会員掲示板

Back Number - これまでの寄稿など
(2020年)

これまで、ホームページに掲載した、当協会の開催イベントの様子、協会会員からの寄稿を、 ここに掲載しています

 【2020年】
  10月例会 ドイツ文学の名作の楽しみ方あれこれ(田中 信子)
   9月例会 ハイデッガーにみる『自然と人間』そして俳句(藤野 満)
  ドイツの高齢者事情その2 (統計データより)(田中 満穂)
  日独友好功労の表彰を受けた故吉田克彦顧問(大久保 明)

  湘南日独協会顧問 吉田克彦さん を偲ぶ(松野 義明)
  私の引き籠り生活(松野 義明)
  コロナ時代のアムゼル(辻川 一徳)
  ドイツの老人ホーム及び年金事情(田中 満穂)
  西洋音楽における原語訳の重要性と演奏について(高橋 愉紀)
  ドイツ文学を原語で楽しむ(読書会)の近況(大久保 明)
  音の文化 T音無しくしゃみ(松野 義明)
  フランクフルトの“ハチ公”(大久保 明)

  新型コロナヴィールス問題に想うこと(松野 義明)
  男はつらいよ! 寅次郎 in Bonn(大久保 明)

  西鎌倉山親寿会のお手伝いをさせて頂いて(松野 義明)
  西鎌倉山親寿会主催 「ドイツロマンと文化の会」を1年間開催(池田 隆明)
  湘南日独協会に心より感謝(佐々木 俊文)
  1月例会 講演会「戦前日独の競合と協調の歴史」(望月 恭一)
  イナ・レーペル ドイツ大使歓迎懇親会に出席して(勝亦 正安)
  かまくら国際交流フェスティバルへ参加(鬼久保 洋治)
  2019年 望年会(中嶋 照夫)

過去の情報は、
  2019年の情報2018年の情報2017〜2018年3月の寄稿以前のイベント情報
からご覧頂けます


10月例会
  ドイツ文学の名作の楽しみ方あれこれ

会員 田中 信子


剣岳山頂の筆者

7月に予定されていた講演会はコロナ禍のもと延期され10月25日(日)にようやく開催された。

講師、高橋忠夫様は群馬県前橋市在住、サンデン株式会社に35年勤務され、 ダラス、シドニー、ニューデリー、シンガポール、ジャカルタと海外勤務通算25年され、 柔道、マラソン、クラシック音楽鑑賞、将棋、読書、自転車、一人旅(オペラ、美術館巡りなど)と 多方面にわたるご趣味をお持ちの方です。

ドイツ語に出会われたのは55歳の時、シドニーでの「市民大学講座」。 画家で、翻訳家、語学堪能の先生やスイス人との出会いを通して、授業は勿論、 それ以外の時も濃密に接し、政治・経済・環境問題・芸術文化・教育・家族問題と多岐にわたって対話された。 Thomas Mannを愛した先生の影響で、老後の趣味としてMannの作品をドイツ語で読み始められた。

Thomas Mann(1875-1955‥明治8年-昭和30年)の代表作3冊の紹介

『Buddenbrooks』-- Lübeckの豪商の4代にわたる変遷と滅亡の大長編歴史物語。 1848年の欧州革命が生き生きと描写され、ワーグナーの愛と死、饒舌なトーニとクリスチャン、 寡黙なトーマスの妻ゲルダ等、卓越した鋭い人間観察力で作品に彩を添えている。 一人旅を楽しむ高橋様は舞台となったLübeckを3度訪れ、 いつもJugendherbergeに泊り、早朝の街、運河の美しさ、旧市街の散歩等を満喫された。

『Der Zauberberg』-- イロニー、ユーモア、無知からくる言い間違い、グリム童話などが満載されている。 この作品も時の流れ、死がテーマとなっている。

『Der Tod in Venedig』-- 少年の美と死がテーマ。難解な文体。 ゴンドラを棺桶として表現、ベニスがコレラもあり死にゆく街として描かれている。

Mannの規則正しい生活をする人となり、文豪の子供達の苦悩、三島由紀夫の華麗な文体との共通点なども話された。

Stefan Zweig(1881-1942‥明治14年-昭和17年)の作品紹介

『人類の星の時間』-- 世界の歴史的事件の裏側に隠された運命に翻弄される人々のエピソード短編集。 司馬遼太郎の作風に似ていて大変面白いの一言に尽きる。

『Balzac』--第一次大戦後のBalzacについて書かれたもので、人物が立体的に描写されて、 大作であるがとにかく面白い。

『昨日の世界』-- 遺作。 19世紀から20世紀前半のウィーンを中心に、政治・経済・社会・芸術・音楽・文学・美術・ 崩壊していくハプスブルク帝国とヒトラーを臨場感豊かに描いている。 世界が目まぐるしく悪化していくのが耐えられなかったのであろう、本の最後に遺書を書いている。

高橋様は難解な文体のThomas MannやStefan Zweigの原書を読む時は、日本語のものを読んだり、映画DVDを見たり、 CDを聞いたりし、あらゆる手段を講じて、あくなき探求心のもとドイツ文学に情熱をかけて読んでいらっしゃる。

又、前橋のご自宅からご両親が住んでいらした渋川の家まで毎日、利根川自転車道を往復30キロ、 IC Recorderでドイツ語朗読本を聞きながら自転車で通われ、読書三昧の日々を過ごされている。 身体的訓練とder Wissensdrangを併せ持たれ、理想的な老後の生き方を実践されていらっしゃる。

私は70歳を過ぎてからドイツ語と山登りを始めたが、高橋様のドイツ文学に挑戦する姿勢に大変感銘を受けました。


講演するの高橋氏


9月例会
  「ハイデッガーにみる『自然と人間』そして俳句」
         の講演に出席して

会員 藤野 満

去る9月27日にコロナ禍で休止していた例会に久々に出席、会員の下條氏の熱の入った講演を拝聴させていただき、 ハイデッガーに改めて触れ、「存在」について考えさせられました。

今年の11月25日は三島由紀夫(私の親族が学習院で級友、 妹が仮面の告白のモデル)が防衛省の陸軍市ヶ谷駐屯地に立てこもり、 割腹自殺をしてちょうど50年となります。彼は孤独感から自身の存在が分からなくなり、身体を鍛え、 人生の解を求めようとしたものの得られず、盾の会のメンバー一人と共に総監室で自決をしました。 自身の“存在(Sein)”を見つけるのが哲学かもしれませんが、 下條氏が今回ハイデッガーの著書「存在と時間(Sein und Zeit)」に着目したのはハイデッガーは 「ことば」も一つの存在の宿であると考えていることです。

下條氏は15年余二つの俳句の句会の指導をされ、俳句にこそ、 短いことばのなかに深い存在があることを発見しました。 ことばは本来人と人との間で意思を伝える手段であり、ことばは行動を支えます。 そのことばを道具でなく存在として捉えることは、ことばを意思そのものの表れとして認識するものです。

三島文学は壮麗な文体で読者を魅了しました。彼は作家としてことばの力を早くから認め、彼なりの存在を示しましたが、 彼自身の存在については最後まで空虚なままでした。

下條氏は俳句のなかには意思のみならず、事実そのものまで存在するとみました。 ドイツは音楽と哲学の文化で成り立っているといわれます。 下條氏はドイツのみならず、俳句のような日本古来の文化にも哲学は存在すると。 江戸末期に活躍した松尾芭蕉は自然を詠った俳人をして有名ですが、 「私意を捨て、自然と一体になる自分を見出すことで、物の機微に隠れているまことが自ずと立ち顕れる」と述べています。

また芭蕉は奥の細道で「月日は百代の過客にして往きかふ年もまた旅人なり」と、 変わる時間を流行、変わらないものをまこととして不易流行、無常観を伝えているとか。

芭蕉のみならず、小林一茶、高浜虚子、与謝蕪村、そして正岡子規も写生句の中に無常を表す句を発表しています。 歴史や史学に関係した俳句、境涯や社会探求を詠んだ俳句、そして死を覚悟した俳句など、いくつも例をあげておられました。

また最後にミュンヘン独日協会の元会長故ギュンター・クリング氏が読んだドイツ語の句もご紹介されました。

締め括りに平成上皇が退位されたときのことばを挙げ、 全身全霊で務めてこられた全身とは身体の存在であり、 全霊とは理性の働きである本質存在として現存在の開蔵が象徴天皇の姿であると。

自分の感想として、日本では哲学は衰退の傾向にあり、嘆かわしいと伝わざるを得ません。 ドイツでは哲学は文学の一部ではなく、独立した学問として学ばれ、 昔のドイツの大学では哲学部の下に科学や医学などが入っていたほど。 今でも科学理論と宗教と哲学が同じ学部に入っているミュンヘン大学などの例があります。

