マインツから



性別か環境か

会員 長谷川 孔一郎

先日私が通うマインツ大学で他大学から講師を招いて一般公開で特別講義が行われていたので、 私の専攻と異なる分野でしたが興味深いテーマでしたので足を運びました。 テーマは"Geschlechtsunterschiede im Bildungserfolg"(男女の教育格差)でドルトムント工科大学から教授が来ていました。

結論から申し上げますと、性別が学力に影響を与えるという統計的な研究結果があるそうです。 女性であるがために理系が苦手だとか、男性だから文系では女性に劣るといった事です。 小学生から中学生にかけては比較的女の子の方が男の子より読解力などにおいて優れている傾向にあり、 男の子は歳を重ねるにつれ徐々に女性の学力に近づいていくそうです。 その理由として挙げられていたのが、女の子は早期に男の子に比べて比較的本を読む事を好み、 男の子はその時間を遊びに費やす性格上の傾向があるからだそうです。他にも様々な要因があるそうです。

しかしこれは性差が与えた影響でしょうか。私には環境が与えた影響に思えます。 というのは、女の子だから読解力が高いのではなく、本をよく読んだから読解力が向上したのです。 性別は基本的に変えられませんが、行動は変えられます。男の子だって本をよく読めば読解力は向上するでしょう。 行動を決定する大きな要因として環境が挙げられます。 例えば、家に沢山の本があり、子供の頃から両親が本をよく読んでいたなど。 有名な言葉で『環境が人を作るが、その環境は人が作る』とあります。 まさにその通りで人が人を作るのです。 学力が高い人は性別とは関係なく、その為に行動をしており、もっと言えばその行動をする環境があり、 その環境を作る人がいたということになります。

申し上げたいのは性別が与える影響よりも、 家族や友達といった周囲の人の影響の方が遥かに大きいのではないかという事です。 ただ、影響は絶対ではないので行動は変えられます。 国籍や性別、年齢など変えられない何かで諦めるのではなく、 行動を変えることが大切なのです。その行動が環境を作り、また人を作ることになるのです。

 
   筆者近影      フランクフルト郊外の森の中で寝袋を持って一泊した時の様子です。
           写真に見えるのはマイン川です。着込みましたがとても寒かったです。



時代に逆らって

会員 長谷川 孔一郎

先日、大学の友達と私が住んでいるマインツからオランダ第三の都市デン・ハーグに計600キロを自転車で五日かけて行ってきました。

計画は北海を目指す、地図なし、その他の計画なしのこの三つ。 道は大まかにマインツからライン川沿いをずっと北上して行く。 計画を立てなかったのは出来るだけ決まりに縛られたくないというのが全員の意見だったからです。 ただ進みたい道を進むから、進んだ道が全て正しい道になる。 地図で最短のルート通りに行こうとするとそのルート通りにいけなかった時、 道を間違えたということになります。 計画がないことは世の中ではネガティヴに捉えられがちですが、 旅の途中は想定もできないような様々な事が起こります。 その都度考えてては先に進めません。これから起こること全てを想定することはできません。 物事や問題に対して柔軟に対応する事が大切で、その力は経験でしか養えません。 例えば、当初四人で行くはずが、一人は当日キャンセル、もう一人は意見の違いと体調不良により途中離脱。 私の自転車のシートポスト(サドルの下についている棒でフレームとの接続部分) が荷物の重みで折れるということもありました。 このようなことをその度に想定していては、荷物の準備に時間が取られ、出発できずに旅が終わってしまうかもしれません。 そしていずれ大切なものを得る機会を逃してしまうかもしれません。 さらに想定外のことが起きた場合にパニックに陥り、対応出来ないかもしれません。 前でも後ろでも横でもとにかく進み始めることが大切なのかも知れません。問題は起きるものです。 起きた時に臨機応変に対応する力を備えていることが大切だと思います。


