湘南日独協会設立15周年記念事業の東部ドイツ旅行に参加して

会員 勝亦正安



菩提樹の写真をお渡しする。左端が勝亦氏


  5月22日午前1時全日空便にて出発、同日早朝にフランクフルト空港に到着した。アイゼナッハを皮切りに、ワイマール、ドレスデン、ベルリン、ポツダム、バルト海沿岸のシュトラールズント等東部ドイツ(旧東ドイツ)諸都市をバスで周遊、更に西のリューベック、ハンブルクを廻った後、31日全員つつがなく羽田に帰着。織田会長、三谷副会長夫妻、大石副会長夫妻以下、これに日本から同行の旅行添乗員阿部さん、現地通訳兼ガイドのマルクスゆかりさん、総勢26名の旅であった。
 ベルリンの壁崩壊後、ドレスデン等一部東の都市を訪れてはいたが、歴史と文化に満ちた名所、景勝地の訪問、さらに音楽鑑賞も盛り込まれた今回の旅は、大いに楽しめた。
 また、各地の独日協会との交歓会は、通常のパック旅行では得られない体験であった。
 フランクフルト空港到着後、東に約200km走ってアイゼナッハに着いた。同市は人口僅か45千人だが、J.S.バッハ生誕の地として名高い。記念館のバッハハウスを見学した。バッハとその一族の遺品、往時の楽器が多数展示されている。ドイツ人ガイドは、展示されているスピネット等古楽器を使って.バッハの曲を生演奏してくれた。小生は無論、音楽に造詣の深い多くの団員にとっても得難い経験だったと思う。
 次にアイゼナッハ郊外のヴァルトブルク城に着く。小高い山上に聳える城は左程大きくはないが、周囲チューリンゲンの森を一望出来る。ここは、中世ミンネゼンガーが競った伝説の歌合戦が行われた城ーリヒアルト・ワグナーはオペラ「タンホイザー」でその情景を歌い上げたー、ヨーロッパで多いエリーザベト、エリザベスの名前の由来となった聖女エリーザベトが13世紀前半嫁ぎ来た城、また、マルチン・ルッターが16世紀前半に新約聖書をギリシャ語からドイツ語に訳した小部屋が今に残る城として世界中に知られる。
 城のホテルで昼食を取った後、さらに東に向け1時間余走る。車窓には緑豊かな森と草原が続く。アウトバーンも一般道路もほぼ完全に修復されており、旧西ドイツと変らない。一瞬ではあるが、ドイツ統一基金と連帯税の負担になお喘ぐ旧西側自治体と市民のボヤキが聞こえたような気がした。ワイマールのホテル・エレファントに午後4時少し前に到着。ホテルは300年余の歴史と格式を誇る。部屋に荷物を置いて一休みの後、7時から、ホテル大広間で我が協会設立15周年の記念祝賀会がワイマール独日協会との合同で開催された。イングリッド・バウハウス協会長、鎌田哲男副会長、ベルリンから特別参加の在独中根猛日本大使の各挨拶、そして、ワイマール独日協会の勧奨により湘南日独協会は誕生した旨の経緯が織田会長の答礼の中で紹介された。両協会長によるプレゼント交換。6年前来日された当時のワイマール市長と独日協会会長が鎌倉中央公園に植樹された菩提樹の成長振りを伝える額入り写真(今回旅行直前の5月に撮影された)は特に喜ばれた。アムゼル有志による「故郷」、「野ばら」等の混声合唱、更に当地在住ピアニスト、エリカ・ヘルツオーク嬢のピアノ演奏も披露され、日独親善は更に盛り上がった。大食堂での晩餐会を終え、部屋に戻ったのは夜11時を過ぎていた。
 翌朝9時に、ホテルに直ぐ近いワイマール市庁舎を訪問。ポールに日の丸の旗が掲げられているのが嬉しい。大広間でシュテファン・ヴォルフ市長が多忙な時間を割いて全員を迎えて下さった。西への流出の為人口減少に悩む東部ドイツ諸都市が多い中で、ワイマールは逆に人口が増えている(現在64千人)とのヴォルフ市長のお話が印象に残る。
 その後、午前中市内見物。ワイマールは、アウグスト大公に請われ来訪したゲーテが26才以降晩年までの50年を過した町として有名。ゲーテハウス、シラーが住んでいた家等々、ゲーテ縁の建造物が随所にある。国民劇場を背景にゲーテとシラーが並び立つ像の前は、恰好の観光スポットである。
 マルクトで簡単な昼食を取った後、中根大使、バッハハウス会長、鎌田副会長他の見送りを受けて、ホテル前から乗車、ワイマールから200kmの次の訪問地、ドレスデンに向かった。旅は二日目、まだ始まったばかりである。


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