劇場便り44 ケムニッツ(ドイツ) 2026年9月
今回の劇場便りは前回からだいぶ間が開いてしまいました。その理由も含めて今回はお伝えできればと思います。まずドイツの劇場での契約の形態についてお話ししましょう。 ドイツの劇場では部署や役職によって契約の形態が大きく異なります。その事が仕事の現場でのパワーバランスにも影響する為、とても繊細な事柄です。
まずはオーケストラと合唱団員の契約形態からお話ししましょう。彼等の場合オーディションを受かると、まず1年間の試用期間が始まります。そしてその試用期間に合格すると 終身雇用となります。この契約形態によって必然的に彼等は試用期間中に最新の注意が求められます。団員達と程良い距離感を保つ必要があり、人間関係が大変難しい期間となります。 音楽的には、オーディションだけではわからないアンサンブル能力を試される期間となります。どんなに個人技が上手でもオーケストラや合唱では周りと合わせられなければ仕事になりません。
そしてこの期間に首尾良く合格すると彼等は終身雇用になる為、試用期間中とは全く逆の強い発言権を得て家を買う事ができる等、おそらく世界中のクラシック音楽家の中で最も安定した立場となるのです。 この契約形態の存在は世界中からドイツに優秀な人材を惹きつける大きな要因となっています。
次に我々コレペティトアやソリスト(歌手、俳優、バレリーナ等)の契約形態です。これはNV(Normalvertrag) Bühneと呼ばれる、ドイツでおそらく現存する最も不安定な契約形態です。 我々の場合オーディションに受かると通常2年契約を結び、その後は1年ごとに更新されていきます。そして15年同じ劇場で働いた場合終身雇用となります。オーケストラや合唱のように公式の試用期間はありませんが、 実際には最初の数ヶ月でその後の契約が延長されるか決定し、その後も1年契約が続くので毎年が勝負となります。
そして重要なのは15年で終身雇用になる前にほとんどの場合14年で契約を打ち切られてしまうのです。雇う側としては終身雇用というのは厄介な存在で、できる事なら1年契約の状態を保ちたいという作用が働くのです。 ドイツの劇場でよくあるのは、総支配人が変わると全てのNVBühne(ソリスト)がクビになり、総入れ替えになるのです。そしてまさにそれに類似する事が昨シーズンにブレーマーハーフェンの劇場で起こりました。 音楽監督が交代するタイミングで多くの同僚が契約を打ち切りになり、13年を超えてこの劇場で働いていた私も同様に契約が延長されませんでした。
覚悟はしていましたが、終身雇用になるチャンスがわずかでもあるならと思っていたので、やはり残念でした。そしてここからいよいよ新しい職場探しが始まります。 契約が実際に終了するまでは1年の猶予があります。その期間中に新しい職場が見つかれば理想的です。1年というのは長く聞こえるかもしれませんが、我々の業界では短い期間です。 オーディションに合格するのはそれほど至難の技で、一度職を失うと、次の劇場が見つかるまで数年かかるか、途中で転職する人も多くいます。 私の場合、契約が終了した後に失業手当が1年間支給される事になっていたので、遅くても2年以内に次の劇場を決めるくらいの余裕を持つ事を心がけました。
こうして始まった昨シーズンのブレーマーハーフェン市立劇場での仕事はオーディションとの両立で大変忙しいものとなりました。特に春先には劇場の演目で難曲のコルンゴルドの死の都の稽古があり、 並行してオーディションが多くあり、多忙を極めました。
そして5月に受けたケムニッツ市立劇場に首尾よく合格!合唱監督補佐兼付属の少年少女合唱団の監督というポジションです。ケムニッツ市立劇場は名門で今後へのステップアップにも重要な仕事場になります。
この便りを執筆する5日前に仕事が始まり、良い滑り出しができてホッとしてる所です。
また次号でじっくりお便りしたいと思いますのでお楽しみに!
