「ベルリンの壁崩壊の前後一年の記録」の講演に参加して

会員 昔農英夫



講演会場の筆者(前列)



 11月21日(日)夕刻の例会会場は多くの参加者が詰めかけ、期待と熱気で満ちていた。当日は当会会長、織田正雄講師による「ベルリンの壁崩壊の前後一年の記録」と題する興味深い内容であった。参加者はドイツとの関わりを持った方々も多いと思われるが、ベルリンの壁崩壊という現代史の大事件に何らか、個々人それぞれの立場で係った体験を思い、これから始まる内容に期待と感慨を抱いていたのが熱気の要因に相違ない。団塊の世代に属する報告者もその一人である。現代史に影響した出来事で強く心に残っているのは:キューバ危機、アポロの月面着陸、ベトナム戦争、ケネディー兄弟・キング牧師の暗殺、ソ連軍のプラハ制圧、大学紛争、ジョン・レノンの死、日本企業の大躍進と貿易摩擦、ソ連崩壊、冷戦終結、アパルトヘイトの終焉、リオサミット、天安門事件、9.11等々であるが、ベルリンの壁崩壊と東西ドイツの統合も間違いなくそのひとつに数えられる。
 1989年にハンガリー/オーストリア国境の部分的開放で始まった東ドイツ国民の西への脱出は、思い出すに、気づかないうちに鉄のカーテンに開いた小さな穴がまたたく間に拡がり、もはや押し戻すことの出来ない大きな潮流となって一気に突き進んだ感がある。正に、何がどうなっているのか判らない、ニュースに触れても進展が急であれよあれよの間の出来事との感があった。織田講師は長くベルリンに滞在し、89年11月9日夜に起こった東西ベルリンを隔てていた壁の事実上の開放を喜ぶ市民と同じ空気を吸い、目撃された。“Eine Volk sprengt seine Mauern”と題する映像記録を見ながら生々しく当時の体験を語り、会場にベルリンの興奮を見事に再現された。映像ナレーションはドイツ語ゆえに、内容は講師の事前説明、たまに理解できた単語と画面の様子から想像たくましく推測するしかなかったが、壁崩壊に至る89年春からのハンガリー、チェコ、旧東ドイツでの一連の出来事と、ベルリンの壁開放の興奮が迫力をもって感じられた。
 報告者は未だベルリンを訪れたことはない。しかし、ソ連崩壊後日が浅い時期に旧ソ連邦のラトビアを訪れる機会があった。ストックホルムから短時間の飛行で到着したリガはスカンジナビア諸国とは全く様相を異にしていた。学生時代に授業でLuise Rinserという作家の Heimkehrという読本を用い、作品中のRigaが妙に記憶に残っていた。理由は、ドイツ語の単位を落とした苦い経験ゆえであるが、懐かしい気持ちを抱いた訪問だった。リガの旧市街は、ハンザ都市の雰囲気を残し美しい景観を保っていた。しかし、コメコン分業体制下での電機の生産拠点で、体制内では先進地域のはずのラトビアは経済的に疲弊し、街角では、金髪・碧眼の物乞いや、恐らく代々受け継いできたイコンを売って糧を得ようとする人々に驚かされた。旧市街を一歩出ると、ソ連風の無機質な建造物が存在感を示していた。恐らくソ連による占領という不幸を経験しなければ、他の北欧諸国と同じく自由と繁栄した社会を実現していたに違いない。全体主義はまさに犯罪だとの気持ちを再確認した訪問だった。
 ベルリンで20年前に、移動を含む当然の自由を突然手にし、涙して歓喜する人々の姿を目の当たりにし、リガの想い出を重ね感慨を新たにした記憶に残る例会であった。


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