「Yanmar 100周年と私」
大石則忠氏講演を聴いて


会員 水谷裕一



水谷氏


 旧国鉄の大阪駅から京都方面に出てすぐ左側のビルに、東京駅・八重洲口の真正面のビルに深紅で大きな字で書かれたYANMARというロゴがひと際目だった。TVの「ヤン坊マー坊天気予報」は、よく耳にしていた。私は浪速っ子なので子供の頃から大阪の優良会社だと知っていたし、誇りのようなものを感じていた。今も、大阪の非上場の御三家、サントリー、竹中工務店と並んで当社はその一角を占めている。しかし実際、どんな会社かは知らなかった。実社会に入ってからも、門外漢には、当社に関する情報は多くはなかった。そんな中、本懇話を知って、直ちに参加を申し込んだ。この度は、当社の創立以来100年間、創業発起人の父上とご本人を合わせて全期間にわたり関わって来られた大石氏から直接お話を伺う事が出来た。
 1912年山岡発動機製作所が大阪で創業。ガスエンジン・ガス吸入エンジンの発売を開始した。その後石油発動機の販売を始め、商標を「ヤンマー」とし、後に社名も商品名と同じにした。秋の実りの象徴トンボの王様と山岡の音韻を踏んで決めたという。
 それから順次商品群を追加し、現在、舟艇及び漁船用、建設機械、農業機械、外洋船舶搭載デイーゼル発電機の4群である。舶用デイーゼルでは、日本では70%、世界では20%のシェアーを持つ。全社では、海外売り上げは総売上の40%を超えている。演者が、技術に軸足を置きながら社のグローバル化を先導してこられた成果とお見受けした。
 当社は第一次大戦、第二次大戦の影響を大きく受け、幾度かの危機に見舞われながらも勝ち残って来た。世の中、不安定で先が見えない時こそチャンスを物にしてきた歴史であると大石氏は振り返って述べた。それは誰にでもなし得るものではない、ある心を持ち続けたからである。創業者・山岡孫吉翁が石に刻んだ詞「美しき世界は感謝の心から」に凝縮されている。
 その一つの表れが、ドイツとの友好の懸け橋を築く事業である。それは、ドイツのデイーゼル家への感謝の念を持ち続けていることを起源とする。その思いの証として、デイーゼル石庭苑のAugsuburg市への寄贈、ミュンヘンのドイツ博物館への茶室寄贈、駐日ドイツ大使館、大使公邸への梵鐘寄贈、日独文化協会の設立、オイゲンデイーゼル博士ご夫妻の日本招待等々。一体どんな理由でそんなに強い感謝の念が続くのか?1932年に翁がLeipzig博覧会でMan社のデイーゼルエンジンに出会った。しかし、20馬力と大きく、日本では実用的ではない。1〜2馬力のものが必要だと直感し、即、シュルッターミュンヘン社に開発を依頼した。並行して、日本でも開発を始め、1933年12月に成功した。
 それが爆発的に普及した。翁が、デイーゼルを見た瞬間に今まで探し求めて来たものに遭遇し、これだと閃いた。それを実際に商品化した物が、後後まで、当社の発展の礎になったと信じ、感謝の念を抱き続けていたのだ。技術提携もしていなし、デイーゼルの名称も商標権の対象とはならないとデイーゼル家が明言していたので、金銭的な関係は何もなかった。この点にも翁が打たれたのではないだろうか?
 今なお本社を創業の地にとどめ、更に翁の生誕の地に企業の頭脳・中央研究所を設立し、その上ヤンマーミュージアムを建設する事にした(最近の社のHPにあった)。これらも社のルーツに感謝する心そのものである。
 「縁に感謝する心」、これはグローバル化時代にも不易だ。ヤンマーの今後の一層のご隆盛を願う。




講演会会場


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