湘南日独協会会報 Der Wind

 VOL.22 NO.1 通巻 126
 発行 2020.01.19
 更新 2020.02.22

   

 連絡先

 TEL: 0466-26-3028
 FAX: 0466-27-5091
 Mail:
 jdgshonan.official@gmail.com
   

 ご案内

 湘南アカデミアの地図
 〒251-0025
 藤沢市鵠沼石上1-1-1
  江ノ電第2ビル7F
   
3月 例会中止 のお知らせ


 3月29日(日)に予定しておりました、3月例会は、新型コロナウイルス感染拡大の防止の観点から
 
講演会、懇親会ともに、中止とさせて頂きます
 どうぞ、安全第一を考慮の上の中止と、ご了承頂けますよう、お願い申し上げます

 なお、今後、当協会の各催事の開催について、感染の情勢等を踏まえ、検討して参ります。
 各催事の開催は、流動的になると思われます。随時、このホームページでお知らせします。

第21回 湘南日独協会 定時総会のお知らせ

 湘南日独協会の2020年度定時総会を下記の要領にて開催いたします。
 総会後にはオリンピックの映画を無料で開催します。
 総会・映画鑑賞に、より多くの会員のご出席・ご参加を心よりお待ち申し上げます。

第21回 定時総会
 日時:2020年4月26日(日)14:30〜15:00
 場所湘南アカデミア
    藤沢市鵠沼石上 1-1-1 江ノ電第2ビル7階 TEL 0466-26-3028
 ※会員の皆様には「総会開催案内」を3月号の会報に、
  「総会資料」を6月号の会報でお送りいたします。

映画鑑賞会
 日時:2020年4月26日(日)15:15〜17:00
 会場:総会と同じです
 会費:無料

 上映映画:ベルリンオリンピックの記録映画「民族の祭典」

なお、映画鑑賞会の後に、場所を変え、懇親会も予定しております。
ご出席・欠席のお返事は会報に同封のハガキ等にて、4月19日(日)までにお願いいたします。


お知らせ
募集中
 湘南日独協会 会員募集中
  湘南日独協会では、会員を募集しています
   入会申込書(PDF版)を、 こちらからダウンロード、印刷、ご記入の上、協会まで送付下さい
  もしくは
   入会申込書(Excel版)を、 こちらからダウンロードし、
   エクセルで開き「編集を有効にする」「コンテンツの有効化」にして、必要事項をご記入頂き、
   保存の上、 こちらから、協会宛のメールに添付し、送付下さい

 ドイツ語講座の受講生募集中
   湘南日独協会では、ドイツ語講座を開講し、受講生を募集しています
   詳しくは、 こちらをご覧下さい

 合唱団アムゼルの団員募集
   湘南日独協会混声合唱団 アムゼルでは、団員を募集しています
   詳しくは、 こちらをご覧下さい

開催イベント  詳しくは、こちらをご覧下さい
 また、湘南日独協会 催事カレンダー(2020年01月20日版)は、こちらから、ご覧頂けます

 3月例会 中止
   3月29日(日) 講演会 鉄道の保安機器の開発とその歴史
 4月 年次総会
   4月26日(日) 年次総会
          映画鑑賞会 「民族の祭典」(ベルリンオリンピックの記録映画)

 談話室SAS
   2020年 7月まで休会と致します

 読書会:ドイツ文学を原語で楽しむ会
   詳しくは、 こちらをご覧下さい
   2020年 3月 3日(火), 17日(火)

会員の皆様へのお願い  
投稿のお願い
会員の皆さんの日頃のご活躍を会報でお知らせしたいと思います。 演奏会・展覧会・発表会・講演会等の予定をお知らせ下さい。
会報は季刊、3月、6月、9月、12月の第2日曜日発行予定です。 前月の中旬までにメール・郵便のいずれでも結構です。お待ちしています。

皆様へ、ご協力お手伝いのお願い
季刊の会報Der Windの発送作業を、原則、季刊3月、6月、9月、12月の第2日曜日、午前10時から行っています。
お手伝い頂ける方は、ご連絡頂ければと思っています。

年会費について
これまでに、会費を振り込み頂いた方でお名前の記載がない方が居られます。会の方へご連絡いただきたくお願いします。



 これまでの掲載記事
   (寄稿など)


  会員掲示板(これまでのホームページ掲載記録 - ältere Nummern)
  劇場便り
  マインツから
  Deutsche Witze
  これまでの協会主催イベントについて:イベント情報
  私とドイツ
  皆様から寄せられた岩崎先生への追悼文



 これまでの活動


  

 2008年 2009年
 2010年 2011年 2012年 2013年 2014年
 2015年 2016年度 2017年度 2018年度 2019年度
 2020年度



 関連協会



 日独協会(JDG)

 〒160-0016 東京都新宿区信濃町18番地マヤ信濃町2番館
 受付時間:月〜金 10:00〜18:00
 TEL: 03-5368-2326 FAX: 03-5368-2065


 横浜日独協会(JDGY)

 〒223-0058 横浜市港北区新吉田東2-2-1-913
(事務局:能登)045-633-8717



 提携協会



 ワイマール独日協会

  Rainer-Maria-Rilke-Straße 10A, 99425 Weimar
   c/o : Peter Käckell
   E-mail : djg-weimar@t-online.de