また存在としてのことばは簡単に存在を示すことができるため、真実のみならず、 虚偽のことばも存在します。政治思想家のマキアベリは君主論において、 君主は立場を守るため嘘も認められるような記述があります。 嘘八百という言葉がありますが、アメリカのトランプ大統領は 在職中8千回も嘘をついたと書いた米国の有力紙がありました。 ことばも存在としての位置付けがあるということが認識されれば、 政治家も慎重な発言をしてこそ、真の政治家として認められると自覚をするのではと思わざるを得ません。


筆者 藤野 満氏


講師の下條 泰生氏


ドイツの高齢者事情その2
(統計データより)

田中 満穂

前回、9月13日の寄稿ではStatistisches Bundesamt Wiesbaden2011年6月に発行された統計データより内容をご紹介しましたが、 2016年6月に発行された新しい統計資料が見つかったので、 今回はその内容から面白そうなテーマの統計資料をいくつかご紹介します。 ドイツ語を理解される読者も多いと思いますので、今回、元のグラフは敢えてそのまま表示しています。

一部前回とテーマがダブるかもしれませんがより新しい資料ということで敢えてご紹介します。
まず、ドイツの年齢グループ別人口構成です。

(2014年)


(出典:統計Dashboard)

日本の年齢別人口構成(2015年)と比べて近いとも言えますが、日本の場合、60代が非常に多い(ベビーブーマー世代)のが特徴といえます。

次に、ドイツ高齢者の生活資金源はどうなっているのかが次のデータです。 データは65歳以上の2014年時点での主たる収入源をパーセンテージで示したものです。ドイツでは2012年以来、 年金支給開始年齢が67歳となるまで徐々に高められており、2014年の統計集計当時はその途中となっていました。

61%でもっとも多いのが年金又は財産、次に35%で自分の仕事から、3%が親族からの収入、1%以下が失業保険・社会保障など。

その額が上のデータです。やはり2014年当時、65歳以上の男性・女性別の収入額別パーセンテージを示しています。

上のグラフがペアで暮らしている男性・女性、下のグラフが一人暮らしの男性・女性です。 男性・女性ともに金額グループは色の薄い順から;900€以下、900〜1300€、1300〜2000€、2000€以上のグループです。 男性の場合は比較的均等に分散していますが、一人暮らしの女性の場合、2000€以上は男性と比べ少数になっています。

次に2014年時点での65歳以上の高齢者入院患者の罹患状況を人数で示したものです。 単位は1000人。男性の場合、多い順から1)循環器系の疾患、2)ガン、3)消化器系疾患、 4)怪我、中毒など外部的要因による疾患、5)筋肉、骨、関節系の疾患。 女性の場合、多い順から1)循環器系、2)怪我、中毒など外部的要因による疾患、 3)筋肉、骨、関節系の疾患、4)ガン。女性の場合、ガン患者の順位が一番下になることが興味深いですね。

介護の状況はどうなっているでしょうか?(上のグラフ)2013年のデータです。 トータル母数260万人のうち、1)47%が家族による家庭内介護、2) 29%施設内での介護 、3) 24%が外部の介護サービスを家庭内で受ける、となっています。

上のグラフは65歳以上、 5歳ごと年齢がアップしていく枠組みでパートナーの存在がどう変わっていくかのグラフです。 データは2014年時。単位はパーセントです。青が男性、赤が女性。 薄色から濃い色になる4カテゴリーで、1)パートナーを先に亡くした、 2)離婚、3)二人暮らし、4)独身となっています。 女性の方が長生きしますので、女性の場合、パートナーがいるペアが加齢とともに圧倒的に低くなります。

今度は65歳以上の高齢者の生涯学習意欲です。 上のグラフは2004/05年から2014/15年までの65歳以上の高齢者の大学機関での聴講生の数の推移を示したものです。 (単位1000人)徐々にその数が増えています。

さて、最後のデータは65歳以上高齢者のインターネット利用率です。 2011年から2015年までの推移を表しています。 比較対象は16〜24歳までの若い世代との比較です。 2011年には35%だった高齢者のインターネット使用率が2015年には48.6%まで上昇しています。 高齢者の新しいことへの挑戦の表れと見ても良いのではないでしょうか。 因みにドイツの高齢者のネット使用率のEU域内順位は7位となっています。 ここでも欧州の南北問題は顕著なようです。(おわり)


日独友好功労の表彰を受けた故吉田克彦顧問

大久保 明





2011年には日独修好150周年の記念行事があり、吉田克彦さんはシュテンツェル大使より表彰を受けました。 同じ時に合唱団アムゼルは合唱を披露いたしました。


湘南日独協会顧問 吉田克彦さん を偲ぶ

湘南日独協会会長 松野 義明

9月23日、湘南の地をこよなく愛し、この地のため、 この地に住む人々のために多大の貢献をなされた江ノ電沿線新聞社の会長であり、 湘南日独協会の顧問でもある吉田克彦さんがロマンに満ちた生涯を閉じられた。 心からご冥福をお祈りする。

今から20年以上前のこと、定年退職直後の私が何かの用事で当時の江ノ電沿線新聞社社長の吉田さんを 事務所にお訪ねしたことがある。初対面のお話しの折、間もなくこの地域に湘南日独協会ができるので、 協力してほしいとのお話を頂いた。私の留学先も、 初めての就職先もドイツ語圏(オーストリアのヴィーン)であったし、 私の生涯の仕事の高速増殖炉開発研究の分野でも、ドイツは共同研究の相手国で、 私にとっては大変馴染み深い国であったので、二つ返事で仲間に入れて頂いた。

数日後、吉田さんから電話があった。 「松野さん、ドイツ語できますか?」との御下問である。 「私は新制高校で3年間、大学の最初の2年間にドイツ語を取っていたし、 その後ドイツ語圏に5年ほど住んでいたので、普通の生活をする程度ならできます。」 とお答えしたら、じゃあ、新しく発足する湘南日独協会の中にドイツ語講座を作りたいので、 松野さん、ドイツ語の講師になってくださいとのお言葉。 すでに受講希望者が何人かおられるので、カトリック教会の中に部屋を 毎週土曜日に予約してあります。 早速開講してくださいとのこと。 私はヴィーンで学生生活に一区切りをつけ、初めて原子力研究所に就職したころ、 ヴィーン大学で週1回夕方の2時間だけアルバイトで日本語を教えた経験はあったが、 ドイツ語を教えた経験は皆無だった。したがって、大いに慌てたが、とにかく、 初等文法から始めた。最初は10人前後の受講者の方がおられたが、その後数年のうちに、 語学専門の先生方の多大なご協力もあり、どんどん充実してきて、今日に至っている次第である。

しかし、今考えてみると、吉田さんが本当に望んでおられたのは、 単なる語学の勉強ではなく、 その先に期待される受講者の方々の知的好奇心の拡大と深化であったような気がするのである。 人の心の中に旺盛な知的好奇心を醸成し、 それをそれぞれの人が自己努力により一つ一つ満たしていく手立てを提供したいと 常々考えておられたのである。その一つがドイツ語講座であったのだ。 知的好奇心に満足感を与えることが、どんなに人を幸せにするかを、 よく知っておられた方なのである。 その精神が具体的な形となって現れているのが「湘南アカデミア」の活動であり、 眼に見える形として結晶化したのが御著書の「湘南賛歌」 (初版2006年9月17日:江ノ電沿線新聞社発行)であるように思えてならない。 些事に拘泥しない淡々とした表情の奥に隠された吉田さんの底の深いロマンを心に留めながら 今後の湘南日独協会の活動に生かしていきたいものである。


吉田顧問を偲ぶ会開催

11月29日午後、故人の長女である江ノ電沿線新聞社松川社長をお迎えし、 湘南アカデミアで開催されました。織田正雄名誉会長、三谷喜朗、大石則忠、西山忠壬各顧問、 松野会長他の現役員、一般会員など約30名が出席故人を偲びました。 療養中の西澤英男監事は手紙を寄せられ、松野会長が代読されました。

湘南のロマン溢れる文化人として、湘南日独協会設立のみならず、 歴史、文学や音楽に係る各種団体の設立運営に多大な功績を残された個人を偲び、 故人を恩人と慕う、会員の高橋愉紀さん(ピアノスト)が、 バッハ作曲のゴールドベルク協奏曲から「アリア」と「第9番変奏曲」を会場備え付けの 電子ピアノで演奏、故人に捧げました。(大久保)