筆者(右端)と共に走破した友人(筆者の左)。
折れたシートポストを無償で直してくれた修理屋の人達と一緒に

大学生の貧乏旅行ですので、寝泊りは外でマットと寝袋でしました。 ある時は川の辺りで一夜を過ごし、またある時は小学校の屋上をお借りしたり(許可は頂きました)、 会社の中庭でも一泊しました(こちらも許可は頂きました)。 朝方はかなり気温が下がり、何度も目が覚めました。 ありったけのTシャツを着て寝袋に包まって寝ました。寝たい所で寝て、食べたい時に食べ、 行きたい場所へ自分の力で行く。普段の生活では味わえない自由を感じました。 人の温かみも感じました。道を尋ねれば嫌な顔一つせず教えてくれ、寝る場所を与えてくれ、 話しかけてくれ。途中から一緒に走った二人の高校生もいました。 皆、自転車で時間をかけてなかったら会えなかった人たちです。

何もかも早く、速くという時代に逆行して、ゆっくり自分のペースで多くを体験できたのは本当によかったです。 速度を上げれば確かに多くのことを体験できたような気持ちになれます。 ただ、速さ故に見落としてしまっていることも多々あるとも思います。 速度を落とすことも時には必要ではないでしょうか。大切なものは目に見えないものです。 だからゆっくり、様々なことに気を配って、焦点を自分ではなく周囲に当てること、 するとさらに多くを感じられるのではないでしょうか。 私たちのゴールは目的地のデン・ハーグではなく、そこまでの道のりがゴールだった気がします。

機会があれば今度はさらにゆっくり進みたいと思います。


北海を目前に乾杯


120キロ走破後の昼食



ドイツ学生生活


会員 長谷川 孔一郎 氏

ドイツの大学は基本的に1学期が半年です。 4月始まりの夏学期と10月始まりの冬学期があります。

日本のように高校卒業後に入学して自動的に学年が上がるのではなく、 学部によってカリキュラムが決まっており、それを自分のペースで修了していき学位を取得します。 その為、『大学○年生』といった概念はありません。さらに年齢も大きな意味を持ちません。 何学期目にどの教科を専攻しようが最終的に単元ごとの試験に合格すればいいのです。 ただその各試験は3回までしか受けられず、3回目で合格できなければその学部は 二度とドイツ国内で専攻できないのです。

私はスポーツ科学を専攻していますが、スポーツの場合、実技もその試験に含まれます。 前学期実技は器械運動(鉄棒、床)とダンスを選択しました。 試験は来学期に受ける予定です。私が前学期に受けた試験は二つで、 一つはスポーツ心理学、統計学と質的研究の3教科の混合試験です。 もう一つはスポーツ史、スポーツ組織学、科学哲学、量的研究、学術的勉強法入門の5教科の試験でした。 どちらも電子試験といってコンピュータで質問に解答していく試験方法です。 出題形式としてはマルチプルチョイス(5択で複数正解あり)が7割と記述が3割でした。 一つ目の試験は60分で63問、二つ目は90分で102問。 問題を素早く読み、理解し、正答を探し出す。 しかし速く解くことが大事なことかどうかには疑問符が付きます。 もちろん理解度が高ければ速く解答することは可能です。 しかし速く解けないからといって理解していないとは判断できないと私は思います。 特に言語の面でハンディがある外国人にはこの形式のテストで実力を測ることが難しいのです。 更に選択式というのも真の理解度を測るには物足りないなと感じたのが今回の試験でした。 学校の成績など能力の数字化の問題視については今後書かせて頂きたいと思います。

名目上Vorlesungsfreie Zeit(講義が開かれない時期)が休暇に値しますが、 試験がよく休暇期間中にあるので、実質、試験が終わるとドイツの学生は長い学期休みに入ります。



ヴィーガンVegan


筆者                     ドイツの有機野菜                                     


会員 長谷川 孔一郎

今回の寄稿テーマはヴィーガン(Vegan)です。 日本ではあまり聞き慣れない言葉だと思いますが、ドイツでは知らない人がいないほど日常で使われている言葉です。

ヴィーガンとは肉、魚はもちろんのこと乳製品や卵を摂取しないという一つの生活スタイルです。 さらにただ動物由来のものを口にしないだけではなく、 動物由来の製品(皮製品等)をも身に付けないこと、 水族館や競馬など動物が人間の娯楽として”使われる”ことを否定しています。 ベジタリアンが菜食主義ならばヴィーガンは完全菜食主義です。 ちなみにベジタリアンは肉、魚のみの制限です。 ヴィーガンの主な信条として「動物を殺すことなく生活していく」といった動物愛護の観点からや、 畜産業が環境に悪影響を与えていると言った環境保護のためなどが挙げられます。自身の健康の為という人もいます。