湘南日独協会 開催行事の予定

湘南日独協会 催事カレンダー(2020年01月20日版)は、こちらから、ご覧頂けます

月例会

会場 湘南アカデミア
   藤沢市鵠沼石上 1-1-1 江ノ電第2ビル 7階
   TEL 0466-26-3028


3月例会 鉄道の保安機器の開発とその歴史  ★中止致します★

日時 2020年 3月 29日(日) 14:30〜16:00
講師 槇 卓氏 日本の近代史研究家、当協会会員
概要 日頃私達が乗り慣れ、親しんでいる日本の鉄道の安全はどのようにして、どのような
   機器を使って確保されているのでしょうか。
   その開発と発展の歴史を、新幹線、山手線、京浜東北線、ゆりかもめ等々身近な路線の例を
   挙げて、過去に起きた事故と併せ、講師の知見に基き解説頂きます。ドイツの状況について
   もお話頂きます。講師は、本来昨年1月講演予定でしたが、事情により中止となり、今般、
   ジャンルを変えてお話頂くことになりました。

   茶話会 会場にてコーヒー程度
   会費 100円 どなたにも気楽に参加頂けます

会費 1,000円

懇親会 会場 未定

年次総会 映画鑑賞会

日時 2020年 4月 26日(日)
      年次総会  14:30-15:00

      映画鑑賞会 15:15-17:00
      「民族の祭典」ベルリンオリンピックの記録映画

読書会

  ドイツ文学を原語で楽しむ会
   詳しくは、 こちらをご覧下さい

会費 1,000円
会場 ミナパーク 5階

回数 月 日 会議室番号 時間帯
第1回 10/01 (火) 506会議室 15:00〜17:00
第2回 10/15 (火) ミーティングルーム 1 15:00〜17:00
第3回 11/05 (火) 507会議室 15:00〜17:00
第4回 11/19 (火) ミーティングルーム 1 15:00〜17:00
第5回 12/03 (火) ミーティングルーム 1 15:00〜17:00
第6回 12/17 (火) 506会議室 15:00〜17:00
第7回 1/7 (火) 507会議室 15:00〜17:00
第8回 1/21 (火) 506会議室 15:00〜17:00
第9回 2/4 (火) 507会議室 15:00〜17:00
第10回 2/18 (火) 506会議室 15:00〜17:00
第11回 3/3 (火) 507会議室 15:00〜17:00
第12回 3/17 (火) 506会議室 15:00〜17:00

談話室SAS

会費 1,000円

談話室SASについてのご紹介は、
こちらをご覧下さい


   7月まで休会と致します

寄稿


9月例会 講演会

英国のEU離脱(Brexit)と日本
               を聴いて

9月29日(日)、湘南日独協会の月例会にて「英国のEU離脱(Brexit)と日本」(副題「混迷極まるBrexit」)の講演を聴いた。 講師は、関西国際大学国際コミュニ学部学部長で、慶應義塾大学名誉教授でもある、渡邊頼純先生である。


会員 島 新 氏

大学の先生ではあるが、単なる学者ではない。留学時代を含め、ベルギーに6年、スイスに5年在勤、 ジュネーブ国際機関日本政府代表部勤務、GATT事務局関税部勤務、外務省参事官、参与を経験、 頻繁に海外に出かけ、国際間の問題について、様々な会合に出、研究者、 政府関係者などにも会って情報を得、調査、研究している。 今回も、欧州、北米、中南米から帰ったばかりで、この講演のあと、又、欧米に出かけるとのことであった。 説明は、実に具体的、新鮮、明快であった。

講演では、大きく以下の点について、詳しい説明があった。

離脱後の自由と制約についての英国の思惑と、それに対するEU側の制約

EU加盟中は、物、サービス、金融、人の移動は自由であるが、EU法に拘束され、 EU予算への拠出をせねばならない。これに対して、英国は離脱後も、物、サービス、 金融の自由な移動を望むが、人の移動は制限し、EU法の制限は受けず、EU予算への拠出もせず、 だが、EUの意思決定には参加したいと望んでいる。

EUは、このような英国の虫の良い要求は認められないとの立場で、互いに強硬な立場で、 その間には大きな乖離があって、2016年 6月の英国国民投票以来、両者合意無きまま交渉を続け、 2019年 3月29日から、2019年10月31日へと延長された離脱の期限が迫って来た。

・合意無き離脱に至った場合の混乱
 合意無き離脱に至った場合、特に、物の移動の面で、大きな混乱に陥る。

これまで、英国、EU間は、関税ゼロで移動できたのが、離脱後はWTOのMFN税率が適用される。 これに対して、英国は、緊急措置として、英国の輸入額の87%に相当する物品の関税をゼロにすることを発表している。 これにより、例えば英国の自動車産業に使われている自動車部品は無税で輸入できる。 だが、英国からEUへの乗用車の輸出には、EUへの乗用車の輸出には、EU側で10%の関税が課される。

英国の自動車産業にとっては大きな負担となり、英国に進出している、日本の自動車メーカーにとっても大きな問題である。

EUが各国、地域と締結した約40件のFTAに、英国は参加し、70か国以上とFTAの関係にある。 離脱後は、このFTAの関係はなくなり、より高関税のFTNベースの貿易関係に入ることになる。 英国は離脱後も、FTAの内容を、これらの国々との新しい協定に置き換え、 継続して速やかに発効するよう交渉していて、既に10件以上を、締結済みあるいは、締結見込みである。

だが、これらを含めた貿易交渉をする貿易の専門家が、英国には不足している。 貿易交渉を、永年EU官僚に委ねていたために、英国政府に、この分野の人的資源が不足、枯渇してしまった為である。

もうひとつの大きな問題は、EUとの間の輸出入に、通関業務が発生することである。 これまで、英国、EU間を制限なく自由に行き来していたトラックが、国境で通関手続きをしなければならず、 渋滞と貨物の到着遅延が予想される。また、食料品を中心とした物資の入手難や、物価の上昇も予想される。 産業も、市民生活も大きな影響を受ける。

・合意に至る大きな制約:「北アイルランドとアイルランドとの国境の問題」(いわゆるback-stop問題が解決可能かどうか)

英国の一部である北アイルランドは、EUに属するアイルランドとの間の自由な行き来を望んでいる。 EUは北アイルランドを一時的にEUにとどめる(いわゆるバックストップ)を提案したが、英国の反対で合意できていない。

・では、合意無き離脱は不可避か?