私の引き籠り生活

湘南日独協会会長 松野 義明

湘南日独協会の事業の一つとして、昨年半ばごろから「ドイツ文学を原語で楽しむ読書会」 を始めようという話が持ち上がり、色々準備してまいりましたが、参加者の皆様のご協力のお陰で、 予定通り昨年10月にスタートできる運びとなりました。月2回のペースで、Hermann Hesseの“Demian”を、 今年の2月までは順調に読み進めてきたのですが、 このころから新型コロナヴィールスの感染者数増加傾向が顕著となり、緊急事態宣言も発令されなしたので、 開店休業状態に入りました。

此処までお読みになった方は、「気の毒に、読書会ってなんて運が悪いのだろう…」とお考えかもしれません。 私も、実は、「折角、始めたのに、なんて運が悪いのだろう、幸先がよくないなあ!Demianを早く終わって、 次の本に進めたらいいのになあ!」と嘆いおりました。 しかし、毎日、外出自粛を強いられ、自室での引き籠り状態に徐々に慣れてくると、ふと、 自分の今までの読書態度について深く反省しなければならないことに気が付きました。

典型的な日本人である私は、現役時代から、自分の忙しさ(せかせかとした生活)に 幸福感と満足感を感ずるばかりではなく、時々、 「お忙しくて結構ですね!」などと言って他人の忙しさまで祝福する始末でした。 すると、その他人は「ありがとうございます、おかげさまで、忙しくしております…。」などと、 お礼と感謝の言葉まで返してくれます。

そういうせかせか人間の私は、一冊の本を読み始めると、一刻も早くその本を読み終えて、 次の本に進みたいという強迫観念に捕らわれます。 特に、外国語の本や、日本語の本でも、上・中・下構成の長編作品など、時間のかかるものを読み始めると、 特にその傾向が強く現れます。

そうすると、中身を吟味し、深く味わうことは二の次で、いち早く読み終えることを最優先に考えてしまうという、 いつもの私の最悪の読書パターンに陥るのです。 さらに悪いことに、このようにして読んだことを(ちゃんと読んでもいないのに)、 あれも読んだ、これも読んだ…という私の一人よがりの自己満足に浸るという最悪の事態に陥るのです。

この悪癖から私を救いだしたのは、ほかならぬコロナ禍による引き籠り生活でした。 引き籠りが始まって、毎日潤沢に時間があるというのに、Demianを、例によって、 せかせかと読んでいました。しかし、潤沢に時間があるという安心感からか、次第に、 登場人物の心の動きが見えてきて、その心の動きと同じテンポで、 一つ一つの言葉の意味を深く味えるようになり、今までよく見えなかった世界が、 おぼろげながら、見えるようになってきたのです。知らず知らずのうちに引き込まれ、 特に最終章などは、あまり速く読むとすぐに終わってしまうので、 それが悲しくて、勿体なくて、わざとゆっくり、読み進めるようになってきたのです。 それは美しい宝石を掌に載せて、コロコロと転がしながら、 あらゆる角度から味わい尽くすような感じでした。この傾向は、他の本を読むときにも広がり、 ゆっくり時間をかけて深く味わいながら楽しむことができるようになりました。

もしコロナ問題が起こらず、今まで通りの生活パターンであったならば、 私はおそらく、今までと同じように、せかせかとDemianを読み進め、読み終わる前から、 次は何を読もうかと、忙しく頭を捻っていたことでしょう。

COVID-19のパンデミックは、全世界の人類に健康上の恐怖ばかりか、 経済活動にも深刻な悪影響をもたらしています。 しかも、この状態はかなり長期化する可能性もあります。それに伴って、我々人間が、 今まで慣れ親しんできた生活のパターンを変更せざるを得ないことも多々あるでしょう。 その変更の結果、今までの生活パターンが乱れて、不便を感じたり、 イライラを感じたりする一方、生活パターンが今までより合理的になったというプラスの面も たくさんあると思います。このプラスの面をじっくりと見つめ直して、 内的な精神生活を豊かにしていくとともに、今までとは異質な新しい幸福観を自分のために開発していこうという意欲を感ずると、 胸がワクワクするではありませんか。

お前は超後期高齢者だから、そんなに能天気な戯言をほざいていられるんだ! という声がどこからか聞こえてくるような気がしますが、 それでも、毎朝、起きた時に感ずるワクワク感はどうすることもできません。

湘南日独協会といたしましては、今年度後半も、ドイツ語講座の運営を始め、 各種講演会の実施、混声合唱団の活動、など、コロナ禍との合理的かつ安全な共存を目指して、 工夫してまいる所存であります。会員各位の積極的なご指導、ご鞭撻を期待しております。


コロナ時代のアムゼル

合唱団アムゼル 代表 辻川 一徳

新型コロナウィルス感染拡大期に入ってからの合唱団アムゼルの活動についてご報告いたします。 といっても、合唱はまさに三密そのものになってしまうので、3月以降はずっと練習休止の状態が続いています。

アムゼルは2021年春に18周年記念コンサートを開くことにしていましたが、 これは早々に中止を決めました。役員間で連絡を取り合い、とりあえず始めたのが、 音どり練習のためのCD制作と、オンラインによる役員会の試みでした。

CD制作は、コンサートに予定した全曲の各パートの音をピアノ伴奏の内海祥子先生に弾いていただき、 そのあとに団員の志賀リンデさんが朗読した歌詞を入れて、 みんなが自習できるものを作りました。 これらの音を編集しCDにしてコピーを各パート毎に配布するという面倒な作業を、 団員の田中幹夫さんが引き受けてくださいました。4月早々に全員に送られ、有効活用されています。

一方オンライン会議のほうは、田中幹夫さんのイニシアティブで4月から定期的にZoomによる運営委員会を開き、 さらに6月からは参加の対象を広げて、参加できる人には誰でも参加してもらおうと 「おしゃべりミーティング」を実施しています。梶井・内海両先生も必ず参加してくださり、 和気あいあいと話し合っています。いちばん多いときには19名の参加を見ました。 今後さらに多くのメンバーが加わることを期待しています。

練習の再開は、感染拡大の第2波が来ている今は、とてもできない状態です。 まず、練習会場の藤沢カトリック教会が使わせてもらえません。 われわれは目安にしている藤沢市の公民館の使用規定は「大声での発声や歌唱」は、 してはいけないことになっています。一方、横浜市栄区などでは基準がもう少しゆるいようで、 こういう施設を利用して早く練習を始めようと提案する積極的なメンバーもいました。 しかし団員の多くは「まだ練習に集まるのはこわい」と慎重な姿勢で、 今後も定期的にオンラインミーティングを開き、事態の推移を見ながら行動を決めていくことにしています。

オンラインミーティングの際に「オンライン練習」も試みましたが、これはとても無理とわかりました。 タイムラグが出るので、梶井先生の指揮を見て歌っているつもりでも、各人が勝手にそれぞれのテンポで歌っている結果になってしまいます。

アムゼルが出演を予定していた舞台ですが、7月末の予定だった「ふじさわ合唱祭」は、 いちおう来年2月に延期と決まり、さらに実施できるかどうか、10月ごろ結論が出ることになっています。 そして湘南日独協会の「オクトーバーフェスト」も今年は中止。いまは目標も立てられない状況です。

ただ、来年10月に開かれる「ゾーリンゲン国際合唱フェスティバル」に参加するかどうかは、 まだ最終的結論を出していません。昨年アムゼルに招待が来たのですが、あいにくわれわれは高齢合唱団。 アンケートを取ったところ、「行きたい、参加できる」という人より「私は無理」という人のほうが多く、 さてどうしようか、3月に臨時総会を開いて話し合うつもりだったところ、コロナ時代に突入してしまったわけです。 来年春ごろまでにワクチン開発され普及するという奇跡的なことが起こらない限り、 参加はとうてい無理とは思うのですが、暗いトンネルの遥か彼方の希望の光として夢を持ち、 諦めるのはもう少し先にしたいと思っています。


2018年 演奏会


2019年 オクトーバーフェスト


2019年 オクトーバーフェスト


ドイツの老人ホーム及び年金事情

田中 満穂

博学の読者の皆様方に今回ドイツの何をお伝えしたら良いのか、 何をお伝えできるのかは甚だ不安ではありますが、日頃、 ネットサーフィングをしながら楽しんでいるドイツ、あるいは欧州の事情を今回お伝えしたいと思います。

今日は、皆様がひごろ気になっているかもしれないテーマ、ドイツの老人ホーム事情です。 まずはドイツのウィキペディアから老人ホーム(ドイツ語の一般的、上部概念として”Altenheim“と言うようです)の説明をご紹介します。

