5月例会 時局講演会

「ドイツの難民政策から日本は何を学ぶか」

 黒川 剛 元オーストリア大使の講演を聞いて

会員 長谷川 宏有



長谷川氏

 

5月例会で行われた黒川氏の話はまず会員の耳目を集める発言から始まった。それは講師への依頼の演題が「ドイツの難民政策から日本は何を学ぶか」に対し、講師は「日本は明治以来英仏独等の最新の科学・工業・技術・文化・制度等を効率よく導入して以来、既に100年以上も経ち欧米に負けないどころか凌駕している面もあるのに今も欧米が進んでいると思い特に独からは学ぼうとする面が強い。しかしもう日本も自信を持ち堂々と独自の考え・立場を展開する時期に来ているのでないか」との話。考えてみると第2次世界大戦敗戦の影響もあり日本はまだ自国の立場を熟慮しそれに立脚した発言が少ないと感じた次第。

続いて欧州諸国(英仏伊遡ってスペイン・ポルトガル)は植民地政策により植民地国人民の取り扱い方の習熟、移民の流出・流入を含めた広い意味での難民政策を長年経験した。これに比べ独の植民地政策の経験が出遅れていたのは近代国家の成立(1871)が遅れたため欧州諸国とは経験が大いに異なる。しかし独は第1・2次大戦に負けたとはいえ自国内で戦ったのではなく隣接国に進攻し当該国の人民を追い出した上で負け、自国民が難民として自国に戻ってきた。更にナチ政権の反省、東独からの難民受入れ、東西統一問題を経験したので難民問題を基本的人権の問題として考えている。一方日本では古代は別として移民受入れ・難民流入の経験は殆どなく流出の方は国策として中南米、カルフォルニア、ハワイ等への移民、後に北支・満州に開拓民として出している。第2次世界大戦後 日本が占領支配した国・地域から難民として 又捕虜の帰還として大量に日本に来たが 彼らは自国民であり、帰還日本人は社会問題にもならず本当の難民問題ではなかった。又アジアではポルポト政権時代の難民を当時の日本では“難民外国人を受入れうまく母国に帰す“という経験がなく難民も日本文化に同化しにくいとの理由で殆んど受入れなかった。

このような状況の中で欧州が現在苦悩している難民問題に日本はどの様に貢献できるだろうか。これまでの日本の難民受入れの歴史から考えると欧州と同じ方式で難民を受入れることは国内で社会問題化すると思われるので講師は具体的な政策提言として次の様な提案を行った。即ち「日本とよい関係にあるトルコと話し合いトルコ国内に難民復興センターを作り最低の生活環境を維持出来るように食事付の住居、職業訓練センターを準備し、訓練の教師は全て難民の中から適任者を選び運営を行う。」これらの準備・運営費用は日本が全額負担する方式である。日本のみで必要資金を全額出し日本独自で運営を行う事により欧州難民問題に日本がいかに貢献しているかを世界に明確に示す必要もあろう。」と具体的に提案された。これまで日本が多額の資金を提供しながら世界からあまり評価されてこなかった経緯を踏まえ日本が資金を出し日本が運営の責任を持つことは大変素晴らしい提案だと思う。日本の政治・外交・経済等のいわゆる評論家の中には往々にして事実の情報ソースを明かさず(自分が調べたものよりむしろ他人の本・文章・意見の引用や風評の伝聞情報の所為か)述べるのみで現状を踏まえて前向きにどんな政策手段が役に立つかを具体的に提言する人が少ないのをこれまでも残念に思うことがあったがこの日の講師の話が欧州諸国の難民・移民の長い歴史、日本・東南アジアの難民の歴史を前提とし日本の今後行うべき難民対策を具体的に提案された素晴らしい講演であった。

なお講演の中で引用された書籍は下記の通りです。
文春新書エマニュエル・トッド゙著「ドイツツ帝国が世界を破滅させる」



黒川氏


出席者との質疑


懇親会の様子



6月例会

「筝とヴァイオリンによるミニ・コンサート」を楽しみました

会員 伊藤 志津子


演奏されたのは次の方々です

尾崎 彩氏(筝、一絃琴)
森井 くみ氏(一絃琴)
松野 美智子氏(ヴァイオリン)


左より伊藤氏、尾崎氏、松野氏


湘南日独協会のいつもの例会で会場はいつもの湘南アカデミアであったが、いつものことではなかったのは、 準備した椅子数以上の参加の皆さまで50席にもなったことである。 この人気は演奏が進むほどに納得できた。 心に沁みわたるヴァイオリンの澄んだ音色と琴のやさしい響きが心地よいひと時をもたらしてくれました。 かしこまって拝聴するだけの演奏会ではなく合間に適切な説明も織り込まれていて、和やかな雰囲気であった。