これまでも様々な;問題が、土壇場で解決されて来ており、また、合意無き離脱が英国、 EU双方にとって共通の利益との認識が、双方に浸透してきている事などから、不可避ではないとみている。 合意無き離脱に至った場合の混乱

この稿が印刷されるころには、どのような結果になっているのであろうか、分からない。 だが、以上、講演を聴いて感じたことは、万が一、合意無き離脱に至った場合に予想される広範囲の大混乱は、 あまりにひどい。

2016年 6月に、国民投票で離脱を選択した人たちは、これを予想していたのであろうか。 あるいは、合意できても、そこまでに至る過程が、このように複雑で時間がかかり、 このような事態が待ち構えているとは、国民投票の実施を選んだ当時の政治家も、国民も、全く思ってはいなかったに違いない。 しかも驚いたことに、大混乱をあるいは、合意できても、そこまでに至る過程が、 このように複雑で時間がかかり、このような事態が待ち構えているとは、 国民投票の実施を選んだ当時の政治家も、国民も、全く思ってはいなかったに違いない。 しかも驚いたことに、大混乱を処理する貿易外交、貿易行政のプロが全く不足しているとのこと。 これらを永年、EU官僚に委ねてしまったがために。

ポピュリズムは本当に怖いと、今回、改めて感じた。 過去にも、その失敗が繰り返されている。相変わらず人間は歴史に学んでいない。 情けないことである。今現在も、世界中にポピュリズムが蔓延している。 和洋のことわざに「全ての人を喜ばすことは出来ない」とある。 政治家は強いリーダーシップを以て、ベストの方向に持ってゆくことを願うばかりである。

また、講演を聴いて、Brexitの基底にある「国家主権を取り戻す」という英国の考えは、 それ自体正しいと思う。だが、合意無き離脱に至った時の問題はあまりに多岐にわたり、大きい。

究極的な欧州統一を目指すEUの動きに、英国はずっと懐疑的であったに違いない。 ユーロという通貨統合にも加わらなかった。では、なぜ、ECの段階でとどまることが出来なかったのだろうか。

日本でも、何年か前の政権の一部に、東アジア、東南アジアの統合構想があった。今回の問題を他山の石として、心せねばならない。

この稿を書いている時にも、事態はまだ流動的である。 この稿が、会報に印刷され、配布されるころには、EU離脱は、何らかの形で決着しているに違いない。 英国にとっても、EUにとっても、日本、そして、世界にとっても、最善の形でおさまることを願ってやまない。
                         (2019年10月記)

追記
12月12日、英国の下院総選挙で、ブレクジットを主張し、 1月31日にEU離脱を公約に掲げたジョンソン首相率いる与党・保守党が、過半数を大幅に上回る議席を獲得し大勝した。 報道によれば、これによって、EUからの離脱関連法案を議会で単独で可決できる目途がついた。 離脱後は、EUとの経済関係は現状維持したままの移行期間に入り、2020年末までの移行期間中に、 EUとの間に自由貿易協定(FTA)が合意、批准されなければならない。 合意できるのか、あるいは、移行期間の延長となるのか。 合意無きままの離脱となっては、英国、EU双方に、ひいては、日本、世界各国に混乱をもたらす。 来年2020年12月末までの移行期間内に、合意、批准されることを見守るのみである。                          (2019年12月記)


講師


講演会場


講師を囲んで懇親会


11月例会 講演会

 ブッヘンベルガー教授
  「欧米における日本のイメージ」

               を聞いて

今回初めて湘南日独協会の例会に参加させてに参加させていただいた。 11月のテーマは奈川大学の教授 Prf. Dr. Buchenberger氏をお招き ドイツに於ける日本のイメージがどういうものか講演して頂いた。


会員 赤崎 玲子 氏

氏が日本に移り住んで約20年。まだドイツに居られたときと、移り住んで長らく経った今とは、 日本に対する認識がかなり変わられたようである。
ブッヘンベルガー教授は神大で国際交流学科とドイツ語を教えていらっしゃる。

ドイツで、いや世界中で流行った日本の映画や漫画、あるいはコミックを通して、 ドイツ人の日本への認識や、氏が教鞭を取っておられる学生達のリアクションなども交えて、 面白おかしく語ってくださった。 日本映画の代表的な作品である三船敏郎主演の映画や、黒澤明監督の「七人の侍」等々がドイツに上陸して、 徐々に日本という国が認識されたという。 私にとってとても興味深かったのが、ミュンヘンで最初にできた和食レストランが「Mifune」という名前で、 実際に三船敏郎が開店に訪れたということだ。私も長年寿司カフェを営んで(今は閉店して現在日本在住)、 お客さんと良く他の地域の和食レストランのことが話題になったが、これは初めて耳にしたことだった。

また、近年では「クレヨンしんちゃん」や、「ワンピース」が若者の間でも浸透し、 「セーラームーン」などで、コスペルという文化をドイツにまで作り出した。 毎年お祭りのように各地でコスプレフェストが開催され、コミックに登場する人物さながらの衣装で若者が街に繰り出す。