以下、ウィキペディアからの引用:
老人ホームはドイツでは、AltenheimまたはAltersheim、Feierabendheim、Feierabendhaus、Seniorenheim、 Seniorenresidenzなどと呼ばれている。一般的には、老人が付き添い、 介護などを受け取ることができる住まいと理解され、Altenheimという単語は最近では「介護ホーム、Pflegeheim」 と同義の単語として使われるようになっている。

より専門的には、Altenheimは次の3つのカテゴリーの中間に位置する定着式(移動することのない)老人介護施設となる:
1)Altenwohnheim 住むことに重点が置かれた設備。
  その他の機能は限られた範囲での提供となっている。
2)Altenheim この施設では、狭い範囲での介護の必要性が存在し、
  自分自身で決めることができる生活が主体となっている。
  部屋の掃除や片付けのサービス、食事の提供は常に要求されている。住人が家事を行うことはない。
3)Altenpflegeheim 全面的に、特に介護を必要とする人の常備的介護が24時間この施設では
  存在している。

別の名称で日常的に使われる“Altersheim“(sが付いている)は、専門用語としては通常使用が回避されている。 理由は、老人“die Alten“(Alters-は単に「年齢の」という意味)のために運営されているホームだからである。 今日的にはAltenheimは、介護が提供されるホームと受け止められているが、 専門家の間の理解では、それだけに止まらず、最近のホームでは、住民の日常の正常化と生活への参加に重点が置かれるようになっている。

ドイツでは上記3種類のホームのうちAltenpflegeheimが最も普及している。 その数は2003∼2005年の間に7%増え10,424箇所に、2015年には全体で13,596箇所に増えている。 この施設に関する適用法はSGB XI(介護保証法)とSGB XII(社会福祉法)となっている。

因みに、日本の老人介護施設はどのくらいあるかというと、 有料老人ホーム(介護付き有料老人ホーム+住宅型有料老人ホーム+健康型有料老人ホームを合わせた) が13,525箇所、認知症の方を対象とするグループホーム12,124箇所、 特別養護老人ホーム7,891箇所となっています。
(2019年6月25日時点、出典「平成29年社会福祉施設等調査の概況」、「平成27年度介護報酬改定に向けて」、 「サービス付き高齢者向け住宅の登録状況」)


老人ホームの種類別施設数



プラウアムゼーのヴィルデハウス(Wilde-Haus in Plau am See)

ドイツにおける経営母体別に見ると、その分布は以下の通り。

国営:
非営利組織:
財団組織:
小規模民間組織:
大規模民間組織:
約10%
約30∼60%
約1∼5%
約15%
15%以下

ではドイツの老人人口比率は他のヨーロッパ諸国と比べどうなっているかというと、 ちょっとデータは古いですが(2010年)以下の統計データがあります。 (以下、ドイツ連邦統計局2011年のデータより)65歳以上のドイツの人口構成比はなんと、 欧州諸国でもトップです。(1位ドイツ20.7%、2位イタリア20.2%、3位ギリシャ18.9%)

ドイツ国内の65歳以上の人たちで、一人で生活している割合、 ペアで生活している割合、それ以外の割合は下記の通り。一人で生活している人々が34%、 ペアで一緒に暮らしている人々が57%、それ以外の形態で暮らしている人達が9%。(下の赤グラフ)


   一人暮らし    ペアで暮らす     その他の暮らし   

次に、気になる年金の支払額です。

やはりデータはちょっと古い2009年データですが、これには、新しくドイツに加わった旧東ドイツの 男性・女性の方が旧西ドイツ市民より多く受給しているという事実があるようです。 旧東ドイツ市民男性で月額平均1,069€、同じく旧東ドイツ市民女性で702€、それに対し旧西ドイツ男性、 女性がそれぞれ702€、487€となっています。この差は、 旧東ドイツでの女性の就業率が当時の西ドイツ女性に比べ遥かに高かったことが指摘されています。

参考に日本における年金受給額のデータをアタッチしておきます。

最後のグラフ(下)は各国の購買力の違いを考慮に入れたドイツの老人の収入を100とした場合の欧州各国の65歳以上の比較です。 (2008年度比較、ただし、計算ベースは不明)
こうして見ると、ドイツにおける65歳以上の高齢者の状況が少し垣間見えますね。以外にもフランスがドイツよりも上に来ているのは興味深い点です。
(1位ルクセンブルク168、2位オーストリア107、3位フランス107、4位オランダ106、5位ドイツ100、6位スウェーデン98)

次回は、出来たらもう少し広範にドイツ及び欧州の高齢者の生活の実情をこのレポートから見ていきたいと思います。
(上記内容はStatistisches Bundesamtm Wiesbadenより、2011年6月に発表された資料“Aletere Menschen in Deutschland und der EU“から抜粋しています)


西洋音楽における原語訳の
    重要性と演奏について

高橋 愉紀

Einleitung (導入)
現在松野先生の“言語で読むヘルマンヘッセの世界”を、楽しく受講している。 最近ドイツ語の動詞の単語ziehenで、この動詞は機能動詞としても使われている、 というようなことを、クラスで発表させてもらった。 その際に、機能動詞 Funktions-verbの定義を独和辞典で調べていたら、 機能動詞は“本来の動詞の意味をほとんど失い、状態変化、他動、受動、 開始などを表すものである”と書いてあったのだ。いや、そんなはずがない! 動詞の意味を失っていたら、そういう使い方はしないはずだ、この定義には大いに疑問を抱いた。

その辞書は日本でも有名は出版社の物であり、編集をなさった方はドイツ人の意見も取り入れて、 辞書を制作されたと思われる。なのになぜ人々に誤解をまねくような定義を、 のせてしまったのであろうか? ここから先は私の勝手な推理ではあるが、 このような定義の方が、たぶん日本人にはわかりやすいという、ある意味、 今はやりの忖度の考えが浮かんだのではないであろうか?と思うのである。実はこのようなことが、クラシック音楽でも起きているのだ。

Die Ubersetzung (訳)
1)Der Takt (拍子)
最初に西洋音楽が日本にはいってきて、音楽教本を作ろうとなったときに、 音楽の大事な要素である、拍子について、間違った訳を載せてしまった人に、 実は、私は声を大にして、責任をどうしてくれる!と詰め寄りたい思いをもっているのである。 小学校の音楽の教科書には、おそらく今でも書いてあろう拍子の定義。音楽の大事な要素で、 3拍子、4拍子や6拍子などがあり、例えば3拍子とは、一拍目が強、2と3拍目が弱、 つまり、強、弱、弱ですよと、4拍子とは、強、弱、中強、弱と弾くようにと書いてある。 教科書どころか、楽典の本大学の教本などにもこの定義が書かれている。 実はこれは間違いなのである。ウィーンに留学して、当時のアカデミ―国立音大で、 世界的に有名なバドラ―スコダ氏のクラスで勉強を始めた私は、 スコダ氏がレッスン中に、3拍子は、1拍目が重く、2,3拍目が軽いのですよ、 つまりschwer, leicht,leicht!(重い、軽い、軽い)と、何度も言っているのに気が付いたのである。 彼は決して、stark,schwach,schwach (強い、弱い、弱い)とは言っていないのである! これは1拍目を他の拍の音と、区別をつけるという点だけは同じであるが、単に強く弾くのと、重く弾くのでは、根本的に意味が違う。

つまり強く弾いて、次は弱くしましょうでは、拍子はどこまでいっても、平面上の上を走っているが、 1拍目を重く、次は軽くなって、というイメージで拍子をとらえると、拍子感は立体的になり、 スイングしながら、先に進んでいくのである。音楽とは、何もないところから、一定のリズムとテンポでもって、 人間が心地よいと感じられる音楽的空間を作ることである。拍子感をどうとらえるかで、音楽の全体像はえらく変わってしまうのである。

2)spielerisch(軽やかに、遊び半分で)
今から15年ほど前に、私立大学のウィーン市立大学の教授と、2台ピアノのコンサートを、 日本各地で行ったことがあった。その際、コンサートの次の日に行われた、 彼の公開レッスンの通訳を務めていて、特に気になった言葉があった。それはspielerisch(形容詞)である。
この言葉は、ウィーンの教授方はよく使う。“もっとspielerisch に弾きなさい!“と、 盛んにレッスンで言うのである。この言葉は弾くという言葉spielenからきている。すでに今ピアノをspielen しているのに、さらにspielerischに弾けとはどういうことか? 辞書には、遊び半分の、とか、軽やかな、という意味が書かれているが、 実際にピアノのレッスンなどで言われている意味は微妙に異なり、 この辺の通訳はかなり難しい。私は日本人なので、レッスンを受けている学生が、 この言葉の意味をそのまま通訳しても、全く理解していないという事がわかるので、 色々とたとえをあげて、説明していたが、ついに教授の方にむかって、 ”この言葉は日本に存在しないので、他の言い方をしてください“と頼んだ。今度は教授のほうが、ふーむ!と考え込んでしまったのだが。 言葉というのは、その言葉が発生した国の人々の考え方を、ものすごく反映しているのである。だから前提条件  Voraussetzungが違うと、そこからイメージすることは、どんどん離れて行ってしまうのだ。