一絃琴の演奏「三千世界」は、とても印象に残った。 七弦琴の演奏は聞いたことがあるのだが、琴柱も立っていないその七弦の音の印象は「すごく地味」だった。 それに比べて今回聞かせて頂いた一絃琴はたった一本の弦で、あれだけしっかりボリュームがあり、 明るい音の出ることに驚いた。

森井さんは尾崎さんのお母様で須磨琴(一絃琴)の師範をされている。 和服がとてもお似合いの方だ。お二人の上品なたたずまいが琴の姿と音色をさらに引き立てていた。 優雅に奏でる姿をながめつつ、誰にでも叶えられるということではない「母娘の共演」に ふと羨ましい気持ちになってしまった。



左:森井氏 右:尾崎氏

演奏会後に一絃琴を少し触らせてもらった。 象牙の爪は竹輪をポンと輪切りにしたような形で、右手は人差指に、左手は中指に教えられるままに差し込んでみた。 指先にずしりと重い象牙だった。触れてみないと判らない感覚なので体験させて頂いてうれしかった。



ヴァイオリンは松野美智子氏。
ヴァイオリン奏者としてすでによく知られた方であり、湘南日独協会会長夫人でもある。 今回は日本人作曲家による日本の現代曲「流離」と「古謡」という曲をソロ演奏された。
そして東洋の筝と西洋のヴァイオリン、尾崎さんとお二人で「春の海」を演奏された。
西洋の楽器で奏でる日本の曲は幻想的だった。 ヴァイオリンの澄みきった音が今も耳に残っている。 弦から紡ぎ出される音の世界は不思議だと思う。



皆さん楽しみました




懇親会はこんな賑わい!

箏とヴァイオリンによるミニ・コンサート

プログラム
「六段の調べ」 八橋検校(筝)
「千鳥の曲」 吉沢検校(筝)
休 憩
「三千世界」 前田和男(須磨琴)
「落梅集」より“流離”“古謡” 竹内邦光(ヴァイオリン)
「春の海」 宮城道雄(筝+ヴァイオリン)



美術品のような一弦琴




森井くみ氏の説明




中国琴に取り組んでいる伊藤氏が果敢にトライし、皆さんが注目


「おこと」と私たちが言っている和楽器には筝(そう)と琴(きん)があります。 奈良時代に中国から伝わり室町時代に今の筝の形になり、 江戸時代に八橋検校(プログラムにある)が確立し広まったようです。 筝と琴の違いは、簡単に言えば、は通常13弦で柱を立てて爪を使い演奏し、 琴は7弦で柱を使用せず左手で弦を押さえて右手ではじいて演奏します。 一弦琴は通常桐の一枚胴に絹弦を張り、長さ約110cm、幅11cmの弦楽器。 胴の表面に弦に沿って12個の徽をはめて勘所を示します。 徽は珊瑚などで作られ、勘所とは弦を押さえる箇所を示しています。(森井氏の説明より)


寄稿

Schwatzerei am Stammtischについて

会員 木原 健次郎
会員 大澤 由美子


湘南日独協会では、月に一度、ドイツ人とのお喋りの会(Schwatzerei am Stammtisch)を開催し、 事前に設定したテーマについて、ドイツ語・日本語で意見交換・情報交換をしております。 因みに、これまで以下のような多様なテーマでお喋りしてきました。(と言っても、議論が時にヒートアップしますが):
家族、余暇、環境、女性、外国人、国境、スマートフォン、動物、住生活、 生存本能、難民、人間関係、平和、モラル崩壊、身仕舞、貧困、日独関係。




6月28日の参加者、もう一名カメラマン役も


今回は、@ 5/14「個人情報保護」と、A 6/28「Inklusion」での概要を以下にご紹介いたします。 (議論の捉え方は、あくまで筆者の主観です)
会の目的は飽くまでお喋りですので、結論めいたものが有るわけではありませんが、 会合の内容・雰囲気から御興味をお持ちいただき、ご参加申込み頂ければ、幸いです。 又、本テーマに関してご意見が御座いましたら、お聞かせ下さい。

@「個人情報保護」Wie weit soll Persönlichesdaten geschützt werden ?

