを運航しているザクセン蒸気船でドレスデン迄、蒸気エンジンの音や外輪による波しぶきの音、更に汽笛の響きを聞きながらこの約1時間の船旅を楽しみドレスデンに無事到着。
 ドレスデンでは戦時中破壊されドイツ国民の浄財により再建されたフラウエン教会が6時半までなら最上階まで登れますよとの勧誘で有志8名位で登りドレスデンの街並みをながめる。夜8時よりホテルの近くのレストランで交流会が行われ夕食を楽しむ。小さな魔除けの人形をお土産に戴く。
 5日目、先ずヨーロッパで始めて磁気を産み出したマイセンでは朝一番に磁気博物館を訪問、原料を轆轤で成形するところから始まり、絵付けの段階を経て最終製品になるまでを其の順序に従って、解説出来るようになっている部屋を順番に見て回った後は、2階の展示室や1階の売店展示の作品を拝見する。前回、来た時は2階に置いてある磁器製パイプをしようしたパイプオルガンの特別演奏を聞かせて頂いた事を思い出す。
 マイセンから110kmドライブしてリュベナウに到着、レストランではコトブス独日協会のDr. Prof. Wusch氏ご夫妻と勝亦氏の旧友Hesse氏に迎えられて昼食を共にする。
 昼食後は民族衣装を着こんだ可愛い姉妹とそのご家族の出迎えを受け、森の中を縦横に流れるシュプレイ川を2艘の平船での遊覧を楽しむ。船上では雨の中傘の花が咲き、行きかう際にお互いに写真を取り合っていたようだ。船の中では1本1,5ユーロのリキュウルを販売していたので購入して飲む。




ピルニッツ宮殿庭園にて向かって左が西山氏


 その後は98km離れたベルリンに向かい、途中ブリッツではドイツの建築家ブルーノ・タウトが設計した世界遺産『ブリッツ馬蹄形集合住宅地(ジードルンク)』の見学をするが、雨脚が強くなった所で多くの方はバスを降りて近くを覗いたようだったが、流石建築家を目指す樫村さんと会長、私の3人は折角のチャンスと思い主だった所を見学する。
 ブルーノ・タウトは1932年から1933年までソ連で活動するが、建築界の硬直性に直面し、ドイツに帰国。その直前にドイツではナチスが政権を掌握。親ソ連派と言う烙印を押されてタウトは職と地位を奪われ、ドイツに戻って僅かに二週間後に祖国ドイツに家族を残し、スイスに移動後シベリア鉄道でウラジオストックに到達し、海路日本を訪れ其のまま亡命した。ブルーノ・タウトは桂離宮と日光東照宮を対比させた上で、桂離宮を取り上げ、数寄屋造りの中にモダニズム建築に通じる近代性がある事を評価し、世界に紹介したのである。滞日中生活をされた高崎市のお寺「少林山達磨寺」にはブルーノ・タウトが暮らした住居「洗心亭」が保存されているが、それを見学した時の事を思い出す。
 ベルリン到着後夕食はソニーセンタービルのビアホールで済ませ着替えをしてコンサート会場の『フィルハーモニー』へ向かう。ここでもベルリン独日協会の方のお世話で良い席の前売り券をお世話頂き、86歳になるヘルベルト・プロムシュテットの指揮でベートーベン交響曲第4番とカールニルソン交響曲第5番の名演奏を堪能した。
 ホテルに帰ると喉を潤したい人が何人かいた上、テレビ画面ではサッカーヨロッパ選手権でドイツチーム同士の争いとなり、ミュンヘンとドルトムントの対戦となり2:1でミュンヘンの優勝を見届けて部屋に戻る。




ブルーノ・タウトの集合住宅地の顕彰碑


 翌6日目は、まず1961年夏東ドイツによる壁が出来てから28年間通行不可能になったブランデンブルグ門で下車、小雨降る中、全員で記念写真を撮影、更に車中からは金色に輝く「戦勝記念塔」を眺めたりして、ポツダムに向かう。途中オンケルトムヒュッテでブルーノ・タウトの設計になる住宅地と顕彰記念碑の後、プロイセン王フリードリッヒ一世、大王と呼ばれたフリードリッヒ二世が栄耀栄華を極めた居城サンスーシー宮殿と立派な庭園を散歩。更にホーエンツォーレルン家の王城の中でも最後の建造物となったツェツィーリエンホフ宮殿を訪れる。この宮殿は戦争終結に導いた三国巨頭によるポツダム会談が1945年の夏に使用されたことから、世界中の注目を浴びた知名度の高い場所の一つとなる。




ブランデンブルク門の前で


(感想)
 今回の旅行では参加者が24名で行動するにも、訪問場所の説明を聞くのも、また、大型バスでの移動もゆっくりと休め、スケジュール的にははっきり言って可なりきついものがあったが、5か所の独日協会との食事会、ドレスデンでのオペラ鑑賞、ベルリンでのクラッシック音楽会、蒸気船によるリバークルージング、SL列車での汽車旅、リューゲン島での遊覧船、それにドイツの代表的世界遺産訪問、バラエティーに富む場所の数々を見学等、10日間を充分楽しませていただきました。この旅行の準備、計画、参加者のお世話などにご尽力頂きました、織田会長、東日観光の阿部さん及び現地でのガイド役を務めて下さいましたゆかりさんに改めて厚く御礼申し上げます。


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