西洋音楽における、言葉の占める重要さは、とてつもなく大きい。ベートーヴェンも、楽譜に書き込む言葉には、相当気を使ったようである。 同じ意味の言葉でも、どうやったら、自分の音楽を理解してもらえるかと、 必死で考えたに違いない。とにかく、彼の生きた時代は、何もない時代である。楽譜に書き込む事以外に、 自分の音楽を、自分の主張を後世の人に、残す手段はなかったのだ。

3)Der Humor
さてユーモアについてである。日本人ほどこの言葉がピンとこない、 民族も他にないのではないかと思うほど、日本人はユーモアに対して理解がない。 理解どころか、大事な場面でちょっとユーモアでも言おうものなら、”この場に及んで不謹慎である“という、 レッテルをつけられるのである。なぜなのだろうか?この疑問は私の中で、昔からあったのである。 つまりユーモアや冗談は、日本では、普段日常生活では、出してはならないのであろうか?と。 それに対して、海外では、アメリカもヨーロッパでも、人々はジョークを好む。 中には政治的なジョークもあり、素直に笑えないものも沢山あるのだが。 昔ピアノのマイスターコースに何度か参加した。そして終了コンサートのあとの、 教授を囲んでの打ち上げパーティーの時に、必ず出てくるのが、このジョーク大会である。 皆がわあっと笑う中で、大体笑わないのが、日本人、韓国人などの東洋人と、 たまにドイツ人も笑わなかった。それは言葉の理解というよりは、そのジョークのおかしさがわからないのである。 “それがどうしておかしいの?”何度か友人に訪ねた事があった。 友人は色々と説明してくれるうちに、”えー?日本人はそうは思わないの?“という事になり、 そこから政治的、歴史的な話に発展したこともあり、 ”ずいぶん考え方が違うのね”という友人の感想でもって、そのジョークの解説は終わったのだ。 ジョークがおかしくなければ、ユーモアを理解するのも、 難しくなる。しかし、西洋音楽では、作曲家達が楽譜に、 ここはユーモアをもって演奏してと書き込んでいるのである。さあ、困った!と頭をかかえているのは、大体日本人! ユーモアの意味を完全に理解しようという頭を抱えている姿―これこそユーモアではないかと思ったことがあった。 大事な場面に遭遇するとヨーロッパの人たちは、冗談の1つや2つを言って笑い飛ばし、 局面を乗り越えていこうとする。冗談やユーモアを言える人間は、ヨーロッパでは、 人としての成熟度があると評価されることが多いのだ。洗練された、上品な冗談を、適切な時と場合に、 さらっといえるような人間には、心底あこがれてしまうし、またそれを受け止めてくれる人間社会に、日本もなってほしいと思っている。

筆者略歴:桐朋学園音楽大学卒業、ウイーン国立音楽大学へ留学、 その後ドイツ、オーストリアを中心に演奏活動をすると同時に、ウイーン音楽・芸術私立大学で非常勤講師、 日本での演奏会も毎年開催、2017年2月、37年振りに日本へ帰国


著者の「素顔のウイーン」2004年刊から


当時の ウイーン音楽・芸術私立大学


ドイツ文学を原語で楽しむ(読書会)の近況

湘南日独協会会長の松野義明氏を中心に、ヘルマン・ヘッセのDemian(デミアン)を取り上げて、 昨年10月1日に開始しました。今年に入り新型コロナ感染拡大の為、一時休んでおりましたが、 7月から藤沢ミナパークで再開しています。メンバーは、18名、中のお一人、 鎌倉浄明寺にお住いの100歳を越える、 藤田操さんは自宅からJR鎌倉駅までバイク、電車を乗り継ぎ藤沢へ、足取りも軽く、欠席されることなく、 ドイツ語を楽しむことが若くおられる秘訣の様です。

今回取り上げているDemianのドイツ語の朗読の音源を松野様の奥様のウルム在住のご友人、 ギゼラ・フライさんから送られてきましたので、参加者全員で礼状を送りました。 それに対しギゼラさんから写真のような礼状がお手製の栞(ゲーテの詩) と一緒に送られ来ましたのでご紹介したいと思います。 この読書会へは途中参加も可能ですので、参加希望の方は下記までご連絡下さい。 また、湘南日独協会のドイツ語講座の秋冬期には「講読」(松野講師)が開かれますので、 ご感心のある方は下記までご連絡下さい。




お手製の栞

ギゼラさんから届いた絵ハガキ
(ヘッセゆかりのマウルブロンの修道院)

ギゼラさんからの手紙(下は筆記体を参考までに活字体にしました)

Sehr geehrte Mitgliedern des Literaturlesekreises,
Ihr Geschenk mit den von Ihnen selbst auf Deutsch
geschrieben Danksagungen hat mich sehr gefreut und
berührt. Ich möchte Ihnen dafur von Herzen danken.
Mit dem mir sehr lieben Gedicht von Johan Worfgang
von Goethe als Lesezeichen hoffe ich, Ihnen eine
kleine Freude machen zu können. Es darf sie vielleicht
bei all Ihnen zukünftige „Leseabenteuern“ begleiten.
Mit herzlichen Grüßen Gisela Frei

読書会連絡先
 大久保 明
 メールでの問合せ・申込みはこちら
 〒247-0034 横浜市栄区桂台中19ー26
 ☎045-892-0578


音の文化 T
「音無しくしゃみ」

松野 義明

1958年10月、私はオーストリア政府が、若い学徒のために準備した給費留学生制度に応募して、 希望で胸を膨らませながら、ウィーンへ旅立った。 現代量子力学の父であるシュレーディンガー教授がウィーン大学で教鞭をとっておられたからだ。 ところが、私がウィーンで、まず習得したことは、シュレーディンガー方程式の解の深遠な解釈とはほど遠い、 何と、「音と飛沫を伴わないくしゃみ」の技術だったのである。60年以上も前に私が習得したその技術は、 現在のコロナ時代にも大いに役立っているというお話しである。

ウィーンの学生寮に落ち着いて間もなく、私は大好きな弦楽四重奏の演奏会へ出かけた。 私の前の座席の人品卑しからぬ中年紳士が、弦楽四重奏のデリケートなピアニッシモの進行中に 「くしゃみ」をした。正確に云うと、 彼の肩の動きから「くしゃみ」と判ったのだが、何と、音がしないのである。 したがって、飛沫も皆無である。音楽も素晴らしかったが、私が大いに感動したのはこの 「音なしくしゃみ」の技術であった。後でわかったが、これは、その中年紳士だけの技術ではなく、 オーストリア、ドイツの友人たち、ほとんどすべてがこの技術を身につけていた。

子供の頃、食事中にくしゃみをして、周囲をご飯粒だらけにして、顰蹙を買った経験のある私は、直ちに、 研究を開始した。そして、努力の結果、ついに技術習得に成功し、現在もこの技術を生かしつつ、コロナ時代を生きているのである。

技術開発に当たっては、まず、「くしゃみ」という現象を正確に把握しなければならない。 ウィーン大学民俗学研究所日本学科の図書館にあった国語大辞典によると、 「一回ないし数回痙攣的な吸息をおこなったのち、急に強い呼息を発すること。 鼻粘膜の刺激または烈しい光刺激によって起こる反射運動である。」 とのことだった。このプロセスを、音や飛沫を伴わずに実行するには高度な技術が要る。 鼻の穴にこよりを突っ込んで実験すること数日、私はその技術をついに修得したのだ。 ここでは、そのノウハウをお教えしよう。国語大辞典によれば、くしゃみをする時には、先ず 痙攣的に息を吸い込むことになっているのだから、技術開発の第一歩は、 くしゃみを予感じても、痙攣的に息を吸込まない術を習得する必要がある。 息を吐いた状態で、呼吸を止め、吸ったつもりになって、 横隔膜だけを十分下げることにより、胸郭の内圧を負に保ち、 鼻と口をしっかり閉じた状態で、いわば、「内部的にくしゃみをする」のである。 つまり、十分に下がった横隔膜を瞬時に元に戻して、「くしゃみ」をしたような気分になることだが、 実際には、胸郭の負圧が常圧に戻ったに過ぎず、 この運動系のエネルギーは身体内に閉じた状態で移動するだけだ。従って、 口や鼻から音も飛沫も飛ばない。その上、本来の「くしゃみ」の目的は達成される。 もちろんこの技術を身につけるまでには相当の訓練が必要である。 新型コロナヴィールスを含んだ飛沫を拡散させないため、現代にも求められている重要な技術の一つでもある。 ぜひ皆様にも技術習得の努力をお勧めしたい。