実際うちの店に来ていた日本学の女学生等が、このコスプレフェストに行くためのコスチュームをどうするかで、 話に花が咲いていたのを私は不思議な感覚で眺めていた。

また氏が再三口に出された「Stereotyp」は「型にはまった」という考え方だが、 ドイツ人が抱く、日本のイメージがいかに型にはまっているか、著書やテレビのニュースキャスターが伝えたことにジレンマを 感じているようである。

実際私が30年ドイツに在住して、日本という国を一概に表すのは難しいと感じている。 それぞれの主観はさておき、日本の文化やメンタリティは経験した人でないと実感できないからだ。 それでも、ドイツ人は何を通して日本という国を見るのだろうか?きっと日本人と実際に付き合ってみて、日本を実感するのではないかと思う。 私の知っているドイツ人は皆、ドイツにいる、日本にいるに拘わらず、日本人という身近な存在で日本を知った。 因みに、それらの多くの人たちは皆日本に絶大な好感を持っている。 氏も「日本に来た外国人の多くは皆日本人以上に日本的になる」ということを仰っていた。 日本の文化や芸術は、ともすれば日本人以上に外国人から愛される。日本オタクという見方もできる。

氏が日本人から、もう何百回となく”納豆食べれますか?”と聞かれたそうだ。 まるで、「外国人の日本浸透度」を推し量るような質問だ。 かくいう私も納豆の食べれるドイツ人には一際親近感を持ったのも事実だ。 反対に私はドイツ人に「ドイツの食べ物で何が一番好きか?」と聞かれて「ザウワークラウト!」と答えると、100%ポジティヴな反応だった。

因みに飲みに行った懇親会の席で、氏は「もちろん私は納豆大好きです!」と仰っていたのが、印象的だった。


講演


コーヒーブレイクでの懇談


「海外旅フェスタin 藤沢」 に参加して



副会長 勝亦 正安

去る11月10日、日本旅行業協会主催「海外旅フェスタin 藤沢」が藤沢商工会館(ミナパーク)で開催され、 各国観光局と旅行会社の多数が参加し、出展しました。 日頃お世話になっているドイツ観光局の依頼を受け、昨年同様、当協会が出展業務を代行しました。 参加費用、資材共観光局の負担、提供です。

朝9時に藤沢商工会館5階に担当の伊藤理事と勝亦、応援の中嶋理事と八尾協会員の4人が集結し、 前日持ち込まれた地図ゲーム用の資材を組み立て、また、協会と協会活動PR用の各種パンフレット、 チラシ等を多数用意し、朝10時から午後4時頃までブースの運営にあたりました。 運営の具体的内容は、来訪者が行きたいドイツの都市を地図上に捜し、ピンを立てるというゲームの手助けです。 ゲームの説明を求める子供連れの家族、思い出のドイツ旅行を語るご夫婦、 旧東西ベルリンの違いを語る年輩者、協会対応者も知らないドイツの町の名を挙げる紳士等々、 様々な来訪者があり、立ち放しの応対に些か草臥れましたが、来訪者との会話は楽しいもの、 73本のピンが、行きたい、再訪したいドイツの都市35の上に立てられました。

行きたい町トップNo.1はピン数9本のベルリン、No.2は6本のミュンヘン、 No.3は5本のハンブルグ、ケルン、ヴュルツブルグの3都市でした。 今年はベルリンの壁が崩壊して30年が、マスコミにより報道された故かもしれません。 ピンの総数は、昨年の124本に比べ少ないのですが、これは、今年のフェスタが、6階大部屋イベント会場、 5階小部屋展示ブースに別れて開催されたことが影響したと思われます。 因みにフェスタ全体への来訪者は今年1,400人、昨年の1,300人を上回ったと主催者から発表されています。 こうした協会の代行業務とゲーム結果の詳細は、コメントと共に伊藤理事よりドイツ観光局へ後日報告され、感謝されました。

展示業務を行う傍ら、観光局了解の下、当協会と協会活動のP.R.も活発に行いました。 ドイツ大使館提供の配布物多数、また、協会の会報、語学講座のチラシ等も展示され、 来訪者へ手渡されました。ドイツに一度も行ったことがないという方が幾人もいたのは意外でした。 加えて、協会そのものも知らない来訪者も少なからず、一層のPR活動の必要性を知らされた一日でもありました。


「ふじさわ国際交流フェスティバル」 に参加して



理事 伊藤 志津子

「第16回ふじさわ国際フェスティバル」が10月27日に開催されました。 湘南日独協会はこのフェスティバルに第9回から毎年参加しています。 場所は藤沢駅北口の広場で、国際交流の諸団体が店を出しました。 今年は14団体のブースが並んで賑やかな交流の場になりました。 いろいろな国の物産が並び、屋台料理もさまざまでした。 日本文化紹介の浮世絵刷りや、パラリンピック競技の「ボッチャ」を体験するコーナーも賑わっていました。

湘南日独協会はドイツクッキーの販売をしました。私たち協会役員がブースに並んで売ったのですが、 商売には向いていないのでしょうか、100個を売りさばくのに苦心しました。 会員の曽根愛さん(アウスリーベ)製作の美味しい詰め合わせでした。 ドイツの写真集を10冊ほど並べて、立ち寄る方に見て頂き、欲しい方にはさし上げました。

協会顧問の三谷さんがコレクションされていた立派な写真集で、 ドイツの風景や有名な場所の写真には皆さまかなり興味を持ってページを開いて見て行かれました。 ただ、それらは分厚くて重い本なので持ち歩くのでちょっと、、、ということでしたが、 それでも半数は新たな持ち主にお持ち帰り頂くことができました。 この広報をご覧の会員の皆様、次のフェスティバル開催は2020年10月25日(日)です。 近づきましたら改めて広報紙面でご案内いたします。ご参加ください。 また、販売品や展示品などについてのアイデアや企画がありましたらお寄せください。