ケムニッツ劇場を背に筆者
劇場便り 43(2025年12月)
ブレーマーハーフェン歌劇場ではカルマン作曲のオペレッタ”チャルダーシュの女王”のプレミエが終わり、次の演目はベッリーニ作曲のロメオとジュリエットなのですが、この演目はコンサート形式で行われるため、11月上旬から一か月間の仕事がほぼお休みとなりました。 そんな折に私の所属している音楽事務所から仕事の依頼があり、ザールブリュッケン州立歌劇場で3週間、コレペティトアとして働く事になりました。
仕事内容はミュージカル”ラカージュオフォー”の立ち稽古でピアノを弾く事でした。ザールブリュッケン州立歌劇場は日本でも馴染みの深い準メルクルさんや上岡敏行さんが音楽監督を務めた名門です。位置的にはブレマーハーフェンから電車で7時間程の距離で、 正直私に依頼があった事に驚いたのですが、これはせっかくのチャンスと思い引き受けることにしました。
早速劇場の担当者に連絡し楽譜を送ってもらう事に。仕事開始2週間前に楽譜が届き、ドキドキしながら難易度や量を確認。ザールブリュッケンの仕事が始まるまでの2週間はブレマーハーフェンで前述のチャルダーシュの女王の立ち稽古の仕事がある為、 空き時間を有効に使った練習計画を立てる必要がありました。楽譜は手書きで読みにくく、コードネームのみの箇所が多い等、即興で演奏する事が求められましたが、 それらは私の得意分野で、全体的には難易度はそれ程高くなく、量的にも準備が間に合う感触を得てホッと一安心。しかし、楽譜には通常ミュージカルを上演する時に挿入してある語りの部分がなく、別冊でのテキストも同封されていませんでした。
私はオペラでもミュージカルでも必ず音楽の練習を始める前にテキストを一読し、全体像を把握するようにしています。そうする事で何の為の音楽なのか理解してから練習を始められるので、最終的に効率良くあるべき姿に近づくと思っています。 特にミュージカルでは音楽とテキストのからみが重要ですので、至急担当者に連絡して電子メールで送ってもらい、ブレマーハーフェンの劇場で冊子にしてもらいました。 この事はつまり、ザールブリュッケンの劇場では代理のコレペティトアにテキストを読み込んで稽古に参加する事を求めていない事を意味していました。ですので、逆に私がこの短い準備期間でテキストまで読み込んで曲の内容をできるだけ熟知して稽古に参加すれば、 彼等からの高い評価につながるかもしれないと考えていました。
こうして課題の準備を首尾よく終えていざザールブリュッケンに向かいました。ブレマーハーフェンからはブレーメンとマンハイムで2回乗り換え、午後7時半にザールブリュッケン中央駅に到着。徒歩5分程の用意されたホテルでチェックインを済ませ、さっそく劇場へ向かいました。 その日の夜は立ち稽古がない事を事前に確認していたので稽古場を見ておきたかったのです。ホテルから徒歩10分程で劇場に到着。とても大きい建物で楽屋口を見つけるのに四苦八苦。ほぼ一周した所でようやく楽屋口を発見。 守衛さんにゲストである事を告げいよいよ入場!稽古場は3階との事。劇場というの迷宮なのではたして自力で見つけられるかちょっと心配。そしてやや苦戦したものの無事稽古場に到着!ブレマーハーフェンの稽古場のほぼ倍の広さ。
ザールブリュッケン州立歌劇場 |
稽古場のカワイ製ピアノ |
そして一番チェックしたかったのはピアノです。ブレマーハーフェンの稽古場のピアノはメンテナンスがしっかりされたスタインウェイのグランドピアノで、鍵盤のタッチも軽くとても弾きやすいのですが、他の劇場ではメンテナンスが疎かであったり、 タッチが重い事や椅子の高さが調整できない事があるので、必ず初仕事前にピアノの状態を確認したかったのです。幸いピアノはカワイ製で状態は良く、タッチはやや重いものの比較的弾きやすく、椅子の高さは調整できなかったので、その部屋にある私の求める高さの椅子を見つけて準備完了!