環境問題と畜産の関連として、例えば穀物1キロを生産するのに必要な灌漑用水は約1800リットルと言われており、 こうして得られた穀物を飼料として牛は大量に消費するので、 牛肉1キロを生産するのに約20000倍もの水が使われます。 身近なもので例えると牛丼一杯2000リットルの水が使われています。 さらに家畜の排泄物には病原菌や寄生虫の卵が含まれている事があり、 人や家畜に感染の恐れがあります。排泄物中には雑草の種子が含まれていることがあることと、 土壌での分解中にガスが発生することで、作物の生育障害を引き起こします。 その他にも飼育施設や屠殺場も多くの土地を占めています。

動物愛護の観点で見れば肉の消費、生産が以前より増えたことにより、 できるだけ安くそして大量に生産するために現在ほとんどの畜産は放牧ではなく工場で生産されています。 工場で育つ動物は法律で保護される事はなく、生き物としではなく利益の為の商品として扱われます。

その為一生を狭い檻の中で過ごし、病気があれば"不良品"と見なされ商品にならないので生きたままゴミ箱に捨てられます。 そして商品になる動物はコスト削減のため麻酔なしで屠殺、加工されます。 さらに迅速に大きく育てるために人工的な光を当てて体のサイクルを狂わせて食欲増進させ、 成長促進の餌を効率的に与え、ほとんど動けない環境で短期間にブクブクと太らせます。 成長スピードについていけない鶏もいるので、重すぎた体を支えられずに立てなくなったり、 心臓疾患や肺の圧迫による病気などの問題を抱える鶏が多数に及ぶそうです。 もともと1925年頃は成長に16週間かかり体重もわずか1.1kgくらいしかなかったそうです。 それが、なんと現在ではわずか6週間で成長し、 体重も倍以上の2.5~3.0kgにまで成長する鶏に変化したそうです。 成長促進の為の薬や、病気の感染を防ぐ為の抗生物質など薬付けにされている事もあります。 知らぬ間に抗生物質を摂取していて、 いざ自分が病気になった際に病院で処方された抗生物質が効かないなんて事もあり得るかもしれません。

ただヴィーガンが愛用している石油製品も環境にさらに悪影響だとの意見もあります。 タンパク質は肉、魚からというイメージがありますが豆やナッツ類、 野菜にも含まれています。私たちが普段食べている牛や豚、鶏は植物からタンパク質を摂取しています。 現に馬や象、ゴリラといった比較的大きな動物は草食として知られています。

これらの事から結論として導きだす事は肉食が悪で皆がベジタリアンやヴィーガンにならなくてはいけないという事ではなく、 普段の自分たちの行動に対して疑問を持つ事。 そして知りたくない真実から目を背けるのではなく向き合って、 どのようにしてより良くしていくのかを考えることが大切だと思います。 最終的な決断は自分にあります。下した決断の責任は自分で負わななくてはいけません。



寄稿「多数派?少数派?」

会員 長谷川 孔一郎


最近よく「多数派と少数派」について考えています。

私は幼少期から他人と比べて変わっていました。というよりもむしろ変わっていたかったということを記憶しております。 悪く言えば目立ちたがり屋だったのかもしれません。ただ、成長するにつれ「恥じらう」ことを覚えました。 そしていつからか他人と違うことでいることに息苦しさを感じるようになりました。それは学校で、街で、電車で、 様々な場所での普段の生活に感じました。 他人と違うことは間違っていることなのではないかと無意識のうちに意識するようになりました。

当時のことはあまり正確に覚えてはいませんが、自分の中にまだ他人とは変わっている自分がいて、 そこから抜け出したかったのかも知れません。その思いが導いた結論として、“外国に行く“ことだったのだと思います。 なぜドイツになったのかは以前の寄稿文で書きましたが自分でも分かりません。 ただ、日本から脱出して(良いい意味で)他人と違っていても良いと言う事の証明を得たかったのかも知れません。

そして高校を卒業した春、ミュンヘンへ1年間の語学留学をしました。その1年で感じたのは自由でした。 周囲とは合わせずに、自分がやりたいようにやれる。それどころか周囲と違っていないと埋もれてしまう。 ドイツ人の多くは傾向として、自分の考えを強く持ってる国民です。 それも若い頃から家庭や学校でトレーニングされてきているので自分は何が好きで何が嫌いなのか、 何をしたくて何をしたくないのか、当たり前のことではありますが自分で理解していて、 周囲の意見に関係なく自分の意見を主張します。