オリンピックの年のフェスティバルを、ご一緒に盛り上げ、楽しみましょう。


湘南オクトーバーフェスト 2019

湘南日独協会一大イベント第21回オクトーバフェストは10月26日、 来賓招待者十数名を含め会員の2/3、80数名が参加し藤沢市民会館で開催。 西山顧問・峯松さんの司会で、松野会長挨拶、駐日独大使館Kiesewetter駐在武官ご夫妻・松尾鎌倉市長・鈴木藤沢市長の祝辞の後、 鬼久保理事のアルペンホルンを合図にアインプロッジト本場ドイツビールの乾盃で開始。


会員 下條 泰生 氏

まづは梶井先生指揮の協会合唱団「アムゼル」の「歌の翼にのせて」他三曲、 ドイツ民族衣裳ディアンドルのハレ着の女性と男性の混声合唱はハレの日に相應しい令和なビューティフルハーモニーである。 定連アコーディオンピアノ江良さんトリオによる「旧友」の演奏でメートルのピッチが上がったところで、 「ドイツ語で唄う会」メンバーを中心にKiesewetterご夫妻や会場の人々も加わり大久保理事司会で。 「ホ-へタンネ」他2曲の合唱に続きほゞ全員での「ロザムンデ」(バラの唇の女) 松野会長の青春の地「ヴィーンわが夢の街」シェンクの「トリンク、トリンク」 「クーフシュタイン」の大合唱で会は最高潮の頃合で恒例の肩に手を、 手を肩にのイモムシタンツェンでトリンケン、ジンゲンの楽しい二時間はエンデ。

1998年第一回のオクト・ヘスト開催を契機に湘南日独協会が結成されたと聞く。 ミュンヘンの第一回は1810年、日本では2003年 5月日比谷公園、 10月横浜レンガ倉庫が第一回、いまやオクトーバー・フェストは日本各地で開催、 推定50万人の国民的行事の観があるが、 本場に次いでオクトーバー・フェストが盛んなのはアメリカである。 スタィンベック、リンドバーク、アイゼンハウワーそしてトランプ大統領等の3、4世のドイツ系アメリカ人は5千万人17%と聞けば当然。

ところで日本でドイツ民謡・歌曲・童謡が唄われるのは、 ドイツ系アメリカ人の宣教師やドイツ留学、 駐在した日本人がもたらしたのを始めかってドイツ語を第二外国語で履修した旧制高校の寮生達が、 今回フェストで歌った「ドルテン・イム・ウンターランド」(岡に登り)「ムシデン」やかって全盛のドイツ 「ウーファ」社の映画主題歌を愛唱したのを由来とする。 いまや大学でノドイツ語履修は約2%と聞く。将来、オクト・フェストは単なる飲み会なるかも。

Frühherbstlich Säume das
Oktoberfest und seinen Übermut
作 Erich Wasem ミュンヘン俳句会報


松江さんは前列向って左です

会員 松江 節子

オクトーバフェストは一昨年度に続き2回目の参加です。 アムゼル会員の友人からこのフェスタのことを伺い、 是非ともアムゼルの本格的ドイツ語のコーラスを聴きたいと思い参加させていただきました。

ドイツのダルムシュタット大学で、長い間、化学分野の研究を続けられていた横浜市大名誉教授のN先生をお誘いしました。 以前先生からお誘いを受け、横浜赤レンガ倉庫の「オクトーバフェスト」に行きましたので、 今度は「湘南オクトーバフェスト」にと声掛けしました。 横浜は騒々しく、人も多く、飲食物を手に入れるのも大変でした。 本場のフェスタを知らないものですから、どこもこんな賑やかな祭ものと思っていました。

湘南オクトーバフェスタはいいですね。ゆったりとテーブルに座りおいしい食べ物がご用意され、 飲み物も十分準備していただき、ご参加された皆様のお顔も十分見渡せます。 そして素敵な音楽がすぐ近くで演奏され、ゆったりと皆様とお話もできます。

アムゼルの方々が老若男女とも素敵な民族衣装をまとわれ、本格的コーラス、 あまり日本で見られないアルペンホルンの演奏、ご一緒に楽しませていただきました。 いつも全員が輪になって踊るダンス、千鳥足もありますが、皆様と一体になり、 溶け込ませていただけます。来年はまた他の友達も誘って楽しみたいと思っております。

ヨーロッパには毎年何となく観光旅行に行きます。仏、英、などは数回、 にイタリアは北から南まで数え切れないほど行きました。 実をいうと私はドイツに一度だけしか行っていません。 私の中にはドイツは他の欧米諸国とは違うイメージがあり、歴史、音楽、 経済いろいろな知識を構えていかなければならないように勝手に思っているからかもしれません。 興味はありまして、翻訳書籍の伝記ものでドイツ人の作曲家、 カールベンツ、フロイド、ケプラー、など読み、 大学社会人講座ではドイツの歴史も積極的に参加したりしています。今回を機会に更にドイツに近づきたいと思います。




会場の様子


「クラシック音楽の楽しみ方」  第4回

会員 高橋 善彦

今回は、大バッハのお話(その1)です。Johann Sebastian Bach は 1685年3月21日、Eisenachの三代前から音楽家の大家族に生まれています。 バッハは10歳の時に両親を亡くし、Ohrdrufに住んでいた長兄 Johann Christophの元に引き取られ、音楽教育を受けて育ちます。