一般に、欧米の人は人間の出す自然の音をなるべく小さく抑えようとする傾向がある。 あまり派手に音を発すると他人に不快感を与えるかもしれないという配慮がその基本的な理由であろう。 (もちろん、例外はあって、欧米人でも鼻をかむときトランペットのような大音響を発する人もいる)。 一方、われわれ日本人(女性と若者の名誉のため、これは中年以上の男性に限る) は人体の構造上自然に発生する音は生きる権利の一つとして、 誰に遠慮することなく主張しようと云う風情が見える。通勤電車の中で、うとうとしているとき、 目の前の人が大音響と若干の飛沫を伴う「くしゃみ」をすると、 大いに吃驚すると同時に、その飛沫の洗礼を受けて少々気持ちが悪い。 現在はコロナ禍のため、そのようなことはなく、すべてマスク内で処理されているので問題はないが、 コロナ禍が過ぎた暁にどうなるかは不明である。

私は、文化とはそこに住む人間の感性の上に築き上げられた生活習慣のようなものだと思っている。 ただ、日本人と欧米人の音に対する感性を客観的に比較してみただけなのである。 ある一つの音に、快感を感ずるか、不快感を感ずるかが、 西と東で違うことに興味を覚えただけなのである。もちろん、 人間の感性には強い個性があるから、少数例から一般論を導き出すことは難しいであろう。 舌鼓のピチャピチャ音やスープを食べる時のズルズル音が大好きな欧米人もいるだろうし、 反対に、それに強い不快感を持つ日本人もいるに違いない。


フランクフルトの“ハチ公”

大久保 明


コロナ感染対応が上手く行っていると言われているドイツでも、外出制や合唱活動中断している状況の5月、 フランクフルトの友人が子犬の写真とこんなメールを送ってきました。

anhangend finden Sie ein Bild von Hatschiko - er stammt aus einem Wurf von 8 Welpen, also ist er das „achte Kind“! Es ist ein Langhaardackel, Standardgröße. Die erste Woche war sehr anstrengend, da der kleine Kerl erst 8 Wochen alt war, und er ist natürlich nicht stubenrein.

私は日本で柴犬(雑種)を飼っていたことがあります。 ドイツ駐在中は隣の家に4年間預けていましたので。この種のドイツ語は馴染みが無く、 Wurf(一腹の子)はWorfかと思い、一寸待てよと、辞書には、Werpenは犬、オオカミ、キツネの子,とあり、 そしてachte Kindと続き、混乱してしまいました。さらに、stubenreinとあり、排泄の躾のできた犬を買う習慣のドイツで 生まれて8週間の子犬を買った友人の英断をやっと理解出来ました。

コロナ騒ぎのなか時間があるので、躾も何もかも面倒を見ようとするドイツ魂を感じました。 そしてその子犬につけた名前はHatschiko(ハチ公)です。ハチのチをこのように書く、これもまた新しい発見でした。

フランクフルトのLinden Ringに住むKraus-Dieter Kunzmannは1990年代、東京に駐在し、 お互いの古い友人のドイツ人から紹介で始まり、帰国後も機会を作り会っています。 お互い歌が好きで彼の家では彼の弾くグランドピアノで歌います。彼が東京駐在時代の話を書いた、 Tagebuch eines Entsandten (日本語の副題『東京タワー』)には私も出て来ます。


新型コロナヴィールス問題に想うこと

湘南日独協会会長 松野 義明

2019年12月半ば頃から2020年1月頃にかけて、新型コロナヴィールスという言葉が、 新聞やテレビの報道でしばしば話題になり始めました。 横浜港に入港していたクルーズ船ダイアモンド・プリンセス号の乗客への感染拡大が話題になり始めたころは、 正直に白状すると、私は、まだ、あまり大きな関心を持っておりませんでした。 しかし、その後、感染者数の増加速度が異常に大きく、しかも、 感染範囲がほぼ全世界に拡大していることを知るに至って、 非常に深刻な問題として考えるようになりました。 日本政府も、諸外国に比べると少々決断が遅れたようですが、 4月7日には緊急事態宣言を発令しました。それと共に、 様々な商業施設の営業自粛要請などとともに、我々の日常生活には、 三密の回避、手洗い、うがいの励行、マスク着用などが推奨され、COVID-19、 パンデミック、クラスター、オーバーシュート、ステイ・ホーム、テレワーク、ロックダウン、 ソーシアル・ディスタンス、PCR検査などといった耳慣れない言葉が飛び交い、 それらによって経済活動、教育活動、文化活動、家庭生活等に大きな制限が加えられました。

湘南日独協会もその例外ではなく、会員の皆様が心待ちにしてくださっていた3月、5月、6月の講演会はすべて中止、談話室SAS、 読書会もしばらくお休みにせざるを得ない状況で、 上記催事に多大なご関心をお寄せくださっている皆様には大変なご迷惑をかけることになってしまいました。 ドイツ語講座に関しましては、講師の先生方の熱心なご協力のお陰で、 オンライン講座という形をとって継続しております。 また、本来ならば、4月26日に、 会員の皆様のご出席を得て行うことになっておりました当協会の年次総会も、 電子メールと郵便の両方を用いた書面議決という異例な措置を取らざるを得ない事態でしたが、 会員の皆様のご理解とご協力のお陰で、無事済ませることができました。この場を借りまして、感謝の意を表させて頂きたいと思います。

私事ではありますが、ステイ・ホームの有効利用を模索しているうちに、 高校時代に読んだアルベール・カミュの「ペスト(1947年初版)」を思い出し、 我が家の書架の世界文学全集の中から引っ張り出して、読み返してみました。 そして、大変驚きました。正に、現代の新型コロナヴィールス問題そのままを予言する小説であったからです。 カミュは中世ヨーロッパを襲って人口の30%以上の命を奪ったペストを不条理の最たるものと捉えて、 自らが生まれ育ったアルジェリアの港町オランを舞台として、壮大な思考実験を行ったのでしょう。 港町オランがペストに侵されて、町全体が先の見えないロックダウンを余儀なくされた結果、 住民の普通の生活や経済活動が完全に麻痺し、肉親も引き割かれかねない究極の状況に直面して、 人間はどんな反応するのかという壮大な思考実験の報告書でもあったからです。

現在、我々が文化交流の相手国として長い間親しくお付き合いしているドイツといえども、 今回の新型コロナヴィールス災害のように、日本とドイツが全く同じ時期に、 全く同じ災害に襲われたことは、そう頻繁に見られる現象ではないと思います。 つまり、パンデミックはそう頻繁には起こらないものだとすれば、 日本とドイツ両政府の同一災害に対する施策の底を流れる基本的価値観の違いや、 施策立案に関して基本的なものの考え方の違いや、両国の各都市の災害対応措置の違い、及び、 その都市の住民の反応の違いを比較検討する貴重な機会かもしれません。 このような切り口から、両国文化の相互理解を深めることにより、互いに学び合えれば、 将来同じような災害に見舞われた時のより優れた施策立案のためによい参考になるでしょう。

今回の新型コロナヴィールスによる災害が自然災害として不可避なものであったのか、 あるいは、人為災害で、原理的にはパンデミックは避けられるものであったのか、 私には判断する能力はありませんが、いずれにせよ、災害を被ることは不幸なことです。 しかし、それを克服する過程から得られる知見はかけがえのない貴重な宝でもあります。 日本に比して移民、難民が多く、宗教の違いも絡んでくるドイツでは、 医療活動にも複雑さが表面化する場面もあったことが想像されます。 今後予想される日本の状態も勘案しながら、ドイツから学んでおくことが沢山あるようです。


男はつらいよ! 寅次郎 in Bonn

会員 大久保 明


館内の螺旋状の見学路を上がった途端思わずぎょっとした。写真の場面に出会った。 どうして「男はつらいよ」の寅さんの像がここにあるのだろうと。ケットに帽子そしてトランクを持って・・  寅さんはウイーンへは出かけたことは知っていたが、ボンへは知らなかった。 早速写真を撮り傍らの説明板を読んだ。寅さんではなく、所謂ガストアルバイター(外人労働者)の像であった。