確かに、日本はとても素晴らしい国です。周囲に気遣い、他人の心を言葉を交わさず理解しようとします。 そして自分の意見より協調性を大事にします。ただ他人に気を遣うが故に自分の意見が言えなかったり、 もしくは全く無かったり。そして多数が正しくて少数は間違ってるとも捉えられます。 多数に属してないことは間違いであり、正されるべきと判断されることもあります。 少数派だった私にとってはそこでの生活は辛さがありました。ドイツでの生活はそれを変えてくれるものでした。

しかし、日本にいた頃少数派だった私は「多数、少数」の考え方の存在に賛同できず、ドイツに来ました。 必ずしも多数が正しく、少数が誤りだとは限らないと考えていたからです。 そして今協調性よりも個人が大事という考え方が多数であるドイツにいることで精神的に安らぎを覚え過ごしやすさを感じています。 これは少数派であった私が結果的に多数派を求めたことになり、矛盾していることになるかも知れません。 ドイツで協調性を大切にするあまり自分の意見を言わず周囲に合わせるというのは少数派です。 ここではそれは間違ってると捉えられがちです。

ドイツで求められるのは多様性で画一性ではありません。アルバイト先の社長にこの話をしたところ、 ドイツで多様性を構築しているのはドイツに来た外国人で、彼らがドイツ人と共に多色の虹を作っている。 外国人が居なければドイツの虹はただ一色の弧になっていたのかも知れない、と言っておりました。 その言葉通りであれば、本当の意味で少数が認められる国や地域はなく、集団生活の性なのかも知れません。




ドイツ語能力証明テストの最終、口述試験で「幸福論」を語りました!!


マインツ 会員 長谷川 孔一郎氏(左)
(学校の友人と、マインツのヨハネス夜祭り*にて)

つい先日大学で勉強するための、そしてドイツ語を母語としない人のためのドイツ語能力証明テスト、 通称DSH(Deutsche Sprachprüfung für den Hochschulzugang)がありました。

このテストは読み取り、聞き取り、テキスト作成、口述の4つからなります。 自分の専攻希望教科によって定められた一定の割合を超えると合格となり、 ドイツの大学で勉強できるだけのドイツ語能力を持ってると判断されます。 例えば、言語学専攻希望なら85%以上、経済学なら67%以上、芸術や音楽は57%以上といった具合です。

読み取り、聞き取り、テキスト作成は筆記試験で1日で行われます。 口述試験はパワーポイントを使っての15分間の発表です。口述試験のテーマは学術的なものであれば自由です。 テーマの選択に迷いました。というのは、確かに世界中で明確に問題視されているテーマ(環境問題など)であれば 聞き手も基礎知識があり、そこら中に情報が溢れているので比較的簡単にプレゼンテーションを進めることができ、 尚且つ合格しやすいということがあります。ですが、私はプレゼンテーションを通して何かを伝えたいという思いがありました。 そこで最終的に選択したのが幸福論です。

ここで少しプレゼンテーションの内容をお伝えしたいと思います。 かなり個人的な意見ですので皆さんあまり重く受け止めずに気軽に読み流していただけたらと思います。 本当の幸せとは何なのか。お金があれば幸せなのか。それとも愛か。 人間のほんとんどの行動理由が幸せのためのと言われています。 幸せのために働き、幸せのために結婚して、幸せのために生きる。

国連が毎年発表している世界幸福度報告書というものがあります。 これは各国の様々な幸せの要因をアンケート調査を通して数字化したものです。

その要因とは主に(1)一人あたりGDP、(2)社会的支援(困ったときに頼ることができる親戚や友人がいるか)、 (3)健康寿命、(4)人生の選択の自由度(人生で何をするかの選択の自由に満足しているか)、 (5)寛容さ(過去1か月の間にチャリティ等に寄付をしたことがあるか)、 (6)腐敗の認識(政府に腐敗が蔓延しているか)の6つです。 2017年度のデータは2014年から2016年に調査したもので各国最低1000人、最高3000人にアンケート調査を実施しています。