バッハが兄のもとに行く1年前の1694年、兄Johannの結婚式の時、Erfurt系のJohann Christian Bach家に世話になり、 兄に音楽を教え、既に有名だったPachelbelに、9歳のバッハは逢っているようです。

バッハと同世代の音楽家には、逢うことは無かったのですが、大きな影響を受けるVeneziaのVivaldi (7歳先輩)、 音楽家となったバッハが、親しくし、色々と世話になるTelemann (4歳先輩)、 結局、逢うことが無かった Händel、D.Scarlatti (同歳)という巨星が揃い、バロック音楽の最盛期の中で活動します。

バッハが音楽家として活動し始めるのは1703年3月です。 Lüneburgにある聖ミカエル修道院付属学校を卒業した18歳のバッハは、Sachsen-Weimar公国の Johann Ernst 公爵の宮廷楽団に、Violinistと見習いとして働き始めます。 しかし、4ヶ月後の7月には、Weimar を離れ、ArnstadtのNeue Kircheの教会Organistとなり、 学生たちを教育し、作曲活動を始め、最初のOrgan曲を作っています。 このArnstadtには、バッハの望む音楽活動の環境が整い、作曲にも充分な時間を持てたようです。 1705年、Lübeckへ旅行し、既にドイツではOrgan名手で、68歳のDietrich Buxtehudeの基で、 主にOrgan演奏を学んでいます。 この時、20歳のバッハがBuxtehudeから学んだことは、音楽だけでなく、音楽家の心得、 教会の管理心得も教えて貰い、信頼を寄せ、大きな影響を受けています。

1708年6月、23歳のバッハは再びWeimarの宮廷に戻り、宮廷Organist、室内楽楽師に就任します。 この時の主君、Wilhelm Ernst公は、18歳の時の雇い主、Johann Ernst 公の長男です。 次男のJohann Ernst III世の次男Johann Ernst IV世は、オランダのUtrechtに留学中で、 1713年の夏に、多くのイタリアの作曲家の楽譜を入手し、Weimarに戻り、 バッハに鍵盤で演奏できるように編曲を依頼します。 これが、巨星Vivaldiの音楽を正対して学ぶ好機となります。

以降、バッハがイタリア様式を取り入れ、発展させ、洗練された名曲を作る原点となっています。 イタリア様式を使って、Brandenburg協奏曲集の第6番、第3番をWeimarで作曲し始めています。 1714年、バッハはWeimar宮廷楽長に就任し、ドイツ各地で音楽家、名Organistとして知られるようになります。

1717年8月、バッハはAnhalt-Köthen侯国 Leopold侯の宮廷楽長に招聘されます。 しかし、この時Weimar 公は辞職を承諾せず、バッハを1ヶ月間、城に幽閉するという逸話があり、 WeimarのStadtschlossには、幽閉されたとされる場所が、"Bastille"として残っています。


Das Weimarer Stadtschloss (auch Residenzschloss)

KöthenのLeopold候は、音楽を好み、ViolineやCembaloを自ら演奏します。 カルヴァン派のLeopold侯は、宗教についておおらかで、あまり宗教曲に興味を示さなかったようです。 Leopold侯の幼少時代の後見人が、初代プロイセン王でその息子のプロイセン王 Friedrich Wilhelm I 世と親しく、 プロイセン王の楽師17名を含む優秀な演奏家が揃っていたため、バッハはこの時期に、 多くの器楽曲の名曲を作曲します。例えば、Violinの独奏曲、協奏曲、管弦楽組曲、平均律クラヴィーア曲集(vol.I)、 Brandenburg協奏曲集などがKöthen 時代の作品です。

1723年4月、Leipzigのトーマス教会楽長に就任します。

Leipzigに移った後も、バッハは Köthenの宮廷楽長として、毎年、 Leopold 候の誕生日を祝うカンタータを作り、友好を継続しています。1728年11月、34歳でLeopold 候が亡くなると、 葬送用カンタータを「最も好きな雇い主」に奉悼しています。最後の地 Leipzigで、バッハは、ヨハネ、マタイ受難曲、カンタータ、 モテットなど声楽を含む曲を残しています。 この時代に特筆すべきは、200曲を越えるカンタータを作り、特に1723年から25年の2年間、 毎週、新しいカンタータを作曲し、約100曲の多様な作品を作っています。 1750年7月28日、バッハはLeipzigで27年間を過ごし、65歳で亡くなっています。

バッハは生涯に2度結婚しています。1707年、遠戚(従姉妹)で1歳年上のMaria Barbaraと結婚し、 5男2女の子供が産まれています。1720年7月、妻のMariaが35歳で急逝します。翌年、Köthenの宮廷歌手(Sop.)であった、 Anna Magdalene Wilckeと再婚し、6男7女、合わせて11男9女の20人の子供をもうけ、 10人は夭逝し、成長したのは男子6人と女子4人の10人です。

LeipzigのThomas教会の前にあるバッハ像

Anna Magdaleneはバッハを敬愛し、音楽活動を支えています。 Magdalenaは楽譜の作成を手伝うことも多く、二人の手書きの譜面はとても似ています。 Leipzigのバッハの家には多くの弟子や客が訪れ、各地からOrgan検定の依頼でバッハが出掛けている留守宅を、 いつもお腹の大きなMagdalenaが差配していたようです。 長男 Wilhelm Friedemannと次男 Carl Philipp Emanuel Bachは二人とも音楽家と成り、 LeipzigのバッハとMagdaleneを最後まで支えています。


