湘南日独協会15周年に寄せて

吉田克彦


 ビアパーティから始まった。
 湘南日独協会は皆様の手によって素晴らしい活動が繰り広げられています。海外との交流も進んでいます。合唱団もリサイタルを実現されましたそれにドイツ語講座。いまから15年前にはこうした活動が全くなかったというのが不思議な気がする位です。
 湘南日独協会の活動が始まる前に、実は10年の歴史があったことを記録止めておいた方が良いのかなと思いまして、大久保さんの要請につられてパソコンに向かう事にしました次第です。
 私は昔から何故かビールが好きで、用事で東京に行った時は銀座のビアホール、ライオンやゲルマニアに立ち寄って一杯やるのを楽しみにしておりました。そのうち年と共に東京まで出掛けるのがおっくうになり、どこか湘南地方でビアホールが無いものか探しましたが適当な場所は皆無でした。
 それならば年に一度くらいはレウストランを貸し切りにして貰って仲間を集めてビアパーティを開けば良いと思いつきました。レストランはホテル法華倶楽部の2回にあったレストラン「ヴェルデ」が応じてくれました。ここには当時グランドピアノがありました。
 歌い手さんとピアニストが見つかれば何とかなります。たまたま紹介されてソプラノの真島敦子さんにお願いしたら、「私はクラシックの歌い手ですからビアホールの歌などは歌えません」とおっしゃるのです。ならばビアホールに一度行ってみましょう!と言うことになりまして、横浜・東京のビアホールを数軒巡り歩いてやっと納得して頂きました。
 演奏の様子も見ておきたいと思い、大倉山のホールに真島敦子さんのコンサートを聴きに行きました。そこで驚いたのは「花売り娘」の演出でした。曲はチャプリンの映画「街の灯」の主題曲「すみれの花売り娘」を歌いながら手篭の花を会場に配って回るという趣向です。これがすっかり気に入ってドイツフェアで毎回の演目になりました。当初ピアノは佐藤朋子さんでした。
 そのような次第で平成元年7月29日の夕刻、一日限りのビアホール開催に漕ぎ着けることが出来ました。何故かは忘れましたがこのイベントを何と「ドイツィフェア」と名付けておりまして、会場には雰囲気作りにドイツ国旗を張り巡らせました。ドイツ滞在の長かった高島泰二さんも出席されて楽しいドイツの話をしてくださいました。そんな具合で何とか第1回の「ドイツフェア」を無事に終わることが出来てホットしました。
 それから一月ほどして真島敦子さんから電話が来ました。「今はゲルマニアで毎週火曜日にレギュラーで歌っています。一度見に来て下さい!」というのです。そこで出掛けて見ますと、真島さんがステージでビールジョッキを片手に「アインプロージット」とやって居るではありませんか。。女性の変わり身の早さには全く度肝を抜かれました。
 7回目のドイツフェアからは中島良能さんにお願いして「楽団シヴァルベ」をピアノと弦楽四重奏で担当して頂きました。歌は梶井智子さんになり、歌もオペラアリアやオペレッタと広がりました。また、ヴァイオリンソロでは鈴木梨津子さんや石塚千恵さんのチャールダッシュで大いに盛り上がりました。
 平成10年の7月25日の第10回ドイツフェアは記念すべきイベントですから盛大にと思っていたのですが、開催日1週間前になっても申し込みが20名程にしかありませんでした。さあ大変といつも来て下さっている方々に電話して見ましたら、「この日は江の島の花火大会だよ」とおっしゃいます。江ノ島の花火はもう見飽きているでしょうからビールを飲みに来て下さいよと申し上げても「お客が来るから駄目だ」というのです。これは大変だとあちこちに電話をしました。
 その結果、ドイツ人家族が3組、東京の日独協会の理事さんが二人(お一人は織田正雄現湘南日独協会会長)ご出席となり、やっとパーティ開催に漕ぎ着けました。しかし、当日は思ってもみなかった事態が起こりました。先ずドイツフェアですから相変わらずドイツの国旗をたくさん壁に貼っていました。ドイツに堪能な方々がいらっしゃると「ドイツ国旗がみんな逆さまだよ!」慌てて国旗を貼り替えました。次はビールです。カールスバーグのビールを出したら「これデンマークのビールだよ!」…「こんなことを10年も繰り返しているんだったら日独協会をつくったらどうですか。そうすればこんな失敗はしないで済むでしょうに」と言われて、ならばとその年の暮れ、11月17日に岩負p二郎会長の下に湘南日独協会の設立総会が鎌倉パークホテルで開かれたのです。
 あの日からもう15年が過ぎたのですね。


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