この調査の結果、世界で一番幸せな国はノルウェーで順に、デンマーク、アイスランド、スウェーデンが続きます。 日本は前年から順位を2つあげて51位でした。

しかし、本当にノルウェーが世界で一番幸せなのでしょうか。ノルウェーに行けば今より幸せになれるのでしょうか。 逆に貧しい国の人は幸せになれないのでしょうか?私は疑問に思います。幸せの要因の比重は人によって異なると私は考えています。 例えばお金より人との関係が大切な人。どんな物や人よりもお金が大切な人。 なので幸せを数値化するのはかなり無理があるのではないでしょうか。

そこで大乗仏教の一派である禅宗はこんなことを教えとしています。2つの幸福の捉え方がある。 相対的な幸福と絶対的な幸福。前者は他人と比べることによって幸、不幸を感じるというものです。 自分より不幸な人がいるから自分が幸福に感じられます。他人が持っていない物を持ってる等。 しかしこの幸福は常に無くなることに対して不安を持っています。幸せの絶頂にいても無くなるとこへの 不安を払拭することはできないのです。そのため完全な幸福は手に入れるとこができないのです。 世界幸福度報告書が調査した幸福の要因は相対的な幸福です。

後者の絶対的な幸福は現状に満足することを基本の考えにしているので無くなることに対して不安を抱かない、 たとえ失ったとしても悲観しない。不安を持たないこと自体を幸福と捉えているのです。 あればあったでいいがなくてもいいという考え方。ただここでの疑問はこの考えを真に修得するのにどれほどの 苦労があるのか。さらに無くなっても悲しまないという事は人の死に対しても悲しまないということ。 個人的にこれは少し人間味に欠けるのかなと。悲しむことは悪いとこではないと私は思うのです。

結論は皆に当てはまる幸せへの"レシピ"など存在しないということです。 仏教はこうも言っています。"幸せは探すものではない、気づくもの"だと。 本当は一番近くにあって気づきにくいだけなのかもしれません。

皆それぞれの幸せを見つければそれでいいと思うのです。 お金で幸福になる人もいれば、長く健康に生きることが幸福と思う人もいる。 いやいや、幸福とは不安を持たないことで満足することだ。と思う人もいる。

ただ不思議なのは皆に当てはまるレシピがないのにも関わらず、多くの人がそれを探そうとすることです。


  *マインツの「ヨハネスの夜」は、マインツが生んだ偉人、
  ヨハネス・グーテンベルクに敬意を表する祝祭で毎年6月に催されます。



Studienkollegについて


                         長谷川孔一郎氏(右端)


マインツ 会員 長谷川 孔一郎

今回は今僕が通ってるStudienkollegについてお話などしたいと思います。 Studienkollegとは大学入学資格を持っていない外国人のための、もしくは ドイツ人でドイツのGymnasium(大学進学中高一貫校)に通ってはいないが大学に 行きたい者のための、大学が提供している大学進学コースです。 日本ではあまり知られていないのではないでしょうか。僕もここに至るまで インターネットを駆使して情報を得ようと試みましたが、なかなか情報がなかった のが現実です。

ドイツの大学に入学する為にはAbiturというGymnasium卒業テストがあります。 日本のセンターテストに値するものです。しかしセンターテストと違い高校卒業時に あります。この成績を持って皆、大学に進学します。これを受けることでドイツ人は 大学入学資格を取得するのです。ただ言葉の問題などもあり外国人にはハードルが 高すぎるためStudienkollegというシステムを導入しているのだと思います。

Studienkolleg では大学入学資格取得のため、数学や英語、自然科学系、歴史、 ドイツ語などの本来ドイツの高校で勉強する内容をドイツ語で受講します。

そこである一定以上出席し、尚且つ学期末にある大学入学資格取得試験で67%以上 取るとドイツの大学で自分の学びたい教科を専攻できるということです。ただ、 自国で自国の大学入学資格をすでに持ってる場合はSprachenkollegといって ドイツ語コースの受講、そしてDSH(Deutsche Sprachprufung für den Hochschulzugang 大学入学のためのドイツ語テスト)でドイツ語の能力証明のみで 大学へ進学できます。ただドイツ語のみとは言ったもののドイツ語レベルとしては C1以上C2以下とレベルは非常に高いと感じます。(レベルの説明としてドイツ語の 欧州評価基準というものがあり、それはA1から始まってA2、B1、B2、C1、C2と順に 語学力によってテストを受けた際などに評価される基準のこと。A1からB1は初級、 B2が中級、そしてC1、C2は上級といったところでしょうか。