バッハ作品番号(BVW)
Johann Sebastian Bachの作品は、独の音楽学者 Wolfgang Schmieder氏によって、バッハ作品目録として整理されています。 この目録で使われている番号をBWV (Bach Werke Verzeichnis)と呼びます。 1990年に第二版が発行され、BWVは1120曲、BWV Anh (Anhang 補遺)は205曲となっています。 まだ、見つかっていない作品があるかもしれません。

カンタータ(Kantate)
カンタータ(cantata)は声楽に器楽による伴奏が付いている曲です。 BWV作品目録番号で、1〜224番がカンタータです。 200番までが教会用のカンタータで、201〜224が教会以外での目的で作られた世俗カンタータで、 農民カンタータや珈琲カンタータなどがあります。衣装、舞台、演技のないオペラという感じです。

バッハの教会カンタータの大半は後年のLeipzigで書かれたものですが、 Weimarでも20曲以上書いています。やや古いスタイル、教会コンチェルト形式から、 新しいイタリア様式のカンタータへと作風が変化しています。

教会コンチェルト(concerto da chiesa)形式とは、コレッリの時代、合奏協奏曲で使われていた形式で、 ゆっくりとした楽章と、早い楽章が交互に出てくる形式です。

新しいイタリア様式は、言葉、語りが中心のRecitativoと、歌が中心のDa capoアリアを対比させる様式です。 Da capoとは「曲のはじめに戻る」という意味で、序奏から始まり、最初の曲想のアリアを歌い、 次に、雰囲気の違う対称的な曲想を歌い、もう一度、曲の最初に戻り、最初の曲想で終わる形式です。 この形式は、単に曲の形式だけでなく、適度な曲想の変化が、独唱、独奏パートの色彩を豊かにし、 名人芸を発揮出来る枠組みを与えます。後のW.A.Mozartや、G.Verdi などのオペラ、協奏曲などでも多く使われています。 おそらく、この新しいイタリア様式が、バッハが多様なカンタータを多く作るための大きな味方となっています。

ここで、私の好きなカンタータを1曲だけ、推薦曲として、ご紹介しておきます。

 カンタータ第78番「イエスよ、汝わが魂を」"Jesu, der du meine Seele" BWV 78
Leipzig時代の名曲で、1724年9月10日の三位一体節後第14日曜日の礼拝のために作曲した教会カンタータです。 全7曲の曲で、最初と最後に配置された2曲の合唱によるコラールと、3曲の独唱によるアリアを含んでいます。 どの曲も歌詞にあわせ、独特の雰囲気を持ち、バッハの音楽の多様性、持ち味が発揮された曲になっています。 特に2曲目のソプラノとアルトによる二重唱アリア「われは急ぐ、Wir eilen mit schwachen」は、 場面の陰陽を見事に描いた、Da capoアリアで、後に、楽器用に編曲されたりする人気のある曲です。

J.S.Bach Kantate Nr.78 の参考音源はこちら(You Tube)から
(Van Veldhoven | Netherlands Bach Society)


Kantate Nr.78 第1曲目 "イェス 我が心を救い出し"と神秘的に始まります


第2曲目のソプラノとアルトによる二重唱アリアは人気があります


第4曲目のフルートが美しく装飾的に伴奏するテナーのアリアです

他にも教会カンタータでは、第51番、第80番、第147番、世俗カンタータでは、第211番、 当時のLeipzigで流行始めた珈琲を取り上げた「珈琲カンタータ」などは、 是非、お薦めしたいカンタータです。カンタータはバッハの魅力の宝庫です。是非、聴いて みてください。

まだ、バッハの音楽、凄いところ、Leipzigでの物語などお話したいことがありますので、次回に続きます。



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筆者



劇場便り その19

これまでの劇場だよりは、こちら からご覧頂けます

ブレーマーハーフェン 志賀 トニオ 氏


オペラ「道化師」の終演、観客の賞賛に応える指揮者志賀トニオ氏

12月はドイツ人にとって特別な月です。クリスマスカレンダーを飾り、 毎日そのカレンダーの窓を開けて指折りクリスマスが来るのを待ちます。 その間にクッキーやシュトーレンを焼いたり、アドヴェントで歌を歌ったりと大忙し。 劇場の仕事も1年の中で特に忙しくなりますが、今年は私にとって特にてんこ盛りな月となりました。 最初は12月 1日のアドヴェントコンサート。ここで私はオルガン、チェレスタ及びピアノを演奏する事に。

それは普通の事なのですが、なかなか譜面が渡されず、 本番3日前に渡されて意外に難しい事に驚き、さらに私は12月25日プレミエの演目、 ロッシーニ作曲のチェネレントラの立ち稽古のピアノを弾いていて、 その稽古と同僚のピアニストとのスケジュールの兼ね合いでゲネプロからしか参加できないとの事。 そもそも、アドヴェントコンサートという趣旨からクリスマスの讃美歌を 中心にした簡単なプログラムかと想像していたのですが、 そういう曲だけでなくモーツァルトやフォーレのミサ曲の抜粋なども織り交ぜ、 盛り沢山なプログラムで、 歌手もオーケストラも忙しい時期に色々な事を掛け持ちしているのでゲネプロでもカオスな状態でした。 それでも経験のある指揮者の力量もあり、本番は成功。 私もオルガンのソロなどを問題なくこなして安堵しました。

その次には12月 6日にミュージカル公演 "Der Graf von Monte Christo"(モンテクリスト伯爵) を初めて指揮しました。 今回は稽古の時に一度も振る機会がなく、まさにぶっつけ本番。 この曲は音楽的にはあまり難しくないのですが、 台詞や舞台進行に合わせて音楽を先に進めなければならない箇所が多く、 特にループ(もしくはVamp)と呼ばれる数小節の繰り返し箇所では、 先に進む合図を指揮者が間違えると空中分解が起こる危険をはらんでいます。 本振り指揮者の時にも何回か空中分解しかけていて、そこだけは外さずに成功しなければなりません。