この写真は説明によると、私が3度目の赴任をした、ベルリンの壁が落ちた1989年に、「Der Auslander 外国人」と題されて、 1950年代中ごろに多くの外国人がドイツへ、全財産を詰めてトランクひとつでやってきた、 その最初の外人労働者の象徴として、彫刻家のGuido Messerの製作した作品である。 彼は「外人労働者なのか移民者なのか?」と問いを投げかけているようだが、 彼らを迎える社会に対し「寛容」を呼びかけている、とある。 こんなところに、数年前からの欧州における移民問題にドイツが大きな役割を果たしている、 深いドイツ人の思いを、ボンの寅さんに感じた次第です。 (ちょうど一年前、友人のドイツ人の案内でボンの歴史博物館を訪ねました)


西鎌倉山親寿会のお手伝いをさせて頂いて

湘南日独協会会長 松野 義明

西鎌倉山に「親寿会」という、誠に家庭的で、温かい雰囲気のシニアクラブがあります。 このシニアクラブが、2019年5月から1年間をかけて「ドイツロマンと文化の会」 という一連の催し物を行うので、湘南日独協会も協力してほしいというお話を頂きました。 湘南日独協会としましても、地元の皆様と一緒に何かできるということは大変喜ばしいことなので、 一も二もなくお引き受けしたわけです。

初めての打ち合わせに西鎌倉山自治会館に伺い、佐々木名誉会長、 池田会長をはじめ数名のメンバーの方々とお話しした時、すぐに感じたことは、 このシニアクラブは、ただ家庭的なぬくもりに浸り、 老後の寂しさをお互いに漫然と慰め会おうという後ろ向きのクラブではなく、 全く正反対に、常に前を向き、常により高い文化教養を求める飽くなき意欲に燃えるクラブであるということでした。 メンバーの一人一人の方々のひたむきな知識欲と、得られた知識を心の糧にして、 それぞれの人生を豊かにしようという強靭な貪欲さが滲み出ており、 今、世間に喧伝されている老人の引き籠りや、はては、孤独死などという悲しい話とは無縁の社会でした。

このようなクラブの活動をお手伝いできることに、大きな意味と責任を感ずると同時に、 心の奥底から満足していただくにはどんなお手伝いをしたらよいのだろうと真剣に考えずにはいられませんでした。

いろいろ心配も致しましたが、親寿会の佐々木名誉会長や池田会長から頂いた書状を拝見しますと、 結果的には、なんとかご満足いただけたようなので、ほっと胸をなでおろすと同時に、 お手伝いをさせて頂けたことを本当によかったと思っています。 この期間中、全面的に関与していただいた勝亦正安副会長、伊藤志津子理事、 吉田克彦顧問、高橋愉紀氏、八尾とし子氏、赤崎玲子氏の皆様に、この場を借りまして、深く御礼申し上げます。


西鎌倉山親寿会主催
「ドイツロマンと文化の会」を
1年間湘南日独協会の協力で開催


西鎌倉山親寿会会長
池田 隆明 氏

親寿会とは、鎌倉市の西鎌倉山にある住宅地の住人を中心とした 60歳以上約100人の会員からなるシニアクラブです。 14年前に創設した歴史的には比較的新しい高齢者の団体ですが、ボランテイア活動、 健康活動などいろいろな活動を活発に行っています。 その中で教養文化活動の一つとして、2019年5月から始めたのがこの「ドイツロマンと文化の会」です。 老人会独自の事業でこのような講座を1年間継続して毎月開催することは、 他に殆ど例が無くかなりの困難性が予想されましたが、 会員の中に昔ドイツで勤務して生活していた人や業務出張や観光でなじみのある人などがいる事 またドイツの経験の薄い人でもドイツの文化や歴史に関心のある人もいる事、 そして何よりもドイツ大使館などを通じて知り得た、 湘南日独協会さんの支援を得られそうだとの事が決め手になり、 この会を開催することになりました。

第1回目が5月19日に西鎌倉山自治会館でスタートしました。 先ずは初回という事で、前半はドイツの現況、歴史、地理その他について、 元ドイツ在住の親寿会会員の三枝樹元子さんのご次男で前ドイツNRW州経済振興公社取締役であった 三枝樹洋さんに、講師となってもらい概説をお願いしました。 後半はドイツクラシック音楽をバックにドイツ主要都市を映像で鑑賞し合間には 音楽や都市の情景を講師及び参加者が話し合う形で進めました。 当日の参加者は前評人気もあつて会員以外の当地域外の方なども含め34名の多くの方が参加しました。

湘南日独協会さんからも、松野会長、勝亦副会長、 伊藤理事も出席して頂き大変盛り上がった会となりました。 その後6月、7月「世界遺産の旅」8月「ドイツの食文化について」 9月「ドイツオペラを楽しもう」10月ドイツ映画「菩提樹」 11月「ピアノトークコンサート」12月「南ドイツを旅して」1月「パネル座談会」 と続けて開催してきました。 この間、湘南日独協会松野会長にお願いして前記の 10月、11月、1月の内容について全面的にご協力を頂きました。 10月は協会さん所有のDVDをお借りして、 当日は江ノ電沿線新聞取締役の吉田さんに解説をお願いしてドイツ版「菩提樹」を上映しました。 11月には、36年間オーストリア、ドイツでプロピアニストとして活躍してこられた 高橋愉紀さんに特別にお願いして「ピアノトークコンサート」を開催しました。 バッハ、シユーマン、ショバン、ブラームス、リスト、モーツアルトなどから 馴染み深い曲から選んでいただいた素晴らしい演奏と長年の海外生活での ユーモアあふれたトークに参加の皆さん大変な感銘を受けました。

2020年1月には、本会の集大成的な意味合いで、長年ドイツ、 オーストリア、スイス等で生活されてきた方々を中心に「パネル座談会」を開催しました。 湘南日独協会さんから、松野会長、勝亦副会長、伊藤理事、赤崎玲子さん、 八尾とし子さんに参加して頂きました。特にパネラーとして、 ドイツ在住30年当地で寿司カフェを営んでいた赤崎さんの最近のドイツ事情の話など、 多くの興味深い話で皆さんの会話も弾みました。

このドイツの会のもう一つの特徴は、 毎回第2部として参加者の懇親会を持ったことです。 親寿会でドイツの会の開催にあたり最も熱意をもつて対応してきた佐々木名誉会長が、 毎回簡単ではありますが何らかのドイツ風の手つくり料理を提供してくれました。 この懇親会には湘南日独協会の皆さんも参加して頂き、 親寿会の会員との間でドイツの話を中心に大いに盛り上がりました。 この中で、松野会長の同じ旧制中学の同学年で約70年ぶりに初めて出会ったという、 親寿会員の小須田理事との出会いや、スイス在住の同じ時期に同じドイツ語の先生に 習っていたという伊藤理事と三枝樹洋さんの出会いなど、 奇遇というのか人の出会いの偶然さも経験した会でした。 本会の開催、実施に当たりご協力、ご支援を頂いた湘南日独協会さんの役員の皆さん、 特に理事の伊藤志津子さんにはいろいろとお世話を頂きました事に関し心から感謝を申し上げます。


湘南日独協会に心より感謝

親寿会名誉会長 佐々木 俊文

2019年4月より開始した、私共親寿会の文化事業の一つ、 ドイツロマンと文化の会に多大のご指導・ご援助を頂きましたことにあつく御礼申し上げます。 親寿会は本年4月には創立十五周年を迎えますが、 会の基本理念を「友好と親睦」「相互啓発に相互支援」「社会貢献」 「文化教養活動」「健康福祉活動」に置き、会員仲良く楽しくしております。 此の度の湘南日独協会の素晴らしい組織と活動内容を知るにつけ、 皆様方の豊かな人間性、実に深い学識、高い教養に触れ、感銘を受けております。 私個人の過ぎし青春の中に、ドイツの音楽・文学・芸術にあこがれていた思い出が数多くあります。 何卒、今後共種々ご教示下さるようお願いいたします。湘南日独協会の益々のご発展を心よりお祈り申し上げます。


高橋 愉紀さんの演奏


高橋 愉紀さんのへの花束贈呈
向かって右から2番目が佐々木名誉会長


1月例会 講演会
「戦前日独の競合と協調の歴史」

     講師 五百旗頭 薫 東大大学院教授


会員 望月 恭一

松野会長から新年のご挨拶と今日の講師を紹介された。五百旗頭薫教授は お父上をはじめ、内外で活躍されている学者が輩出された家庭の中で育ち、 日本政治外交史の若き新鋭の学究であると紹介され、早速ご講演が始まった。

東日本震災の中、ベルリンに滞在していたため、日本についての関心が集まり、 ボッタムに保管されていた日本に対する新しい分野の資料が比較的容易に公開されたので、 日本の視点から、調査研究ができた。

