世界文化遺産都市のスズメたち

−ドイツ映画『菩提樹』と『続・菩提樹』の隠し味−

会員 宮下啓三


 湘南日独協会の12年の歴史のうちに芽生えたものがいろいろある中で、とりわけよろこばしいのが、合唱団「アムゼル」の誕生と成長です。 音楽好きの会員たちによって結成されたグループが、梶井智子さんの卓越した指導を受けるうちに、おどろくほど歌唱力を成長させました。
 この合唱団の名は、ドイツ語の名詞であって、「クロウタドリ(黒歌鳥)」などと訳されます。「歌鳥」という言葉の示すとおり、鳴き声の美しい小鳥です。 小鳥の名をもつ合唱団がドイツにもあります。その合唱団の歌声が、湘南日独協会の例会における催しにおいて会員たちの耳にとどいていました。
 今年早々、湘南日独協会がドイツ映画『菩提樹(原題:トラップ家の人々)』と『続・菩提樹(原題:アメリカでのトラップ家の人々)』を鑑賞する会をもちました。 ちょうどその頃、私は劇団四季に依頼されて『サウンド・オブ・ミュージック』の解説文を書いていました。 家族合唱団の誕生をテーマとするドイツ映画とアメリカ生まれのミュージカルは、どちらも、トラップ夫人の回想記を土台にして組み立てられています。 映画にだけアメリカ到着後の話が付け加わったということ以外、ストーリーがそっくりです。『続・菩提樹』は、一家がアメリカ入国を許された後、 経済的な苦境におちいった状況下でとぼしいチャンスを生かして評判を呼ぶと同時にアメリカ滞在の許可を得るまでを描きます。 『サウンド・オブ・ミュージック』の続編と呼んでよい内容です。
 でも、私がこの文をしたためるほんとうの動機は、映画とミュージカルの関係をお話しすることではありません。 じつは、ドイツ映画『菩提樹』の前編と後編の意外な楽しみかたがあるということについて語るためです。
 映画におけるトラップ家の合唱の声は出演者たち自身の声ではありません。レーゲンスブルク大聖堂の合唱隊が吹き替えの合唱を担当していました。




レーゲンスブルク大聖堂



 レーゲンスブルクはドイツ南部の古都であって、旧市街が世界文化遺産として登録されていて、その中心に立つのが聖ペテロ大聖堂です。 そしてこの大聖堂で歌声をひびかせてきたのが「レーゲンスブルクの大聖堂スズメたち(ドームシュパッツェン)」という名をもつ少年合唱隊です。
 レーゲンスブルクとウィーンはドナウ河で結ばれていますが、男の子たちの合唱隊においても名声をきそいあってきました。 映画の『菩提樹』と『続・菩提樹』でトラップ一家の歌声としてお聞きになったのは、じつはレーゲンスブルクのこの合唱隊の声でした。




レーゲンスブルク少年合唱隊



 ウィーン少年合唱隊が15世紀末の誕生であるのに対して、レーゲンスブルクのスズメたちの歴史は、なんと7世紀にさかのぼります。 長さにおいてウィーンをしのぐ歴史をもつことで知られるレーゲンスブルクの少年合唱団が歌ったのだと知った上で映画の中の合唱をお聞きになってみてください。 レーゲンスブルクの大聖堂に入った気になって歌声を聞けば、映画を2倍楽しめます。『続・菩提樹』の中でトラップ一家が『ウィーンの森の物語』を歌って、 ウィーン出身の大富豪夫人を涙ぐませますが、ヨハン・シュトラウスの名作を歌う声が実はレーゲンスブルクの少年たちの声であったとは、愉快です。 うがった見方をしてよければ、ヒトラー政権とナチズム台頭に苦しめられたオーストリアの家族に対する罪ほろぼしの気持ちをもったドイツの映画製作者が、 ドイツの最高水準の児童合唱隊の歌声をこの映画にあたえたのではないか、と思えてきます。音楽はしばしば私たちの常識を超える深い意味を含みます。


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