いざ本番ではループ箇所はすべて成功!しかし、一か所だけ危なかった箇所がありました。 そこは、長い音符のフェルマータの所で台詞が入り、 その台詞が終わるのと同時に先に進まないといけないのですが、 この箇所は所謂メロディーが始まる前になぜかトロンボーンが一小節間、 長い音符の伸ばしで加わってからメロディーが始まるので、 奏者としては非常にわかりにくく、やはり事故の多いやっかいな箇所でした。 それでもすでに9回目の本番があり、 奏者も慣れてきていたのでこの箇所はもう大丈夫だろうと予測していました。 しかし、この日はトロンボーンだけが加わる箇所で、 一小節後のメロディーと共に加わる予定のティンパニが間違って入ってしまう。 それでも、それ以外のオーケストラ奏者は全員その後正しく演奏を始めたのだが、 そのティンパニをメロディーのスタートと勘違いした歌手が一小節早く歌い始めてしまう。 その歌手を合図に入る次の歌手も一小節早く歌い始めてしまい、 やや空中分解してしまう。 幸いこの箇所はそのすぐ後に比較的区切りがはっきりわかる所があり、 そこを私が指揮で示した所で、事なきを得る。 12月11日には先述したチェネレントラのKHP (Klavier Haupt Probe)と呼ばれる最後の通し稽古を弾きました。

そして12月14はバレエ公演の火の鳥でチェレスタを初めて弾く事になっていました。 この曲は組曲版が有名で、そこではチェレスタは入っていないのですが、 今回は所謂原曲のバレエ版で、組曲よりもかなりの長さがあり、 組曲版を良く知っていた私も聞いた事のない箇所が多くありました。 そしてこの曲にはピアノとチェレスタが必要で、 スケジュールの関係で私は稽古に参加する事が出来ず、 それまでの稽古と本番は私の同僚のピアニストと上司のStudienleiter 兼カペルマイスターの方が担当していましたが、 この日の本番を本振りの音楽監督の代わりに上記のStudienleiter 兼カペルマイスターの方が振る事になっていて、 彼もずっとオケの中でチェレスタを弾いていたので舞台を見る事が一度もできず、 お互いに難しい状況下で、この難曲と向き合っていました。 この曲は拍子が変わる事が多く、チェレスタパートは弾くのも難しいが、 休みが多く、その休みを数えるのが特に難しいのです。 本振り指揮者をアップに撮った映像資料を事前にもらって何度も小節を数える練習をする。 そしてその本番を翌日に控えた12月13日の朝に音楽監督から突然電話がかかってきました。 なんとその次の週の18日に、カヴァレリアルスティカーナ&道化師の本番を振れないかという依頼だった。 劇場の現場では上下関係を大切にする伝統があり、 立場的に音楽監督の曲を私が代振りする事はありえない。 その伝統を覆す依頼であり、 特にオーガニゼイションが行き届いたここの劇場ではまず起こりえない話であった。 どうも連絡の行き違いで第1カペルマイスターも音楽監督もその日はこの街にいないとの事。 上下関係の順序としては上記のStudienleiter 兼カペルマイスターの方が振る所なのだが、 彼は今回まったく稽古に関与しなかったので、 代わりに私が振るべきだと推薦してくれたのだった。 私は稽古でほぼ全曲弾いていたし、第1カペルマイスターがいない時には指揮もしていたので、 難曲ではあるがまたとないチャンス。二つ返事で快諾。


バレエ 火の鳥


オペラ 道化師

そしてその日から私の格闘は始まるのである。何せスコアはほぼ真っ白。 稽古で振った時にはヴォーカルスコアを使っていたので、 まずはスコアを振れる状態にしなければならない。 そして依頼を受けたその日はこの演目の本番がある。 5日後に振る前に客席で演目を見られるまたとないチャンス。 しかしその日は夜に母が日本から到着する日で、 私が空港まで迎えに行く事になっていた。 悩んだが、予定通り迎えに行くことにし、代わりに前述の火の鳥の時のように、 指揮者をアップに撮った映像資料をその日の夜の公演に作成してもらう事にした。 次の日の火の鳥のチェレスタをノーミスで乗り越え安堵。

15日には、1月の公演の為に至急作成せねばならなかった楽譜を完成させ、送付。 ここからまる3日ある。しかし、スコアを読むと、特に道化師は大変な難曲である事に改めて気付き、 やや焦るが、出来る事をやるしかないと自分に言い聞かせて本番の日を迎える。 16日の時点ではやや不安に思っていたが、勉強の甲斐あり、これなら大丈夫と自信をもって挑める状態であった。

いざ本番、振り始めると、オケが不安そうにしているのを感じる。 そう、オケも歌手もこの曲が難しい事を知っていて、 指揮者がちゃんと振ってくれなかったらどういう事になってしまうんだろうと 不安に思っていたのだと思う。 ほとんどの人が、私が5日前にこの依頼を受けた事を知っているし、 私がこのような大がかりなオペラを振っているのを見たことがない。 しかし、曲が進んでいくうちに私がこの曲を掌握している事に皆気付いてくる。 最初は無理に皆を引っ張ろうとしていたコンマスも、普通に楽に弾き出した。

そして大成功!劇場関係者も皆心配して見に来ていたが、胸をなでおろしていたようだった。 母も公演を見る事ができ、滞在中一緒に共にする時間は少なかったが、せめて少し親孝行できて良かったです。


ご家族との近影


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