10月懇話会「日本に暮らして30年」
ダウシュ・三浦・ハンナさんに聴く


会員 上原勲



日本語で語られた三浦・ハンナ氏


 よくドイツ人と日本人は相性が良いとは聞きます。それはそれなりの根拠があると思いますが、片やヨーロッパの大国、他方は同じ大国とはいえアジアの島国ですから、初めて来日したドイツ人の目に日本人はどう映るのでしょう。この度のハンナさんのお話を大きな関心を払いつつ聞きました。
 ではハンナさんはどんな人でしょう。彼女はもの静かな感じの中に芯があり、ユーモアと楽しさをも併せ持つ素敵なご婦人です。故郷はステュットガルト市の近くです。1971年に来日、大阪の日本人家庭にホームスティしながら1年間帝塚山学院大学に通い、日本語と日本に関する基礎を学びました。次いでドイツのチュービンゲン大学で日本学を学んで後、1978年に再来日、1984年まで岩手大学人文社会学部欧米研究科の教員として働かれ、一旦ドイツに帰国、5年後に日本にあるドイツ系化学メーカーの社長秘書兼オフィスマネージャーとして勤め、次いでドイツ商工会議所東京事務所の秘書として働き、今日に至っています。日本滞在は正味30年に及びます。




上原勲氏


 最初の大阪でのホームスティ先は素晴らしい家族で、毎晩寝るまで様々な事でディスカッションしたのは楽しかったそうです。当時は日本の小、中、高校での教育の様子に関心があったそうです。「日本での教育は昔のドイツと似ていて、教科書は先生が読み上げ、生徒たちに暗記させ、考えさせる教育ではありませんでした」「岩手大学では剣道をやりました。剣道とは何かを学びたかったけれど、最初から摺り足ばかりさせられていました」
 様々なカルチャーショックを受けたようです。「最初大阪は気に入りませんでした。大阪という大都会に来て人の多さにびっくり。外出しても知り合いは居ないし、初めて心斎橋に行ったけれど何も買えず帰ってきてしまいました」「後に知り合った友人は普段は親切なのに、ラッシュアワーの電車に乗るときは一変して乱暴になりました」「駅のホームで男の人がステテコ姿でいたのにもびっくり」
 「岩手大学の先生にはお世話になりました。何でも助けてくれたが、時に監視されてるように感じました。週末に独り郊外に出かけたいと思ったが、いちいち報告しなければならないのには閉口しました」「でもその時は100%日本的な環境に居たので周囲に合わせるようにしましたけど(笑)」
 東北に住んで、日本の言葉と文化についての多様性を理解ています。「東北に来て、やはり関西のほうが良かったかなと思うことがあった」「東北の人に比べ大阪の人は遠慮なく喋るし、オープンに思えました」。言葉には苦労されたようです。「東北ではお年寄りの、特に男の人の東北弁は分からなかった」「でも東北での6年間は日本を理解するのに役立ちました。東北の景色は素晴らしかった。自然や温泉は好きで、特に露天風呂は好きでした。南部鉄など伝統工芸品にも親しみました」
 1989年からドイツ系化学メーカーの会社で勤務しましたが、「驚いたことに年休は12日しか無かったんです。社長はドイツ人でしたが、専務は日本人で、とても厳しい人でした。男社会だったせいか若い女性社員は両親と生活している人でなければならなかったんです」「でも社の雰囲気は良かった。時々社員旅行がありました。これは日本的な行事だと思います。ドイツでは仕事は仕事、それ以外はプライベートだとはっきり分けています。日本の会社は社員間の絆を重んじ、家族的です」「良いか悪いか分からないけれど、どうしても自分の国との比較で見てしまいます」「最近のドイツ人は批判的だけど、日本人の良いところは我慢強く、寛容であることです」「時にこれがマイナスになる場合があるが」とのことです。「日本と日本人は好きだけど、いつも、というわけではありません」なかなか冷静に視ておられるなと感じました。
 ハンナさんが受けられた数々のカルチャーショックは、同じく我々も外国で経験しますが、そのお陰で自分の国を客観視でき、さらに外国の人々を理解し、同化しないまでも受け容れようとする心を養うきっかけになるのではないかと思いました。


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