大学入学資格は国によって違い、日本の場合、もちろん大学を卒業した者、大学に 在学中の者、そしてセンターテストで62%を取得したものです。そのほかに専門学校や 短大で何年と決まりがあると聞きましたが、僕はまだ正確には認識していません。

一学期は休暇も含めて半年で、まず中級コースから始まります。そしてその学期末に 試験があります。長文読解にリスニング、最後にテキスト作成の3つで構成されて います。これも合格には67%以上の取得が必要です。合格すると次学期は上級コースに 進むことができます。

上級コースの受講後、上記で説明したDSHの受験が認められます。DSHで定められた得点 以上を取ると大学での専攻を認められます。だだ中級コースの期末試験もしくはDSHの どちらかで不合格だった場合、もう一度だけ一学期再履修が認められます。

Studienkollegには志しを持って本当にドイツの大学で勉強したい人たちが来ている ので授業にも熱がはいります。

僕が通っているのは正確にはこのSprachenkollegで、次学期から上級コースに進みます。 次の6月のDSHに向け勉強中です。

コースの中にはヨーロッパ人が多く、母語がドイツ語とかけ離れてるアジア人には 試験はとても高い壁です。日本語はとても美しい言語ですが・・。

Studienkollegはただの語学学校とは違い大学で使う専門用語を勉強したり、 プレゼンテーションなども課題として出されます。

しかし言葉は何をするのにも当然必要で大学で勉強したいというのであれば尚更高い レベルの語学力が必要です。確かに大学の入学1年程が遅れてしまいますが決して 語学の勉強は無駄にならないと自分に言い聞かせて日々ドイツ語の勉強に励んでい ます。自分が本当にやりたいことであればそれは時間をかけてゆっくりしっかり やっていかなければいけないと思います。

「ローマは1日にしてならず」です。



『ミュンヒェンでのゼロからのドイツ語』

マインツ  長谷川 孔一郎氏


ミュンヒェンでの生活は僕の人生を大きく変えました。 ドイツに行く前までは何をしても並な成績しか残せず、 悪くはないが飛び抜けて良くもない。 そんな自分があまり好きではありませんでした。 でも、ドイツでの生活で気づいたことがあります。 それは不得意な分野を克服するために労力を使うのではなく、 得意分野をさらに伸ばすとかが大切だということ。 今まで何をしても平均的であった自分とは決別し、 「自分の強みを生かそう!他人にはできないことをやろう」と思えるようになった のです。 それから自分に自信が持てるようになり、そんな自分にしてくれたドイツに どっぷりのめり込んでいくこととなります。


ミュンヒェン空港に到着し、まだ五月だったので少し寒かったのを覚えています。 空港の出口には雪に書いたMünchen 2013 「Mr.Hasegawa」と書かれたカードを 持った迎えの人が待っていました。 彼との会話は不思議なことに何も覚えていません。 はっきりしていることは英語での会話ということだけです。 というのもドイツ語は“ゼロ“の状態でしたので。 それは僕がただ単に怠惰だったからではなく、間違ったドイツ語が正しいドイツ語を 学ぶ際に障害となり得るからでした。 それは日本の英語教育と同じでカタカナで発音し、一度覚えてしまったら 本当の発音を学ぶのにより長い時間がかかるといったようなことです。 ゼロからの挑戦は初めの頃は確かに大変でしたが三ヶ月を過ぎた頃にはドイツ語だけで コミュニケーションを取れるようになっていました。

ミュンヒェンでの一年はあっという間に過ぎて行きました。 ホストファミリーにも恵まれ、帰国の際には「日本に帰ってくれるな」とまで 言ってくれました。 語学学校とホームステイ先にも常に僕の他に二人以上留学生がいたので、 世界各地に友達もでき、各地の文化や言葉に触れることができました。