ドイツ側の日本に対する国家モデルとして開国、維新当時の重要な存在意義として、 将軍、大名、侍、天皇があるとみている。先生は、特に下級武士の活躍に目を向けられていた。

当時幕府側は、アメリカに関心を示していたが、官軍側は、英国の政体を重視していた。 しかし、岩倉使節団の最初に訪問したのは、米国であり、 清廉潔白な大統領ジョージワシントンに感銘した。 1968年6月に発布された維新新政府の政体書は、議政官、行政官、 刑法官の三権分立をうたいアメリカ的であった。つまり維新を主導する薩長政府は、 アメリカの影響を大きく受けていたわけである。

維新政府が北海道開拓を重視し、クラーク博士、新渡戸稲造、新島襄など、 アメリカ関係の人たちを送り込んだことでも理解できる。 1878年大久保利通が暗殺された後、政治は伊藤博文(ドイツ寄り)と大隈重信(英国寄り)の時代となる。 1882年伊藤博文は渡独し憲法調査では苦労するのだが、シュタインからスピード感ある行政の重要性を学ぶ。 1889年に明治憲法が公布され、1900年に伊藤は立憲政友会を作るが、これが今の自民党の原型である。

1894〜95年の日清戦争があり、独ソ対立や日本への三国干渉などを通して、 ドイツの東アジア進出が始まり、1897年膠州湾をドイツが占領し、租借を始める。1904年日露開戦。
1914年第一次世界大戦が勃発し、日本は対独参戦し、西太平洋のドイツ諸島を平和的に占領し、 青島は武力で占領した。中国政府には21カ条要求を提出している。
一次大戦後、1919年パリ講和会議が開催し、ヴェルサイユ条約が調印されたが、ドイツに対して厳しい内容であった。
1934年ヒトラー、首相と大統領を兼任。1936年日独防共協定調印、1939年第二次世界大戦はじまる、 1945年第二次世界大戦終了。
1949年ワシントン外相会議でドイツ連邦共和国(西独)とドイツ民主共和国(東独)が成立。西独、ヨーロッパ経済協力機構に加盟。
1955年西独は主権を回復し、NATOに加盟。ソ連、東独の主権を承認。1961年ベルリンの壁構築。1989年ベルリンの壁崩壊とドイツ再統一へ。
1992年マーストリヒト条約(ヨーロッパ連合条約)調印し批准した。
1995年ドイツ、フランス、ベルギーなど7ケ国の人の移動自由化。2002年欧州単一通貨ユーロの流通が始まる。
2020年英国、欧州連合(EU)から離脱。

先生のご講演は、第一次世界大戦終了までであったので、私自身の勉強のため、 英国EU離脱まで書き加えました。聴講の皆様は、先生のご講演をよく理解され、 質問内容も鋭かった。私は、このようなレベルに達していないが、少し感じたことを書くことにした。

伊藤博文を含めて、倒幕の主要な役割を果たした薩長の若侍たちは、 みな英国かぶれと思っていたが、これは私の固定観念であった。 それにしても、伊藤博文は、いろいろ苦労を重ねた上、シュタインに会えて、 憲法問題だけでなく、行政の大切さを学んだことは、彼自身だけでなく、日本にとっても幸せなことであったと思う。

先生のご講演から私が感じたのは、 「日本の行政、外交、安全保障の問題について、守りの姿勢だけでなく、 冷静に科学的にそして力強く対処することが求められている」ということであった。 しかし、最近の新型肺炎の問題など、限られた事実関係の中で、 どう対応してゆくのか現実の問題は厳しい状況に置かれているのも事実である。

  
五百旗頭 先生                懇親会      


イナ・レーペル ドイツ大使歓迎懇親会に出席して

副会長 勝亦 正安

日独協会主催により、昨年9月に着任されたイナ・レーペルドイツ大使の歓迎懇親会 が、2月10日、広尾にあるドイツ大使館に直ぐ近いレストランで開催され、松野会長 ご指名により、中嶋理事と勝亦が出席しました。


大使を中に向かって左より中嶋、勝亦、大久保

大使は、北ドイツ、ニーダーザクセン州の小都市クックスハーフェンのお生まれ、 キール大学、ボン大学、また米国インデイアナ大学等で経済学を学ばれた後、 1988年ドイツ外務省に入省、各国のドイツ大使館や国連などに勤務、 ドイツ外務省アジア・太平洋局長の要職を経て、私の知る限り、女性初の駐日大使として来日されました。

歓迎懇親会は、ミニケストラの音楽演奏で始まり、東京日独協会中根猛副会長(元駐ドイツ大使) による歓迎の辞の後、レーペル大使が挨拶されました。 「日本全国各地を訪問して日本と日本人を十分に理解したい、 来年は160周年となる日独交流の歴史を踏まえて日独の友好関係を深め、一層発展させたい」旨、 力強く新任の抱負を述べられました。

大使挨拶の後は、日独協会出原悠副会長の音頭で乾杯があり、その後は飲食と出席者交歓の時間が続きました。
全国各地約25の日独協会関係者70名程が参加、主賓の大使を中心に大いに歓談、 懇親の実を挙げました。大使は出席者の応対に追われていましたが、中嶋理事、 勝亦、更に東京日独協会役員として出席の大久保理事と共に、 短時間ながら言葉を交わすことが出来ました。 大使は、眼鏡と真珠の首飾りが良く似合い、背は高く、理知的な、お優しい風貌ながら、 言葉は極めて明快でした。当方の講演依頼を快くお引き受け頂きましたが、年内は難しいとのことでした。

エーペル大使の他に、早瀬勇横浜日独協会会長、ゲオルグ・ロエルNRWジャパン社長、 野村松信秋田公立大学教授、末岡眞純仙台日独協会副会長、 更には6月ご講演予定のハインリッヒ・メンクハウス明治大学教授等々にもご挨拶出来ました。

予定の2時間は瞬く間に過ぎ、大使の日本でのこれからのご活躍と任務の成功を祈念しつつ、 夜の8時頃、中嶋理事と共に家路につきました。


かまくら国際交流フェスティバルへ参加

理事 鬼久保 洋治


恒例のかまくら国際交流フェスティバル2019は11月10日好天の中鎌倉大仏、 高徳院にて開催されました。 紅葉も始まり院内には外国人観光客も多くにぎわい各ブースは模擬店、 バザー、各国の活動紹介、展示、民族衣装、生花等体験コーナーと演技団体 (琉球舞踊、バリ舞踊、古典芸能、カントリーダンス、剣舞、武士、和太鼓) そして湘南日独協会のアルプホルン演奏がありました。 ドイツからの外国人を含む観光客が足を止めて観賞していました。 ダンケシェーンはアルプホルン、カウベル、 そしてアコーディオン演奏ではお客様が音楽にあわせて ダンスをされる方もおり大いに盛り上がり国際交流ができました。 出演者は8名サポートに4名と水谷理事、アムゼルの志賀リンデさんが応援に来てくれました。 協会行事が重なり手分けしての参加となりました。

ご協力ありがとうございました。


2019年 望年会

理事 中嶋 照夫

湘南日独協会の望年会(忘年会)が昨年の12月15日に藤沢駅北口の 「さいかや」8階で開催されました。 今年の望年会は新企画として「音楽の起源」と題して、 高橋理事により30分程度の講演頂きました(講演資料付き)。 「音楽の起源」の資料は、こちらから、ご覧頂けます

イタリアン料理とワインを飲食しながら拝聴、講演は紀元前メソポタミアから中世、 ルネサンスに至るあたりまでの話。 「演奏出来る最も古い楽器の話」「楽器はいつ頃のモノが残っているのか」 「音楽はどこでいつ頃生まれ楽しまれていたのか」 「東洋と西洋の音楽は、いつ頃に影響しあったのか」「音楽の基礎的な理論は誰が整えたのか」等々。 興味深い話、ピタゴラスが音階の音程を物理、数学的に定義した話等、 質問等も交えてわかり易く講演して頂き音楽の楽しさが伝わりました。

   
エジプトの楽器の壁画    ピタゴラスの実験(木版)
 

現存する最古の有線楽譜

同時に今年の新規入会員の方、非会員の方にも参加頂き、お酒が苦手の人にも楽しんで頂けたみたいです。 参加者も30人の内(女性9人:昨年は2人)と膨れあがり会場のイタリアン料理店 「トラットリア・ポッテ」いっぱいに参加者であふれ、 2時間の予定が会場の好意で3時間になり、恒例の如く自然発生的にドイツの歌の合唱で終わりました。 最後にはクリスマスプレゼントも頂きました。



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