そして翌日の朝からいよいよ仕事開始。順調に滑り出し、徐々に評価を上げている感触を感じながら最後の一週間は舞台稽古でベヒシュタインのグランドピアノを弾けて感動しました。テキストまで読み込んでいる事もとても有難がってくれて大変有意義な3週間を過ごす事ができました。
(右写真:舞台稽古 ピアノはベヒシュタイン)
劇場便り 42(2025年9月)
ドイツの9月は年度始まり。劇場も6週間の夏休みが終わり新シーズンのスタートです。今シーズン最初の演目は、プロコフィエフ作曲"三つのオレンジへの恋" (Die Liebe zu den drei Orangen)です。組曲版の行進曲が有名ですが、オペラとしては日本ではあまり知られていません。 ドイツでは比較的頻繁に上演され、秀逸なドイツ語版が存在します。内容が喜劇で言葉が分かる必要がある為、このドイツ語版が採用される事が多いようです。
プロコフィエフはロシアからアメリカに亡命する際、1918年に数か月間日本に滞在しています。このオペラはその日本滞在直後の作品なのでどこかに日本的な物が顕在していないか注目していました。 その中で発見したのは、3つのオレンジが次々に切られて中からお姫様が現れる場面。その二人目のお姫様が登場する時の旋律が明らかに日本音階でした!そして果物を切って中から人が出てくるという事自体が私にはどうしても桃太郎を連想してしまいます。 これは単なる偶然かもしれませんが。全体のお話はハチャメチャでグロテスク。音楽は流石プロコフィエフで変化と色彩に富んだ作品です。
![]() 善玉と悪玉の魔術師対決 |
![]() オレンジから出てきたお姫様 |
このオペラのプレミエを終えると今度はオーケストラの地方公演です。3年前から始まった企画で、室内オーケストラ(20人程)が町の郊外の会場で演奏します。今回は私が指揮者を任されました。 プログラムはノルウェーの作曲家Arild Plauのチューバ協奏曲とモーツァルト作曲の交響曲38番です。Arild Plauのチューバ協奏曲は2001年初演の大変ロマンチックな作品ですが、チューバ奏者にとっては難曲です。 2年前に入団した中国人のチューバ奏者が自ら推挙した作品ですのでとっても楽しみです。
モーツァルトの38番は名曲中の名曲です。フィガロの結婚が大成功した後にドンジョヴァンニを作曲する前に作曲された作品で、フィガロの結婚とドンジョヴァンニに類似する箇所が多数見られます。 この交響曲はモーツァルトの41の交響曲の中で最もモーツァルトらしくない作品であると私は考えています。その一方で見方を変えると最もモーツァルトの本質を現わしている作品の一つだと感じています。 モーツァルトといえば遊び心と様式美の粋を極めた作曲家ですが、ドラマチックに感情を露出するような作品はあまりありません。その事は彼がザルツブルク及びウィーンの宮廷の為に作曲していた事と関係しているのだと思います。 興味深い事に彼がザルツブルクからウィーンに活動の拠点を移す前にミュンヘンの宮廷からの依頼で作曲したオペラ、イドメネオは大変ドラマチックで他のモーツァルト作品とかなり性質が違います。この時モーツァルトがウィーンではなく ミュンヘンに拠点を移す事にしていたら、その後の作品の内容が全く異なっていた事でしょう。このように本質的にモーツァルトが内在していた感情の露出が、彼が最も脂が乗ってきた時期にこの交響曲38番とドンジョヴァンニに現れたのではないでしょうか。 彼の父がこの頃に死去したのも理由かもしれません。
この公演が終わると今度はミュージカル"Catch me if you can"の再演です。こちらも今回は私が指揮を任されたのでしばらくは大忙しです。その後はオペレッタの名曲チャルダーシュの女王、ベッリーニ作曲のカプレーティとモンテッキ、ミュージカルのスウィーニートッド、ヴェルディの名作椿姫、 ロマンティックオペラの代表作でコルンゴルド作曲の死の都。乞うご期待!
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