11月例会 森涼子氏の講演会
「ライン・ロマン主義とローレライ」
へ出席して


会員 小野宏子





小野宏子氏



 「ライン・ロマン主義とローレライ」という演題に魅せられ足を運びました。私自身今まで知識として多少の事は知っているつもりでいたライン川やローレライの伝説は、長い歴史を経る中で変化し、発展していったものであったことを知り驚きました。
 ドイツにおける知識人や民衆のライン川への思いは、1800年を境に大きく変動して行きました。つまり、それまでは普通の平凡な川、交通手段としての水路という理解に過ぎなかった川が、1800年代に入ると英国のロマン主義の影響を受け、特にロマン派の代表格であった風景画家のJ・M・W・ターナー(1775年〜1851年)による「ラインの風景」などの出現で、ライン川のイメージが大きく変化して行きました。ラインの船旅に関する著述で「全くつまらない風景が広がっていて、見て好ましいものではない」が、急速に「崇高で美しく、まさに絵のようだ」と書かれるようになりました。




森涼子氏



 次に、先ずローレライと聞けば、ハインリッヒ・ハイネ(1797年〜1856年)の詞による「ローレライ」の歌ではないでしょうか。ローレライに関する伝説では、先ず「魔女」と「こだま」の登場をイメージするのが一般的だと思いますが、これらにまつわる先生の「諸説あるお話」はそれぞれ尤もらしく楽しいものでした。紙面の都合で全てをご報告できないのは残念ですが、印象に残ったのはクレメンス・ブレンターノ(1778年〜1842年)の書いた詩の内容の一部分です。

―ラインの畔バハラッハに、多くの男達の心を奪った美しい魔女が住んでいた。恋人に裏切られ、切り立った険しい岸壁を登り岩の頂きに立ってライン川を見下ろせば、川面に小舟が一艘、その舟の中に一人の男。あの男が自分の最愛の人なのかも知れないと身を乗り出し、川の流れへ墜落してしまう―




懇親会会場



 「こだま」に関しては、諸説ある中で女性の声だというのが有力な説だそうで、ハイネが伝説をもとにそのまま詩を書いたことを考えると、前述のブレンターノの詩も、ハイネの最後の一節も納得でした。

―波間に沈むる人も舟も神怪(くすし)き魔歌(まがうた)謡(うた)うローレライ―

 約一時間の講演の最後に先生の一言「実は私はまだそこに行ったことがないんです」とのご発言に、全員大爆笑。かくいう私も幾度となく愛するドイツのあちこちを訪れているのですが、瞠目すべきその岩に行ったことがないのであります。


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