これはとても貴重な経験で旅行では経験し得ないことだと思います。 またいつかどこかで会えたらいいなと思います。

これには渡航前に自分で決めたある二つのルールが奏功したかなと思います。

一つ目は、「自分から日本人を探さない」です。 日本人といると日本語で話してしまう。 これは偏見かもしれませんが日本人は外国で日本人同士でかたまってしまうと いうようなことも聞いていたからです。 僕の今回の留学の目的はドイツ語の習得であって、観光ではなかったからです。 わからないことがあれば現地の人に聞く。 それもドイツ語を使って。一年間の留学と決まっていたので、 なるべく日本語を話さないよう、この短い時間をどのように有効に使えば ドイツ語を早く覚えられるかを常に考えていました。

二つ目は、「誘われたら断らない」です。異国での経験はどんな経験もいい経験。 日本では誘われてもよく断っていました。 しかし、断ることによって一つ、また一つ経験できる機会を失っていることに 気がついたのです。 それは言葉を覚えるためだけではなく、人を知り、町を知り、 そして国を知ることになるのだと。このことを公言していたので、 たくさんの人が僕のことを誘ってくれました。何よりも勉強したドイツ語を その場で使える楽しさがありました。


勉強した分だけ理解でき、伝えることができ、これこそが現地でその言語を学ぶ 醍醐味ではないかと思います。 再び日本の英語教育の話になりますが、授業で勉強した英語を使う機会は少なく、 テストが終わってしまえば忘れてしまう。 これはすごく惜しいと僕は思います。

そしてこの一年で一番大きく感じたのは「ここドイツで本当に何かを学びたい」と いうことでした。この時人生で初めて何かについて「知りたい」と思いました。 それは効率の良さだったり、合理的な考え方、そして何よりも自由に感じたからです。 これが大学進学という次のステップに繋がる第一歩でした。 




『ドイツとの出会いそしてマインツへ』


マインツ  長谷川 孔一郎氏


長谷川孔一郎氏は孔一郎君と呼んだ方が似合う藤沢出身の好青年。Schwatzerei am Stammtisch へも参加この9月よりマインツでの生活を始めたところです。

最初のドイツとの出会いは小学校の時でした。 僕の応援していたプロサッカーチームにドイツ人の監督がきて初めてドイツ人を見ました。 その人はとても誠実そうな人で皆から慕われているようでした。 その頃、ドイツを意識していたかわかりませんがそれがドイツとの最初の出会いだったと思います。 それから中学校で進路の事を考えるようになって、本当に何がやりたいのかそして何をやりたくないのか。

それを考えた時に"外国に行きたい"と心のどこかで思ったのを覚えています。 当時まだ旅行でも外国に行ったことがなかったので一度自分の目で見て、肌で感じたいと。 どんなに日本と違うかを。そしてそんなに大して違わないんじゃないかと思ったのも事実です。 父と母も賛成でどんどん行ってこいと。1人で生活することの大変さを学んでこいと。

ですが中学生の僕には何をどうしたら外国に行けるのか、 そもそも外国とは言っても具体的にどこに行って何をするのか全く分かってなかったようです。

本気度も足りなかったのでしょう。 それに加えて当時はサッカーのことばかり考えていたので高校サッカーは 一番明確で近い目標だったんだと思います。なのでサッカーのために高校へ行きました。 高校最後の年、年子の兄がイギリスへ語学留学にいきました。これも大きな影響の1つだだったと思います。

僕は今でもそうですが変わりものでしたので、留学でポピュラーなアメリカや、 イギリス、オーストラリアなどの英語圏には全く興味がなく、 第二外国語、特にヨーロッパになんとなくですが憧れ、そして惹かれていたと思います。 それとサッカーには関わって行きたいこと、教えることが好きなこと、 サッカー選手としては大成しなかったことを踏まえてトレーナーになりたいと思うようになりました。 そこから逆算して、トレーナーになるにはどこの国がベストか。 ここで出てきたのがドイツでした。そこから家族や友人、学校の先生に公言するようになって自分の中でも、 とりあえず行こう。行ったら何かわかるかもしれない。トレーナーになるためにはまず語学だと。 このような経緯でとんとん拍子でドイツに語学留学をすることが決まりました。

ちなみに写真は、この前の週末にミニ旅行に行ったので。Schloss Schwetzingen です。僕は写真をあまり撮らないものなのでうまくはないですが。野菜は近くの農家で買ったオーガニックの野菜です。 こんなに甘くて美味しい野菜を食べたのは初めてです。

では、皆様が日本で良い夏を過ごされることをドイツから願っております。
 (2016年8月10日メール)


ドイツ野菜のおいしさにびっくり!

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