寄稿
Schwatzerei am Stammtischについて
会員 木原 健次郎
会員 大澤 由美子
湘南日独協会では、月に一度、ドイツ人とのお喋りの会(Schwatzerei am Stammtisch)を開催し、
事前に設定したテーマについて、ドイツ語・日本語で意見交換・情報交換をしております。
因みに、これまで以下のような多様なテーマでお喋りしてきました。(と言っても、議論が時にヒートアップしますが):
家族、余暇、環境、女性、外国人、国境、スマートフォン、動物、住生活、
生存本能、難民、人間関係、平和、モラル崩壊、身仕舞、貧困、日独関係。
6月28日の参加者、もう一名カメラマン役も
今回は、@ 5/14「個人情報保護」と、A 6/28「Inklusion」での概要を以下にご紹介いたします。
(議論の捉え方は、あくまで筆者の主観です)
会の目的は飽くまでお喋りですので、結論めいたものが有るわけではありませんが、
会合の内容・雰囲気から御興味をお持ちいただき、ご参加申込み頂ければ、幸いです。
又、本テーマに関してご意見が御座いましたら、お聞かせ下さい。
@「個人情報保護」Wie weit soll Persönlichesdaten geschützt werden ?
・新種犯罪増の背景もあって、個人が情報を、権利として提出しないという現象が各所で起きているが、これは社会全体としての効率低下・相互不信感に繋がっていないか?
個人情報保護法(2003年公布)自体は、個人情報の適切な取り扱い・保護を目的としたものだが、実際には以下のような混乱例が発生している:
a. JRの事故で、病院に負傷者が運び込まれた。その中に家族が居るか、負傷の程度は、との家族からの問い合わせに、病院は法を理由に情報開示を拒否した。
b. エスカレーターで転んだ人のまきぞえになって怪我をした人の例
原因を作った人は誰かとの問い合わせに対し、エスカレーターを管理する鉄道会社が、第三者への個人情報提供として、回答を拒否。
c. 5千件超の個人情報を持つ同窓会の例
HP上に連絡先不明者の氏名・卒業年度を掲載し、情報提供を求めてきており、十分機能していたが、法律違反になるとの声で、中止せざるを得なくなった。
d. 団地自治会として、団地住民の家族構成等、基礎データとして有用だが、一部住民が提出を拒否する為、全体把握に繋がらず、実施できていない。
・法律を誤解した結果と思われる例もある一方、争い・訴訟(トラブル)に巻き込まれたくないという姿勢の表れもある。犯罪の可能性があるならまだしも、そうでない場合は、余りに神経過敏ではないか?世の中が段々不便になって来た。
・オレオレ詐欺、ネット犯罪、名簿業者や悪質業者(訪問販売、押し売り)などの犯罪を考えれば、神経質にならざるを得ない。特に団地住民の中には、濃密な人間関係を避ける為に団地生活を選んだ人もおり、昔のような近所関係にはもう戻らない。
・外国(欧米)では、日本の自治会にあたるものは聞いたことがない。隣人の個人情報は、友人関係の中で処理されるもので、プライバシーに属するとの考えではないか。完全なリストの整備は管理の為の物で、管理は行政の役割という考えではないか。日本では、伝統的に、災害経験などから、行政を補完する形で、民間が自主的にやって来たが、崩れつつある。
阪神淡路大震災に於ける人命救助の例では、所謂公助によるものが僅か3%に対し、隣人等共助によるものが30%であった事を考えれば、日本の伝統的な近隣関係の重要性は、過剰に濃密にならない限り、貴重なもので、日本社会の特徴と言えるのでは?
・社会生活・人間関係の基本は、相互の信頼だと思うが、逆に不信が原点のような考え方は、個人だけでなく社会的にも不健康な事だ。残念ながら、最近の日本は、その傾向が進んでいるように思える。
A「Inklusion」(障害を持つ生徒達を通常クラスに含めて行う教育)
・昔は障害児は障害児として、普通の生徒と区分して教育(盲学校等)をするのが一般的であったが、最近は日独とも、色々な形で普通の生徒と共に学ばせるという形になって来ている。その思想的背景は、「障害」を各個人の持つ個性(特殊性)と見、それらの特殊性からなる多様性こそがあたりまえの事(通常)であるという見方であり、共生社会形成と同じ考え方である。
・障害と言っても身体的なものだけでなく精神的なものもあり、かつ知的障害を伴わないものもあり、外見からは見分けにくい。精神的障害としては、学習障害、注意欠陥多動性障害、自閉症、アスペルガー症候群(知的障害は伴わない。Einstein, Edison, Bill Gatesなども)等がある。
・日本の教育現場では以下のような指導実例がある:
低血糖のため、10時に甘いものを食べているAさん、バスに乗って出かけ買い物学習をしてくるBさん、神経覚醒のためにブランコに乗ったりボール遊びをしたりするCさん、普通授業を受けいる子供たちにとっては羨ましいことだけれど、ここで、自分とは違う他者を理解させるという指導が行われる。
・実際の教育現場では、教師の負担、親の理解など課題が多そうだが、上手くいけば人間愛を実現した理想的な教育と言える。又、教師としても、埋もれた才能を見つけ出す喜びを味わえるだろう。
・Inklusionの考えは、異質性を積極的に包含してゆくという事なので、教育のみならず、社会的な展開の可能性(独の移民対応の例など)も持つ。但し、概念として必然的に境界を取り除くという事になるので、慎重に進めなければ、Chaosに陥るリスクも孕んでいると思われる。
参加者の感想の一部
ちょっと難しいテーマが続きましたが、ドイツ語日本語が飛び交い、熱いまた楽しい時間でした。
湘南在住のドイツ人の参加者からドイツと日本の比較等具体的発言が聞け、自分自身の経験と重ねて新しい発見がありました。(A.O)