・新種犯罪増の背景もあって、個人が情報を、権利として提出しないという現象が各所で起きているが、これは社会全体としての効率低下・相互不信感に繋がっていないか?
個人情報保護法(2003年公布)自体は、個人情報の適切な取り扱い・保護を目的としたものだが、実際には以下のような混乱例が発生している:

a. JRの事故で、病院に負傷者が運び込まれた。その中に家族が居るか、負傷の程度は、との家族からの問い合わせに、病院は法を理由に情報開示を拒否した。
b. エスカレーターで転んだ人のまきぞえになって怪我をした人の例
 原因を作った人は誰かとの問い合わせに対し、エスカレーターを管理する鉄道会社が、第三者への個人情報提供として、回答を拒否。
c. 5千件超の個人情報を持つ同窓会の例
HP上に連絡先不明者の氏名・卒業年度を掲載し、情報提供を求めてきており、十分機能していたが、法律違反になるとの声で、中止せざるを得なくなった。
d. 団地自治会として、団地住民の家族構成等、基礎データとして有用だが、一部住民が提出を拒否する為、全体把握に繋がらず、実施できていない。

・法律を誤解した結果と思われる例もある一方、争い・訴訟(トラブル)に巻き込まれたくないという姿勢の表れもある。犯罪の可能性があるならまだしも、そうでない場合は、余りに神経過敏ではないか?世の中が段々不便になって来た。

・オレオレ詐欺、ネット犯罪、名簿業者や悪質業者(訪問販売、押し売り)などの犯罪を考えれば、神経質にならざるを得ない。特に団地住民の中には、濃密な人間関係を避ける為に団地生活を選んだ人もおり、昔のような近所関係にはもう戻らない。

・外国(欧米)では、日本の自治会にあたるものは聞いたことがない。隣人の個人情報は、友人関係の中で処理されるもので、プライバシーに属するとの考えではないか。完全なリストの整備は管理の為の物で、管理は行政の役割という考えではないか。日本では、伝統的に、災害経験などから、行政を補完する形で、民間が自主的にやって来たが、崩れつつある。

阪神淡路大震災に於ける人命救助の例では、所謂公助によるものが僅か3%に対し、隣人等共助によるものが30%であった事を考えれば、日本の伝統的な近隣関係の重要性は、過剰に濃密にならない限り、貴重なもので、日本社会の特徴と言えるのでは?

・社会生活・人間関係の基本は、相互の信頼だと思うが、逆に不信が原点のような考え方は、個人だけでなく社会的にも不健康な事だ。残念ながら、最近の日本は、その傾向が進んでいるように思える。

A「Inklusion」(障害を持つ生徒達を通常クラスに含めて行う教育)

・昔は障害児は障害児として、普通の生徒と区分して教育(盲学校等)をするのが一般的であったが、最近は日独とも、色々な形で普通の生徒と共に学ばせるという形になって来ている。その思想的背景は、「障害」を各個人の持つ個性(特殊性)と見、それらの特殊性からなる多様性こそがあたりまえの事(通常)であるという見方であり、共生社会形成と同じ考え方である。

・障害と言っても身体的なものだけでなく精神的なものもあり、かつ知的障害を伴わないものもあり、外見からは見分けにくい。精神的障害としては、学習障害、注意欠陥多動性障害、自閉症、アスペルガー症候群(知的障害は伴わない。Einstein, Edison, Bill Gatesなども)等がある。

・日本の教育現場では以下のような指導実例がある: 低血糖のため、10時に甘いものを食べているAさん、バスに乗って出かけ買い物学習をしてくるBさん、神経覚醒のためにブランコに乗ったりボール遊びをしたりするCさん、普通授業を受けいる子供たちにとっては羨ましいことだけれど、ここで、自分とは違う他者を理解させるという指導が行われる。 ・実際の教育現場では、教師の負担、親の理解など課題が多そうだが、上手くいけば人間愛を実現した理想的な教育と言える。又、教師としても、埋もれた才能を見つけ出す喜びを味わえるだろう。

・Inklusionの考えは、異質性を積極的に包含してゆくという事なので、教育のみならず、社会的な展開の可能性(独の移民対応の例など)も持つ。但し、概念として必然的に境界を取り除くという事になるので、慎重に進めなければ、Chaosに陥るリスクも孕んでいると思われる。

参加者の感想の一部
 ちょっと難しいテーマが続きましたが、ドイツ語日本語が飛び交い、熱いまた楽しい時間でした。
湘南在住のドイツ人の参加者からドイツと日本の比較等具体的発言が聞け、自分自身の経験と重ねて新しい発見がありました。(A.O)






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